高橋伸夫ゼミナール 《2017年度冬学期テキスト: 要約》  表紙(目次)に戻る  Handbook  BizSciNet

Penrose, E. T. (1959; 1980; 1995; 2009). The theory of the growth of the firm. 1st & 2nd eds. Oxford, UK: Basil Blackwell. 3rd & 4th eds. Oxford, UK: Oxford University Press. ★★★解説
初版の邦訳, E.T.ペンローズ(1962)『会社成長の理論』(末松玄六 訳). ダイヤモンド社.
第2版の邦訳, E.T.ペンローズ(1980)『会社成長の理論』(末松玄六 訳). ダイヤモンド社.

第3版の邦訳, エディス・ペンローズ(2010)『企業成長の理論』(日高千景 訳). ダイヤモンド社.


 第三版への序文

【解題】1959年の初版出版から36年後の1995年に第3版が出版されるにあたって、ペンローズなりに、周辺領域とその後の展開(本書の与えた影響)を展望した「まえがき」(原題は "Foreword to the third edition")。その後の米国企業の変質と日本企業の台頭、そしてネットワーク化などを意識した内容になっている。(高橋伸夫)

 企業の行動、成長、組織構造、経営上の問題について、多くの議論が行われてきた。筆者自身のアイデアと類似のアイデアも他の研究者によって独自に展開されている。20世紀の中頃まで新古典派の「企業の理論」、言い換えれば、完全競争市場と相対価格とパレート最適の資源配分の理論は、受容された一連の命題というクーン流の意味において、「一つの成熟した科学」とみなされてきた。しかし伝統的な「企業の理論」における「企業」は、絶えず理論上の論争のもととなってきた。それは利潤最大化の均衡点において、完全市場経済の理論モデルのまさに基盤を破壊するのが、何故規模の問題ではないのかという事を理解する事が困難だったからである。経済学者は概念上の均衡なしに外生的な撹乱要因に対して経済が反応する方向を予測できなかったし、完全競争の仮定無しには、競争的な市場の有する卓越した厚生上の効率性を主張出来なかった。企業の内側で何が起きているかを問う事が必要だと考えた経済学者はほぼいなかった上に、彼らの「企業」にはいわば「内側」は存在しなかった。新古典派の企業観は理論経済学を支配し続け、威信を保っている様に見えるがその一方で、組織としての企業の行動・マネジメント・理論・政策に関する新たな研究が急速に進んでいる。

1. 成長の理論

 1950年代当時、筆者は「いかなる企業にも正にその本質の中に、自らの成長を促進し、また、その成長の率を必然的に制限する何かが存在するだろうか」という問いに答えを出そうとしていた。その為には産業構造を研究する経済学者の用いた定義や、企業を一つの組織として扱うその他の分野の研究者の定義により近いものが必要であった。そこで企業は、一つの管理の枠組みのなかに集められた資源の集合であり、その境界は「管理上の調整の範囲」および「権威あるコミュニケーションの範囲」によって決まると定義付けた。 企業の成長率に対する限界は必ずしも企業の最終的な規模を制限しない。

2. 外部の事業機会

 企業成長の理論を展開するにあたって、企業内部の資源に注目するために、「環境」の影響は一旦、除外した。これは企業成長に関わる環境、すなわち起業者や経営者が知覚する投資や成長の一連の機会は企業ごとに異なり、企業のもつ人的資源やその他の資源の特定の集合によって決まる。更に、環境とは「外側にある」固定的で不変的な何かではなく、それ自体企業によって自らの目的に資するよう操作されうるものであるからである。又、「需要」に対する企業の関係を説明するには、なぜ既存の需要によって制限されなければならないかを考えると良いと筆者は考えた。企業は様々な生産資源を賦与されており、それらはいくつかの方法で用いる事が出来る企業追加的資源の獲得によって増やす事も出来る。企業が自らの成長の見通しや事業機会を、その現有製品だけに基づいて考えるという理由は何も無い。自社の生産資源や知識に照らして、成長の見通しや機会を考えるはずであるし、それらをより効率的に使う機会を探しているはずである。このことから場合に応じて、企業が多角化に向かうケースもある。

3. 知識の累積的成長

 企業成長の理論の主要な過程の一つは、「歴史は重要だ」ということである。成長は、本質として進化的なプロセスであり、また、本書で扱う企業の文脈では、集団的知識の累積的な成長、すなわち増大と変化に基礎をおいている。ブライアン・ロスビーが見なしている経営管理上の「原則と手法」からなるひとつの枠組み内での知識の成長は経済全体のいかなる均衡ともほぼ関係ない、企業の進化上のある種の一時的な均衡であるという分析を進めると政府の適切なマクロ経済政策の重要性が高まることになる。これは筆者とブライアン・ロスビーが経済の均衡を、不可能で現実的な意味で望ましくない新古典派の均衡の問題としてではなく、単にひとつの合理的な安定状態と見なしているためである。

4. 多国籍企業

 国境を越えた企業の拡張については、多国籍企業についての研究は20世紀半ば以降存在感の増大に伴い、急速に発展したが、筆者の示してきた企業成長の分析の多くは、現在の外国への直接投資による拡張に対しても概ね適用が出来る。国による違いはあっても、いくつかの生産要素は動かしやすいだけでなく、任意の量やタイプの資本などをパッケージ化した形で、一企業の統合された枠組み内を移動しやすいという仮定をおけば、本書の企業成長の理論的枠組みで国際的企業の拡張のプロセスをとらえることは容易である。必要なのは活動を一国に限定している企業には利用できないような機会とそれに固有な障害とを分析するための補足的で「実証的」な仮定を設けることだけである。

5. 限界の問題

 本書では企業の境界の性質について考察し、それらを経営上・管理上の活動という観点から定義づけた。この様に定義した場合、企業とは一つの計画の単位であり、成長に伴って、その管理責任が拡大するのと同様に境界も拡大する。しかし、企業の境界とははっきり目に見えるかどうか現実的であるかないかに関わらず、企業を市場から区別する為のものである為、存在しなければならないものである。なぜなら企業と市場という二分法は、経済学者の分析思考の重要な基盤となっているからである。G・B・リチャードソンはこの基礎概念に疑問を投げかけた。本書で展開された議論からは次の様にいう事が出来る。すなわち企業の成長率は企業内の知識の成長によって制限されるが、企業の規模は、その境界が拡大し続けてもそこに管理の効力が及ぶ限りにおいて制限されない。新古典派経済学の理論では企業は一つの組織として扱われていない為、企業規模の限界はつまるところ、既存の製品群の費用曲線の上昇または需要曲線の下降の中にしか見出せない。相次ぐ多角化により拡張可能という観点から、需要が必ずしも成長の制限にならないのであれば、前者だけが規模に対する限界として残る。また本書では企業内部のダイナミクスに焦点を当てるべく、いかなる規模の企業も他のいかなる企業と同じく効率的であると仮定した。規模の増大とともに、企業の経営的職能と基本的な管理組織は、加速的な成長を処理するために再編されていくものと考えられた。

6. 変質 (metamorphosisなので「変態」)

 1980年代及び90年代に、二つの概念、すなわち、「コア」と「ネットワーク」という概念が広く使われる様になった。前者はしばしば、企業が自社の主要な事業ないし事業群と考えているものを指し、効率的で収益性に優れた経営という観点からみて企業が拡大しすぎで、自社の「コア」を際立たせるために事業を縮小すべきだと判断した際に広く使われた。ネットワークの概念は、ともに密接に事業を営み、技術を含め様々なサービスを互いに依存し合う地理的に集中した小・中規模事業のグループからなる産業地域ないしはクラスターという形で、一九世紀の研究の中に現れていた。今日では「ネットワーク」ないし「ビジネス・ネットワーク」という用語は相互に関連し合う経営上の仕組みでくくられた、ある限られた数の企業間での公式の契約関係や提携を指している。契約に基づくビジネス・ネットワークには多様な形態がある。また企業間のネットワーク化の広がりは、グローバルビジネスの発展によって促されていて、アライアンスを形成する事が必須の対応になっているかもしれない。企業はそれぞれの「独立した」個性を失ってはいないが、リンクされた企業の管理上の境界はますます曖昧になり、個々の企業の行使する支配が及ぶ実際の範囲は、不明になっている。費用と利益のバランスはアライアンス内の個々の企業が成長するにつれて変化し、此の変化は企業間の関係に困難を生み、アライアンスの崩壊を招きうる。ビジネス・ネットワークはカルテルとは大きく異なり、又、このタイプの組織はこれからも普及し、自由競争市場での企業間競争とは大きく異なる競争に関わり続けるだろう。このことによって新しい見解が今後必要となるかもしれない。

(森本苑子)


第1章 イントロダクション

【解題】「成長=規模が大きくなること」ではなく、企業が花開いていく(unfolding)成長プロセスに付随する副産物が規模なのだと説いている。そして、そもそも多くの企業は成長しないのであり、本書では成長している企業だけを分析対象にすると宣言する。(高橋伸夫)

1. 本研究の目的

 本書では企業の成長について論じられるが、企業の規模については付随的にしか触れられない。「成長」とは通常二つの意味合いで用いられている。一つは単なる量的な増加をもたらす「成長」である。この「成長」は一方で発展のプロセスの結果としての規模の増大や質の向上を含んだ本来の意味合いで用いられることもある。この発展のプロセスでは、相互に関連する一連の内部的変化が、成長主体の特徴の変化を伴いながら規模の増大をもたらす。しかし、伝統的経済分析において企業の規模は、異なる規模間の正味の優位性の差という観点から説明される。ここにおいては、ある一つの方向への累積的な動きを導くような内生的発展プロセスという考えはなく、さらに、ある状態への移行に際し、一つの別の状態にあることの利点とは全く異なる利点が存在しうるという指摘もない。そこで、本研究においては、企業の規模は成長プロセスの副産物に過ぎず、企業の「最適」規模といったものは存在しないと考える。この研究は、企業成長の一つの見方として理論的にも「実践的」にも役に立つ一つの体系へと形を整え、一貫性を持った自己完結型な企業成長の理論を構築するのが目的である。また、本書では抽象化のもたらす影響を減らすために以下の二つの方法を考える。第一に、分析の基礎をなす基本的な仮定は、「現実の世界」での適用可能性という観点から選ばれている。そして第二に、本書における議論の多くを具体的な例とともに描いていく。

2. 立論の性質

 企業成長の包括的な理論は、いくつかの質的に種類の異なる成長のあり方について説明しなければならないうえ、企業自らの活動から生まれる一連の変化だけではなく、企業がコントロールできない外部の変化の影響も考慮する必要がある。これらは同時に議論することができないため、まず、企業の性格、機能、及びその行動に影響する諸要因について論じる。次に、企業の性質の本来備わっている力、すなわち、企業が一定期間内に着手できる、または着手を企てることのできる拡張の量について、その可能性を作りだし、誘因をあたえ、また、同時に限界を設ける力について検討する。その後、この限界は性質上一時的なものであり、拡張のプロセスのなかでその限界は後退していくこと、そして、一つの最適な拡張計画が完了すると、外的条件が不変であったとしても、企業にさらなる拡張への新たな誘因を抱かせる新しい「不均衡」が生み出されることが示されていく。

 本書での議論を通じて強調されるのは、企業の内部資源、すなわち、企業自らの資源から得られる生産的サービス、とりわけ企業内での経験を有する経営陣から得られる生産的サービスである。経営陣が利用可能な資源を最大限活用しようとすると、企業の継続的な成長を促す反面、成長率を制限するといった相互作用のプロセスが生まれる。また、本書の分析では、私的利益のために運営され、国家によって規制されない法人化された事業会社のみを対象にしている。製造業に対して株式会社や有限会社の会社が採用されたことで、企業の業務展開の範囲や性質と所有者の個人的な資産状態との間の関係が断ち切られ、企業の成長を最終的な規模に対する最も重要な制限は取り除かれた。

 最後に、多くの企業は成長せず、それは様々な理由によるが、著者の関心はこのような企業に向けられない。あくまでも成長しうる企業があると仮定するならば、その成長を支配する原則は何か、そしてどれだけ速く、またどれだけ長く成長できるかを問おうとしている。

(鎌田明宏)


第2章 理論における企業

【解題】みんな一口に「企業」と呼んでいるが、人によって「企業」の意味するところは異なり、特に経済学理論に登場する「企業」は現実の企業とはかけ離れている。そもそも企業とは何なのか、問題提起をしている章。たとえば、最初、地方で数人で始めた商店が大きくなり、30年で従業員数万人を抱える大規模流通企業に成長したとき、社名は変わっていないから同じ企業だといえるのか。創業当時のメンバーは経営者を含めて残っておらず、さらに色々な業種の会社を合併買収してきたことで、本社の機能が事業会社というよりも投資会社のようになってしまっていて、しかも本社が各事業部門の活動を全社的に調整していないときでも、同じ企業といえるのか。企業のアイデンティティは維持されているのか。それに対するペンローズの答えは、本書でこれから徐々に明らかになっていく。(高橋伸夫)

企業についての異なる見方
 民間企業が中心の産業経済では、企業が生産組織の基本単位である。しかし「企業」は輪郭のはっきりした存在でなく、定義づけも難しい。ここに本書冒頭で取り上げる混乱の原因がある。また企業はその複雑性と多様性ゆえに、分析ごとに問題に適する様々な観点からアプローチできる。その一つである「企業の理論」は、人々から最も頻繁に誤解・誤用されており、また企業の現実を反映していないために人々はこの理論にもどかしさを感じている。それゆえ、本書の最初に、「企業の理論」における「企業」の性質について議論し、なぜそれが企業成長の理論にふさわしくないかを示す。

1. 価格と生産の理論における「企業」

 「企業の理論」は価格および異なる用途への資源配分がいかにして決まるかという問題に関する理論的考察を支えるために構築された。企業の理論はより広範な価値論の一部分にすぎず、企業行動のうち、この広範な理論が解こうとする問題にとって意義のあると考えられる側面だけが考察される。価値論は製品・サービスの価格を決定する諸要因に関わる。企業の理論において「企業」の適切なモデルとは個々の企業で生産される特定製品の価格や量を決定する要因を表すものだ。そして企業の「均衡」とは企業の観点から見たある製品の「均衡生産量」を指す。企業の理論において、企業の「成長」とはある製品の生産量の増大を意味し、企業の「最適規模」とはある製品の平均費用曲線の最低点である。何が企業の規模を制限するかという問題は、ある製品や製品群の生産量を制限するものは何かという問題である。このモデルは、成長に伴って製品の種類を自由に変えられるような「企業」の分析のためにデザインされたものではない。

「規模」に対する限界
 均衡条件の分析には定義された個々の「企業」の生産量の無制限な拡大を妨げる存在が必要とされる。ある製品の生産量に対するこのような限界がなければ静態的理論の中に明確な「均衡点」を仮定できない。このように、経済学者たちは

  1. マネジメント上の限界(長期の生産費用増大の原因となる)
  2. 市場の限界(販売収益減少の原因となる)
  3. 将来の見込みに関する不確実性(リスクに対する許容値の設定の必要性ゆえに、生産量増加に伴う費用増大および販売増加に伴う収益減少の原因となる)
が企業の規模に限界を設けると考えてきた。この問題全体が多くの論争のもととなっており、とりわけ管理の不経済はコスト増大をもたらすかという問題は議論を呼んできた。この結論を出すには経営陣は一つの「固定的要素」として扱われ、この「固定性」の性質は「調整」という経営者の仕事の性質と関連付けて定義されねばならない。しかしこの定義はこれまで満足に行われていないし、多くの理論家は規模に対するその他の限界に頼ってきた。 また市場が企業の規模を制限するという考えは、特定のひとかたまりの市場が企業の拡張の可能性を支配しているという仮定から導かれている。しかしこの仮定を外して異なる企業概念を持てば「企業」は適切な資源が利用可能であるとき、需要が見出されたりつくり出されたりするものはなんでも生産しうるということがわかる。さらに、規模に対する限界として「不確実性」や「リスク」を取り上げることは、企業の期待費用や期待収益の計算は、将来に対する企業の期待を反映しているという事実を強調するだけのことである。このような期待には生産量の増加とともに増大する様々な大きさの不確実性が織り込まれているが、このことが決して分析の本質を変えることはない。

企業の理論における「企業」は企業ではない
 「企業の理論」が本来の領域にとどまっている限り企業の「規模」について説明するのは難しくない。しかしこの理論を性質の異なる環境、とりわけ革新的で多様な製品展開をする「生身の」組織の拡張の分析に適用しようとする場合、困難が生じる。この目的に対してはまったく違った企業の概念を用いることが必要になる。本研究では企業を所与の製品の「価格と生産量の決定主体」として扱うのではなく成長しつつある組織として扱うのである。このためには、このようなビジネスマンが考える「企業」は、企業の理論における「企業」と異なり、より多くの属性が与えられなければならない。この二つの「企業」の混同が「企業の理論」の誤解の原因である。

2. 一つの管理組織としての企業

 企業成長に関する分析の出発点として「企業の理論」がふさわしくない原因は、その抽象化の程度でなく種類にある。本研究の目的は、最も広い意味における一つの経済的実在としての事業会社の成長を観察することであるが、それは企業が経済の中で一つの経済的実在として果たす本質的な機能に依存する。

企業の機能と性質
 企業の主要な経済的機能は、財やサービスを経済に供給するために、企業内で立案され実行に移される諸計画に即して生産資源を利用することである。企業内の経済活動と「市場」での経済活動の本質的な違いは、前者は一つの管理組織の内部で実行されるが、後者はそうでないところである。事業の管理単位の規模をどのように定義するにせよ、その規模の増大は重要である。なぜなら、この単位が大きいほど、生産資源の異なる用途や時間外労働への配分が、市場の力によって直接コントロールされる範囲はより小さくなり、経済活動が意識的に計画される範囲はより大きくなる。そこで、本研究の目的に照らした企業の定義の重要な一側面として、一つの自律的な管理上の計画立案単位としての役割が含まれる。すべてのこのような単位は全社的方針に責任を負う何らかの形の中央組織(最高経営陣)を持ち、企業の管理階層の運営はその方針の下で行われる。理想的なケースでは、企業の円滑に機能するような管理の枠組みがひとたび作られ、管理者たちが意思決定の指針とする方針が決まれば、個々の意思決定がこの方針に沿ったものである限り最高経営陣による干渉は不要である。また、企業が異なれば最高経営陣の職務の数や性質などに様々な違いがある。この違いは企業の構造、トップマネジメントグループの好みや野心、外的変化に企業がどの程度直面しているかによる。変化への適応は

  1. 「短期」の条件に対する調整
  2. 「長期に及ぶ」変化に対する調整や「長期にわたる」方針の策定
という二つの問題を提起する。前者の場合、大企業の最高経営陣が一つ一つ処理しえないほど多くの決定が必要になり、企業内のほぼすべての管理的「職位」にある人が高い一貫性を持った意思決定をできるよう、組織構造や手続きが発達してきた。またトップレベルに過度に決定が集中することなく最高経営陣が長期的問題に取り組める手法や手続きも生み出されてきた。

