本書は公式組織の理論についての本である。多くの人が組織を重要視しているにも関わらず、今日の社会科学においては公式組織は重要な位置を占めていない。その理由として三つ挙げられる。(1)公式組織が重要ではない。(2)組織の命題はほとんど他の社会科学のテーマに含まれている。(3)知られている事が非常に少ないため書かれている事も非常に少ない。このうち(1)は1.1節で否定され、(2)(3)については後の章で言及する。
予告通り、この節では「組織が重要ではない」を否定する理由を述べる。表面的な理由としては、人々が多くの時間を組織において過ごすというものである。ただし、組織が至る所にあることが組織に注目する唯一の主要な理由ではない。個々の人間が影響を受け、反応する環境の大部分を占める存在として組織に関心がある。そして他の多くの社会的影響過程と比べると、組織内影響過程は、拡散性に対して特定性という特性を有しており、この点で組織は行動に対して重要な影響力を持っている。経路、内容の特定性は役割という概念でも説明できる。
組織理解に対する社会科学者の貢献は大きくなかったが、組織は社会に多面的に影響しているため、素材は組織研究者・組織著述者による広範囲な資料から収集できる。しかし、散在する多様な組織関連文献を集めて、全体として筋の通ったものにするためには二つの問題を乗り越える必要がある。第一に、文献は組織について多くは語らず、様々な言葉で繰り返し語ってきただけの印象を受けるため、共通の言葉を作る必要がある。第二に、文献において仮説と証拠の間に大きな隔たりがあり、組織に対する認識の多くは実務経験から抽出されたもので、科学的基準を満たす証拠がほとんどないので、まず変数の測定可能な定義をして、既存仮説を検証可能な形に言い換える必要がある。本書では、新証拠の提出が目的ではないが、どんな検証が妥当で実行可能かを示そう。
素材となる文献を折衷主義でも偏狭主義でもなく体系化したい。組織的行動に関する命題は、次の三つに大別できる。
命題には、次のような種類がある。
この節では、本書の分析全体の基礎となる仮定、生物としての人間、特にその中枢神経系についての仮定をいくつかしておこう。生物の行動は、短い期間であれば、(1)期首の内部状態と(2)期首の環境によって説明される。(1)の内部状態は記憶に入っており、記憶は@その時点での行動に重大な影響を及ぼす部分――想起集合――と、Aそれよりはるかに大きいがその時点で行動に全く影響を与えない部分に大別される。記憶内容全体の変化は、一般に学習の過程を通じて比較的ゆっくりと起こる。同様に(2)の環境も、@次の期の行動に重要な影響を及ぼすもの――刺激――と、A及ぼさないものに区別できる。
古典的組織論は、発展経路から、テイラーを起源とする時間研究・方法研究に代表される科学的管理法(2.1節)とギューリック=アーウィックに代表される部門化の理論(2.2節)の二つに分けられる。
テイラーらは、ルーチン的製造作業において、機械の付属物としての人間をいかに使うかを主に研究した。生産工程の中ではむしろ非効率な生物しての人間――汎用機械――を、効率的な専用機械に変えるような詳細な行動のプログラムを作ることが必要だった。科学的管理法の研究は、組織内人間行動の心理学的側面よりも機械化と関連しているが、組織内の機械の役割は本書の関心事ではないので論じず、組織内の人間の活用を論じよう。このアプローチは生理学的変数を主に扱うので「生理学的組織論」と呼んでもいい。
この研究グループが扱った課業には、@反復的、A労働者自身による複雑な問題解決活動を必要としない、という特性がある。このため心の過程を記述しなくても、見える行動だけで課業をほぼ完全に記述できる。心の過程の記述が必要な価格決定、機械設計、生産計画の問題解決課業を、時間研究・方法研究は回避した。時間研究・方法研究でも、筋肉の活動を詳細に定めてはいないが、職務記述書の細目や時間標準により行動の代替案をかなり制限することで、課業を定めることを狙った。
行動を一連の高度に規則正しい肉体的活動としてみれば、生物としての人間の神経生理学的次元である@能力、A速度、B持久力、C対価が行動に関連する。
@能力によって、生物としての人間が達成可能な生産率には上限が生じる。能力概念は動作節約原則の基礎で、「未使用」能力をなくすことで生産増大が可能になる。
A速度とは、生物としての人間による課業の実行速度のことである。時間研究の目的は「基本」動作一式と各動作の単位時間を見つけることだった。より複雑な活動も基本動作に要素分解し、その要素の単位時間を合計することで全体の標準時間を算出できると考えた。しかし生物としての人間がはるかに複雑だったために、いまだに要素分解・単位時間合計は少数派で、工業的職務の時間標準はまだ直接推定されている。また、標準時間が「平均的技能と平均的努力のときの平均時間」なのか、「最短時間」なのか、それとも「工員集団から無作為抽出した複数個人による連続試行の平均時間」なのか、データ分析の仕方があいまいで、時間標準に隠れた技能・努力水準を定めることもうまくいかなかった。
B持久力は、主に筋肉疲労と関係している。命題群から、所与の筋肉群の生産率は、当該・その他筋肉群における労働、休憩の時間パターンの関数となる。すなわち、労働時間を増やせば生産率は低下し、生産率を元に戻すにはある量の休憩が必要になる。さらに二つ命題を挙げておく必要がある。(i)所与の筋肉群の回復時間は、当該・その他筋肉群の労働時間の関数であり、労働時間が増えるに従い加速度的に増加していく。(ii)すべての筋肉群が同時に休憩したときに限り、生物個体全体の回復時間を最小にできる。
C対価として、時間研究・方法研究は時間と金銭という二つの対価の単位に関係している。両者の関係は複雑で、
かくして、テイラーの主要な処方箋は次の3つだった。
ギューリックに代表される「管理論」は、他にホールデン、ファヨール、ムーニー=ライリー、アーウィックなどの論者がいる。管理論では、まず組織の所与の一般目的達成に必要な単位課業全体が事前に与えられていると考える(ここに管理論の特徴がある)。その上で、(1)これらの課業を個々の職務にグループ化し、その職務を管理単位にグループ化し、その管理単位をより大きな単位にグループ化し、最終的にはトップ・レベルの部門を確立すること。さらにその際、(2)全活動の総実行費用を最小化するようにグループ化すること、が管理論の一般問題である。
所与の活動集合を多くの人々の間で効率的に割り当てる問題は、最適割当問題と呼ばれるが、管理論の部門化理論は、それとは多少異なる。一般に、二つの活動集合S1、S2の総和(S1+S2)の実行所要時間は、S1、S2それぞれ単独の実行所要時間の総和に等しくならない。つまり非加法性がある。たいていの活動は「段取り」を必要とするが、共通の段取りを必要とする活動を一緒にすると省略できる。この節約効果は大きなものがたくさんあるが、実行時に大きな節約効果が生まれる類似性が課業にあれば、課業配分がそれに基づく限りは効率的になる。これがいわゆる「過程」類似性なのだが、小規模組織においては、過程別専門化を目的別部門化が妨げ、深刻な非効率を招く可能性がある。こうしたことは、管理論でも常識として述べられている。ただし、節約効果があること以外、過程類似性がはっきり分かる方法はなく、これが管理論の限界なのである。
以上の割り当て問題では、調整問題が無視されているが、実際には、組織の活動自体は、よく定義された高度にルーチン化された種類のものであっても、その実行機会は「指示」「情報」などの環境的刺激で決まる。このように、ある活動が他の活動の条件付きならば、調整問題に組織の問題も加わり、状況は複雑になる。組織規模が大きくなるにつれ、調整費用が大きくなる。そこで重要になってくるのが自己充足性(逆に言えば調整必要性)である。組織単位の活動の実行条件が、ほかの組織単位の状態から独立であるとき、その組織単位は自己充足的であるという。そのため、組織規模が大きくなるにつれ、過程別組織から目的別組織へと移行する。
従業員は、割り当てられた課業は遂行するが、自力では動けない機械と一般にみなされる傾向がある。また人員は、システム内変数というより、与件とみなされる傾向がある。
ムーニーの言う原則が何なのかはまったく分からないが、彼は5つの原則: (1)垂直的調整、(2)水平的調整、(3)リーダーシップ、(4)権限委譲、(5)権限を挙げていた。同様に、ギューリックは、部門化の基準(組織内で仕事をグループ化する仕方)として(a)目的別、(b)過程別、(c)顧客別、(d)場所別、(e)時間別、を提案している(他の文献では(a)目的別の代わりに(a)製品別を使うこともある)。ただし、個々の課業から組織目的に至る手段・目的関係の地図が先になければ、目的を過程別専門化から区別できないが、古典的文献では、そもそも手段・目的地図が命題の経験的検証にとって本質的だと考えていなかった。このように理論と証拠を突き合せないことは管理論の致命的欠陥であるが、その理由の一部は、操作化が難しいせいである。