規模と管理上の調整
 前述のどちらの問題も効率的に処理できなくなるほど企業が「大きくなりすぎる」ことが果たしてあるのだろうかという問題は、今なお議論されている。かつては企業の規模が増大すると、マネジメントや「調整」が利益の減少や運営コストの増大を必然的にもたらす「固定的要因」となるような点に到達するという考えが一般的だった。この考え方の裏には、行動の一貫性を保つには「ぶれることのない」方向付けが必要であるが個人の能力の限界により方向付けできる範囲は限定されるという推論があった。しかしこの「ぶれることのない一貫性」は過去から引き継がれ、基本的な統一性を損なうことなく企業内の様々な人々が意思決定を行えるよう企業は自らの管理構造を変えられるのだ。そのため、企業があまりに大規模もしくは複雑になりすぎて効率的に経営できなくなるポイントが存在するということは断言できなくなる。現に、大企業は非常に成功しているし、また増大する規模に合わせて管理の枠組みを調節し適応させるのに十分な時間が与えられた場合は、非効率的に経営されるという証拠は全くない。また、最高経営陣の職務は組織全体を把握して運営することではなく、幾つかの決定的に重要な領域に関与すること、及び組織の「トーン」を整えることだ。企業の大規模化に伴い生じているのは企業の非効率化ではなく、経営者の職能と基本的な管理構造が経験する「有機体」そのものの性質に深く影響するような根本的な変化である。きわめて小規模な企業ときわめて大規模な企業の管理組織の違いは同一の「属」に分類できないほど大きく、機能の果たし方は明らかに異なる。企業が効率性に照らして「大きくなりすぎる」かどうかというのが間違った質問であり、むしろそれらを別のものとして捉えなければならない。われわれは蝶の幼虫を定義して、同じ定義を蝶にも使うことはできないのである。                      

(奈良勇貴)

事業会社と投資会社
 企業の境界に関する基準をより明確にするために、事業会社と投資会社との差異を考えてみる。事業会社の大規模化が進むと金融持株会社の特徴を持ち始めるという議論があるが、ここで事業会社を「様々な事業活動を調整する管理上の枠組み」と定義すれば企業の境界を決めるべきものは「調整の範囲」、すなわち「権威あるコミュニケーション」が及ぶ範囲、つまり事業会社の定義を満たすに足る管理的調整を維持する企業の能力なのでこの議論は成り立たない。「調整の範囲」の要件は、階層を通じて実際に詳細な指示が伝達されること、人々に認識され受容された方針や目標及び過去のある時点で確立された管理手続きが存在していることである。企業の外部から及ぼされる「調整の交錯」を考慮すると企業の境界に関する基準は難しい問題だ。しかしここで企業の境界の定義に立ち返ると、ある企業が大企業によって支配されているか、株式所有を理由に大企業の子会社として分類されている場合、この企業が大企業の一部であると言えるのはやはり、2つの企業の活動に管理上の調整が行われている証拠がある場合のみとすることができる。ここで注意しなければいけないことは企業の境界について考える際に、概念の複雑化を防ぐため、経済力が及ぶ範囲と区別することである。

企業の「歴史」の継続性
 企業のアイデンティティは、様々な種類の変化を経ながら維持されうるので、企業の生存に関して考慮すること重要ではある。しかし我々の現在の目的は1つの企業の境界基準を明確にすることであり、また大抵の経済学の実証研究では分析者は実際に測定したいことについて大まかな近似で済まさなければいけない現状も考えると、ここで1つの管理単位としての企業に関してさらに抽象的な定義づけを施しても役には立たないだろう。

3. 生産資源の集合体としての企業

 分析の対象となりうる集団とそうではない集団を区別する根拠は管理単位だけでなく、生産資源の集合体とも言える。生産資源は管理上の決定によって様々な用途や時期に配分されるため、企業の規模は用いる生産資源のなんらかの尺度によって最も適切に測定される。企業には有形の物的資源と人的資源がある。理想は企業が利益を生み出すために用いている資源全体の現在値で測定することだが、現実的には測ることはほぼ不可能である。また、企業の対外投資を含む総資産を尺度として用いることも1つの生産単位としての企業の規模を歪めてしまう可能性があるため、欠点もあるが、企業の規模の尺度として固定資産を測定することとする。

 ここでは資源という言葉を使っているが生産プロセスにおける「インプット」は資源そのものではなく、あくまで資源が提供できるサービスにすぎない。資源とは潜在的なサービスの束から成り大部分がその用途とは独立して定義され、一方サービスは「サービス」という言葉自体がある機能やある活動を意味しており、用途と独立して定義できない。

企業の動機づけ
 企業は様々な行動をとるが、なぜそのように行動するのかについて見解を示す。企業成長のプロセスの説明を目的とした理論は2つの意味で役に立つ。1つは、その理論が現実の企業の成長において観察される出来事に符合する結論をもたらす論理的モデルを示すこと、2つ目は、その理論がそのような出来事の背景にある企業行動の理解を助けるものになりうることである。この理論の有用性は特定の企業に関係する事実に照らしてのみ検証できるが、企業の行動の目的に関する説得力のある仮定を見つける必要がある。

利益動機
 企業が利益を追求すると仮定すると、経営者個人の利益を求める動機がさらなる問いとなる。ここで企業は所有者に配当を支払うために利益に関心を持つと結論づけられることが多いが実際は必要水準以上の配当を支払う必要はない上、企業内に資金を留保して再投資する方が経営者としてはメリットが大きい。よって一般に企業の財務や投資に関わる決定は長期の利益を増大させたいという願望によってコントロールされ、再投資のためにできるだけ多くの利益を企業内部に留保しておこうとする明らかな傾向があると考えられる。

長期の利益と成長
 企業の経営者が自社への投資から得られる長期利益の最大化を望んでいるという上記の仮定は、成長への欲求と利益獲得の欲求との間の関係に注目させる。企業の長期利益の総額を増大させることは、長期の成長率を増加させることと同じ意味を持つのである。ここで、権力や地位などのその他の目標が重要だという意見を否定する必要はなく、これらの目的の達成が利益獲得の能力と結びついているという認識が必要である。「企業者精神」は同質ではないが、これが欠けると企業の成長を妨げることになる。

(伊津野咲)


第3章 企業の事業機会と「企業者」

【解題】この章では、企業者サービスの質の気質的側面(the temperamental aspects of the quality of entrepreneurial services)を
  1. 事業機会に対する企業者としての多才さ(versatility; 翻訳ではなぜか「可変性」と訳されている)
  2. 資金調達の才(fund-raising ingenuity)
  3. 帝国建設者(empire-builder)ではなく、のれん建設者(good-will builder)としての企業者的野心(entrepreneurial ambition)
  4. 企業者的判断の手堅さ(sound)
と四つ挙げている。(高橋伸夫)

企業の「事業機会」に制限される成長
 本書で定義した「企業」は、一つの管理組織体であると同時に生産資源の集合体である。企業の生産活動は、製品やサービスの生産のあらゆる可能性からなる「事業機会」によって支配されている。企業が拡張の機会に気づかず、それらに積極的に働きかけようとしなかったり、それらに対応する能力を欠いていたりするほど、事業機会は限定される。大抵の企業は成長しないかもしれないし、失敗は成功より一般的かもしれないが、数多くの企業が長期にわたって生き残っているし、現在のところ彼らが終点ないしその近くに到達していることを示す決定的な証拠もないため、本書で扱うのは、有能な経営陣を擁しているか、そのような人材を引きつける企業者精神の豊かな企業だけとなる。この企業家精神とは、経済分析に簡単に組み込めるものではなく、個人の気質や資質に密接に関係している。個々の企業の成長に含まれるこの極端に個人的な側面は、企業成長の一般理論を発達させる上で障害となってきた。したがって、企業者精神の性質について検討し、その意義と役割を示すことは重要である。

1. 企業者精神の役割と経営陣の能力

 企業者精神を定義するにはたくさんの方法があるが、今回は「利益を期待してチャンスを捉えようとする、そして特に、投機的な活動に努力と資源を賭していこうとする傾向をもつ個人の心理」として扱う。企業が利益を「追求して」いるという場合には、すでにある程度の企業家精神が含まれているといえる。企業者精神に富む企業は、有利な成長の機会は常にあり、競争の世界では拡張が必然的だという過去の経験則にしたがって、拡張の道を探すために資源の一部を費やし続けるからだ。「機会を探す」という意思決定は、企業者的な直観と想像力を要する、企業者精神に富んだ意思決定である。

企業者能力vs. 経営者能力
 「企業者精神」は「野心」と密接に関係しているが、たとえ企業がさほど野心的でなくても、適切に経営されることはある。より多くの努力やリスクや投資が必要となるのであれば、それほど利益を求めようとしない実業家も多い。ある企業が利益の追求に対して野心的でない人に支配されている場合、その企業が非常に大規模になることはありそうにない。企業者サービスの質を最も決定的に制限するのは、異質の新事業を手掛けたり新たな地域に進出したりすることへの関心の欠如である。逆に言えば、企業の拡大可能性は、企業が利用しうる企業者サービスの質によって決まる。

2. 企業者サービスの質

 ある企業が利用しうる特定のタイプの企業者サービスは、その企業の成長を決めるのに戦略的重要性を持つ。これは個々人の「気質的な」特徴の結果ではなく、その企業自体によって形成され条件づけられる。ある重要な種類の企業者サービスが企業内で「生産されること」は、企業の事業機会の変容の重要な一つの側面なのである。

企業者の可変性
 企業者の可変性は、経営的あるいは技術的なものとは異なる資質であり、想像力や洞察力に関するものである。企業者が「鈍感な」企業は、そのことだけで成長を制限される。企業者精神に乏しい企業者は、自分の領域で順調であることに満足し、手の届くところにもっと広い可能性があるということを考えもしないだろう。活力と想像力のある経営陣を擁した企業は、時には自社の当初の製品を完全に放棄し、また、旧製品に対する需要条件が悪いにもかかわらず総生産高を拡大させながら、自社の製品の範囲を大きく変えてきた。拡張のために、新市場開拓のための企業側の努力や新しい生産系列への進出が求められる場合には、可変性の高い型の経営幹部のサービスが必要となり、想像力に富んだ努力、タイミングのセンス、何が当たるかについての直感的な認識が重要となる。

資金調達の才能
 十分な財務的資源なしでスタートした多くの小規模な企業が成功し、資金を調達し、大企業への成長を果たす。このような企業が資金調達に成功したのは、信用をつくり出すという企業者の能力があったからだと考えられる。人々を惹きつけるだけの柔軟性と想像力があってこそ、注意深く懐疑的な投資家や消費者に対して、企業そのものや製品をうまく「売り込む」ことに成功する。したがって、企業者の能力と企業が引きつけうる資金との間にはある関係が存在し、資本不足によるとされる困難の多くは、適切な企業者サービスの欠如にも起因するのではないかと考えらえる。

企業者的野心
 企業者的野心を大きく二つのタイプに分けると、「のれん建設者」と「帝国建設者」がある。前者の関心は、品質や製品の向上、コストの削減、技術の改良、市場の拡大、新製品の導入に向けられ、彼らにとっての利益を上げる「最善」の方法は、この組織が営む諸活動の改善や拡張によるものである。一方の「帝国建設者」は、広い分野にまたがる強力な産業「帝国」をつくろうというビジョンをもち、買収もしくは競争以外の手段による競争者の排除を通じて帝国を拡大することに関心を持っている。帝国建設者として成功するには率先力および他の実業家と交渉して出し抜くような攻撃性や賢明さが必要となる(筆者にとって主に関心がある企業者サービスは、前者のタイプの方である)。

企業者の判断
 「可変性」「才能」「野心」と異なり、企業者の判断の質は、個人の性格や気質とはわずかしか関係していない。企業者の判断の問題は、想像力、センスのよさ、自信、その他の個人的資質の組み合わせ以上のものを大いに含んでいる。それは、企業内の情報収集組織やコンサルティング体制と密接に関係し、企業成長に対するリスクと不確実性の影響、そして企業成長における期待の役割といった大きな問題につながっていく。後段では、期待の意義について述べる。

3. 企業の事業機会に占める期待の役割

 ある企業の「客観的な」事業機会は、その企業が何を成し遂げることができるかによって限定されるが、「主観的な」事業機会は、その企業が何を成し遂げることができると考えるかという問題である。ある企業の計画が成功するかどうかは、その遂行の仕方によるところもあるが、そもそも行動が成功する可能性を適切に判断できていたかにも依存する。企業が成功するかどうかは最終的に「環境」によるため、企業は自らの行動を成功させるために必要な環境条件を変えていくだけでなく、自らが環境を変えうること、環境は自らの行動と独立ではないことを知っていなければならない。つまり、環境が企業行動の成功に課す限界は知りえないところであるが、その範囲内でも判断の余地は十分にあるということである。企業成長の分析のためには、環境の分析ではなく、企業の分析からスタートし、その後ある一定のタイプの環境条件が及ぼす影響についての議論に進むべきである。企業の「主観的な」事業機会の性質や範囲を決めるものを発見することができれば、特定の企業の行動を説明したり予測したりしたい場合にどこを見るべきかが分かる。

(近藤愛奈)


第4章 合併をともなわない拡張: マネジメント上の限界の後退

【解題】不確実性下では、リスクを回避しきれなくても、それでもなお拡張する意欲を持ち、リスクを引き受ける気質をもった者が経営者を引き受けるべきである。そうした経営者の集団がチームになるには、ともになすべき仕事をもつことが必要条件である。(高橋伸夫)

二つの基本的仮定
 企業の成長の限界については、経営者の能力、製品あるいは要素市場、不確実性とリスクという三つの側面からの説明がある。この内、一つ目は企業内の諸条件に、二つ目は企業外部の諸条件に、そして三つ目は企業内の態度と外部との組み合わせに関連している。外的障害は存在しないと仮定する。拡張への外的障害は、二つの基本的な仮定をおけば排除することが出来る。第一に、企業がそれなりの価格を支払えば入手できるいかなる種類の生産的資源の量にも、事実上の限界はない。第二に、現行の価格と金利の下で利益の上がる投資の機会は経済のどこかに存在する。これらの仮定は多くの企業にとってかなり理に適っているが、個々の企業は経済全体と同じ供給ないし需要関数によっては制約されないということである。企業は資源供給や製品需要によって特定の製品や場所に制約されない。また、より多くの量と種類の資源が市場で入手でき、これらを利用して利益を上げる機会が存在するとすれば、企業の事業機会に対する本質的な限界は、外部の需給条件には見出せない。我々は企業そのものの内側を見なければならない。本章では、ここで仮定した条件の下で拡張を制限する諸要因の性質のみを取り上げる。従って、企業の成長率に限界をもたらす諸要因について論じるが、企業が大規模化したり諸条件が変化したりした場合の成長率の変化については取り扱わない。

1. マネジメント上の限界の性質

 拡張プログラムの構成や範囲は、その執行同様、計画立案されなければならない。どんな企業にも数多くの有利な事業機会が存在していると仮定しているが、企業は一度にすべて利用して、自社の拡張計画を拡大したり、それとともに経営者チームを拡大したりすることは出来ない。なぜなら、企業の現在の責任者が、たとえすべてを詳細にコントロールしていないにせよ、その企業の計画や業務展開を少なくとも分かっていて承認することが必要だからである。

経営者の「チーム」
 ここでの議論では、一つの管理および計画立案組織としての企業の拡張率を扱っている。このことから、このような組織の既存の幹部は、その組織の業務の拡張としてみなされるどんな業務にも何らかの関与をしなければならないことになる。かくして、企業の既存の経営要員の能力は、ある時期におけるその企業の拡張に必然的に限界を設けることになる。経営者によるグループである「チーム」は、協働経験を持った個々人の集まりである。というのは「チームワーク」は協働を通してしか発展しえないからである。既存の経営要員は、企業で一緒に働いて得た経験によって、企業の外部から新しく雇われた人には提供できないサービスを提供する。業務の規模はそれらの計画が作成された時点で存在した経営者資源によって制限される。組織内の個々人がグループの有効な機能に必要な個人間や企業内での経験を積むペースを超える勢いで組織を拡大させてしまうと、その企業の効率性は損なわれる。経営者グループの経験は、拡張の全プロセスにおいて決定的な役割を果たす。なぜなら、経験が獲得されていくこのプロセスは、まさに企業が自ら利用できる新たな生産的サービスを創出するプロセスとしてみなされるからである。企業の拡張のスピードに対するマネジメント上の限界には二つの特質がある。第一に、現在の経営者グループが提供するサービスをどれだけ利用できるかが、いかなる時点であれ計画されうる拡張の量を制限する。第二に、ある時点で計画されうる活動の量は、「次の時期」に有利に吸収されうる新たな人材の量を制限する。

経営者サービスの解放
 企業は、計画が完成し運営段階に入ると、計画立案プロセスによって吸収されていた経営者サービスは徐々に解放され、次の計画立案に利用できるようになることは明らかである。小規模な企業では拡張は時たまにしか起こり得ず、経営者サービスが次の計画立案に再び利用できるようになるには、各拡張プログラムが完全に完了し、運営上の問題も解決され、拡大した企業が全体として円滑に動き出すことが必要になる。大規模な企業においては、拡張の計画立案と実施は、現在の業務活動と必ずしも常に明確には区別できない連続的なプロセスである。あらゆるレベルの計画立案と拡張が、日常業務からほぼ解放され、継続的に計画立案に専念する人材の手に委ねられるという意味での専門化である。拡張計画の作成と実行には経営者サービスを必要とすること、そして、経営者サービスが拡張後の事業の運営に必要とされない場合には、これらのサービスが当初の計画立案と実行から解放されるにつれて、次なる拡張の計画立案のために利用可能となることは明らかである。しかし、オーナー経営者が仕事よりも余暇を重視するような小企業では、余剰の経営サービスは、それらを活かそうという欲求がなければ、簡単に引き上げられる。

経営者サービスの成長
 殆どの状況においては、拡張のプロセスのなかで新たな経営者サービスが作り出され、企業に利用可能なものとして残ると考えることが出来る。かなりの規模の拡張はいかなる場合でも通常、新しい人材の獲得と既存の人材の昇進や再配置を伴う。成長が進むにつれて、企業の管理構造は変化する。最終的な責任の集中をそのまま残しつつ、権限と下位の責任の漸進的な分権化を進めることが、企業が比較的小規模という枠を超えて成長を続けるための一つの必要条件である。新たに採用された人材や企業内の既存の人材が一層の経験を獲得するのは、この必然的に漸進的なプロセスにおいてである。人々が特定のグループの人々と共に働くのに慣れると、仕事仲間やその企業の手法や、彼らが従事している特定の状況下での最善の方法に関する知識によって彼らの提供し得るサービスが高められ、個人としてもグループとしても、企業にとってより価値ある存在になっていく。獲得された経験には、企業がとり得る行動の可能性や方法に関する知識の増大を催すものもある。このような知識の増加は、環境の変化とは無関係に企業の事業機会を変化させる原因となるだけではなく、個々の企業の機会の「独自性」の一因ともなる。知識は、二つの異なる方法で得られる。その内一つは、形式的教わることも、他者や書かれた物から学ぶことも出来、また、必要があれば、他の人に形式的に表現し、伝えることも出来る。もう一方もやはり学習の結果ではあるが、こちらは個人的経験という形の学習から得られる。これらの知識の形態を理論的に明確に区別する容易な方法はないし、満足のいく分類方法もない。この二つ目の形態で強調されるのは、人的資源の提供し得るサービスの変化であり、この変化は彼ら自身の活動から生じる。経験の増大は、獲得された知識の変化、及び、知識を用いる能力の変化という二通りの形をとって現われてくる。人は経験によって、英知や行動の確実性や自信を獲得する。それらは、企業に与えることが出来るサービスの種類や量に関わる特質である。客観的知識と経験の増大によって、新人・ベテランを問わず作り出された未利用のサービスは、未利用の能力という形で存在することが多い。個々人のサービスのより完全な活用は地位を昇進させることで実現すると考えられるが、このことは最終的には企業の活動の拡大を必要とするだろう。

後退する限界と「静学的」アプローチ
 我々はある一定の期間における拡張の量には限界があること、そして、この意味では企業の事業機会は固定的だと考えられることを示してきた。従って、静学的分析は、均衡条件の究明の一つの適切な方法たり得る。伝統的な静学的仮定をすれば、管理の不経済が最終的に生じる。この仮定の下では、経営者サービスの供給は固定的なものとなる。ある環境の下での経験によって得られる新しい独特なタイプのサービスは生じ得ない。この問題は、「完全な合理性」や「完全な知識」という仮定を置いても変わらない。客観的な知識は全ての人々が同等にアクセスし得るものということを意味するため、経営者サービスは同様に固定的になる。不確実性とリスクは、企業の拡張計画に対する限界の中で、最も広く認められている説明要因である。

(石川紘士)

2. 不確実性とリスクの影響

 「不確実性」とは、自らの推定や期待に対する企業者の確信に関するもので、「リスク」とは、行動がもたらしうる結果、特にある行動がとられた結果被るかもしれない損失に関するものである。不確実性やリスクが企業の拡張計画に及ぼす影響としてまず挙げられるのが、企業者が最も確実だと考える値より少し低めの需要想定・高めのコスト見積りを用いることでコストや収益の計算に許容値を設けるということだ。これにより、最終的な行動を取る際の見積もりは、その基礎となる不確実性の影響を考慮したものとなるため、不確実性・リスクに対処できるようになる。結果として、許容値が拡張計画の大規模化とともに増大すれば、生産量の拡大に伴う期待収益増大・コスト低下は、少なくとも部分的には不確実性の影響によって相殺される。

 「リスク」には、損失の可能性と、損失それ自体の重要性の両方が含まれる。これから「リスク増大の原理」が導かれ、損失の可能性は一定であっても、投資が増えるとその分企業にとってのリスクはより深刻となる。そして、企業の拡張計画は「リスクの増大」によって制限される、という結論に至る。 これら従来の理論によれば、基本的に企業者は受動的な「リスク負担者」として扱われる。彼らにそれを減らす術は無く、不確実性とリスクは拡張に対して予め存在する限界となり、限界を説明する要因とみなされる。

 しかし、不確実性やリスクを減らすことで、自らが動かせる全ての経営者資源を使えるようになる方法があるとすれば、これらの拡張に対する影響は、それに対処する経営者資源が利用不可能な限りにおいてのみとなる。不確実性やリスクと、経営者資源がともに拡張の量を制限するとした時、実際の限界をもたらすのは先に作用したのがどちらかによって決まる。以降は不確実性とリスクが拡張に対する根本的な限界と主張するために、これらだけの作用によって、企業が経営者資源を不完全にしか使えない恐れがあることを示す。

不確実性と情報
 不確実性の企業に及ぼす影響を考える上で考察の対象となるのが、企業者の心理状態である主観的不確実性と失望のリスクに関する主観的評価である。将来についての主観的不確実性は、企業者の「気質」と、情報不足の自覚から生まれると考えられる。主観的不確実性を減らす最も重要な方法は、それに影響する諸要因について多くの情報を得ることである。情報を得るには資源の投入が、情報の評価には既存の経営陣のサービスが必要なので、主観的不確実性によって企業は「経営調査」に資源を費やすようになる。不確実性の軽減に必要な情報の量や種類は企業ごとに異なるが、同様に経営者が外部者の助言を聞き入れる程度も企業ごとに異なる。一般的に企業者は、自らの判断が含まれていないと、自らの能力の範囲内と考える領域での行動の責任を取りたがらず、それ以外の問題については信頼する人々・判断の根拠を説明できる人々の判断を受け入れる。人々が結果についての全般的な責任を分かち合える経営陣についても同様で、グループが大きくなると計画される活動の絶対量は増える。企業の成長に伴う経営者グループの大規模化によって個々人の「気質」の影響は少なくなり、情報収集や分析の手法は標準化される。手法の進歩や、コンサルタント組織の登場は、経営者の努力量を減らすだけでなく、主観的不確実性の軽減にも大きく貢献する。これらより、原則として不確実性は、そのために使える経営者資源が限定されている限りにおいてのみ拡張を制限するといえる。なお、拡張計画から不確実性を完全に排除することはできず、また、情報はリスクに対して何の効果も持たない。

リスクと回避できない不確実性
 計画が進行し、それ以上情報を得られない、あるいは費用がかかりすぎると考える段階に到達すると、企業は不確実性とリスクに照らし合わせ、活動に投入する資源量を決めなければならない。この限界はいかなる方向への拡張にも存在する。企業の拡張の方向性は自由であり、新しいタイプの活動はより多くの経営者サービスを必要とするが、企業者精神に富む企業が、経営陣の能力が尽きる前に拡張のリスクゆえ行動に着手しなくなると想定する必要性は無い。 しかし拡張に伴い企業の財務リスクは増大する。リスクと回避しえない不確実性への対応は、保守的な財務政策を取り拡張計画を制限するか、リスクを最小化すべく拡張計画を調整するかに分かれ、その選択は企業の伝統となることが多い。また、企業の拡張計画には企業者精神の質が大きく影響を与えているのだが、一方で企業者精神自体には、リスクを冒す意欲及びその他の多くのものが含まれている。拡張計画の調整方法は様々だが、リスクを削減する方法は全て経営者サービスを必要とする。リスクが大きいほど経営者の職務は難しく、したがって拡張計画は経営陣の能力に制限を受ける。拡張の量に対してリスクと不確実性が与える影響と、経営者サービスの限定された利用可能性が与える影響は切り離して整理することは難しい。企業は常にある一定量の利用可能な経営者サービスを有しており、それを通常業務や拡張計画の立案・遂行、不確実性の軽減に用いる。その結論には回避できない不確実性・リスクの見積もりが含まれており、これらがあまりに高いと、企業の行動は限定され、余分な経営者サービスは未利用のまま残るか、もしくはリスク削減の計画に利用される。経営者サービスが使い切られると、不確実性とリスク同様に、それ自体が拡張に対する限界の一つとなる。未だ残っていると、不確実性とリスクだけが拡張の制限要因とみなされる。さらに、不確実性とリスクは、企業が情報を獲得せねばならない原因であり、拡張計画の構成に影響を及ぼすため、拡張に必要とされる経営者サービスに明らかに影響を与える。

(岡林宏尭)


第5章 「継承された」資源と拡張の方向

【解題】資源は使われ方によって生み出すサービスが異なってくる。そのため、本来もっと価値あるサービスを生み出せるはずの資源が、あまり価値のないサービスしか生み出していないこともある。こうした資源が遊んでいる状態で存在する未利用サービスは、企業が成長して内部で専門化が進むと利用できるようになる。企業の資源は種々の異質で独自性のあるサービスを生み出せるのだ。そんな保有資源が生み出せるはずのサービスによって、企業にとって意味ある需要は必然的に決まるのであって、ほとんどの需要は、あっても意味がない。ペンローズを引用する際には、この章のこうしたエッセンスが引用されることが多い。特に、資源が異質で独自性のあるサービスを生み出すというアイデアは、経営戦略論のリソース・ベース理論の源流の一つとされている。(高橋伸夫)

拡張の誘因の類型
 ここから本書の分析の視点は、拡張の限界から拡張の方向へと移る。いかなる時点においても、企業はいくつかの方向へ拡張する誘因をもつと同時に、克服すべき困難ももっている。この誘因と困難は企業の外部や内部に存在し、特定の方向への拡張の収益性や実現可能性を高めたり制限したりする諸条件を作りだす。

  1. 【外部の誘因】 拡張に対する外部の誘因はよく知られており、ほとんど議論の必要がない。外部の誘因には、特定の製品に対する需要の増大、従来よりも大規模な生産を必要とするような技術の変化、その開発が特に有望と思われる発見や発明、または補完的な方面での有望な分野を開拓する発見や発明、市場でのより望ましい地位を獲得したり何らかの独占的優位を手に入れたりするための特別な機会などが含まれる。
  2. 【外部の障害】 拡張に対する外部の障害も、同様によく知られている。外部の障害には市場への有利な参入や拡張を困難にしたり、費用のかかる販売努力や低いマージンの甘受を要したりする特定製品市場での激しい競争、知識や技術の使用に対する特許権やその他の制限の存在、新しい領域へ参入する際の高いコスト、原材料や労働力あるいは専門化した技術者や経営要員の獲得の難しさなどが含まれる。
  3. 【内部の障害と誘因】 拡張に対する内部の障害は、特定の方向への拡張に必要ないくつかの重要な専門的サービスが企業内で量的に十分得られないとき、特に新しい計画の立案・実行および効率的な運営に要する経営者能力や技術的スキルが経験を積んだ既存の人材から十分に得られないときに生じる。
 拡張に対する内部の誘因は、多くの場合、未利用の生産的サービスや資源や特殊な知識の蓄積の存在から生じる。本章では、企業内ではなぜ常に未利用の生産的サービスが存在するのかについての説明と、このようなサービスの存在は企業よって知覚された拡張の「外部の」機会に対してどのような意義をもつのかについて論じる。異なる種類の誘因や困難は、選択された拡張の方向や方法にそれぞれ異なる影響を及ぼすため、ここでは、拡張に対する誘因と障害の性質を別々に議論することが重要である。

1. 未利用の生産的サービスの利用可能性の継続

 企業は生産しようとする製品の量やタイプにふさわしい生産的サービスを得られるだけの資源を獲得しなければならない。資源は、ほとんどの場合、固有の量でしか入手できない。また各種の資源から獲得できる生産的サービスの量や種類は異なり、企業は資源を入手すると、その資源の各単位から獲得できるサービスを可能な限り有利に活用しようという誘因をもつことになる。したがって拡張によって、資源のサービスを現在より有効に活用できるのであれば、企業は拡張の誘因をもつ。また、すべての資源が最大限有利に活用されており拡張へのさらなる内的誘因をもたない「均衡状態」に到達することはない。というのも、@資源の不可分割性に由来する難題から生じる障害A同じ資源でも異なった状況では異なった用い方をされることから生じる障害B業務や拡張の通常のプロセスのなかで、新しい生産的サービスが絶えず作り出されることから生じる障害によって均衡状態に到達することはできない。

不可分割性と「工程間のバランス」
 「最小公倍数」の原理を応用した議論がある。分割不可能な生産資源をすべて完全に利用するならば、その企業の産出量の最低水準は各資源の入手可能な最小単位から最大生産量の最小公倍数に等しくならなければならない。しかしながら、企業で用いられる資源の範囲は膨大であるため、この「最小公倍数」は非常に大きくなる。これは諸資源を入手しうる単位の不可分割性の結果である。ある時点で企業が企てることのできる拡張の量には限界がある。また、拡張に対する限界は次第に後退していく。次の期には、企業はさらに拡張を企てることができる。しかし、その拡張のプロセスの中で企業はさらに資源を入手するだろうし、これら資源の多くは、それぞれ提供しうるサービスの量もタイプもさまざまであり、「倍数」は再び変化して、さらなる拡張が求められることになる。このように企業は資源から得るサービス全てを完全に活用しつくせるほど大規模なプログラムを立案することはできない。

資源の専門的利用
 企業は自社資源のうち最も価値ある専門家したサービスを可能な限り使おうという誘因をもつ。業務規模が小さければ資源は専門化した形では利用されにくい。企業内の専門化は企業生産高がそれを正当化するほど大きいときに限り生じる。言い換えれば、企業内の分業の進展による利益の増大は、企業が成長できる場合にのみ享受される。企業は規模が増大するにつれ、一層明白な専門化の機会を活用すべく資源を再編成するだろう。その結果、資源を完全に利用しようとするならば、より高い生産水準が必要となる。したがって、成長のプロセスは、少なくともある時点まではそれ自体専門化の進展を必要とし、資源の専門化したサービスを完全に活用する「最小公倍数」をますます大きくする。

資源の異質性
 資源において、多数の単位を含んだ同質的なカテゴリーにまとめられるものもあるが、人間と土地のように別々の資源とみなさなければならないものもある。人的資源と物的資源は別のものとしてとらえることができる。資源は一つのサービスを供給するだけでなく、多数のサービスを供給することができる。そのため、同じ資源であっても、それを用いる人々がその使い方について新たなアイデアを得れば、異なる方法で異なる目的に用いることが可能になる。

物的資源と人的資源の相互作用
 物的資源は物理的な性質に依存する。さまざまなサービスを利用する可能性は知識の変化とともに変化し、企業の人材が有する知識のタイプと企業の物的な資源から得られるサービスとの間には、密接な関係がある。知識が増大すれば、資源をより有効に活用できるとすれば、このことが新しい知識を獲得する誘因として作用し、また知識探求の範囲や方向性を定め、企業の経済行動に強い影響を与える。

新たな生産的サービスの創造
 資源が生み出すサービスはそれを用いる人々の能力に依存し、人々の能力の発達は部分的に取り扱う資源によって形成される。この相互的な変化は当該企業の外部の環境の変化だけでは説明できない成長を展開させる。このプロセスは、企業が利用できる新しい生産的サービスを継続的に生み出していく。このサービスが拡張によってのみ有利に用いられるとすれば、企業は拡張の誘因をもつ。他方、企業が計画しうる拡張の量は限られているから、企業は利用可能となった新しいサービスによって作られたすべての機会を活かすことはできない。しかし、外部環境に変化がない時でも有利な拡張への新たな分野は生まれる。外界における経験と知識の増大の影響や外界の変化の影響は無視できない。当然、これらも企業にとっての資源の意義を変化させ、また新しい知識を企業にもたらす。企業が用いている資源や人材の経験・知識によって、この外界の変化に対する企業の決定を大きく決定づけ、企業が外界に何を「見る」かを決定づける。

(山田圭佑)

2. 「需要」と企業の生産的資源

 消費者の嗜好は、彼らが利用できる商品、または少なくとも知っている範囲の商品によって形成されると企業は長い間信じてきた。需要が「所与」ではなく、むしろ何か企業者が働きかけることができるはずのものだということは、無視されてきたのである。しかし、理論が発展し、広告や販売努力という問題が、独占的競争の理論とともに正規の経済分析の枠組みに入ってくると、企業や需要に関する捉え方にも変化が生じた。経済学者は、「完全競争」に極めて近い状態の企業はほとんどありえないということをより容易に処理できるようになり、また、企業から見た需要は本質的に主観的なものであることがより明確に認識されるようになった。

企業にとって意味のある需要とは何か
 自らが選んだどんな製品でも生産しうる管理組織体としての企業の成長の問題を考える場合、企業者が生産計画を立てる際に関心を払う「需要」とは、どの程度の販売努力をして、どのような価格でなら、どれだけ売れるのかについての彼自身の考え方に他ならない。このことがわかれば、次に企業者が生産すべきものについてのアイディアの源泉を調べることが、変化のプロセスを分析するために必要である。なぜなら、消費者が好むはずだというものについての企業者の考えが、消費者に提示されるものや、実際に消費者が好むようになるものに何らかの影響を与えるとすれば、「需要の状態」に関する単なる調査では、企業者の生産活動、そしてとりわけ彼らの革新的活動を理解することはできないからである。個々の企業から見た「需要」には二つの側面がある。

  1. 需要の第一の側面、すなわち、企業がどれくらい販売することができるかは、個々の企業の生産コストとは独立であるという伝統的な仮説は、独占的競争の理論において長らく論議の的となってきた。
  2. しかし、ある企業の成長にとってより重要なのは、需要の第二の側面、すなわち、どのような製品を考えるかということが、その企業が利用しうる資源や生産サービスに依存しているということである。企業が「継承した」資源、すなわち企業がすでに持っている生産的サービスによって、企業にとって意味のある製品市場の選択が必然的に決まる。企業者自身と彼の調達しうる資源以外にまったく何の資源もない新企業という極端なケースでさえ、企業者の能力、財力、そして好みに適した代替案の中から、特定の生産活動が選ばれるに違いない。
 企業の既存製品に対する需要の増大が、企業の生産活動の方向性や拡張に大きな影響を与えることに疑問の余地はない。そして、そのような企業の事業機会に対して、広告やその他の販売努力による需要拡大の可能性が及ぼす影響は、過小評価されるべきではない。企業の既存製品に対する需要は、拡張計画、そして企業の成長率に大きな影響力を持つ。そして、「需要」すなわち、それぞれの価格に応じて望みうる既存製品の販売量についての企業者の期待は、拡張に対して支配的な影響力を持つということが、特定の時点における特定の企業の投資計画に関する研究から示されるだろう。一方、長期的に発展を遂げてきた企業は、既存製品の需要の増減に関わらず拡大し続けてきたが、このような大企業の成長のほとんどは、自社の業務展開にとって意味があると考えた「需要」の構成の広範囲な変化を伴ってきた。短期的には、既存製品に対する需要が明らかに拡張を支配する影響力を持っているが、新製品ないし既存製品の新しい用途の開発に関しては、需要は意味がない。このように、まだ消費者にとって未知で、「需要」に関する市場情報が全くない製品開発は、自社製品は消費者にとって本当に有用だという確固たる信念を持った企業者によって始められる。そしてその革新の原点となる誘因は、自社の既存資源をより効率的に用いたいという企業の欲求の中に見出すことができ、既存資源それ自体は、新製品のアイディアの源泉となったり、導入の成功を左右したりする。企業における確信の一般的な方向性は、偶然的なものではなく、既存の資源の性質やそれらが提供できる生産的サービスのタイプ・範囲に密接に関連している。このことから、「需要」は企業の既存の資源よりも重要性が低いことがわかる。この議論の意義は、成長によって諸資源の意義や特性といった生産的サービスが変わるとすれば、ある企業の計画立案にとって意味を持つ販売機会の構成に表現される「需要」は、企業成長に伴って大きく変化するだろうということにある。企業の立場から見た需要とは、極めて主観的なもの、すなわち企業者の見解なのである。