生理学的組織論と管理論の重要な限界と広く実証面・定式化面で必要なものを指摘するためにそれぞれの理論を簡潔に概観してきた。生理学的組織論は、文献の中に見られる仮説や経験則の根底にある重要な関数の形を推定し、定式化することが最も必要である。管理論については、重要な変数の定義を操作化することと、操作化できる命題を経験的に検証することが緊急の問題である。これまで、 (1)動機づけの仮定が不完全、(2)組織的利害対立の役割をほとんど認めていない、(3)複雑な情報処理システムとしての限界からくる人間の制約条件をほとんど考慮していない、(4)決定だけでなく、課業の同定・分類における認知の役割にほとんど注意を払っていない、?プログラム作成の現象を軽視している、の五つの基本的限界に言及してきたが、以降の章では、これらの限界についての現在の知識を探求していく。
この章では、まるで機械で構成されているかのように組織を扱うと生じる予期しない結果について考察する。
生物としての人間を単純機械として見なす古典的理論で組織内影響過程を考察する場合、環境が個人に及ぼす刺激によって想起する心理学的集合―即ち反応―が、当初の予期と異なる結果となることがある。まずは影響過程を簡単に概説することから始めよう。個人に影響する「刺激」、刺激が想起する心理的「集合」・「準拠枠」、その結果生じる「反応」・「行為」について説明する。刺激が予期しない結果に終わるのは、
個人欲求・一次職場集団・大規模組織が相互作用するところに、3.2節では職場集団の社会学研究が焦点を当て、3.3節では仕事の心理学研究が焦点を当てる。
官僚制の近代的研究は、ウェーバーにまで遡ることができる。ウェーバーの関心は、官僚制組織が、個人や他の組織形態の意思決定限界・「計算」限界をどんな方法で(専門化、分業などで)克服しているのかを示そうとした。それに対し、本編で扱うマートン、セルズニック、グールドナーの研究と分析では、官僚制組織に必然の重要な逆機能を示唆しているうえに、個人を機械として扱うと、その意図しない結果が、かえって「機械」モデルの使用を助長すると仮説を立てた。
組織メンバーが反応を学習し、それが適切だった状況から他の類似状況に一般化して適用すると、組織の予期しない望まない結果に終わるというモデルである。この命題体系は、階層最上位による組織制御要求から始まっており、この要求は組織内行動の信頼性強調の増大となって表れる。組織メンバーの行動の信頼性強調と信頼性確保手法には、@人格的関係量の減少、A組織参加者による組織規制内面化の増大、B意思決定手法としての範疇化の使用の増加(代替案探索量の減少)の三つの結果を伴う。これらが結びつくことで、組織参加者の行動硬直性や集団メンバー間で知覚された目的共有の程度が増大し、組織メンバーの対外部圧力相互防衛性向がプラスに働く。行動硬直性の結果として考えられる帰結として、第一に信頼性要求の満足、第二に個人的行為防止可能性の増大、第三に組織の顧客との悶着量の増大が挙げられる。第三の帰結は顧客の不満足を引き起こすが、組織の不利益となるような事態に直面してもなお従来の手法を継続して利用する場合が多い。その要因として、公的組織の主要目的である「奉仕」と「公正」の間の対立が考えられる。
制限要求に対して、マートンは規則を強調したが、セルズニックは権限委譲を強調する。セルズニック・モデルの始点もマートン同様に階層最上位の制御要求であり、その結果、権限委譲の増大が始まる。これにより、以下の二つの結果が考えられる。一つ目は、意図した結果としての専門能力の訓練量の増大で、限定分野での経験を増やすことにより従業員の問題処理能力を向上させ、組織目標と実績の差異を縮小する狙いがある。二つ目は、意図しない結果として委譲により部門化し組織内下位単位間の利害分岐が増大することで、組織全体計画以上に下位単位目的に貢献することを求めてしまう。後者は組織下位単位間の対立を増大させ組織決定内容の内部化を一層強める要因となり、権限委譲の一層の増大を促す。日常的な決定に対するこうした効果は、将来的な決定への影響のみならず下位単位イデオロギーの形成をも引き起こす。その結果、下位単位は自らの要求の正当化を目指すために、下位目的内面化が更なる増大をたどってしまう。以上のことから、委譲が組織目的達成に機能的な結果と逆機能的な結果を併せ持つことは明らかである。このように、学習が適切に達成されないことは、「機械」モデルの枠組みの中では正常な反応ではあるものの、セルズニック・モデルには潜在的に組織メンバーが組織の制御に従うという「制動子」の存在が明示されており、これが組織目的の操作性や参加者による組織の内面化に適切に作用することで、委譲による逆機能的効果の一部は減少され、日々の意思決定の暴走傾向を抑止することができる。
グールドナーのモデルは、前出の2つのモデルよりも変数・関数の数では単純だが、2つのモデルの主な特徴は示している。マートンと同様に、組織構造維持のための官僚制的規則がどんな結果をもたらすのかに関心を持つ。マートン、セルズニック同様、下位システムの均衡維持のために設計された制御手法が、どのようにして上位システムの均衡を妨げ、下位システムにフィードバックされるのか示そうとしている。このモデルでは、階層最上位の制御要求への反応の一部となっているものは、仕事手続きを律する一般的・非人格的規則使用である。そのような規則使用が、職場集団内の権力関係可視性を減少させ、平等規範浸透程度とともに監督者の役割正当性に影響する。この監督者の役割正当性という変数を媒介として、権力関係可視性が職場集団内の個人間緊張の水準に影響を与えるとしている。彼の主張によれば、こうした規則制定の予期した結果が実際に起こり、一般的規則を作れば職場集団は事業単位として存続可能であることと、結果としてそうした規則の使用が強化されることが言える。仕事の規則は、同時に組織が意図しないきっかけをも組織メンバーに与えることになる。規則によって受容不能な行動を規定すると、最低受容可能行動の知識が増加し、低水準の組織目的内面化が一緒になると行動は最低水準に落ち、組織目標と実績の差異の増大という結果をもたらす。これに反応して、職場集団に対する監督の細かさが増大する。細かな監督は組織内権力関係可視性を増大させ、それが職場集団の緊張水準を上げ、元来規則の上に成り立っていた均衡が崩れるという逆機能的な結果をももたらす。
官僚制行動の主要3「モデル」の仮説は、きちんと経験的に実証されているだろうか。マートンは組織行動の一般的特徴から抽出したもので、セルズニックとグールドナーは、それぞれ一組織の実地長期観察に基づいている。しかし、(1)実地調査は、統計的推測の標準的手法が求める主な仮定の多くを満たせないし、(2)単一事例では調査設計の基本である標本サイズの決定が困難で、証拠能力が疑問視される。ただし、監督の細かさと従業員満足の関連についてはこの章の後半、葛藤・対立に関しては第5章で再登場し、他の証拠もある。
本章で検討された官僚制モデルに匹敵するモデルは他にもあるが、ここで取りあげた3モデルでは、いずれも@想起連鎖の広がり、A意図しないきっかけの存在、B組織的な逆機能的学習の3問題が発生しており、予期しない結果の大部分を説明しているように思える。
組織内個人行動の研究者は、組織行動モデルに勤労意欲・満足・凝集性のような概念を導入し、これを生産性に直接関連づけようと試みたが、一貫した単純な関係は出てこなかった。これから示そう。そこで、3.3節では個人満足と個人生産性の関係を概説し、勤労意欲と満足の概念で構築された単純な理論では、人間行動を上手く説明できない理由を説明し、3.4節では利用可能な研究データを使って、個人の生産動機づけの重要決定要因を探ろう。
従業員の二種類の決定には重大な違いがある。第一に、組織に参加するか組織を離れるかに関する決定。第二に、経営側が求める率で生産するかしないかに関する決定である。参加の決定と生産の決定は実質的に異なるが、両者の区別に失敗したことが、勤労意欲と満足に関する文献の混乱につながった。適応的で動機づけられた行動の一般モデルは次の命題群で表される。
逆に、従業員が不満足だと仮定すると、単純化して、彼が探索すると予測される3つの代替案だけに注目しよう。すなわち、従業員は、(1)組織を辞める、(2)組織に留まり生産する、(3)組織に留まり生産しない、のいずれかを選択する。(1)は次章で考察するので、(2)(3)に注意を絞ると、どちらの決定も従業員が自分の行動の結果と知覚する報酬をもたらしうるが、個人はしばしば、自分の報酬は自分の生産性とは無相関、あるいは生産行動と無相関か逆相関とみなしうる状況に置かれる。このことから、高い満足それ自体は、高い生産の特に良い説明変数ではなく、生産を促進する因果関係もないと結論してよい。また、高い満足や低い満足が組織内で伝染しやすい、ということについても十分示されていない。
次節では、心理学研究で今、「生産性」よりも関心が向けられている「生産動機づけ」について考察していく。
生産動機づけは、(1)代替案の想起集合、(2)想起代替案の知覚された結果、(3)個人目的、の関数である。以下3.4.1、3.4.2、3.4.3でそれぞれ(1)(2)(3)の要因について検討する。
どのような条件下=きっかけで個人は組織を辞める代替案を想起するのか(詳しくは次章)、これは一般には外部代替案の客観的利用可能性に依存する。またこれと並んで少なくとも4種類のきっかけ――経営側、課業それ自体、報酬、同僚――がある。
監督方式を【決定への参加】と【監督の細かさ】という2次元に分解して考える。
金銭的報酬がどれほど代替案想起に影響を及ぼすか? 代替案の想起集合が革新を含む確率は奨励金制度の種類の関数だとする仮説は合理的だが、この仮説の説得的な経験的証拠は存在しない。
職場集団内接触伝染に関しては、労働者個人で想起された生産率規範は、同じ課業の隣接個人行動を反映する傾向がある。
行為の代替案集合が想起されると、同時に結果・評価のネットワークも想起され、その後、可能な選択とありそうな結果が結びつく。結果の知覚の制御は決定的影響力の一つで、行為結果に関する個人の期待形成メカニズムが議論の中心になる。期待形成に使われる主な情報は次の3種で、それぞれ以下の通り下位システムをもつ。
個人は選好の事前構造(パーソナリティ)をもち、それに基づいて意思決定を行う。しかし、人間は機械とは違い、他者の価値と比較しその中で自身を位置づけ、他者の目的を自身の目的として受容するようになる。これが一体化現象である。このように組織にとって個人目的は所与ではなく、採用手続と組織的慣行の両方を通じて変えることができる。ここでは「集団化への一体化が強い程に、個人目的は集団規範の知覚に従いそうである」という基礎命題に基づき、一体化の強さに影響する要因を分析する。まずは基礎的枠組みを形成する七つの基礎仮説が提示される。
上では一体化(の強さ)に相互に影響する基礎変数を5つ特定した(図3.8参照)。続いて、この5変数に影響する要因について考える。
以上、集団一体化に影響し、それを通じて個人目的に作用する変数全般について確認した。(図3.10)つづいて、こうした変数が特定の種類の集団においてどのように機能するかを見る。
一体化の対象にできるものは4つある。(a)焦点組織の外部集団、(b)焦点組織それ自体、(c)焦点組織内下位集団、(d)職務に含まれる仕事活動、である。
一年目を除き、所与の組織での勤続が長いほど、個人の組織一体化は強くなる。そのメカニズムは、個人が組織に長くとどまるほど、組織内相互作用が増え、組織内充足欲求が増え、それゆえ組織一体化は大となる。組織内の縦の異動つまり昇進が大であるほど、個人の組織一体化は強くなる。縦の異動の期待は、部下・上司間に、類似感ばかりでなく相互作用の期待も生み出す。他方、階級を超えた縦の異動がほとんどもしくは全くない厳格な階級制度でも、高い一体化の逸話的事例があることから、異動と一体化の関係の手掛かりは、多分、文化で決まる職業的成功基準にある。監督習慣が組織一体化に影響する証拠がある。特に、監督者が組織メンバー個人の個人目的充足を容易にすると、メンバーの組織一体化が強くなるらしい。今までの主張に加え、さらに新たに、個人は、名声が低いと知覚する組織よりも、名声が高いと知覚する組織に、より一体化しやすいと主張する。とりわけ一体化は、個人が身分を得る手段である組織が見分けのつく製品を生産しているほど、メンバーの組織一体化は強くなる。組織に身分の高い職業・個人が多いほど、参加者個人の組織一体化は強くなる。組織が大きいと参加者個人の組織一体化は強くなる。組織成長が速いほど、参加者個人の組織一体化は強くなる。以上の要因に加えて、個人的経験が、名声の個人的評価に影響する。組織の名声要因全てが、個人が決めた基準と比較して判断される。
下位集団一体化でも、同種の命題を多く作ることができる。加えて、下位単位の名声判断基準―生産性―は組織が提供するが、この判断基準もまた一体化要因となり、組織内下位集団が生産的であるほど、参加者個人の下位集団一体化は強くなる。下位集団一体化もまた相互作用と欲求充足に依存するので、相互作用と個人目的充足を容易にする集団が、そうでもない集団より大きい凝集性を示すだろう。また、下位集団一体化は、下位集団規範の受容・服従を意味する。逆に言えば、そのような受容・服従が状況的要因で困難なところでは一体化は妨害される。
課業一体化は、同じ課業を遂行する個人からなる課業集団に対する一体化として考えるのが適切である。その課業集団は、課業の性質次第で下位集団のことも組織外集団のこともある。まず、組織外専門職集団一体化の原因は全て課業一体化にも等しくあてはまる。それに加えて、職務特性、組織勤続期間、組織内異動が、課業一体化に影響する。特定の課業が、最終的仕事というよりむしろ訓練として知覚されるほど、課業一体化は弱くなる。職務特性は、本来、すでに論じた別のメカニズムで課業一体化に影響する。一般に、組織メンバーの出自文化内で、ある程度欲求が共通であると仮定した上で、職務特性上職務を手段としての個人欲求の充足が許される時、強い課業一体化が予想される。
組織内下位集団・組織外集団は、経営側が定めた生産率の達成を頻繁に妨害できるが同時に、組織以外の集団が、組織目的と両立しない方向に必然的に作用しなければならないという理論的理由も出ていない。様々な状況下で、小集団による制御は制度的制御を妨害するよりむしろ補いうるのである。この節での被説明変数は、集団圧力が組織要求を支持する程度である。規範類似性が大きいほど、集団圧力が組織要求を支持する程度も大きくなる。@組織にとって所与の集団との規範の類似性は、ある程度「所与」であると同時に、A集団規範の形成方法は内容に影響するが、組織にとって「所与」と考えなくてもよい。この両タイプの状況を反映した三つの命題を述べることができる。
また、メンバー相互の集団圧力で到達する均衡は、互いに強化しあう圧力の累積効果で決まるだろう。一方の極では、任意の個人に対する純圧力は、他の人の規範の単純平均との差に比例し、集団はメンバーの初期平均でもある均衡規範へと動く。他方の極では集団は多数派の初期規範に同意する全員合意へと動く。実際の状況はこの両極の中間に存在する。
個人行動「機械」モデルは、参加者が同時に果たす広範な役割を無視しがちであり、役割調整の問題を事実上扱わない。特に、素朴な「機械」モデルに基づく監督行為が、組織が回避を望む行動に終わることは明らかである。さらに、本書の分析によれば、生産動機づけへの影響は、(a)個人の行為の代替案の想起、(b)個人が予想する想起代替案の結果、(c)個人が結果に付与する価値、の三つに及ぼす影響の関数である。それぞれは、一部は組織の制御下にあり、その制御量は、一部は組織の行動に依存する。
第3章では一般的な意思決定の枠組みで従業員行動を記述したが、第4章では労働者による組織への参加の決定――厳密には「退出の決定」――を探求する。参加の決定はバーナード=サイモンの「組織均衡論」という組織の存続条件理論の中心に位置づけられるものである。組織均衡の一般理論を考え、組織の主要参加者である従業員とその参加の決定に影響する要因を特定する。
組織均衡論の中心的公準は以下の通りである。
誘因−貢献効用バランスを直接推定するのに最もふさわしい尺度は個人満足を変形したものである。しかし臨界的な満足尺度の「ゼロ点」と貢献−効用バランス尺度の「ゼロ点」は必ずしも一致しない。前者のゼロ点は不満足の程度を話し始める臨界点であるため、要求水準と密接に関係し探索行動が増えると予測できる。一方後者のゼロ点は個人が組織を去っても去らなくてもよい無差別な点であると定義される。この両者のゼロ点が一致しないということは「満足」な参加者は組織を離脱することは少ないが、「不満足」な参加者であっても組織を離脱するのは一部の参加者にとどまることからも納得できる。知覚された利用可能な代替案の推定とともに使うという条件付きであれば、誘因−貢献効用バランスの測定尺度として個人が表明する満足を使うことは可能である。
効用関数に3つの仮定を置くことで効用以外で測定された誘因・貢献の変化を観察する方法でも効用バランスの推定が可能である。その3つの仮定とは効用関数は緩慢にしか変化しない、各誘因・貢献の効用関数は単調である、様々な種類の参加者がほぼ同じ効用関数を持っているというものである。第1の仮定で誘因・貢献の変化の短期的効果がフィードバック効果で乱れずに済む。第2の仮定で誘因・貢献の変化がわかれば誘因−貢献バランスの序数的予測が可能になる。第3の仮定で効用の個人間比較を回避し、一部、誘因−効用バランスの基数的推定が可能になる。