拡張の方向
 企業は拡張を計画する際、企業自らがかつて入手した、もしくは「継承した」資源、および自社の生産計画や拡張計画の遂行のために市場で獲得すべき資源の二つを考慮に入れる。未利用の生産的サービスは、企業者精神に富む企業にとっては同時に革新への挑戦課題であり、拡大への誘因であり、また競争優位の源泉でもある。それらは、企業内部での資源の新結合、つまり新製品の生産や既存製品の生産のための新工程や新しい管理組織のための様々なサービスの組み合わせを促す。企業の計画の原点は、その企業の資源であるが、前段で述べたように、いかなる資源の活用も常に他の資源とのありうる組み合わせから考えることになる。しかし、経営陣の持つ組み合わせのアイディアによって、その範囲が限定されてしまうため、いかなる資源であれ、そこから利用できるサービスの範囲を全て理解している企業はない。ある企業の拡張の方向性が、外部の影響を受けるか否かに関しても、企業内部の資源が関係してくる。新たな発明、消費者の嗜好の変化、特定の製品に対する需要の増大などの外部の影響を受けるのは、企業の内部資源が「有利な」分野での特殊な優位性を彼らに与えうるか、少なくとも深刻な障害にはならない企業においてのみである。ある企業にとって拡張のためのどのような外部機会が意味を持つか、あるいは、ある外部機会に対してどのような企業が対応するかという問いに答える際も、拡張の方向を左右する未利用の生産的サービスを調べなければならない。  企業の事業機会はいかなる時点においても、企業内外の誘因と障害によって形作られるが、それぞれ別々に見ていては何の結論も出てこない。多角化の経済学を分析し、拡張への内部誘因と外部誘因の相互作用、内部および外部の障害の影響について検討する前に、ここでの議論で示唆された「成長の内部的経済性」と「規模」の経済の間の関係についてやや深く分析するために、少し回り道をしておかねばならない。

(伊藤梢)


第6章 規模の経済性と成長の経済性

【解題】成長の経済性(economies of growth)は、規模の経済性(economies of size)であることも、ないこともある。たとえば、成長の経済性を享受して、工場を次々と増設して大企業に成長した後、一部の工場を分離して別会社にしても、全体としての効率性が落ちないのであれば、享受していた成長の経済性は、規模の経済性ではなかったことになる。具体的な例についてはペンローズは挙げていないのでモヤモヤ不快感が残るが、すっきりしたい人は、次の解説論文を読むといい。(高橋伸夫)

高橋伸夫 (2002)「ペンローズ『会社成長の理論』を読む」『赤門マネジメント・レビュー』1(1), 105-124. ダウンロード・サイト

 本章では、社会資源の効率的利用という観点から見て、@成長のプロセスに関係するがA規模とは無関係の経済性は存在するか検討する。

1. 規模の経済性

 まず、以下に規模の経済性が存在する要件・その類型を整理する。

  1. 【規模の経済性が存在する要件】 規模だけが理由となって、大規模な企業が小規模な企業より効率的に財やサービスを生産・販売したり、大量化や新製品をより効率的に導入できる
  2. 【類型】
    • 技術上の経済性:大規模な工場で製品を大量に生産することから得られる
    • 管理の経済性:マネジメントの分業の進展による
    • 財務上の経済性:大規模な購買・販売・財務上の取引に伴う単位コスト低下による

技術上の経済性
 技術上の経済性は、ある条件で所与の製品の生産に使用される資源の量と種類の変化によって、より大量の製品がより低い平均コストで生産しうる時に発生。具体的には以下のような技術的変化によりコストが削減される場合に生じる。

  1. 労働の専門化の進展
  2. 自動機械や組み立てライン技術、機械化された内部輸送システムの導入
  3. フル稼動させれば低い単位コストで大量に生産できるような大規模設備の設置
 技術的変化のコスト効果は生産要素の価格にも左右され、価格と技術の関数から「技術的に最適な工場規模」は定義される。技術的変化により高価な資源の使用を増やす必要がある場合は、生産規模が拡大してもコストは低下しない可能性がある。一方、大規模な大量生産型の産業では、マネジメントや輸送のコストの変化を無視してしまえるほど、技術上の要因が圧倒的な重要性を持つ。このような場合、その産業で生き残りうる工場の規模は、その経済性の大部分を実現するような生産方法を生かすに十分な大きさでなければならならず、企業の最小規模もかなり大きくなる。

管理の経済性
 通常、大企業は多数の工場を有する。企業が複数工場を操業することで得られる経済性は技術上の経済性とは区別され、管理の経済性と呼ばれる。管理の経済性は次の場合に得られる。

しかし、管理及び技術上の再編は企業規模の拡大と足並みを揃えて進むため、管理の経済性と技術上の経済性は必ずしも明確に区別できない。

業務運営の経済性と拡張の経済性
 規模の経済性は、業務運営の経済性・拡張の経済性に区別できる。

  1. 【業務運営の経済性】 ある拡張が完成した後の追加的アウトプットの生産と販売の平均コストに関係。規模が大きくなるほどそのコストが低くなる場合、規模の経済性が存在する。
  2. 【拡張の経済性】 ある拡張を実施するコストのみに関係。規模を理由に大企業が小規模企業より低い平均コストで着手できる場合、規模の経済性が存在する。追加的生産を円滑に業務に組み込むためのコスト、追加的アウトプットのための市場を拡大・創出するためのコストが含まれる。
これらの経済性が利用され企業の拡大が成されれば、拡大部分が仮に分離されたとしても、既存製品の生産や流通コストの上昇を招かない。

2. 成長の経済性

 成長の経済性とは、特定の方向への拡張を有利にする、個々の企業が利用しうる内部の経済性である。これは企業が利用しうる生産的サービスの固有の集合から引き出され、市場に新製品を出したり既存製品の量を増やしたりする際の他社に対する優位性を作り出す。このような経済性が利用可能となるのは、企業内に未利用の生産的サービスが絶えず創造されるプロセスの結果である。  規模の経済性は、それらを活用することのできるあらゆる企業に対して、成長の経済性を提供する。他方、成長の経済性はどんな規模の企業でも存在しうる。

消滅する経済性と持続する経済性
 成長の経済性は、それによる拡張が達成された後に消滅する場合と、持続する場合がある。 拡張が、企業内部に既にある未利用の知識や生産的サービスに関連する部分的な成長の経済性に基づく場合、その拡張の効率性は、新たな活動の確率とさらなる成長に伴って消滅する傾向を持つ優位性に依存する可能性がある。@新たな活動に用いられる資源が新しい使用方法に専門化し、企業の既存の活動とあまり関係を持たなくなる場合、A当初の優位性が主として「一番手の優位性」である場合、当初の経済性は消滅する可能性がある。  他方、成長の経済性は、それらを活用するために企業の既存の活動の再編成が必要である場合や成長の経済性が新旧の活動の両方に及ぶ場合には、規模の経済性として残る可能性が高い。

(永松賢三)


第7章 多角化の経済学

【解題】既存市場の成長が、企業の成長力を完全に使い切るほど速くないとき、企業の一般的成長策として多角化は重要である。この章では、製品の多角化しか考えられていないが、同様の論理は国際化にも当てはまる。(高橋伸夫)

 一定の資源の集合を投入する活動の数が多ければ多いほど、生産性は低くなりそうだという意味で、多角化は「非効率的」であると指摘されてきた。  多くの生産品目について、多角化した企業より専門化した企業の方がコストは低くなる傾向があり、また、順調な期間においては、投資に対する利益がより高くなる傾向があるといえるかもしれない。たとえこの命題が正当だとしても、それは、変化する諸条件の下で個々の企業が自社資源の最も有利な活用を決定する上で、限定的な意味しか持たない。このことのごく部分的な理由としては、専門化した企業は技術や嗜好の変化にきわめて脆弱で、多様な製品に生産を分散した方が、長期に渡って自社の資源を有利に使用できることが多いことがあげられる。より大きな理由は、企業の事業機会の性質が変化し続けることにより、企業には新規投資の機会が絶えず与え続けられるためである。企業にとっては、すでに自社資源を広範に投入してきた生産品目を同時に維持し、さらに拡大しながら、その機会を活用することが有利となるのである。

 多角化の一つの説明としてのいわゆる「市場の不完全性」は、生産量が拡大するにつれて既存市場の収益性が低下するということに大きく依拠している。必ずしも既存市場それ自体が有利でなくなるということではなく、企業が行おうとしている新たな投資に対して相対的に有利でなくなるということに過ぎない。このことは、古い投資機会の後退によるのと同時に新しい投資機会の登場によっても起こりうるし、また、既存製品の市場が、企業内部の成長能力に発揮の機会を与えるに十分な速さで成長しないことによっても起こりうる。

 拡張の新しい機会は、外的条件の変化または企業内部の変化に関係しているが、ある種の競争はこれらの変化をリンクさせる。競争相手の予想される行動は、この企業にとって外部環境の一部であり、また、競争に直面した企業が自らの地位を維持するために採用する手法はそれ自体、企業内で創出される新たな生産的サービスの種類に重要な影響を及ぼす。この場合、企業が継続して利益をあげる可能性は革新の可能性と関係するようである。このような競争条件の結果、大企業はほとんどどこでも研究所を持つようになっている。

 シュンペーターのいう「創造的破壊」のプロセスは、大企業を破壊してきたのではなく、逆に、大企業をますます「創造的」たるように駆り立ててきたのである。このプロセスにより、生産者、消費者ともに「新しい」ものを求めるようになると、自ら狭い範囲の製品に活動を限定している企業の脆弱性を高め、成長の見通しを制限し、また、他方で、企業の生産を相対的に狭い範囲の基本領域に専門化させ、彼らがその主要活動を多角化しうる速度を制限する。

1. 多角化の意味

 一般に企業は、「単一製品」企業あるいは「複数製品」企業、「高度に」多角化した企業あるいは「非多角化」企業などのように特徴づけられる。これらの用語が厳密に何を意味するかは、個々の分析がその意義に照らしてどの範囲の商品を単一製品として定義するかに依存する。この定義に関して何らかの「絶対的な」意味を確立することは不可能であり、実際望ましいことでもない。多角化のプロセスの分析という目的に照らせば、企業が昔からの製品ラインを完全に捨て去ることなく、中間製品を含む新商品の生産に乗り出した場合、当該企業は生産活動を多角化したと言える。ここでいう新製品とは、企業の生産や販売のプログラムに重大な違いをもたらすほど、既存の製品とは異なるものをさす。従って多角化には、生産される最終製品の多様性の増大、垂直統合の拡大、そして企業の営む生産の「基本領域」の数の増大が含まれる。この最後のタイプの多角化は特に重要で、生産される最終製品や中間製品の種類の数では測定できない。企業成長の研究にとっては、多角化の「量」より、多角化のタイプとその理由の方が重要なのである。

「専門化領域」
 多角化は、企業の既存の専門化領域のなかで起きることもあれば、多角化の結果、企業が新しい領域に進出することもある。企業は、常に何らかのタイプの生産と何らかのタイプの市場に足場を持っており、ここでは双方を企業の「専門化領域」と呼ぶ。用いられる機会、諸工程、スキル、原材料の全てが生産プロセスに補完的で密接に関係しているような生産活動を、企業の「生産基盤」ないし「技術基盤」と呼ぶことにする。ある新しい基盤に移るためには、企業はこれまでとは大きく異なる技術領域での能力を獲得する必要がある。企業は、たとえ一つの生産基盤しかもたなくても、様々な市場で販売を行うことができる。この観点に立てば、市場は、企業が製品を提供する買い手の種類によって便宜的に分類できる。企業が、同じ販売プログラムによって影響を与えようとしているそれぞれの顧客グループは一つの「市場領域」と呼ぶことができる。新しい市場に進出するには、新しいタイプの販売プログラムや異なるタイプの競争圧力に対峙する能力を構築するための資源投入が必要となる。それぞれの市場に対して様々な製品が生産されることもありうるし、また、同じ生産基盤から様々な市場への供給が行われることもありうる。同じ専門化領域内の多角化とは、同じ技術に基盤を持ち、かつ、企業の既存市場で販売される製品が増えることをさす。企業の既存領域からの乖離を含む多角化は、以下の3種類に分類される。1同じ生産基盤を用いた新製品で新市場に参入する。2異なる技術領域に基礎をおく新製品で同じ市場を拡大する。3異なる技術領域に基礎をおく新製品で新市場に参入する。技術の水準や競合他社の現行の体制を含めた所与のいかなる状況においても、製品の数はその状況によって異なるものの、企業は少なくとも最低限の製品品種あるいは自らが必要とする最低限の中間製品を生産し続けなければ、競争で生き残れないという意味で、多角化はほとんど必然であることが多い。

2. 多角化のための特定の機会

 以下の議論では多角化への新しい機会を作り出す重要な一般的源泉のいくつかについて、その特徴を探っていく。

企業による研究の重要性
 研究開発は、シュンペーターのいう「創造的破壊のプロセス」に内在する課題に対する個々の企業の必然的な対応である。結局のところ、専門化した企業は脆弱である。その収益力や一企業としての生存そのものが、企業が生産するあるタイプの製品への需要の後退や他の生産者との競争の激化によって、危機にさらされることがある。その成長は、既存製品の市場の成長や既存市場で獲得しうるシェアによって限界を課される。他方、企業の機会は既存の資源によって大部分決定される。企業が「帝国建設」的企業者によって支配されている場合を除けば、それぞれの企業には、少なくともまず現有しているものを有利に展開することに力を集中しようという強い傾向が存在する。企業は、その地位を脅かす深刻な競争に立ち向かったり先手を打ったりせずにすむような略奪的な競争手段や制限的な独占的手法を用いて、実際の競争を破壊もしくは回避することで自らを守ろうとする可能性もある。このような防衛的要素は多くの大企業の地位のなかに見出せるが、そうした防衛のみに帰することのできる、長期の成長にわたる成長の例は稀である。ある企業が、利用しうる独占的利益の機会を最大限まで使い尽くしたとしても、それによって得られる防衛は、完全なものでも絶対に確実なものでもない。多くの企業にとって、直接的な競争や新製品との間接的な競争の双方に対してより効果的に長期的に自らを守れるかどうかは、工程や製品やマーケティング手法における驚異的な革新に先手を打つか、少なくともそれらに対抗する能力にかかっている。その結果、ある製品市場での地位を保とうとする企業は、製品やその市場やとりわけ関連技術についてできる限り学習し、また、他社の革新を予測することに努力を傾けざるおえない。新しい知識やサービスは、既存製品の生産にしか活用できないと仮定する理由はない。既存製品の生産という目的には使えないが、何か全く新しい領域での優位性を企業にもたらすような基礎を与えてくれる可能性もある。従って、企業は研究により「創造的破壊」のプロセスをかわし、研究を行なっていなければ彼らを滅ぼしたかもしれない新しいなにかの上に繁栄を築くことが可能となる。一方で、研究は新しい知識を得られるかもしれないが、巨額の費用を要するがゆえに、本質的に投機的な活動である。

販売努力の重要性
 新製品を生産する機会は販売活動からも生まれる。この二つ目の機会の源泉は生産工程がある種の製品に極めて特化している場合か、単純かつ模倣が簡単で研究によって特定の企業がたいした競争優位を得られない場合に重要である。自社製品の販売が何らかの方法で企業自体の広告と結びつく政策を採用している時は常に、企業は既存製品の需要だけではなく他の製品の需要にも影響を受けるはずであり、その企業の事業機会は、需要創造プロセスそのものによって変化する。市場創造プロセスの重要な部分が、企業のスタッフの個人的な販売努力から成り立っている場合、企業と顧客との間にはある関係が確立され、その関係は、企業を競争上有利な立場におく。しばしこの関係はお互いの友好的で個人的な信頼関係を超えて、「技術的」な問題にまで及ぶ。たとえば、販売側の企業は自社製品の品質や性能を顧客の要求に応じて調整することに特別な努力を払い、また、購入側の企業は彼ら固有の要求を満たしたり問題を解決したりする上で販売側の企業の力を借りるために、自社の要求を彼らに知らせることに特別な努力を払う。つまり、企業が顧客企業との間にこのような関係を確立することでその企業の事業機会の集合はそれまでと別のものになる。市場確立のための他の一般的な方法は、効果的に評判を作り出す様々なメディアでの多様な形の広告によるものである。しかしここでも、広告されるのは製品同様に企業であることが多い。

技術基盤の重要性
 多角化成功の可能性を考える際に技術基盤の発達を見過ごしてはならない。技術的な能力を欠いた市場での強力な地位は心もとない。また、ある企業の強さがその技術力とは密接に関係しておらず、主に重要な市場での支配的地位に依存している場合、この企業が全く基礎の異なる専門家領域に進出することはより困難である。このような企業は、全くの新分野において重要な技術的優位を築く能力を発揮させにくいだけでなく、技術が著しく異なる分野での他社の買収でもハンディを負う。

(鎌田明宏)

   

3. 若干の事例

GMの例
 GMは自動車の他にも各種の耐久消費財、機関車、航空機エンジンなど様々な製品を生産している。同社の最初の製品は自動車であり、基礎をなす専門化領域は大量生産のためのエンジニアリングである。多角化事業はこの領域から生まれたものだが、新しい生産基盤の確立とともに成長を遂げ、そこから離れていったものである。簡略化のためここでは自動車生産の一般的領域に属さないGMの多角化事業について述べる。

  1. 同社の買収で最も早い時期の中の一つは、1919年のガーディアン・フリジレイター社である。研究開発がスタートし、フリジデアーという名前が採用されたこのプログラムに関して、GMはすでに社内にある生産的サービスが、冷蔵庫生産の発達や拡大の基盤を提供する汎用性をもつものと信じたのである。その後、フリジデアーの生産は独立の事業部で行われることになったが、この新しい部門が自らの製品開発を進めるに伴ってさらなる多角化が生じる。1934年には家庭、オフィスなどあらゆる分野をカバーする一連の空調機器を、1936年には電気レンジとその他一連の家庭用機器類を開発した。また、1927年時点で、GMの総利益の半分は自動車事業以外のものとなるまでに多角化が進んでいた。
  2. 多角化の次のステップは、GMが航空機と自動車の密接な関係を鑑みて、航空輸送に関わる特殊な問題に接点をもてるよう、フォッカー・エアクラフト社の株式40%を獲得したことである。そしてアリソン・エアクラフト社も買収し航空機のエンジンを製造するアリソン事業は1938年までには重要な地位を確立し、新たなプラントの追加によって拡大されつつあった。もちろん戦争はこの業務基盤の活用を促し、航空機エンジンや関連する何百もの製品が今や同社の事業の重要な柱である。
 また、GMは航空機産業と同じ年にラジオ産業に参入し、その後ディーゼルエンジン分野にも進出したが、これらも自動車事業から派生したものである。GMの全体的な多角化政策は、1937年の年次報告書において、「ある技術方式のなかで主要製品が進化していくことにより追加的な製品の製造に携わる機会が生まれることによるものであった。重要なのは、当社の事業スキームからやや離れているが技術的な特徴においてはおおむね関連する新たな開発成果が生まれ、それらを製造することがしばしば有利な拡大の機会となるという事実である」と要約されている。また、GMが構築した「基本陣形」の強さは、戦時生産の急務に対して取られた広範囲な適応行動の迅速性に表れており、それは平時の企業の活動を維持・拡大するのに必要な適応が「提起する技術的問題」にも同じように応用されている。