企業組織の主要参加者以外にも多くの個人が組織から誘因を受けその存続に貢献していると想定できるが、たいていの場合企業組織の参加者は従業員、投資家、供給業者、流通業者、消費者の主要5種類に限定される。この中でも、経営者層を含んだ従業員が最も目立つ者であり企業組織のメンバーシップは通常雇用と同様に扱われ、組織参加の部門でも最も多く研究されてきたのが雇用でありこの章では主に従業員の参加に注意を限定する。
従業員と組織の関係は、従業員が組織に参加するときに権限関係を受容するという一点についてほかの参加者とは異なる。従業員の組織への参加は、組織による命令を自分の行動前提とするという事と同義である。また、この受容により、組織は従業員に対し説得よりも強力な影響を与えることができるようになる。さらに、従業員が自発的に契約を結ぶのは、組織から指示された内容に対し、不快に感じないあるいは、感じた場合は補償があるときだけだ。ただし、事前に組織に最適な従業員活動を正確に予想できないときもあり、これは権限関係確立が組織に有利であるいうことを意味する。
従業員の各行動側面は、雇用契約条件を使えば、(a)雇用契約に明記する、(b)従業員の裁量に任せる、(c)雇用者の権限とすることができる。(a)にすべきものは鋭い利害対立があるもの、利害に不確実性が伴うものである。(b)にすべきものは雇用者にあまり利害はないが従業員の利害が大きいものである。そして(c)にすべきものは雇用者の利害は比較的大きいが、従業員にとっては重要でなく、かつ雇用者が実行前に正確に予想しえないものである。このような雇用契約を守らせることは組織全員が関心を持つ一方、潜在的対立問題を含む。
参加の判定基準には次の三つが使える。(i)労働者個人の生産量基準、(ii)欠勤基準、(iii)離職基準である。一見これらはすべて組織からの解離程度を示しており、共通連続体の上の異なる点に思える。しかし、実際は一貫した関係はなく相関は低いときも高いときもある。
欠勤率と自発的離職率が負の相関をする条件は、欠勤に対してひどい処罰を与えることである。すると辞職しない者は低欠勤になる一方で、辞職率も高くなる。また組織退出が制限されている場合、自発的離職率は低いが、それと同時に比較的高欠勤になるだろう。
欠勤と離職が正の相関をする条件は、(A)勤め先の要求回避の動機付けは誘因−貢献バランスの不満足から生じる、(B)たいていの人にとって一時的欠勤で安楽をもとめる動機づけと辞職の動機付けには一貫した関係がある、(C)人の不満足の要因は個人特有のものではなく、労働者全体に普遍的である、というこれら三つの仮定の下で、かつ処罰が一般的の時である。このように、どの参加基準を選択するかで参加についての命題が大きく左右されることがわかるが、ここでは離職基準を採用することが提案されている。
誘因−貢献バランスの増加は参加者個人の退出性向を減少させ、バランスの減少は逆の効果を持つという一般公準を置く。また、誘因−貢献バランスは知覚された組織退出願望と、知覚された組織移動容易性の関数であり、これらは完全な独立要因ではない。満足要因は欠勤、自発的離職率両方に有効な普遍的要因であるが、退出形態の結果が異なるゆえに生じる。一方、組織退出の知覚された容易さは離職と欠勤ではしばしば全く異なる。
ここからは知覚された移動願望に影響する要因を列挙する。まず、組織退出の動機付けの主要因は従業員職務満足度だけである。個人の職務満足度が大きいと知覚された移動願望は小さくなる。個人が仕事を辞める動機づけについての主題命題は次の三つである。
このうち1については、まず監督習慣と従業員独立の一致性が大きいほど、職務特性と個人自己イメージ間の葛藤は小さくなる。つまり職場での独立と制御の対立が職務不満足を生み出すのだ。また組織が提供する報酬が大きいほど葛藤は小さくなる。さらに、個人の職務割り当て参加が大きいほど、葛藤は小さくなる。なぜなら、実際には、個人にとっていくつかの代替案は無差別ではなく、他よりも選好するということがあるからである。また、要求水準同様に自己イメージも経験、教育水準、他者との比較などにより変化する。例えば、レイノルズは肉体労働集団では高校教育を受けていない者より高卒の方が辞めがちだと述べている。また、昇進・昇給が定期的ならば、将来も同様に上がるだろうと要求水準が設定されるが、出世階段の途中で、増分の率や絶対額がかなり減少すると、自己イメージと職務の乖離は大となり、不満、自発的退出が起こる。
また3については、職務が求める活動で、他の社会集団の通常の期待を満足させることが困難になるほど、知覚された移動願望は大きくなると予測できる。たとえば、昼間勤務より夜間勤務の方が、通常より長い時間家を不在にする方が、頻繁な転居を伴う職務の方が両立は難しくなる。
さらにもう一つ命題を挙げるとすると、組織規模が大きいほど知覚された組織内異動可能性大きくなり、退出願望は減少する。これは規模が大きいほうが、離職が異動に代替される可能性が高いからである。
労働者離職率の単一予測指標として最も精確なものは経済状況である。全国離職率のような総体統計であっても、総計の解雇・一時帰休率と強い負の関係を示す。本節の目的はこの命題に改良を加えることである。個人の知覚された移動容易性は、組織可視性と就職口利用可能性によって決まる。つまり、知覚された組織外代替案数が多いほど、知覚された移動容易性は大となる。潜在的従業員には、主に労働者としての専門能力に関連する多くの属性がある。そして、組織は、相当する属性の組み合わせによって労働者を格付けすることが出来る。また、組織拡大期には解雇はなく、収縮期には雇用がないというように、解雇・雇用は一時点ではどちらか一方である。以下、この条件の下で議論を進める。 所与の組織からの移動容易性の個人知覚は、
しかし、そもそも、経済状態の変化の効果が違うのは、個人属性が個人の雇用可能格付けを定めるためである。以下、個人格付けの影響要因を明らかにする。組織外代替案の知覚された利用可能性は、参加者の性別の関数である。一般的に、男性労働者は女性労働者より移動を容易と知覚する。組織外代替案の知覚された利用可能性は、参加者の年齢の関数である。高齢であればあるほど、知覚された移動容易性は小となる。また、属性の格付けでは年齢はマイナス要因であり、若い人の方が離職率は高くなる。組織外代替案の知覚された利用可能性は、参加者の社会的身分の関数である。低身分集団のメンバーは、高身分集団メンバーに比べて、移動容易性は小となる。
これら静的な特性以外にも、動的な特性が組織外代替案の知覚された利用可能性に影響を与えることがある。組織外代替案の知覚された利用可能性は、節約技術の関数である。例えば、技術変化やオートメーション化などは、格付け入れ替え効果を発揮する。また、従業員の勤続年数が長いほど、専門化は大となり、専門化が大となるほど、知覚された組織外代替案数は少なくなる。個人が一組織に長くとどまると、従業員に蓄積する技能は組織特殊的になる。そのため、組織側は非常に高いコストでしか交代要因を見つけられないのと同時に、従業員も別の就職口を見つけるとすれば非常に高いコストが必要となる。多くのデータも、技能水準と自発的離職率の負の関係を示している。
ここまでの命題は、就職口の実際の利用可能性の変化(雇用・解雇分岐点の差異または雇用可能性の個人差)を通して作用する。しかし、代替案の知覚は、一部は実際利用可能な代替案に依存し、一部は想起メカニズムに依存する。参加者の可視組織数が大であるほど、知覚された組織外代替案数は大となる。なぜなら、調べる組織の数が多いほど、雇用・解雇分岐点以上の代替案を含む確率は高くなるからだ。そして、組織の可視性は、組織の名声が大きいほど大となる。また、組織の潜在的メンバーの代替案探索活動は地理的要因に制限され、組織に関する情報は距離が遠くなればなるほど減少する。それゆえ、従業員の個人的接触の異質性が大であればあるほど、可視組織数は大となる。例えば、個人の参加ネットワークが多いほど、知覚された移動容易性は大きくなる。個人に限らず、組織も代替案を探している。そして、組織の探索方式を決める要因が、個人の探索の成否に影響する。組織から見た個人の可視性が大きいほど、個人からみた可視組織数は大になる。それと同時に、個人から見た可視組織数が大であるほど、関連組織から見た個人の可視性は大となる。これら二つは強い双方向の関係がある。
組織の可視性に影響を与える変数は前に示したので、以下では、個人の可視性に影響を与える個人特性を示す。個人は、接触する組織の範囲が広いほど可視的である。個人は、社会的身分が高いほど可視的である。個人は、独自性が大きいほど可視的である。但し、これら命題は経験や直感以外の証拠はない。
最後に、個人の探索性向について考察する。任意の時点で、個人は利用可能な代替案を選ぶだけではなく、追加的に代替案を探索すべきかを決めなくてはならない。個人の探索性向が大であれば可視組織数は大となる。一方、個人の探索性向は、職務満足が大きいほど小となる。前節でも触れたように、満足・不満足の尺度には、個人が新規代替案を調べ始める臨界水準が存在する。これら探索関連命題の関係から、前節の知覚された退出願望と本節の知覚された移動容易性の間に相互依存性があることが分かる。例えば、不満足であれば、退出願望が高まり、探索性向を刺激することで、移動容易性を高める。