ゼネラル・ミルズの例
 GMよりは小規模であるが、やはり多角化の原理のいくつかを示しているのがゼネラル・ミルズである。

  1. ゼネラル・ミルズは1928年に五つの製粉会社の合同体として設立された、小麦粉、飼料および関連穀物製品会社である。1937年の同社の年次報告書で言及されているのはこれらの品目だけであったが、基本的食料品に関わる化学と食品加工機械の問題における研究活動は当初から重視されていた。そして1938年の報告書のなかで、同社が会社の将来は多角化にあると確信していることを表明した。以後の報告書は、同社の製品ラインの急速な拡大を跡付けており、食品化学の研究の重要性が高まってからは、同社には絶えず「検討を重ねている」新製品の有望な機会が複数あったが、同社の主要事業は依然として穀物製粉などにとどまっていた。

  2.  ゼネラル・ミルズが従事するようになった別の生産分野は、企業の利用可能な生産的サービスに戦争が及ぼす影響や、多角化の試みに対して戦争が及ぼす影響を示していることからとりわけ興味深い。戦時生産のための産業動員により無数の企業がスキルを持たない製品を生産することになり、再び平時の生産に関心を持ち始めた時に自らが戦前の自社製品とはかけ離れた製品に適した広範囲の生産的サービスを構築していることに気づいた。そのようなサービスは多角化しない限り未利用になる。明らかにそうしたサービスを平時の適当な製品に活かす可能性に高い関心を向けることが期待されたはずで、戦後の新製品をめぐる熱心な探索の一部はこのことにより説明できる。

  3. ゼネラル・ミルズの機械開発部門は1940年に一事業部となり、同事業部は軍需品の生産に転換した。同社によれば、戦時中の食品生産は通常事業からの自然な展開であったが、海軍向けの精密機器類の大規模な製造業務は本来の事業から遠く離れたもので、彼らはわずかの誤差しか許されない生産の中で興味深い経験を積んだ。この経験は機械製品分野での将来の機会の道筋を示すものであった。1946年、戦時契約の終了とともに家庭用機器という新しい製品ラインの第一弾が生産に移され、その後圧力鍋、トースターなどほかのアイテムが続いたが、後にゼネラル・ミルズはこの新しいラインを断念し家庭用機器事業を売却した。そして機械事業部はかつての専門化領域である産業用設備と陸軍用精密機器の生産に戻った。
 この試みの破綻は、多角化への企業の努力に対して競争が課す制限の一つを描いている。競争は企業が参入するいかなる新領域においても彼らが成功裏にそこにとどまろうとするのであれば、広範囲な投資を続けることを求めるため、ある程度の専門化が企業に求められるのである。ゼネラル・ミルズの多角化は広範囲で継続的である。一見、精製食品から電子機械にまで及ぶ様々な関連性のない製品群にまたがっているようであるが、多角化のプロセスを詳細に検討すれば、異なる製品への漸進的な進出は同社の既存の専門化領域に基づいていたのは明らかである。またこれまで、多角化の誘因としてしばしば指摘される二つの事情、すなわち、企業が豊富な留保金を保有していること、他の事業体を買収する好機が存在することを議論に含めてこなかった。前者は拡張への誘因になる可能性があるが、それ自体では拡張が既存製品で行われるか新製品で行われるかに影響を与えない。後者はより複雑で別の議論が必要である。他の方法では起きなかったであろう多角化の多くが買収を通じて行われることには疑問の余地がない。他方、どんな方向への多角化も、単に企業が他社を有利な条件で買収できるという可能性以外の、その方向に多角化するだけの理由がなければ買収を通じて「普通に」起こることはないだろう。

4.買収の役割

 他企業の買収は企業の多角化行動においてきわめて重要な役割を演じており、買収による拡張には新製品の生産に着手する手段として特別な利点があるため、ここで買収に関わる議論に触れる。企業は他の既存事業を買収することで、新分野に進出する際の現金支出や経営上・技術上の困難、当面の競争圧力を減らすことができ、また経験を積んだ経営者「チーム」や技術者・労働者を獲得できる。それゆえ買収は、企業が新分野で地位を築くのに必要な生産的サービスと知識を獲得する一つの手段として利用される。また企業内部で供給される生産的サービスに新たな経営者サービスや技術的サービスを加えることは競争の排除や参入コスト削減よりはるかに重要なことが多い。このため企業がある分野への拡張が自社資源の適切な活用か見極めたい場合、買収は新分野の技術や問題を知るのに適した手段となる。さらに現金支出を必要としないために財務状態が強くなく経営者サービス技術的サービスが既存製品向けに高度に特化している企業にとっては、買収は事実上多角化の唯一の方法かもしれない。

 しかしこのような利点があるとはいえ、買収は業績の悪い企業には簡単にできず、好業績の企業にとっても無差別で無制限な多角化を可能とするものではない。外部成長であっても企業内のある種の企業者資質の存在が前提となるし、買収する企業とされる企業がうまく統合されるには買収する側の経営者サービスが必要となるため、買収による多角化と成長を目論む企業は自社の既存資源が拡張の率や方向性に課す限界を完全に免れていない。その結果、たとえ買収が拡張の重要な手段であるとしても、企業の拡張の率には限界が存在する。というのは、親企業とそれが新たに獲得した企業との関係の調整というマネジメント上の問題は避けられないからである。企業が新分野に進出する場合、統合の問題はある方面では小さくなるが他の方面では大きくなる。すなわち新たに買収された企業は、親企業の政策や活動との間でコンフリクトを起こすリスクを冒すことなく、自らの領域で高い自律性を認められるかもしれないが、他方で二つの会社間での適切な関係を作り上げる難しさが増す可能性もある。

 拡張率に対するこの限界はある一定期間において、目に入ったあらゆる有望な企業を買収できる企業などないことを意味する。企業は選択せねばならず、そして失敗はコストがかかり、取り返しがつくとは限らないので企業は既存の活動を補完もしくは補強しそうな事業を選ぶだろう。それは一つには経営者の好みや経験に由来し、また一つにはそうした事業がより有利に見える傾向にあるからである。買収による拡張は必ずしも企業が買収をしない限り能力を持たなかった分野に進出するということを意味しない。買収は買収を行う企業がその新しい分野で特別な能力を持っているからこそ、しばしば有利なプロセスとなる。

 かくして企業の既存資源は、順調な拡張が買収によって実現されうる範囲を限定するだけでなく外的拡張の方向性にも影響する。それゆえ、完全に無関係な分野に進出する企業はごく少数であることも驚くにあたらない。またそのような場合でさえ、合併する企業の様々な活動の間にはしばしば見た目以上の関連性がある。本書での研究の過程で調べた何百もの多角化の例のなかでも、新しい生産基盤と古い生産基盤の間に技術的リンクがなさそうなものは一握りしかなかった。このことは多角化の大部分が他社の買収による場合でさえいえることである。

 企業は買収による広範囲な多角化の機会が開かれている場合でさえ、概して比較的少数の活動領域に専門化している。このことは企業にはすでに何らかの能力を持つ領域に多角化の試みを限定する傾向があるということだけでは説明できない。しかし、いかなる分野においても、地位を確立するために何の努力もせず、本質的に一貫性のないやり方で製品から製品へ転々としてきた企業もある。かなりの期間にわたり生産活動につながりがなく製品の選択に明確な「分別」のない企業もある。広範で急速な買収は企業の成長のある段階でいかなる意味でも事業会社とは呼び難いほど異常で無定形な組織構造の「企業群」を生むことがある。このプロセスはまた、しばしば企業の生産活動同様な分散を生み、極めて厄介な「製品構成」をつくり出すこともある。

 既存のいかなる分野においても集中的な発展に注力することに失敗し、その代わり外部条件の変化に応じて次々に生産タイプを変えていく企業では、その収益性と存続さえもが、企業者の能力に全面的に依存している。しかしそれにより永続的な事業組織体が維持されることはまずない。遅かれ早かれこのような企業は破綻するか、特定分野の開拓に本腰を入れる。それをもたらす力は競争である。新製品の生産に進出する機会は、企業にとって生産活動を多角化する強い誘因になるかもしれないし、また関連のない分野で利益を上げている企業を買収しうる見込みも広範囲に存在するかもしれないが、現実および予想される外部の競争圧力を考慮しなければならない。

(奈良勇貴)

   

5. 競争の役割

 ある製品に専門化している企業が、同じ製品を生産する競争相手に対抗する手段には、独占的な市場地位の獲得と、技術的に先行する事が挙げられる。しかし両手段とも製品の需要全体の悪化に対する企業の脆弱性は軽減できず、企業は多様な製品の生産を通じてそれを相殺している。ただ、全く専門化していない企業は、急速な革新を迎えている競争に対しては、完全に専門化している企業同様脆弱である。

既存分野における継続的投資の必要性
 企業は自社製品の種類に関わらず、それらの製品に影響する革新に同調できるだけの開発を行なうため、十分な資源投入を必要とする。不可能な場合は撤退の準備をする必要がある。企業は現在得ている総利益が、新しい投資資金を他の用途に用いることで得られる総利益と資源の売却または多用途への転用から得られる額の合計を上回る限り、既存分野への継続的投資の誘因を持つ。また、競争相手への対抗に際し、市場シェア自体が重要な競争要件になることもあるので、成長途上の市場において拡張は必然な場合もある。企業は多くの分野に進出できるが、継続的追加投資の必要性によりその分野数は制限され、既存の専門化領域から遠い分野ほど競争への適応に一層大きな努力が求められる。ゆえに、成長を遂げた後には製品ラインの再評価と調整が行なわれている。

フルラインの多角化
 既存製品とともに自社の顧客のより多様なニーズを支えうる新製品を追加する機会があるときは常に、企業はそれらを追加する誘因を持つ。これは、顧客に対する利便性は競争相手に対する優位性を生み、製品自体の本来の優位性とは別に新たな顧客を引き付ける力となるためである。よって先発の収益性は他社の革新の脅威と相まって企業に先行を促し、「フルライン」の展開の必要性が多角化の重要な理由の一つとなる。

競争と新たな領域への多角化
 既存領域のさらなる拡張よりも、新領域への拡張の機会の方が将来性が大きいと見なされる場合もある。その場合企業は新規投資の期待利益率に加え既存領域での投資率の維持も考慮する必要がある。新分野への参入には既存資源のサービスが必要とされ、ゆえに拡張率の限界は広義の業務領域におけるかなりの程度の専門化を促す。ここで企業が追求する「専門化」は、競争相手に対し特別な地位を企業にもたらす、能力や強みの開発を指し、生産規模や製品の種類に関係はない。

6. 特殊な問題の解としての多角化

 多角化は、需要条件の望ましくない動きが個々の企業にもたらす可能性のある問題に対する一つの解として広く見られる。

需要の一時的な変動
 需要の一時的な変動は企業に対し資源の一時的遊休化や収益の極端な変動をもたらすため、企業はより自社資源を完全に活用し利益の変動を減らせる新製品を探求するよう促される。しかしこれらが企業の期待総利益を増大させなければ、それは多角化の理由にはならない。特に新製品の生産量が容易に調整できない場合、主要製品の好調期にそれの生産水準と新製品の生産を両立するのは難しいケースもある。真の困難は需要変動が簡単に予測できない場合であり、その大きな不確実性によって企業には収益の安定する製品の生産を選ぶバイアスがかかりうる。季節変動を除いて変動の正確な予測は難しいため、結果として企業は自社資源のより完全な活用と安定的な収入を得られる可能性に重きをおくようになる。多角化は不確実性の下でのあらゆる種類の変化に対してのヘッジであり、企業は自らの生産的資源が許す範囲内で、様々なタイプのリスクに対し最大の防御をもたらすよう企図された範囲の製品を選ぶ。

需要の永続的悪化
 多角化が不確実性の下での収益の安定を確保するためのものである場合、企業は自社製品の需要の長期的減退も懸念しており、実際その予想は企業が新製品を追求する理由でもある。この需要の根本的変化は、全く前触れが無いことは滅多にない。ゆえに企業者精神に富んだ企業は変化に十分準備可能であるし、それができない企業は企業資源が極端に専門化しているか、企業者能力があまり高くない。

多角化の方向
 いずれの場合も、企業が持つ多角化の願望は特殊な機会の認識に先行しており、問題は目的に適した製品を探すことである。しかし探索は企業が所持する既存の生産的サービスに制限される。新分野への参入が容易となる優位性を持たない企業は参入が容易な分野を探す必要があるが、その分野は往々にして競争が激しく、足場を長く維持するのは難しい。また、多角化の方向性を決める上で既存資源が果たす役割を考える場合、企業内部での拡張に要する生産的サービスの種類と、買収に要するそれらを区別する必要がある。それぞれ多角化の方向性や範囲を決める資源は異なるためである。買収すべき企業の選択は、新製品が企業の既存の活動をどう補完するかに関係して行われるが、実際コングロマリット的な多角化は稀である。なぜなら、企業に他の優位性があるだけでその競争上の地位は強化されるからである。

7. 成長のための一般的政策としての多角化

 多角化の中で、特殊な機会に対応するもの、需要の特殊な問題を解決するためのもの、成長のための一般的政策としてのものは全て異なり複雑に絡み合っている。多くの企業は、多角化を成長過程の企業に適した「政策」として捉えており、これにより利益の大きい長期にわたる成長が確かになると考えている。しかし企業者精神に富む企業が成長のために多角化するのにはもっと大きな理由がある。市場の成長速度より企業の成長速度の方が早く、未利用サービスが生まれてしまうために、既存製品から得られる以上の速度で利益を増大させたい企業は多角化を志すのである。

8. 垂直統合

 企業が前方統合あるいは後方統合をして自社で使う中間製品数を増やす事は多角化の一つと言える。企業が自社の利用可能な資源を垂直統合に投入しようと思い至る理由を以下に述べる。企業はリスクと不確実性に対し適当な備えがある場合、最も有利と思われる活動領域に資源を傾注すると仮定する。まず後方統合については、コスト削減が期待できる時にのみ起こり、それは他の事業機会と期待利益が比較されたうえで採用される。後方統合による生産上の節約は、既存製品の生産の組織効率に関するものと、供給品に対して支払われる価格に関連するものに分けられる。前者では求められる様々な水準を満たす供給品の入手に伴う問題が重要となる。また、後方統合は一般的な不確実性に対して企業の安定性を高めたいという欲求により促されるので、後者のケースでコスト削減が後方統合の一つの条件であるという説明は、形式的なものとなる。

 後方統合は前述の企業の供給源確保の一手段としてのものだけではなく、オペレーションの不確実性に対して既存製品の生産を効率的に組織化することに関わるマネジメント上の問題の解決策としても行われうる。他にも、明らかなコスト削減や、川上産業の生産量制限・価格つり上げ、特殊な生産上の優位性の取得など、そのきっかけは様々である。

 前方統合は必要な変更を加えれば後方統合とほぼ同じだが、企業を新市場に導きうるという点で異なる。統合以前に製品販売していたのと同じ組織で新製品が販売できる場合新しい資源は必要ないだろうし、新しい流通チャネルが必要な場合、新市場への多角化と同じ行動が企業に要求される。

 結論として、垂直統合は企業が競争的地位を維持し、既存製品の収益性を向上させる一つの方法であり、技術的効率性や安定した供給・市場の維持に原因を辿ることが出来る。そして資源投下後の状況の変化を受けると、なお資源投下を続けたり、自社製品を供給できる他企業の発展を促したり、あるいは新市場から撤退するなど、その行動は多岐に渡る。

9. 資源のプールとしての企業

 多角化が成長のプロセスで果たす役割に関する議論は、企業はその利用が一つの管理枠組みの中で組織化された資源のプールであるという説明の重要性を明らかにする。ある時点での企業の最終製品は自社資源の活かし方の一つにすぎない。外部環境の変化に伴う企業内の生産的サービスや知識の変化は、企業の事業機会を変化させる。また、企業が拡張するにつれて必要となる適応と調整は、拡張に対する外部の抵抗によって直接に影響を受ける。企業の多角化に関する詳細な実証研究はまだ行われていないが、経済学者の分析から企業の事業機会を広げる環境の変化や、成長のための経営者能力の増大をもたらす環境の変化は、多角化を増大させるだろう。ゆえに、企業に関する研究の発達や製品の生産に関する知識の範囲の拡大が、企業の成長率を高める傾向を持つという仮定を置くことは理にかなっている。

(岡林宏尭)

  

第8章 買収と合併を通じての拡張

【解題】この章では、吸収合併(「買収(acquisition)」と呼んでいる)、対等合併(「合同(combination)」と呼んでいる)、事業買収を扱っている。子会社の売買は「帝国建設(empire-building)」に含まれるが、最低限の管理組織の統合もないならば、一つの事業会社ではないとされている。生物学的アナロジーを超えて、企業が拡張する際には、新しい工場を建設するか、他社を買収するか(build or buy)という選択肢がある。実際、売りに出ている企業は常に存在し、その背景には、成長して組織や財務の構造に大きな変化が必要な臨界点に達した企業にとって、売却が選択肢の一つだからである。(高橋伸夫)

株式会社と合併
 個々の企業の盛衰は今まで自然の法則のように扱われることが多かったが、法人組織という法的手段が広く採用されるようになったことで企業が達成しうる規模や成長率、拡張プロセスまでも影響をうけることとなった。株式会社形態の導入が拡張のプロセスにもたらした重要な結果は、法人化された企業による他社の買収や合併が容易になったことである。経済学の理論的文献で合併や買収が例外的な位置づけにあるにもかかわらず、経済学者は株式会社が事業組織の支配的な形態で、株式会社による他の株式会社の買収が法律で認められている競争的経済では、このようなプロセスが利益追及の自然な成り行きであることを否定してはいない。合併が拡張のもっとも有利な方法だと考えられる場合には、合併が起きる傾向は確かにあるのだ。本書では「合併」という言葉は、ある企業による買収、二つの企業の対等な合同、産業を構成する諸企業の統合を通じての産業全体の再編成など、すべてを表すために使われている。また、近年重要性を増している他企業の「事業」のうち1つを買収する形と独立した企業を買うこととはあまり差がない。この章においては合併が企業の拡張プロセスにどう関係するかという概括的な分析の提示を行う。

1. 買収の経済的根拠

 原則として個々の企業が取りうる拡張の方法は2つある。企業自ら新しい工場を建設し新市場を作るか、また既存企業の工場や市場を獲得するかだ。いずれにおいても買収は、自社の「のれん」を含めた資産を潜在的な買い手にとっての自社の価値に等しい価格もしくはそれ以下の価格で進んで手放そうという企業が存在する場合かつ、取引によって利益を得られると考える売り手と買い手の双方が存在することで実現する。ここで、なぜ買収が拡張の「安価な」方法となるのか考えることとするが、買収の経済分析はある企業の価格と、拡張しようとしている企業が必要な工場や市場や取引関係を作るのに要する投資支出との乖離の原因を分析することを必要とする。よって以下ではベータ(買収される側)の価格がアルファ(買収する側)にとってのベータの価格以下になる原因を作る事情を考察する。

個人的事情と特殊な状況
 現在の所有者にとって自社の価値を引き下げる種類の個人的事情は、成功していない企業や事業を手放したがっている人々に所有されている企業が当てはまる。 このほかに特別な制度的事情もあり、特に税制の役割は重要である。例えば、遺産相続の支払いを避けるためや、損失を利益と相殺することを認める税法の規定により赤字企業を買収する黒字企業もある。これが中規模な企業の売却の大きな理由である。また企業の株式が市場で過小評価されている場合も企業が相対的に安く買収される理由の1つになりうる。この最も重要な一般的条件は、その企業の価値に関する一般投資家側の知識の乏しさ、経営陣に対する信頼の欠如、あるいは市場性に乏しいこと、株式の流動性の欠如が挙げられる。以上に挙げた所有者や経営者の個人的性格、ある特定の課税制度の影響、証券市場の性質、などの事情はある時点で売りに出ている中小規模の企業のうちのかなりの比率を説明することはできるが成長プロセスとも被買収企業と買収企業の地位の間にあるいかなる一般的関係とも特に関連はない。

拡張プロセスの臨界点
 成長を遂げつつある小企業が、小さな規模での生産や流通の効率的な組織にふさわしい経営者サービスではもはや不十分という臨界点に到達することは避けられない。企業の成長に伴った適応ができない人によって創始された小企業が経営上・財務上の事情によってこのポイントに達したときに持つ選択肢は、売却するか、大幅な成長を止めるか、徐々に効率を悪化させて破綻するか、の3つである。「企業史」や、文献の中で描かれてきたかなりの数の買収事例から得られる一般的印象から判断すると、成長を遂げる小企業はほかの方法では満足に対処できない問題の解決策を合併に見いだすことが極めて多いものと結論づけられる。

アルファの競争的拡張
 ここで、買収に関して特に買収側企業の相対的規模やその拡張プロセスに関連する諸問題の考察にうつる。アルファがすでに別の企業に支配されている市場での拡張を計画する場合、それはその拡張に伴う投資の収益性を保証する何らかの競争優位があると信じているからだと仮定する。拡張しつつある企業の競争力が非常に強いと信じられている場合、その市場の中の他企業はそれぞれ潜在的ベータとなる。仮に適当な企業があるとすればアルファはその企業を買収することによって拡張に要する支出をせずに必要条件を手に入れることができる。よって企業は必要とする特徴を備えた既存企業に対して相当な額を支払っても良いと考えるのだ。ただしここでアルファがこの市場への参入を計画している場合、その分だけより高い価格をベータに支払わなければいけないと結論づけることはできない。アルファが比較的短期間で全市場を席巻しうるとベータが信じている極端な場合では、ベータの価値は急速に下がるためその数宇はアルファからの競争の脅威が生じる前のこの企業の現在価値をはるかに下回るだろうし、アルファがこの産業に参入するのに必要な支出を大きく下回る。よって合併は両社にとって有利となる。また、アルファがある市場への進出を決めている場合、アルファの予想投資支出が大きければ大きいほど、既存企業の見通し修正も大きくなり、そしてこれらの支出が大きければ大きいほどアルファが既存企業を買収するために支払える額よりも大きくなる。よって合併は明らかにアルファとベータ双方にとって有利となる。これ以外にアルファの拡張がアルファと取引関係にある小企業の将来に特に悪い影響を及ぼす状況の例として、アルファの垂直統合を含む拡張は十分な代替的販路を持たない小規模な供給業者を取り残してしまう可能性が挙げられる。

ベータがアルファの拡張を妨げる場合
 これまでの分析は既存企業が持つ資産はアルファにとって価値を持つもののアルファの有利な拡張に不可欠という訳ではないと仮定してきた。しかし、既存企業がアルファの計画にとって不可欠の資産を所有しているとすればアルファの競争力は既存企業の価値を減じる要因にはならない。この資産とは、特許による製品、設備、生産工程の強力な保護、類似の製品との差別化をはかり、消費者のロイヤリティを保つための商号、ブランド、そのほかの合法的手段、特定の立地や何かの鉱床のように再生不可能な生産要素の私的支配、機密性を保てる工程知識、特に才能があり訓練を積んだ個々人のサービスなどが例として挙げられる。ベータの現在の所有者たちが、潜在的なアルファの活動との間に生じうる関係は別として、自社のすべての価値がわかっているとすれば一般に彼らはこの価値以下の価格での売却を望まないだろうし、アルファはベータの資産の買収について、ベータの既存の所有者にとっての価値以上の価値があると判断しなければ買収は起こり得ない。この判断が行われるのは例えば、アルファが望ましい拡張を実現できないことで既存の地位が損なわれる場合や望ましい方向への有利な拡張の見通しが損なわれる場合である。ただしいずれの場合でもアルファが買収を行わないことによってベータが自らの業務運営から得られると期待する利益以上のものを失う立場にある場合は必ず買収は発生する。ここで、アルファが単にベータの立場に立ちたいのではなく、より大規模なプログラムの一構成要素としてベータを必要としており、同時にベータがアルファに比べて非常に小規模である場合には、ベータが同じ期間内で同じ拡張を企てるとは考えられない。そして、たとえベータの経営者が本書で設定したような成長理論を念頭に置き、またそのためにベータがアルファと同じ総利益を生み出すにはもっと長い期間を要するという事実だけで、彼らの現在価値は低下する。そのため、ベータが財務的な損失の合理的な計算によって動機づけられているとすれば進んでアルファと合意するだろう。

(伊津野咲)

 

合同
 2つの企業が対等の条件で合同し、新しい企業を形成する場合、両社とも消滅し、その前身とは異なる管理組織、人材、製品構成、市場、生産設備、財務的資源を持つ新たな企業がつくられる。ある合併が、対等条件による合併なのか、一方による買収なのかについては、形式上のもので、あまり重要ではない。というのも、2つの企業が別々に存在するときよりも合同した時の価値を高める事情とは何なのかということは、まさしく一方の企業が他方の企業を買収するときの価値を高める事情と同じであるからである。2つの企業が全く同一の発展をすることはあり得ない。すなわち、企業間には何らかの相違があり、この相違は買収をすることのメリットとして数えられるが、このことは同様に合同の根拠にもなりうる。このように相違が存在する環境においては、合同がなぜ双方の企業にとって資源の効率的な活用方法だとみなされるかについて、独占力の拡大以外に多くの理由が存在する。具体的に考えてみると、ある同じ領域への進出、例えば新製品ラインへの拡張は、双方の企業にとって、現在の生産的サービスの最も効率的な活用方法に思えるかもしれない。しかし仮に両社が同じ拡張を企てたとすれば、彼らの間の競争は激化し、拡張の収益性を減少、または消滅させることもある。一方、合同という形を取った上でこの拡張を図れば、両社の観点からすれば明らかに無駄が少なく、望ましいものである。このような合同は、単に競争から逃れるためのものではなく、お互いに競争激化による利益減少という参入障壁を克服するためのものでもあるだろう。また二つの企業が同じタイプの原材料を活用するうえで、補完的な生産サービスを所有していている場合にも同様の根拠が存在する。

企業ではない「事業」の売買
 企業成長に関連する買収の経済学という観点からすれば、法的に独立した企業ではなく、大企業の一部である「ゴーイングコンサーン」の買収は、多くの観点でほかのタイプの買収とほとんど同じ重要性をもちうる。買収側にとっては、買収する特定の組織ないし事業が一子会社であろうと一事業部であろうとさほど違いはないが、企業が自社の一部を売却できるということが、成長プロセスにある企業行動に対して大きな違いをもたらす。企業はこれまでも常に、特定の有形・無形の資産を売却することは可能であったが、これは、一つの事業を売却することとは異なる。というのも、多くの場合、全体は部分の合計以上の価値を持つからである。また独立した企業ではなく、他企業の事業部門全体や、子会社の買収が、買収総数に占める比率を増しつつある。実際に、大企業を新たな専門化領域へと導くような種類の多角化が増大しているとすれば、比較的専門化した部門の売買は増大すると考えるべきだろう。すなわち、多角化は企業を不慣れな活動領域へと導き、その際の失敗は、売却という形で修正されるとすれば、売却事業数は大きくなる。さらに分権型組織は大規模な企業に多く見られる。この専門化された分権型の組織は、事業再編成の際に行わなければならない組織の構築を小規模に抑えることを可能にする。企業は専門化した活動の一部を売却することが可能であり、また実際に売却しているという事実は、次の3つの点で経営学的な分析にかかわってくる。

  1. 合併の経済的根拠を形づくる諸要因は、事業単位の売却の場合と独立の企業の売却とではいささか異なってくる。
  2. 企業の成長プロセスが影響を受ける。
  3. 長期的には、より効率的な多角化のパターンが促進される可能性がある。

「事業」の売却の経済的根拠
 小企業を売却に導く事情と大企業が自社の一事業を売却する事情は多くの場合明らかに異なる。所有者の個人的立場、税金事情や小規模に由来するハンディキャップなどの事情は小企業特有のものである。小企業の所有者が、彼らの企業的能力や生産にかかわる能力のより有効な利用法を見つけたために自社を売却する場合のみ、大企業の事業売却事情と似ている。なぜなら一般に大企業の事業売却は、その企業が利用しうる生産サービスに最も良い代替的用途があるかどうかに依存するからである。ある特定の活動からの真の利益は、そのために費やされる諸資源の機会費用によって支配されることから、ある企業にとって極めて有利な分野が他企業にとって同様に有利であるとは限らない。すなわち、会計上はある特定の活動が正の利益を示していても、その特定の活動をやめてほかの活動に充てた場合に利益が高まるのであれば、当該事業において損をしていることになり、事業売却の可能性がある。したがって企業の様々な事業は、その業績に応じて追加したり削除したりすることになる。しかしながら仮にある投資分野がそこで用いられる諸資源の機会費用を計算に入れないときのみ有利と考えられるとすれば、そこには当該企業の拡張に限界があることが暗に仮定されている。ある事業が売却されれば、そこに配分されていた資金も経営者サービスも利用可能になるのだから、その事業の売却価格は、資本と経営者が当該企業の拡張能力に対してどの程度大きな制約となっているのかに依存する。すなわち、資本や経営者の供給が豊富であればあるほど、資本や経営者サービスのほかでの利用は余裕があるため、それらの機会費用は小さくなる。また企業内の資金は潤沢ではないが、機会費用が高く、他方で経営者サービスの供給は潤沢である場合、この企業は資金を受けとり、既存事業による資金の拘束を解くために自社の事業の一つを売却することが有利だと考えられるかもしれない。しかしこの場合、最も有利に売れる事業は、ほかの事情を一緒にすれば、売却によって最大の資本を得ることができる事業である。このため、売却額は売却の有利不利を大きく左右する。企業が資金にも経営者サービスも不足しており、流動化された資金と拘束を解かれた経営者サービスの有効な用途を持っている場合には、比較的安い価格でも売却するだろう。このことは、企業をいくつかの広い領域に専門化させる諸要因を想起させる。そこでは、多角化は、企業が自社の既存製品の市場より早く拡大する能力を持っているときに促され、また多角化の方向は企業の既存資源によって大部分決定されることが論じられた。「成功」とは単に会計上の利益を上げることではなく、機会費用を考え、新たな活動がいかなる代替的用途よりもその企業の資源をうまく活用できていることを指す。また、企業は多角化のために新事業を探求する場合、それは実験的なものであり、利益率の予想を見誤ることもあれば、ほかの新たな機会を発見することもある。これにより事業売却の供給が生じる。一方で、独立企業の買収に影響するのと同じ諸要因で需要サイドが存在する。これにより「事業」の市場が成立する。

成長プロセスに対する影響
 この市場の存在により、「過度の」多角化を促すこともあれば、その削除を助けることもある。すなわち、多角化の「失敗」の修正が容易になり、そのことにより、企業による新しい一連の活動を実験する際の損失リスクを減らし、このような試みを促進する。

多角化の適切性
 企業でない事業の売買の重要性が増してくると、合併活動の経済的評価にも影響が出てくる。事業売買のプロセスは、企業間に適切な多角化のパターン、すなわち、個々の企業の観点からみた資源の効率的活用を促すだろう。半数以上の売買が当事者として成功的であると仮定すれば長期においては、漸進的に適切な状態に到達する。

(山田圭佑)

 

2. 企業者サービスの役割

企業者サービスは企業が利用し得る生産的サービスの内の一つである。このため、企業が有する生産的サービスの違いの意義から合併買収の経済的根拠を分析するには、企業者の活動の性質に対して特別な注意を払う必要がある。α(買収企業)の利用し得る生産的サービスの一つとして、β(被買収企業)の持っていないタイプの企業者サービスをカウントしなければならない。αの実際の能力が過大評価されていたことになるかどうかは、αが企てることとは無関係である。しかし、この評価に差が出る理由は、人間の経済行動に関する比較的シンプルな心理学的仮定に基づいた分析枠組みの中には上手くおさまらない。

企業者的気質と利潤動機
 経営者サービスには、事業を運営し、拡張のプランを描き実行していくのに必要なサービスが含まれ、企業者サービスには、革新の提案を創案したり承認したり、拡張の提案を発議したり決定したりするのに必要なサービスが含まれる。支配的な企業を築き上げようとする欲望は、企業者的なエネルギーと野心の産物であり、それらは企業から見れば、生産者サービスの一つである。非常に広範囲な合併活動は、壮大な規模で経済的資源の活用を組織し支配しようというビジョンに駆り立てられた企業者の意欲に照らして初めて理解される。事業会社というのは目的を達成する一つの手段に過ぎず、それは、一つには法的な理由から、また、様々な構成主体が独断的な行動をとる余地を減らすという観点からも、最も効果的な手段であることが証明されている。歴史的な記録の意味を解明する上では、そのスタイルは職人的な企業者たちの地味な貢献の方がより重要だとしても、今日の経済で成功している多くの大企業の初期の歴史は自らの成し遂げようとする事柄について壮大なビジョンをもった人々の活動によってドラマティックに彩られている。冒険的かつ拡大的な企業者の「気質」が慎重な経済計算を超える場合の、企業の拡張の方向性や方法や範囲について完全に説明していない。今までは行動の選択肢の中で、また、不確実性に対する許容範囲の中で、儲けの少ない行動を選ばないという仮定を置いてきた。経済分析には、企業者のアイデアや行動の非経済的決定要因を分析する道具立てはない。結果として企業は利益を追求するというシンプルな仮定を設けるが、これは多くの難題を生んできた。一つには、不確実な世界では最大利益への唯一の明らかに識別可能な道など存在しないし、異なる気質を持った異なる企業者は異なる道を選ぶからであり、また一つには、金銭的な利益が企業者的野心の全てを覆っているわけでもないからである。これら二つの問題は互いを強め合う。個々の企業の拡張の分析において、ある方向への拡張が他よりも有利だという公算を決定づけるような事情を客観的な経済学の用語で合理的に説明できるのであれば、利益追求の仮定は有用である。しかし、企業者の判断に影響するきわめて個人的な特徴を説明要因に含めた途端、経済学は心理学に道を譲らざるを得ない。出来る事は、企業者的野心の幅広い違いに注意し、企業成長のプロセスに対するそれらの意義を問うことだけである。形式的な意味においては、異常なまでに拡大志向の行動を、財を成すための「最善」の方法についての個人的な解釈として捉える方がより適切である。企業者の多くがビジネスから得られる楽しみや影響力や威信のためにその世界に身を置いているとしても、利益は存続のための条件であり、成功と影響力の社会的な試金石であり、更に大きなことを成し遂げるための手段であることには変わりはない。企業者がこれを正しいと信じている限り、彼らは他よりも儲けが少ないと思うやり方を追求することはないだろう。

帝国建設と合併
 「異常なまでに」拡張的な行動を、「帝国建設」行動として大まかに特徴づけていく。事業会社の成長に関心があるため、非金融型の法人企業の拡張として目に映る帝国建設のタイプだけを考えていく。他社の支配権獲得を目論む一人もしくはそれ以上の金融資本家によって設立された法人は、多様な一連の事業を「食い物にする」ことを主目的に作られた金融持株会社以、として扱われるべきである。他方、帝国建設型活動が、主として独占力の獲得や広範囲で強力な企業の創設という欲望に動機付けられていることが事実で裏付けられる場合は、たとえその企業の構造が複数の事業子会社を持つ持株会社的な的なもので、少なくとも初期の段階では事業会社とみなせないような場合でも、我々の考察範疇に入る。ある意味で、ここでいう帝国建設型活動には、経済全体から見て異なる結果をもたらす二つのタイプがある。積極的な企業者は、既存企業を広範に買収し、特定市場で独占に近い地位を確立することで独占的利益を求めるかもしれないし、または、特定市場での競争の破壊に依らず、多くの市場での事業展開から得られる利益に成功の基礎をおく巨大で強力な企業の創造に関心を持つかもしれない。買収側企業が被買収企業の経営陣を変える意図がない場合には、両者の生産や流通施設の間にほとんどつながりがない場合がある。この種の成長は、特に独占的利益を求めてはいないが、広範囲な直接投資が資金と特定のタイプの冒険的な企業者能力の有利な活用方法だとみなす非現業会社に特徴的なものである。このような企業は、刺激に反応して成長し、投資会社や他のタイプの金融機関と類似のサービスを必要とする。しかし、中には広範囲に及び多角的でありながら、適度にコントロールされた産業帝国の確立に成功するものもある。最終的に、強力な独占的地位と広範囲な多角化の両者を併せ持つ二つの「タイプ」の折衷案のようになることもある。 企業成長のプロセスという観点から見ると、産業帝国の建設が持つ意義は、合併買収の役割、及び急速に成長している企業の管理組織の性質という二つの問題にとって最も大きくなる。この特別な意義が生じる理由は、合併による成長の取り得るスピードにある。 とはいえ、内部からの拡張は外部を利用した拡張に比べて時間がかかる。「帝国建設」を「急いでいる」企業者たちがビジネスの世界で活動している場合、彼らの関与する企業の歴史にはけた外れに大規模な合併買収の事例が見られると考えてよいだろう。 積極的な企業者は広範囲な買収を通じて短期間に支配的企業あるいは「独占」を様々な方法で構築していく。それらに限界を設けるのは、法をかいくぐれると考えられている範囲、企業者のためらいと想像力だけである。強力な独占的市場支配力の獲得のために、合併が選ばれたこと、そしてそれは合併運動の背後にいた人々の生きているうちに結果を達成するための唯一の方法だったということがポイントである。きわめて大量の生産的資産を一つの所有権の下に置き、法的なコントロールを集中するという目的は、単一企業の重要な特徴も経済機能も伴わずに達成されうる。企業者サービスの存在は、最終的に一つの企業を成功裏に確立するには十分ではないが、拡張プロセス自体にとっては十分なのである。他企業の買収成功には、財務上の能力、交渉スキル、積極的なイニシアチブ、戦略のセンス以上のものは必要としないかもしれない。これらは、「独占」の達成または「支配的企業」の構築を目指した効果的な買収プログラムに必要な企業者的資質である。 企業者的な「帝国建設」の意義は、自己の権力と活動の範囲を拡大するための一手段として事業会社を用い、財務的な洞察力と供給業者や顧客やライバルに対する交渉のスキルと非情さに大きく依存している企業者が、拡張のスピードと効果的なマネジメント上の調節の維持との間のコンフリクトを解決していく方法にも見出せる。これに対して「帝国建設者」は拡張のペースを重んじ、調整と統合を犠牲にしがちである。このことで、帝国建設者の活動は「実業家」としてよりも「金融資本家」のそれに近いものとなり、事業会社を明確に定義する上での特殊な困難が生まれているのである。