習慣も探索を制限するように作用する。特定職務・組織に対する順化が大であればあるほど、代替案の探索性向は小となる。代替案が習慣的に選ばれるのは、その代替案が受容可能なしるしであるという考えに立つと、この命題は前の命題に含まれると考えてもおかしくはない。しかし、特に要求水準への順応が許される場合、今の満足は過去の満足と切り離すのが望ましい。順化によって、考慮される代替案の範囲は厳しく狭められ、それゆえ個人は、特定の選択を評価・選択の対象から取り除いてしまう。その結果、就職口は変数ではなく、個人ごとに定められた定数となってしまう。また、順化は勤続年数の長さや年齢の関数であるという仮説を立てても、勤続年数・年齢と離職の関連を示す結果はその他にも多く、順化は作用するメカニズムの一つにすぎない。
ここまでは、従業員の参加に影響する要因について詳しく論じてきた。組織システムにとって重要である他の参加者――買い手・供給業者・代理店・投資家――の参加の決定については、詳細には扱えないが、従業員の参加の決定についての命題を拡張して、手短に考えてみよう。
従業員参加についての主要2変数は、@知覚された退出願望、A知覚された移動容易性、であったが、従業員以外の参加者にも、これと似た主メカニズムが働く。主メカニズムが働くのは確かだが、既述の各命題の直接的類推がすべての参加者について行えるかというと、そうではない。例えば、投資行動と従業員行動は、代替案の相対的比較可能性で異なる。また、消費者行動と従業員行動は、「無為」がひとつの代替案になるかならないか、という点で異なる。
このような違いを前提として、以下、従業員以外の参加者への拡張を考えていく。主要仮説だけを考えると、基礎的変数は次の四つである。
組織内外の条件の変化により誘因−貢献バランスが減少したり、組織存続が危機を迎えるようなときは、組織メンバーは、活動の変化や新活動の創始をして、バランスを回復しようとする。通常は経営者、行政官がこの調整の責任を持つが、時折他の集団もこの機能を果たす。この「機会主義」的過程においては、試みる変化の種類と順番が大部分決まるという点で、活動的個人・集団の一体化が重要である。
組織の誘因−貢献バランスにおける機会主義的変化が起きるとき、その変化の起点の個人が一体化する対象は、手つかずに残されがちである。@組織目的、A組織内社会集団、B個人目的、などに一体化しうるが、@の場合は組織目的の維持を保ちながら変化させていく一方、AやBにおいては、組織目的維持は必ずしも重要条件ではなくなる。
組織活動に影響を与えられる集団にとっては、機会主義は低満足時に想起される組織退出の代替案である。これが想起される確率は、@組織活動決定に影響力があるという参加者の自覚、A他組織からの代用誘因が容易に利用可能ではないという知覚、B個人的な重要特定誘因を破壊せずに誘因−貢献バランスを回復する可能性、という3変数で大きくなる。
組織内決定同様に、組織にとっての参加の決定は、古典的理論の示唆よりさらに複雑・重要である。この章では、バーナードの誘因−貢献公準と労働者の離職率を検討し、従業員参加モデルの拡張にも触れた。誘因−貢献公準の検証には、誘因・貢献のそれぞれの測定が必要である。この問題は、次の3仮定が満たされる水準に依存して難易度が変わる。@個人効用は緩慢に変化し、A効用関数は単調で、B様々な種類の人がほとんど同じ効用関数を持っている、という3つである。また、誘因−貢献バランスは、@知覚された組織退出願望と、A知覚された組織移動容易性、の二つの主要構成部分からなる。前者は、今の職務に対する個人満足と知覚された組織内異動可能性の関数で、後者は、知覚された組織外代替案数の関数である。組織不満足は、参加者が「雇用契約」を所与としているか否かにより、退出につながりうる。契約が変更不可の場合は、選択は受容か拒否しかないが、契約が変更可の場合は、内部の対立と交渉がありえうる。これが一因となって組織に参加することに繋がるのだ。こうした組織の葛藤・対立は非常に組織論にとって重要であるので、以下の章ではこれについて考えていく。
本章ではconflictをテーマに話を進める。conflictとは様々な意味を持つ多用途の用語であるが、ここでは「標準的意思決定メカニズムが停止し、個人・集団が行為の代替案の選択に難儀すること」という一般的定義の下に議論を行うこととする。ここで、前章で述べた意思決定モデルに基づくと、葛藤・対立現象は以下の3種類に分類することができる。
本章の主眼は、2.組織内葛藤 について以下の問いに答えることにあるのだが、1.個人的葛藤 や 3.組織間対立 を無視することは出来ないため、以下ではこれらについては主要な命題にのみ触れることとする。
複雑化を避けるため、以下のように意思決定メカニズムを仮定する。
組織内では、各メンバーは組織が利用できる(または見かけ上利用できる)代替案を評価することができる。組織内の葛藤・対立は、
広範に個人的葛藤がある限り、組織内集団間対立は最小化する。一方で、不確実性と受容不能性がないと個人的葛藤は起こりにくくなるが、そのことが集団間対立の十分条件というわけではなく、個人的葛藤がないと仮定したうえで組織内集団間対立を生むメカニズムを特定する必要がある。集団間対立の必要条件は、個人的葛藤がないことに加えて、組織内の参加者間で@能動的な共同意思決定の必要感が存在し、A目的差異B知覚差異のどちらかないしは両方が存在することが条件である。ここでは、この3要因は潜在的対立量に正の影響を及ぼすが、厳密に加法的ではないということを主張している。
共同意思決定が必要のない組織では、参加者間の広範な不一致を許容できるため対立は小さくなる。@共同意思決定の必要感は、資源配分に関して有限資源相互依存性が大きいほど大きくなり、計画に関しては活動タイミング相互依存性が大きいほど大きくなる。したがって、共通サービス単位を共有する単位間ではより対立が多く、サービス単位の提供資源を巡る対立になることや、流れ図的に互いに隣接する単位間ではより対立が多く、資源・製品などの流れを巡る対立になることが予想される。これらの対立は、緩衝在庫などの緩衝帯を設けることで人為的に抑えることはできるが、最終的に資源配分を巡る対立における共同意思決定圧力の強さは、組織の利用可能資源の大きさに依存するだろう。つまり、環境の気前良さが大なほど、有限資源相互依存性は小となり、@共同意思決定の必要感も小さくなる。また、共同意思決定の圧力は、調整の必要性についての個人の判断を通して作用するものであるが、自分より下位の諸単位は相互依存的で、自分の単位は自己完結的だと見えると考えられるため、相互依存性の高い下位単位を内部調整しなければならないと考える高い組織層ほど@共同意思決定の必要感は大きくなる。
これまで、組織目的を所与とし個人目的の差異や知識の個人的差異を考慮しないものとしてきたため、企業経済理論においては組織内集団間対立に注意を払ってこなかった。また、雇用契約に集中することで、個人の動機づけの違いも捨象されてきた。さて、参加者個人間・下位単位間の目的分化に影響する組織特性は大きく3つに分類される。
組織内の対立は、目的対立だけでなく情報の量・種類の違いによっても起こる。認知と個人目的の間には相互作用があり、個人目的分化が大であるほど個人知覚分化も大であり、この価値観・期待一致圧力は、部門化と下位集団内社会的影響構造により強まる。さらに、組織特性が参加者間の情報共通性に影響する主要3方式は次の通りである。
本節では、組織内葛藤・対立が説明変数となっている命題を考察する。ここでは、個人の場合と同様、組織内葛藤・対立は安定した状態でないこと、個人的葛藤・集団間対立両方の解消に意識的に努力が向けられていることが仮定されている。このような仮定の下で、組織の葛藤・対立に対する反応は以下の4過程が認められる。
葛藤・対立解消のための分析的過程の使用の程度は、当該組織内葛藤・対立の種類の関数である。すなわち、組織内葛藤・対立において、個人的葛藤の性格が強ければ分析的過程、集団間対立の性格が強ければ交渉による解消を行う可能性が、それぞれ高くなる。ただしこの主要2過程は不変のものではない。なぜなら、2過程は組織に対して異なる効果があるからである。特に交渉はほぼ必然的に組織内の身分・権力体制に負担をかけることになる。そのため、経営側は、まるで集団間対立を個人的葛藤であるかのように知覚してしまうと予測される。以上から、組織内葛藤・対立の解消過程の選定をまとめると、以下のように予測される。
組織間対立は、組織内集団間対立とほとんど見分けはつかないが、一般には、組織間と比べ、組織内集団間の対立では分析的過程の使用圧力が大きくなる。よって、組織間対立の文献では、交渉過程による対立解消について多く扱われてきた。そこで、以下ではその数ある文献の中で、とくにゲーム理論において、(1)どの提携がプレイヤー間で形成されやすく、形成後は安定的か。(2)交渉の結果はどうなるのか? を手短に検討する。