3. 経営者サービスの役割

 本書では、事業会社の機能を検討し、生産活動の組織的な管理こそが事業会社に特徴的な機能であり、かつ、それを一つの経済単位として分析する主たる理由であると結論付けた。従って、ここである経済活動の集合を一事業会社として扱うことに正当性を持たせるには、調整された管理に関する何らかの基準が満たされなければならない。合併や買収によって建設され、管理組織に殆ど関心を払われずに作られた産業帝国は、何らか最低限の統合がなされるまでは、我々の言うところの事業会社ではない。さらに、事業会社が成長するにつれて、あまりに大規模になり、活動の分権化が大幅に進み、その一部の独立性が高くなりすぎて、全体を単一の企業として扱えなくなる可能性もある。従って、我々は、ある特定の「企業」をその生涯の半ばの時期においてのみ、経済的な意味で本来の一企業として扱うという奇妙な立場に立っているのかもしれない。

管理的統合の必要性
 成功裏に確立されたというには、一般に、急速な成長に伴う混乱の減少、当該企業の証券の長期的投機性の消滅、収益性の整備された組織化が出来れば、その企業は成功裏に確立されたと結論付けてよい。同様に、既に確立されたある企業が広範囲に及ぶ買収プログラムに乗り出す場合、経営上の調整に真剣に取り組めば、そのプロセスは、企業の拡張と捉えうる。企業が買収を経て上手く基盤を築いたり拡張したりするためには、企業者サービスや財務サービスをはるかに超えたものが必要になる。我々の観点では、かつてよりも大規模な産業上の組織を作り出し、それが生き残り、そして将来の成長の基盤となるとすれば、合併は成功である。しかし、この基準に照らしてさえも多くの失敗が繰り返されてきた。財務上の判断ミス、財務に関わる愚かさ、管理上の能力不足、組織的問題を処理するための管理上の無能力などが、これら失敗において最も重要な要因だったことは明らかである。そのため、企業内部または外部から計画された企業合同が、落ち着くための経営上の再編成、あるいは、銀行家の支援を受けた財務上の再編成による延命措置を経てようやく生き延びるということは、現実に珍しくなかった。業務展開の成功は企業の財務状態に影響するし、財務状態は業務展開に影響を与える。既に良好に経営されている企業だけに買収対象を限定すれば経営上の問題が軽減されることを認識している場合、自社の経営者資源を持ち出す余裕のない企業は、往々にして買収する企業が高い水準の経営陣を擁していることを求める。このようなケースにおいて、経営上の問題は決してなくなりはしない。なぜなら、買収側企業と被買収側企業との統合を実施する必要がなお残されているからである。しかし、外国での子会社買収による拡張は管理的調整の必要性を回避し得る。なぜなら、ひとたび基盤が出来れば、子会社は実質的に親会社と独立して運営されうるし、また現実にそうなることもあるからだ。しかし、このような親会社と子会社を、我々が定義した事業会社の定義内に含めるには十分ではない。従って既にみたように、内部成長による成長率に限界があるのと同様に、合併を通じての成長率にも必然的な限界があり、いずれの場合でも最終的な限界は経営者の能力によって課される。そして、どちらのケースも、成長は無限に続きうるという考え方を受け入れるとすれば、支配的地位の確立及び継続と高度な産業集中の「原因」としての買収と合併には、いかなる意識が与えられるべきだろうか。

4. 合併と支配的企業

 合併と支配的企業の登場や存続、及び産業集中の水準との関係についての分析は、関連性はあるが、三つあり、ここまでは、成長プロセスにおける買収の役割と、ある時点における個々の企業の規模に対する買収の寄与にしか関わっていない。内的成長と外的成長のプロセスの比較から、特殊な状況下の場合は別として、より大きな率の拡張は合併によって実現するということになる。一般に合併によって成長した企業は、そうでない場合よりも大きくなると仮定してよい。合併が最短の道だったと考えることは理に適っている。

(石川紘士)

 

第9章 時間の経過のなかでの企業の成長率

【解題】拡張に必要とされる(required)経営者サービスの量に対して、拡張に利用可能(available)な経営者サービスの量がどれくらいあるか、その比率によって、企業の成長率の上限が決まる。拡張に必要とされる量は、拡張の(a)複雑性、(b)既存活動・市場条件との関係、(c)合併買収の方法で決まる。(高橋伸夫)

 これまでの分析と本書の冒頭で示した企業成長の研究の目的との関係を検証する地点まで来た。本章では企業がより大規模になっていくときの成長率に変化をもたらす諸要因について検討する。目的は、経済全体のパフォーマンスや構造のいくつかの側面にとって、企業成長の分析がどのような意義を持つかを論じる11章での議論の基礎を整えることである。

1. 特別な仮定

 一般的な経済問題の分析では、労働と現物資本を重要な構成要素とする。注意深く特定された目的のためには、概念の極端な単純化も正当化されうるが、そうした単純化によって、分析が説明しようとする世界の何らかの側面の本質的な特徴がかえって隠れてしまいかねない。他方で不十分な単純化はあらゆる一般的分析の展開を妨げてしまうだろう。ここでは粗い分析には価値あるツールとなる単純化を正当化しながら用いる事とする。

測定可能性
 ここでは特別断りが無ければ、企業者サービス及び経営者サービスについて考える事とする。此の様なサービスの最も重要な特徴の一つは、それらの異質性、つまりあらゆる個々の企業にとっての固有性である。本来企業者や経営者が企業に提供出来るサービスは数量的に取り扱う事が出来ないが、当面の分析のため、便宜上、此の様なサービスが比較可能な単位で測定でき、質的な格差は何らかの方法で量的な格差として表現しうると仮定する。またここでは企業の規模の増分、すなわち拡張の量について考える。ここでも様々な事情はあるが、本章の目的上、拡張は投資の一定の貨幣単位によって合理的に測定しうるものと仮定する。また、以下企業者サービスと経営者サービスについて特に断らない限り、両者を含めて「経営者サービス」という用語を用いる。

基本的な比率
 ある企業にとって利用可能な経営者サービスのうちのいくらかは、現在の運営のために必要とされる。必要とされる量は企業の規模と外部の諸条件に依存するだろう。同じ量の拡張であっても、状況が異なれば、これらのサービスの必要量も異なるかもしれない。それゆえ、ある状況での拡張の最大量は、拡張1ドル当たりに必要となる経営者サービスの量に対して、拡張に利用可能な経営者サービスの量によって決まる。したがって、拡張に於ける経営者サービスの利用可能性と必要性とを決定する諸要因は、企業の最大の成長率を決定する。

2. 拡張に利用できる経営者サービス

 拡張に利用出来るサービスとは企業が利用出来るサービスの総量と現在の環境に適した活動水準で企業を運営するのに要するサービスとの差になる。企業は成長するにつれて新たな人材を獲得し、人材をより効率的に活用するための手法を採用し、それと同時に既存の人材も新たな経験を得る。このことは、企業は絶えず追加的な経営者サービスを得ている事を意味する。例外を除けば、企業の成長能力は企業の成長率を上回るサービスの総量の増加率に依存する。

成長にともなう管理業務の増大
 企業が大規模であればあるほど、管理業務や異なる活動は多くなり、調整を必要とする人々の数も多くなるとも考えられるが、利用出来るサービスのうち管理業務に奪われる割合は、以下の二点から必ずしも増大しない。

  1. 大企業においては経営の分業を進める余地が大きく、利用出来るサービスのより効率的な活用が可能であると同時に、経営に割く時間を節約し、達成されるべき職務の規模に比べて経営者サービスの投入量を減らす技術を用いる機会も大きい。
  2. 管理業務は必ずしも企業の成長に比例して増大するとも限らない。機械や機械化された大規模な工場の使用は、生産プロセスに於ける労働を資本で代替する事になるといった状況では管理業務が企業の成長に比例して増大する事はなさそうである。
大企業は「より有能な」人を引きつける事が出来るとしても、他方で大企業は管理上の問題を処理するためにより有能な人々が必要であることが論じられてきたが、大企業のトップ・エグゼクティブに小企業のそれとは異なる能力が求められる場合に、極端にまれな個人の能力が、管理上の効率性にとって管理の枠組みや管理組織の適切な調整とほぼ同じ様に重要だということはありそうにない。

変化する環境条件の影響
 大規模な企業は、必然的に小規模の企業とは異なる環境に直面する。そして此の企業規模ごとに異なる環境自体が、企業の業務運営以上の問題の性質や難しさに影響を及ぼす。一般に、大規模で歴史のある企業は小規模で新しい企業に比べて、運営上の問題を緩和し、業務運営に要する経営者サービスを減らす何らかの優位性を持っている。これらの優位性のいくつかは、歴史ある企業が打ち立てることの出来る、様々な市場防衛に関連しているだろうし、過去の成功は将来の前身の助けとなるため、単に未知で未経験のものにつきものの劣位が取り払われたことに関する優位性もあるだろう。しかし非常に小規模な企業と比べて中規模の企業やほどほどに大規模な企業では、業務運営に必要とされる経営者サービス比率が小さくなるという命題は成り立ちうるが、企業の一層の大規模化にともなって、その比率が低下し続けるとか、低いままにとどまるという命題を主張することはより困難である。多くが推定の域にあるため、企業規模の増大に伴う成長率の変化についてほとんど何も言うことは出来ない。言えることは、拡張のための経営者サービスの利用可能性は、サービスの総量の増大以上の率で増大するとは考えにくいこと、また、したがって企業の成長率の加速に対する圧力になるだろうということだけである。

(森本苑子)

 

3. 拡張に必要とされる経営者サービス

 拡張率を支配する決定的な比率のもう一つの項は、拡張1ドルあたりに必要となる経営者サービスである。ここでは、現行業務の規模を扱うのではなく、現行業務がそれに沿って遂行される管理の枠組みの改善を含めた変革の計画立案と実行を扱う。拡張1ドルあたりに必要な経営者サービスは、次の3つに依存している。

  1. 拡張の性格
  2. 拡張のタイプと企業の既存活動・市場条件(外部環境の複合体)との関係
  3. 拡張の方法

a. 拡張の性格
 拡張の性格がその規模に関連してより複雑になればなるほど、そして若干の例外はあるが、拡張がより大規模であればあるほど、拡張1ドルあたりに必要な経営者サービスも大きくなる。拡張プログラムはそこに含まれる活動がより多様であるほど、より複雑だと考えられる。その結果、異なる市場向けの様々な種類の製品の生産を含む拡張は、他の条件が等しい限り、既存市場向けの単一製品の生産の増大を含む拡張よりも、そのぶんだけより大量の経営者サービスの投入を要するだろう。また、何種類かの工場の建設を含む拡張は、類似の工場の複製で良い場合と比べてもより「複雑」であろう。拡張計画の規模が増大するにつれて、経営者サービスの必要性がそれ以上に増大するかどうかは、拡張の複雑さが同じ速さで増すかどうかにもよる。企業内での経験をもつ人材という限られた量のサービスを必要とする種類の複雑性は、増大するとは限らない。例えば、資本集約的な拡張では、おそらく資本支出1ドルあたりの調整的サービスはより少なくて済むだろうし、拡張に伴うエンジニアリング面での業務はかなりのものとなるだろうが、経営者の計画や調整業務が同じように増大するとは考えにくい。

b. 既存の活動ならびに市場条件との関係
 拡張が、企業の既存の活動や経営陣がすでに持っているタイプの知識やスキルと密接に関連する分野で行われる場合、拡張1ドルあたりで必要な経営上の労力は、未知の分野で同量の拡張よりも少なくて済むだろう。また、企業がすでに知られていて基盤を持つ市場分野での拡張は、新しい市場分野への拡張よりも少ない労力で済むであろう。企業が新分野への拡張の方法として買収を選択する理由の一つは、まさに拡張に要する経営上の労力が少なくてすむからである。市場での競争の状態は明らかに拡張一ドルあたりに必要な経営者サービスに大きく影響するだろう。企業が競争相手の地位を攻撃する場合や熟練労働やその他の必要な生産要素を獲得する必要がある場合などにおいては、拡張の計画立案に直接要する経営者サービスも、その管理組織に要する経営者サービスも、これに伴って増大するだろう。拡張が広範な「研究開発」を前提とする革新や改良に大きく依存している分野では、拡張1ドルあたりに必要な経営者サービスは確実に増大する。なぜなら、革新のための努力や多角化のプロセスに含まれる組織化や調整や実験に要する経営者サービスはすべて、拡張のための経営上のインプットとして分類されるべきものだからだ。

c. 拡張の方法
 買収において、買収側の企業規模が買収先企業に対して大きければ大きいほど、統合における経営上の職務はより容易になる。他方、小さければ小さいほど、必要とされる経営上のインプットはそのぶん大きくなる。また、ある期間内に買収される企業の数が多ければ多いほど、経営上の労力はより大きくなる。企業が大規模化する際の外部の諸条件の変化を考えた場合、企業の成長率を維持したり高めたりする手段としての買収は、ある点を過ぎると意義が薄れてくる。買収だけに頼って成長する企業を仮定し、成長率を落とすべきでないとすると、この企業が大規模であればあるほど、単位時間あたりの買収の量を大きくする必要がある。そして、この企業が適切な分野では実現可能な大規模な買収がほとんどない規模までに達した時、一定の成長率を維持するために買収すべき企業の数がどんどん増えていく。その結果、成長を維持する手段としての買収はより困難になり、買収を通じて一定量の拡張を行うのに必要な経営のインプットは急速に上昇する。中規模の企業やほどほどに大規模な企業にとっては、買収による拡張の見込みはその最大成長率を上昇させる可能性があるが、極めて大規模な企業にとっては、おそらくそれほど重要でなくなる。互いに競争している大規模な企業にとっては、拡張1ドルあたりに必要な経営者サービスを増大させる傾向にある全ての要因が、その程度を増して存在していると言える。結論として、拡張単位あたりに必要となる経営者サービスは、ある時点を超えると増大し始めると考えることができる。

4. 規模の増大にともなう成長率の変化

 ある条件の下で個々の企業が成長しうる最大率というものが存在する。これらの条件が極端に好ましい企業だけを考えるとすれば、中規模およびほどほどに大規模な企業の成長率は、とても新しく極めて小規模な企業や、極めて大規模な企業より高いと考えることができる。

「成長曲線」
 個々の企業の拡張に関するここでの分析は、いかなる意味でも「典型的な」企業の拡張のモデルとして捉えるべきではない。小規模な企業や新しい企業が大企業の地位に到達し、「ビッグ・ビジネス」の競争という環境に直面するまで成長することを可能ならしめる「特別な機会」を仮定しているからである。つまり、ここでは大企業に対して、小規模企業の競争する能力や成長を妨げるような能力の欠如はないとしているのである。環境条件は、小規模企業の資源や企業者能力と無関係に、その成長を制限することになる。

(米永圭佑)

 

第10章 成長経済における大企業と小企業の地位

【解題】環境が企業の機会を決めているにもかかわらず、同じ環境にいながら、なぜある企業は成長するのに、他の企業は成長しないのか。企業によって環境の見え方がいかに違うのか。ここでは特に小企業を大企業と対比させている。Weick (1979)のイナクトメント(=環境有意味化)にも通じる話。(高橋伸夫)

 どんな企業にとっても、環境が企業の機会を「決定する」ということに疑問の余地はない。同じ環境に対する見方がなぜ企業ごとに異なるのか、なぜある企業は成長してある企業は成長しないのかという問いに対し、個々の企業の成長能力を決める事情のすべてを考慮に入れた成長の一般理論などない。しかし、仮に何らかの重要な特徴を有する資源をもった企業グループ全体に影響を与える環境上の条件が存在するとすれば、そうしたグループの企業の成長の見通しを分析することは妥当であり、そうすることで企業の資源基盤のある特定の特徴と拡張機会の間の関係について、立ち入って検討することができる。個々の企業の継続的な成長にとって必要となる一般的な条件は何であるか(何が成長の方向性や方法を決めるのか)。また、何が企業の成長率と最終的な規模に対する根本的な限界なのだろうか。

1. 小企業の特殊な地位

 ある企業によって管理される資源の量は当該企業にとっての拡張の機会に重要な影響を及ぼすが、以下では外部の諸条件、とりわけ大企業の優れた競争力によって小企業の成長機会に課される制限の問題を取り上げることにしたい。

競争上の、特に財務上のハンディキャップ
 いかなる経済や産業においても、小規模な企業または新しい企業の経営陣がいかに有能でも、大規模で伝統のある企業は競争上、多くの優位性をもつ傾向がある(広範囲なコネクション、資本市場での良好な地位、大規模な内部資金、価値ある経験の蓄積など)。また、その規模のおかげで、多くの技術上および組織上の経済性を利用することができる。なかでも資本へのアクセスは、大企業と小企業の成長機会に大きな影響を及ぼす。小企業の貸出リスクは大企業のそれより大きくなってしまうため、相対的に高い金利を支払う必要がある上、獲得しうる資本の量にも絶対的限界をもつ。小企業は外部の者からは偏見をもってみられるため、小規模な企業が獲得できる信用量には限りがある。信用が拒まれた場合には、資本を得ることも許されず、結果として利益が上がるはずだと確信できる機会を見出した場合にも、計画を試すチャンスさえ奪われてしまう。

小企業の存続とその継続性
 小企業が存続するパターンとして、以下の4つがある。

  1. 大企業に適さない小企業ならではの活動がある(例: 変化への迅速な対応、顧客の気まぐれへの細心の注意を必要とする活動、大企業には不経済となる活動など)。
  2. 大企業はある条件の下では、公益的配慮から産業全体にわたるプライス「アンブレラ」の下で小企業の存在を認め保護する。
  3. いくつかの産業では参入が容易で、毎年多くのビジネスマンの卵が事業を立ち上げるため、いつの時点でも多くの小企業が存在する。
  4. いくつかの産業の発展過程では、大企業が小企業を一掃するまでには至らず、一部の小企業が発足を果たす。

成長のための機会
 前項の内容は、多数の小企業の存在はある種類の活動に特に多いという事実を説明している。企業者が「自分で事業を起こしたい」という願望を持っていても、その事業は少ない資本とごく当たり前のトレーニングとスキルさえあれば開始できるような分野に限定される。成長を望めない企業の地位を特徴づける特殊な状況の組み合わせ−参入率が高く廃業率も高い、利益率が低く技術進歩の水準も低い−が見出されるのは、このタイプの分野においてである。しかし、新興の小企業にとって、そのような分野は存在するのだろうか。既存の大企業が、参入を望むどの分野においても小規模な新興企業に対する競争優位をもち、小企業を存続させようとする法律上や道義上の圧力にもさらされていないという極端な状況を仮定した場合、小企業にとっての見通しはどうなるだろうか。これまでの本書の内容を踏まえると、大企業は必ずしも独自の競争優位に基づいて行動するわけではない。それゆえ、能力に恵まれた小企業が規模や数において成長・増大し続ける余地はあり、それらの一部がやがて「大」企業のカテゴリーに入ることもあるだろう。本書では、小企業のこのような機会(余地)を経済における「間隙」と呼ぶ。この事業機会は、小企業が見出し成長に活かせると確信していて、大企業から放置されているものである。これは比較優位の原則の変形である。様々な活動分野で他者に対する優位を持つ企業は、資源に限界があるとき、自社の優位が最大である分野に最も有利な拡張を図る。したがって、間隙の性質は、大企業が専門化していく活動の種類によって決まってくる。

成長経済における間隙
 あらゆる種類の製品に対する需要が急速に拡大している場合、既存企業は彼らの既存製品(必要資本、特許や技術に対する保護、ブランド化や広告による消費者選好の固定化などのために参入が難しい分野)の生産量を増やすことに最も有利な拡張の機会を見出すだろう。しかし、重要な新産業や新技術の創出をともなうのであれば、新しい企業にも参入の余地があり、より能力に恵まれて早期に基礎を確立した企業が直ちにその産業で支配的な地位を得るだろう。大企業は、拡張にともなう収益や生産材需要の増大から投資の新しい機会に恵まれるため、そのような主要産業のいずれも急速に少数の大企業によって支配されていく傾向があるというのは事実である。しかし、大企業各社の拡張計画は、市場の需要だけでなく、自社の資源の性質によっても方向付けられる。したがって、大企業が必ずしも新産業に進出するとは限らず、小企業が成長を見込めるような間隙も存在しうるのだ。

比較優位の原理
 小企業に対する大企業の最大の優位性は、

  1. 大規模な業務展開が最も効果的な領域
  2. 大規模な生産やマーケティングや研究の導入と維持が最も容易な領域
  3. 経営者資源が最も効果的に節約できる領域
にあり、これらは大企業と小企業の間の棲み分けをもたらす。ひとたび企業が自らの地位を維持するために「革新競争」が必要となると、企業は広範囲な研究、実験、市場テストなどの活動に取り組む必要性にかられるが、これらにかかる費用は?既存の地位を維持するために必要なものと、?さらなる拡張の土台作りに必要なものとに簡単に振り分けることができない。大企業では、総支出の大きな部分が投資的な支出となるが、それは定常的に当期費用として処理されてしまう。これは生産する製品の性質に対して、大企業と小企業の間の棲み分けをもたらすもう一つの要素である。大企業が新分野に参入して新製品を生産する機会を活かせる割合は、彼らが選んだ「専門化領域」で競争的地位を維持するために求められる継続的努力と投資によって厳しく制限されている。経済の成長率が高いほど大企業が活かしうる総投資機会の割合は低下するため、間隙に展開していく小企業の能力に課された制限がなくなり、拡張の範囲は広がっていく。大企業がその規模ゆえに劣位となるような活動があるとすれば、小企業は独自の居場所を持つことになるが、そのような活動は小企業が大規模に成長することを可能とするものではない。成長のための有利な機会を捉える小企業の能力は、彼らの参入に対して障壁が築かれれば破壊されるだろう。また、彼らが進出できる分野での成長は、買収によって断ち切られる可能性もある。成長経済における産業集中の進展と持続は、大企業の競争の性質とその広がりに依存して生み出される間隙の数とタイプ、およびその間隙に進出し成長する小企業の能力に依存する。
(近藤愛奈)

  

第11章 成長経済における成長企業: 産業集中のプロセスと支配のパターン

【解題】企業の規模には限界がないが、企業の成長率には限界がある。そのため、産業の経済成長率が、(a)大企業の成長率よりも小さいときには産業集中(industrial concentration)が進み、(b)大企業の成長率よりも大きいときには小企業が参入できる間隙(interstices)が生まれる。(高橋伸夫)

大規模企業によって支配された企業経済においても、オープンな市場での競争は経済水準を押し上げると考えられている。本章前半では小企業の成長機会の発展と大企業間の競争的な関係が経済全体に与える意義について検討し、異なる規模の企業の成長について分析する。

1. 参入への障壁

 小企業が「間隙」を埋める能力に課される制限として参入障壁がある。既存企業は「間隙」の機会を利用できない/するつもりがない場合も、価格競争を仕掛けると威嚇する能力等に基づいた力で他社を締め出したがる可能性がある。この種の制限を「人為的」制限と呼ぶ。

経済全体における投資への一般的影響
 参入障壁形成が成功した場合の経済全体における投資への影響は、@投資の有効な機会減少A行われる投資の生産性低下があげられる。制限する側の力が大きく、制限が広範な場合、制限する側の企業は可能な限り拡張し、制限される側の企業は本来より小規模または有利でない方向への拡張を行うため小企業は深刻な打撃となり、経済の深刻な遅れをもたらす可能性がある。参入制限が資源の完全な活用を妨げるほど広範囲でないが、効果的な場合は、間隙への新規参入により実現しえた資源の効率的活用が阻害されるほか、本来間隙への参入に用いられたはずの資源が代替的用途に向けられるため、経済全体の投資の生産性を減じる傾向を持ち、産出量増大の速度は落ちる可能性がある。大企業が小企業に対して参入制限行使を行った場合、小企業に有利な投資機会(間隙)は減少し、大企業が大企業に対して参入制限行使を行った場合、守られた領域における生産が減少する可能性があり、経済全体の成長には悪影響を及ぼす。一方、大企業間の競争が制限から逃れることを目的とした革新の形をとる場合、代替物が開発される可能性が高く、その効果は薄い。

「ビッグ・ビジネス」の競争の重要性
 ビッグ・ビジネスの競争は巨額の投資を巻き込み、財やサービスの量・種類が増え、競争により製品も安価になるため、一般的に、経済全体に良い影響を与えると考えられている。これにより大企業は製品等の開発者としてのマージンを確保、革新レースが可能になる一方、人為的障壁が行使され、弊害が発生する可能性もある。しかし、ビッグ・ビジネスの競争から得られる有益とされる成果は(熾烈な)競争に由来している。活力ある寡占競争を支えられるほど市場が大きくない場合、小企業への障壁の影響は深刻。間隙の不足により成長が大きく遅れる可能性がある。すなわち、競争関係にない寡占企業が人為的な障壁を行使する場合、経済は停滞する

必要資本と消費者のロイヤリティ
 大企業間の競争が極めて活発な場合、「人為的」でない以下の障壁が小規模企業の参入を制限。一つめは必要資本で、大規模生産から得られる経済性を享受するためには、初期資本が必要となることに由来する(小企業は資本を準備できない)。既存大企業が、小企業ではコスト回収できず、且つ大規模な競合参入を促さない価格水準を保って製品を市場に供給できれば、必要資本が障壁となって参入を制限できる。このとき、新規参入者の利益機会を残さない水準を維持する既存企業の意欲と能力が必要となる。もう一つは消費者のロイヤリティで、既存企業が流通や消費者からのブランドに対する支持を保持することに由来する。新規参入者がこれを確立するには多くの時間・資本が必要で、既存大企業が消費者に受け入れられるパフォーマンスを出し続ける限りにおいて、競走上の地位は安定する。これらの障壁と人為的障壁の違いは「企業のパフォーマンスと障壁維持が連動するか否か」である。  参入障壁で守られた企業が競争の渦中ある限り、その利益が改良や新技術導入に向けられる限り、新規参入に対する障壁が必然的に産出量を減少させるとは言えない一方、ビッグ・ビジネス間の競争ゆえに産出量が必然的に大きくなるとも言えない。

人為的障壁と間隙
 大企業には成長率の限界が存在する。結果、投資機会を生かし切れず小企業に好機を残している。この機会(間隙)は、大企業の成長率と経済全体の成長率のギャップによって決まるが、大企業の成長率が長期的に横ばいとなるとすると、間隙は増大する可能性があるが、これは小企業の参入に対する人為的な障壁がほぼない場合に限られる。このことより、大企業が同率での拡張とパフォーマンスを両立できなくなった時、(その企業が)小企業が間隙を埋めることを妨げる地位にないことが、経済全体の成長にとっては重要だと考えられる。

2. 成長経済における合併

 急激に成長する経済では間隙が生まれ易いが、買収/合併による企業の成長がそれを相殺する。成長経済において、大企業は独占的地位の確立のために合併を利用する。他方、中小規模企業は大企業の支配的地位に対して、合併による規模拡大で対抗しうる。企業が合併/買収を行うシチュエーションとして、

  1. 利用しうる生産的サービスの負担過多(+企業者が有利な拡張の機会を見出している)
  2. 自社の活動に密接に関わる機会を他社が利用することを脅威と判断した場合
  3. 供給がボトルネックとなり拡張の継続が遅れる可能性がある場合
  4. 自社の活動領域外で技術革新や発明が発生
それにより経済成長が刺激される場合があげられる。

ビジネス活動の諸指標と合併との関係
 合併件数とビジネス行動の他指標を相関づけようとする試みがあるが、成功していない。これは、同じ要因が、異なる条件下では異なる影響をもたらしていることによる。合併は企業の拡張における手段の一つであり、選択されるかどうかは資本形成という戦略に対する合併の相対的な有利さにより決まるため、このようなことが起こる。合併とビジネス行動の他指標に相関を見出すためには、すべての拡張のうち合併が占める割合を求める必要がある。例えば、不況時は合併が拡張の支配的な形となり得る(好況時は資本形成が優勢)が、確かめるには拡張における合併の比率検証が必要である。

買収に対する「自然な」限界が間隙に与える影響
 合併の誘因は多様。なぜ有望な小企業は買収されず、経済の間隙で大きくなるのかその理由は大きく分けて以下の2つ。

  1. どんな企業も、ある期間では他社を吸収する能力に限界があるため
  2. 買収側の拡張計画に適合する小企業がないため(例として、拡張中の企業が開発した技術を利用できる等、見通しによって促されるケースや、拡張への内部の誘因が当該組織の特殊なスキル等から生じているケースがあげられる)
上の例のように、大企業にとって、買収より社内開発(内部の拡張)が優位性をもつケースが多いことから、小企業が大企業に買収される可能性が減っていることが企業買収件数の抑制につながっていると考えられる。買収は、大企業より小企業に対して成長の源泉としての重要性が高いため、(小規模〜中規模企業の買収/合併による)中規模〜大規模企業数の増大を促し、大企業に対して競争上の地位が向上する可能性がある。他方、大企業は買収による多角化が容易になり、成長経済で間隙が発生しやすい傾向を相殺しうる。

3. 間隙と景気循環

 産業活動の下降傾向はすべての企業の拡張機会を減少させる(間隙の減少)。景気循環は周期性を持つが、その特徴として、実態と予想の相互作用により経済活動が一方向に変化、下降傾向がある場合は投資機会の減少を招くことがあげられることに留意したい。不況によるダメージは大企業より小企業において甚大である。大企業は金融力や価格統制力を持ち、より競争的な条件下よりも高水準の利益を生む可能性があり、不況は大企業にとって安価な投資が可能かつ改良等に取り組め、拡張の好機となるものの、小企業は破綻するケースも多い。一方、コスト縮小等で大企業より損失少なく乗り切れる企業も存在し、こうした企業が不況を乗り切れば景気が上向き間隙が広がった際、拡張へ乗り出す機会も生まれる。景気の上昇期は、間隙がうまれ、それを利用することで小〜中規模企業の相対的地位が向上するため中規模・小規模企業に有利だが、金融政策の引き締めにより拡張が減じられる可能性もある。

(永松賢三)

4. 産業集中のプロセス

 企業は労働力の雇用者、資産の所有者、財の生産者であり、それぞれの側面における企業の相対的重要性は、集中の状態の指標として用いることができる。

集中の測定
 集中の測定には様々な方法があるが、その中で二つに言及する。一つは「相対的集中」に関わるもので、企業の規模別分布の不均等性を測定するものだ。もう一つは「絶対的」集中に関わり、測定される量が少数の企業に集中している程度を考えるものである。両者は互いに影響を与えはするが、異なる意義を持つ全く別の概念だ。ここでは後者の「絶対的」集中を「集中」と呼ぶことにする。集中の測定は「少数の」企業が産出量、雇用または資産の「大きな」比率を支配しているかどうかを知るために行われ、少数の企業の手中にある%または、一定比率を占めるのに要する企業数で表されるのが一般的だ。

成長経済における集中と成長企業
 一定期間のある経済(産業)で生じる成長の量は、全ての企業の成長に等しいはずなので、産業集中の出現・程度・持続は小企業と大企業の相対的な成長率の関数である。つまり、仮にある経済の成長とともに集中が増大するとすれば大企業の拡張の絶対量はその他全企業の拡張よりも大きいはずだ。古く大規模な企業は新しく小規模な企業に対して競争優位をもつという仮定を置くならば、大企業が自らの拡張率の限界ゆえに、経済内の拡張の機会をその機会が発展する以上の率で活用することを妨げられない限り、集中は増大し続ける。逆に、ひとたび大企業の成長率が鈍化する点に到達すれば、着実な成長している経済の集中化は後退する。

若干の不確実な証拠
 集中の時間的な経過に関して我々は、集中はある高い点まで急速に進み、そのあとはかなり緩やかに増大し、最終的に既存大企業が極めて大規模になると低下するという仮説を支持している。(データの性質ゆえ解釈には危険を伴うが)国際間の比較は時に危険であるが、カナダと米国を比較して研究で注目に値するものがあった。それによると、カナダでは米国よりも集中度が高い一方、不均等性は米国の方が高かった。つまり米国にはカナダより大企業が多いが同時に小規模な企業も多く存在し、全産出量における大企業の占める割合はより小さいと言える。

産業内部での集中
 ここまでの考察は主に製造業という産業における集中に関するものだ。個別の産業の集中と経済全体の集中とでは根本的に意義が異なる。しかし経済内で量的に極めて大規模な産業の集中度が非常に高ければ、経済全体の集中度も高くなるのが一般的だ。なぜなら、大規模化傾向を持つ多くの産業は集中を助長する傾向をももつからだ。そのため、経済全体の集中を説明するためには、ここの産業内部における集中のプロセスに注目すべきだ。小規模な企業にとって経済の間隙は参入チャンスとなるが、その難易度は参入障壁の種類に依存する。最も一般的なものは必要資本の量または、ブランド化や広告を通じて消費者のロイヤルティを保つ可能性だ。このタイプの優位性が最も大きい産業、または大企業が間隙を残さないほど十分急速に拡大できる産業において、集中は最も急速に進むと考えられる。大企業の優位性が圧倒的ではなく新規参入が容易な産業では、恒常的に新規の競争に対処していく必要性が既存企業の成長率を抑制し、集中度を低くすることにつながる。他方大企業の優位性が確かでも、需要の水準と成長が極めて高い場合は、大企業は参入を防ぐのに十分な速度で拡張できない可能性がある。

多角化と産業集中
 多角化への有利な機会の多くは大企業を大企業同士の競争へ導く。大企業による真産業への多角化は初期の段階では産業集中を引き下げるかもしれないが、すぐに「ふるい落とし」のプロセスに入り排除されていく。

5. 集中と支配

 工業経済の顕著な特徴の一つとして、経済全体における支配的な地位が相対的に少数の企業によって占められることがある。本書では個々の企業の成長可能性に照らして、優位性が集中の増大をどの程度導くか調べてきた。そして着実に成長しつつある経済では、集中のプロセスは終息し、最終的には逆のプロセスが起きると結論づけた。

大企業の支配的地位の継続性
 データが脆弱であるとはいえ、過去50年にわたって大企業の地位が著しく強固であり、その大規模化に伴いより強固になっているようであることは疑いがない。集中が緩やかに低下しても依然として大企業の重要性は高く、実際に米国の分散のプロセスは極めて緩慢である。集中の行方を左右する重要な事情は、小規模な企業の間隙に対して大企業がどの程度「人為的な」障壁を設けることができるかである。前述した大企業の優位性は集中を増大させるとは限らない。なぜなら、大企業は地位を維持するために消費者に受け入れられなければならず、「ビッグ・ビジネス」間の競争と相まって経済内の有利な投資機会を利用する大企業の能力を制限するからだ。これが規模ゆえのハンディキャップと言える。人為的な障壁がなければ、小規模な企業はこの点に到達得るまで成長していくチャンスがあるのだ。

(後藤睦美)

6. 結論

  1. 「規模の不経済により大企業が最終的に非効率になる」という命題を支持する証拠は何もない。
  2. 大規模な業務展開の経済性は重要である。
  3. 企業がいかに大規模になっても、成長の経済性はなお企業にとって利用可能である。
  4. 成長の経済性は、あらゆる規模の企業に存在する。
  5. 既に確立され、別個の事業として運営されている活動を切り出して別企業としても、効率が損なわれることはないだろう。
  6. どんな企業も、成長しうる率には限界があり、その限界は企業の現在の経営陣の能力によって規定される。
  7. 間隙への人為的参入障壁は、経済における資源利用を非効率にする。
  8. 大企業が自分たちの間での競争を実質的に制限できる地位になれば、ビッグ・ビジネス擁護論の論拠は失われる。
  9. 企業が大規模であること自体は非効率的ではないが、経済の成長を妨げる産業構造を作り出してしまうかもしれない。
(高橋伸夫)



管理人: 高橋伸夫 (経営学) @ 東大経済  Handbook  BizSciNet
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