フォン・ノイマン=モルゲンシュテルンによれば、n人ゲームにおいて、すべての可能な提携が考慮され、各プレイヤーはゲームの完全知識をもち、各プレイヤーは結果と試行について期待効用最大化に必要な選考順序をもち、支払いは無限に分割可能で自由に譲渡可能な商品によってなされるという仮定があるとき、提携の形成について、ある「合理的な」質的命題が導出できる。しかし、経験的証拠による批判から、きわどい仮定については、緩和・変更が試みられてきた。とくに提携集合を限定しようという試みは興味深く、ルースは、提携の変化が通常はほんの小さな部分的変化だとした。この制約は、1つ以上の安定的提携の存在を許し、最終提携はゲーム特性だけでなく初期提携にも依存することを示している。このルースの均衡理論も、探索行動の理論と見ることができ、もしそれに探索強度を制御するメカニズムを加えれば、本書の数カ所で論じてきた種類の行動モデル例に近づく。
交渉結果についての議論は以下の3つを示す。
本章では、2種類の組織内葛藤・対立: (A)本質的に個人内葛藤で、組織メンバー自身での選択が難しい、(B)個人間対立で、組織メンバーは互いに矛盾する選択をする、について、それぞれ、(1)どのように生じるか、(2)葛藤・対立の結果どんな行動になるか、を示してきた。この議論の中、数カ所で動機づけ要因と認知的要因の間の相互作用が相当あることが認められた。そこで次章では、意思決定者として合理的であろうとする人の属性に、直接焦点を当てることになる。
この章と次章に渡って、組織メンバーの特性集合のひとつである合理的人間としての特性に焦点を当てる。最終的には、こうした研究とその組織的意味で締めくくり、本書の次の主要2課題が完了する。
経済学や統計的決定理論の合理的人間は、高度に特定化され、明確に定義された環境の中で、以下のように「最適な」選択を行う。
上記のような合理的人間のモデルは問題を有する。第一に、常識的な合理性概念と合うのは、確実性の場合のみだということ。第二に、選択メカニズムに次のきわめて重い3仮定を求めること。(1)すべての代替案は所与である。(2)各代替案のすべての結果を知っている。(3)可能なすべての結果集合に対して完全な効用順序をもっている。客観合理性の概念は、「真の」代替案、「真の」結果、「真の」効用が存在する何か客観的な真実の存在を仮定しているが、そうであれば、リスク下や不確実性下の選択を客観合理的とは認めがたい。反対に、もしそうでなければ、合理性モデルで、結果の知識限界だけを考慮し、代替案・効用の知識限界を無視するのはおかしい。人間は、ある特定の準拠枠から見た相対的合理性しか語れない。そうだとすれば、古典的組織論において、合理性の主観的・相対的特質を明らかにしなかったがために、吟味することなく前提とされてきた、組織的・社会的環境それ自体を理論的に定め、予測する必要がある。
ここで提起される合理的選択の理論は、次の二つの基本的特質を組み込んでいる。(1)選択は常に現実状況の限定的で近似的で単純化された「モデル」について行われる。このモデルは選択者の「状況定義」と呼ばれる。(2)状況定義の諸要素は「所与」ではなく、それ自体が心理学的・社会学的過程の結果であり、その結果には選択者自身の活動とその環境内の他者の活動が含まれる。活動は、通常ある種の環境刺激までたどることができる。刺激への反応は様々で、一方の極では、刺激は反応を想起する。刺激が過去に繰り返し経験してきた種類のものであれば、その反応は高度にルーチン化され、刺激はほぼ瞬時にプログラムを想起する。もう一方の極では、刺激は問題解決活動、すなわち反応を成就する実行活動を見つける活動を想起する。刺激が新奇であれば、はじめは状況定義の構築、それから一つ以上適切なプログラムを開発するための問題解決活動を想起する。
選択に適した範囲の代替案・結果を発見する場合において、最適な代替案の発見と満足な代替案の発見とでは根本的な違いがある。代替案が最適であるとは、(1)すべての代替案を比較可能な基準の集合が存在し、(2)その基準で、当該代替案が他のすべての代替案よりも選好されるときのことを意味する。一方で、代替案が満足であるとは、(1)満足できる中で最低の代替案を表現する基準の集合が存在し、(2)当該代替案がその基準すべてを満たすか上回るときのことを言う。たいていの人間の意思決定は、満足な代替案の発見と選択に関係しており、例外的な場合にのみ、最適な代替案の発見と選択に関係する。
ある種の状況下では探索・選択過程は非常に短縮されるが、その極限では、環境刺激が即座に組織から高度に複雑かつ組織化された反応集合を想起する。このような反応集合を、実行プログラムあるいはプログラムと呼ぶ。たいていの行動、特に組織内行動はプログラムが統御している。ただし、「プログラム」は完全に硬直というわけではなく、その内容は多数の起動刺激特性に順応してもよい。プログラムは起動刺激と無関係なデータにも左右されるため、実行戦略と呼ぶほうが適切であるとも言える。刺激に対する固定的反応の開発により選択が単純化されていたり、探索が省略され明確に定義された体系的計算ルーチンの形で選択が残っていたりする場合、その活動はルーチン化されているという。逆に、問題解決的なプログラム開発活動が先行する必要がある場合は、その程度に応じて、活動は非ルーチン化とみなされる。
特定の組織がどのようなプログラムを使用しているかを測定する方法は以下の様にいくつかある。
オートメーションの普及が証明しているように多くの人間活動はプログラム化可能である。ただしルーチンの仕事でもプログラム内容は多様であり、事実、プログラムは活動のタイミングより内容の方を細かく指定し、使用法の詳細よりも製品の明細の方を指定する。プログラム内容とは、そのプログラムが果たすあるいは果たそうとする機能に関係し、組織目的に合わせて修正される。主要機能として
プログラムの構造は、
組織参加者への自由裁量の量と種類は、その人のプログラム内容が活動(手段)と製品・結果(目的)を指定する関数である。手段より目的の指定に向かうほどプログラム実行者には手段選択の自由裁量がより認められる。また伝統的合理的行動理論の枠組みでは自由裁量の余地を見出すのは難しいが、この理論では現象全体を自由裁量で扱える。
組織のプログラム化活動の全体パターンは、各々が適切な想起ステップを経て起動するプログラム実施の複雑なモザイクである。刺激に対して満足な反応でよいときは、他の刺激を考慮しなくてもよい水準に基準を設定すればよいため、プログラムの相互依存性は低下する。また、プログラムAがプログラムBの高次プログラムである場合、
組織メンバー間の階層関係とプログラム要素間の階層関係は類似度がかなり高い。組織は保有するプログラムのレパートリーで状況を処理する。新たな状況に対して新たなプログラムを構築することはせず、既存の低次プログラムを組み替えて適応する。上層に進めば進むほど複雑になる相互関係を、より相対的な形で扱うために考慮する代替案を、既存のプログラムの組み替えに限定するのである。
人間の合理的な行動とは、所与の特性集合からみて相対的に合理的であるに過ぎない。@未来事象の知識・過程・確率分布、A利用可能な行為の代替案の知識、B代替案の結果の知識、C結果や代替案に選好順位をつけるルールや原理。この4つをもとに行為者は状況の定義を行う。状況の定義に至るステップは感情と認知の過程が複雑に織り成すものである。感情の過程については第3章で言及。認知の過程は、目的への到達手段を決める際状況定義に入り込む。また、目的形成過程にも入り込む。
合理的行動を行うには、複雑な現実を問題解決過程で扱える程単純なモデルへ置き換えることが必要である。問題を単純化するために、問題を多数のほぼ独立な部分に因数分解し、別々の個人や集団でひとつずつの部分を扱うことが基本的な手法である。因数分解の方法は、手段・目的分析をとる。これで特定した手段は個々の組織単位に割り当てる下位目的となる下位目的に照らして課業を組織単位に割り当てたとき、組織単位での決定では他の下位目的や組織全体目的の他側面を無視する傾向にある。これは注意の焦点の移動による。この傾向は個人内・組織単位内・組織単位環境にある少なくとも3つの認知のメカニズムで強化される。
前述の「所与のもの」について言及されている。
分業を議論するうえで2つの区別がある。
伝達が必要な場合は次のように5つに分類することが出来る。
組織内伝達効率(調整用伝達の処理能力)が大であるほど、相互依存許容度(組織が、複雑で高度に相互依存的な活動パターンを維持する能力)も大となる。これには量的かつ質的な問題がある。相互依存性への組織の許容度を増す方法として、(1)フィードバックによる調整に代えて計画による調整を代用することで、日々必要な伝達量を減らす、(2)比較的少数の記号(=標準化された言語)で大量情報伝達を可能にし、伝達効率を増す、というものがある。(2)の「標準化された言語」の例としては青写真や会計制度、その他数値データを用いる報告制度が挙げられている。これらの取り決めは、より一般的な現象である技術用語の例である。技術用語は、その記号が組織メンバーにとって明確かつ共通の意味を持つ。
分類表は、伝達のプログラム想起局面で特に重要である。ある種の組織反応を呼び出す事象(=刺激)が発生したとき、「これはどんな種類の事象か?」のような形の問いがなされる。組織は刺激への利用可能な反応レパートリーをもち、いったん刺激が分類されれば、苦もなく適切なプログラムを実施することができる。このように、分類が伝達を節約する理由は、調整の大部分を事前にプログラム化できるからである。
われわれの文化では、具体的対象の描写・伝達のために言語がよく発達しているため、たとえ無形でも、分類・名付け可能なものの伝達には、言語は非常に有効である。たとえば、プログラムの標準的レパートリーがあれば、それを引用するのは容易である。他方で、無形かつ標準化されていない対象の伝達はきわめて難しく、組織課業のあまり構造化されていない側面(特にまだよく定義されていない問題の説明)で、伝達システムには最も負荷がかかる。
組織における技術的語彙と分類表は、組織の問題を分析・伝達する際に使う概念一式を提供する。この概念に照らして容易に描写・議論できるものはすぐに組織内で伝達できるが、概念体系に合わないものは伝達に困難を伴う。組織メンバーは、組織の語彙に反映された特定の概念に照らして世界を知覚しがちである。このような組織の概念体系の具象化は、不確実性吸収において特に注目される。不確実性吸収は、一群の証拠・推論から推論を引き出し、その推論を証拠それ自体の代わりに伝達するときに生じる。またこの過程を通じ、伝達の受け手は、その正しさの判断能力をひどく制限される。大体において受け手はそれまでの編集過程に信頼を置かねばならないし、もし伝達を受け入れるなら、そのまま受け入れなければならない。専門化のため、たいていの情報はごく特定の箇所から組織に入る。自分の直接知覚を要約・評価し、組織の残りのメンバーに伝える人は、組織的行為の前提の重要情報源であり、大きな自由裁量と影響力を行使する。不確実性吸収の量と場所の両方が組織の影響構造に作用するということができる。不確実性吸収方法は、組織単位間調整に重大な結果を招くため、組織の全部署が同じ前提(=公式予測、正統化された「事実」)を基礎に行為をすることが大切である。
各プログラムには、その想起・実施に必要な刺激・データ伝達の情報の流れが結びついている。一般にこの伝達は、情報と刺激は源から決定点まで動き、指示は決定点から行為点まで動き、結果情報は行為点から決定・統制点まで動くという経路を通る。合理的な組織設計には、伝達負荷を最小化するような経路配置が必要であるが、情報の始点と行為点が先に決まっている限り、可動要素は決定点だけである。決定正統化の公式権限のある職位が何であれ、かなりの程度まで不確実性吸収点での自由裁量が有効に行使される。
伝達経路は、一部はプログラミング過程で慎重かつ意識的に計画され、一部は使われて発達する。発達について二つの仮説をたてる。(1)経路の伝達効率が高いほど、伝達経路使用はより大となる。(2)経路使用は自己強化傾向がある。経路が一目的で頻繁に使用されるとき、それとは無関係な他目的の使用も進む。 伝達経路パターンがいったん確立すると、意思決定過程、特に非プログラム化活動に重要な影響を与える。その影響の性質として、まず、伝達の既存パターンにより、特定の組織メンバーが探索過程で遭遇する刺激または刺激の種類の相対頻度が決まる。また、伝達パターンによって、行為者の注意が、行為の特定の結果にどれほど頻繁かつ強く向けられるかが決まる。時間圧力効果に関する命題(=注意の範囲を決める特に重要な変数は時間圧力である)から、締め切りがあって時間圧力下で行われる非プログラム化活動の方が、比較的緩慢で慎重な決定過程の活動よりも、伝達パターンの影響が大きいと予測することができる。
第6章の中心的テーマは、組織の構造・機能の基本的特徴が、人間の問題解決過程と合理的選択の特性から導かれるということであった。個人・組織が直面する問題の複雑性と比べて、人間の知的能力には限界があるの合理的行動には、問題の複雑性すべてではなく主要点のみをとらえた単純化モデルが必要となる。単純化には次のような特徴がある。
行為は目的指向的かつ適応的である。しかしその近似的で断片的な性格のために、ある一時点においてシステムの適応的な要素は少しだけで、残りは少なくとも短期では一定である。そのため個人や組織は、特定状況に合うように、プログラムを改良するか、あるいは既存レパートリーから適切なプログラムを選択する。このとき、両方が同時に起こることはめったにない。このような「他の事情が同じならば」という適応行動への接近法は「組織構造」と呼べる何かの存在に根源的である。組織構造は、組織内行動パターンの比較的安定的で緩慢にしか変化しない局面のみから成り立っている。
組織がプログラムのレパートリーをもつならば、各発生状況に適したプログラムをそのレパートリーの中から選ぶ手続がある限り、短期的に適応的である。もし、組織がそのレパートリーにプログラムを加えたり、レパートリー中のプログラムを修正したりする過程をもつならば、この過程が長期的適応達成を支えるものとなる。短期的適応はわれわれが普通問題解決と呼ぶものに対応しており、長期的適応は学習に対応している。
合理性の限界がある(=状況に、一定に違いない要素または実際に一定の要素、そして潜在的戦略的要因として合理的計算に入らない要素がある)限り、組織はここで定義した意味での構造をもつ。もし合理性に限界がないならば、あるいは限界が急激かつ予測不能に変化するならば、安定的な組織構造はありえない。構造の一部の局面は他の局面よりも容易に修正されるため、短期の構造と長期の構造を区別する必要がある。
第6章は、大部分が短期構造(=適応行為を要する一連の状況に反応するプログラム)に関係してきた。次の章では、長期的考察、特にプログラムを生み出し、修正する組織内過程に注意を向ける。
本章では、組織内変化、プログラム開発の過程の対する合理性の認知限界の影響を、より完全に分析する。
合理的選択理論では、既存プログラムの継続と変化を区別してこなかった。しかし、既存、継続が明示されていない定式化でも、埋没費用の顕在化により、それらの区別を公式化し、選択に影響させることができる。 現行プログラムを継続すれば、埋没費用は除外されるが、代替的プログラムを発見、開発すれば、ほぼ常時、埋没革新費用が付随する。ゆえに、革新費用はプログラム継続の原因となる傾向がある。革新費用は、正確な見積もりが難しく、また可能なときもめったにしない。個人や組織は明確な評価ではなく、現行為に不満足があるときのみ、継続以外の代替的行為の探索、検討を行う。そのため、満足が増すと探索量は減少し、プログラム継続が促進される。一般に、意思決定の影響過程類型は、選択問題類型の関数である。つまり、代替案択一型の選択問題では、あるものを他より魅力的にする影響過程が機能するが、変化か継続かを選択するときは、大半の影響過程は創始にあり、特に代替的行為がなければ、@未解決問題を解く、Aたとえ満足な受容プログラムでも改良する、ことによって代替案を示唆する。ゆえに、影響過程を観察すれば、代替案択一型と新規、既存から選択する状況とをはっきり見分けることができる。また、創始、革新が存在するのは、変化が組織のレパートリーになく、プログラム化された切り替えルールの単純適用でも対応できず、新プログラムの考案、評価を要するときである。ゆえに、プログラム化された切り替えルールも含めてプログラムを記述できれば、通常の行動変化と新プログラム創始を意味する変化を区別できる。
通常一組織が引き受け可能な無為の量には限界はなく、無為は資源を奪わない。例えば、最適化組織、個人と比べ、満足化組織、個人には行為と無為の区別が重要である。なぜなら後者は無為では達成しないときのみに行為を考えればよいからである。この区別の重要性は環境特性にも依存する。大部分が空虚な世界では、特定のプログラムはそれが満足すべき基準以外にはほとんど影響しない。ゆえに、受容可能水準決定ルールの使用が大きいほど、そして環境複雑性が小さいほど、プログラム局所変更の使用は大きくなる。
人間の問題解決には記憶が大きな役割を果たす。記憶には、過去に遭遇した問題類に対する可能な解決法のレパートリー、問題解決の構成要素のレパートリーの両方がある。問題解決が、ほぼ完成形で記憶されている解決法を比較的体系的に探索するものであるとき、「再生産的」といい、多少「原」材料から新しい解決法を構築するとき、過程は「生産的」といわれる。用いられる問題解決類型は、問題の特性と問題解決者の過去の経験に依存する。プログラム化活動は再構成が必要なことが多いが、「再生産的」に解決され、革新における非プログラム活動は、大量の「生産的」問題解決を必要とする。
目的達成活動のプログラム探索では、一般に次の順序で変数群間を注意の焦点が移る傾向がある。
個人と集団の問題解決過程はどの程度共通、類似しているのだろうか。多数の研究者は個人状況よりも集団状況の方が問題解決研究には良い機会になるとし、暗に2つの過程にかなりの類似性を仮定している。しかし、両者の違いを検出する際は、問題解決過程に対する集団効果として、1.共同判断の効果、2.直接の社会的影響による問題解決法の修正 の2類型に分け、それを説明する要因として次のようなものを挙げている。
集団問題解決で重要なのは提案された解の正しさを評価する能力は正しい解を発明する能力と必ずしも同じではない。つまり影響理論が意思決定の評価面だけでなく、想起現象も扱わねばならないという一般命題の支持になる。
組織における革新の理由は、利用してきたプログラムがそれまで満たしていた基準をもはや満たさないことの理由によって説明される。この満足基準は心理学の「要求水準」概念と密接に関係しており、中でも要求水準が次第に達成水準に合致していく傾向が特に重要である。ここで扱う基準の現在適応を一般化するには、以下の三点において修正が必要である。第一に、基準の調整は比較的緩やかな過程で加速しない。第二に、一定期間状況が定常状態のとき要求水準は緩やかに上昇する。第三に、要求水準を達成可能なものに設定するには、過去の達成のほか他組織が達成した水準が基点となる。一般に、現プログラムより結果が好ましい代替的行為か、より良い結果を達成する他者の存在を認知していれば、満足基準の改定に至る。更に、これらの条件の個人の生産行動・離職に対する効果からは革新率の変動も予測できる。なお、偶然機会に遭遇して起こる革新もあり、そのようなより満足な業績の機会に遭遇する率は革新率の決定要因の一つとなる。
1では必要・機会を革新の引き金としているが、組織にかかる「ストレス」(要求水準と達成水準の乖離)も革新の原因となる。これが高すぎも低すぎもしないとき革新は最も活発となるが、この仮説に従えば@要求水準の達成があまりに容易だと無関心が生じ革新の動機づけがなく、A要求水準が達成水準のはるか上ならば要求不満と絶望により革新が妨げられる。最適ストレスとは、要求水準が達成水準をわずかに上回っている時生じる。
1、2の仮説はすべて革新の過程自体がプログラム化されていない仮定に基づく一方、革新を引き起こす外的刺激を補いプログラム化した刺激もある。その例として、第一に、満足の基準自体が業績の変化率で示され経営者が具体的数値目標を定めるとき、これが既存プログラムで達成されないと、外的刺激の場合と同様に革新活動が起こる場合。第二に、研究開発部門のような、革新率で表示した満足基準を公式に組織化した組織では、新プログラムの組織導入率を基準にしてもよい、などが挙げられる。このように革新過程を制度化している組織の革新率は、環境変化に敏感ではなく、比較的安定した環境条件下では革新率の平均が高くなる傾向にあるはずである。
革新の時期とタイミングはいずれも生起する革新的変化の種類と生起率に関係するが、特に前者は現行プログラムの変化の必要性・可能性に最初に組織の注意が向く状況に関心があり、後者はその注意のあとに続くステップのペースに特に関心がある。更に、比較的責任ある層の組織メンバーの活動従事性向に影響する要因に関して2つ挙げることができる。@ある活動にかかる明示的な時間圧力が大である程その従事性向はより大となり、A活動の目的明確性が大である程その従事性向は大となる。これらの命題から、日常のルーチン(高度プログラム化課業)が計画(高度非プログラム化課業)を駆逐する計画の「グレシャムの法則」といえる予測が導かれる。そこで非プログラム化活動が起こるには、先述の一般的条件@時間圧力(締切)、A目的明確性のいずれかが必要になる。まずAに関しては、日常業務の流れから外れた独立予算の「計画」単位を創設することが条件となる。@については、例えば従業員一人の休暇申請に可否を出すために全社的な休暇政策の制定のように、より一般的な問題の解決なしには解決できないような「問題」の発生という、締切のもつ意外な側面が条件となる。締切は他者に対して責任を負うので明確なコミットメントを生じさせ、解決策の探索過程は可視化・モデル化される。
前述のグレシャムの法則のように新プログラム創始過程が滞らないようにするためには、組織単位を新設し、@新プログラム作成→Aその実施という手順が頻繁に行われる。ここで@とAを分けると、@の過程でなされた決定はAの過程では再検討されなくなるという重大な結果につながる。これをより一般化し、コミットメント過程は不可逆的であると仮説を立てる。進行中のプログラムに投入されていない組織内余剰としての資金・人員が組織にあれば、新プログラムとプログラム作成のコミットメントに関し@資源配分決定者である投資家機能Aプログラムの提案元である起業家機能B提案の処理経路としての周旋屋機能の三つの機能の専門化が生じると考えられる。ここで言う投資が満足化で決定されるとき、新プログラムへの資源配分は起業家から投資家への提案の伝達構造と代替案提示順序に依存する。
組織内での革新は、たいていが借用の結果であると考えられる。これにより組織は革新における様々な費用やコストを節約できる。このように革新が起きるとき、革新率と革新類型は組織の伝達構造のような曝露の関数である。革新率に関しては次のように予測する。ある産業に問題が生じ革新の必要性が生じても実際にその進捗はとても遅いが、一度その受容可能性が解明され一つの組織に導入されると同一産業内で急速な広がりを見せる。一方の革新類型は組織内関連単位の曝露の特定性に依存する。例えば、特定顧客と接触している単位は、その顧客目的を満たす革新の源泉になると考えられる。組織は問題に気付いたが、そのことの伝達が解の提案を伴っていなければ、組織メンバーに蓄積されている問題解決レパートリーが解の提案の主要源泉となり、問題が広範になるほど多様な人の目に触れ、解に影響を与えていく。この場合は革新提案の実行可能性のチェックが伴い、チェックリストとレパートリーは着想実行可能性試験に適用される。以上から、プログラム提案であれ実行可能試験であれ、新プログラムに関する組織内部の大量伝達が組織の蓄積された解の探索目的で行われていることがわかる。
たいていの組織プログラムは相互に関係した決定からなる複雑な構造をしている。そのため、人間の認知能力の限界から、新プログラムの発見・作成の意思決定過程は段階的に進み、常に問題の「全体」ではなく一つの「部分」に関わる。プログラム探索でのこの単純化は、問題を階層的に因数分解することで達成される。この文脈で非プログラム化意思決定を論じるとき、新プログラム作成の連続的近似手法で主要なものは手段・目的分析である。即ち、@達成すべき一般目的から始まり、Aこの目的を達成する非常に大まかな手段の集合を発見し、B次にこの各手段を新しい下位目的としそれを達成するより細かな手段の集合を発見する、等である。目的と手段の階層は、既知既存のプログラムが使える具体水準まで手段を細かく特定する。
手段・目的分析によるプログラム作成は、第一に過程の各期で実行可能性を判断しなければならない、第二に過程のどの期でも各手段は他の全ての手段から相対的に独立でなければならないという二条件を満たしている必要がある。手段・目的分析が単純明快になる条件にないときですら、これらはなおも決定過程構造化の主力として用いられる。分析に何を含めるかの手がかりは、小集団問題解決の研究で得られる。問題の半独立下位問題への因数分解は、個人よりも集団の問題解決で決定的に重要となる。
利得が加法的な構成要素からなるとき、それが問題の因数分解の因数となる。問題が時系列構造をしているとき、各期の利得は一般に同じ期・隣接期の行為に最も依存し、それより離れた行為には依存しない。一般化すると、固有の因果網とそれが依拠する局所的因果関係が、問題「固有」といえる因数分解の因数を提供しているといえる。因数分解に対する社会的影響の一つが、既存の組織的分業である下位単位自体が問題解決の手段となりえて、この場合、問題の因数分解は組織単位間分業に織り込み済みの専門化と相似する。プログラム群間の独立度、すなわち標準化と在庫保持の度合を高める工夫としても、プログラムの作成過程の因数分解が挙げられる。手段・目的階層には、一般目的は下層で目的の検討に入る前に主要下位目的に分けねばならないという暗黙の優先順位が存在するが、この分割方式が問題解決を同時進行する程度に影響する。問題の因数分解が細かい程同時活動性が強まり、問題解決速度も上昇する。これは、組織の注意の焦点の数が限りなく、組織資源分配が万遍なく行うことができるという点で、個人問題解決を集団問題解決から区別する一つのポイントとなる。以上から、本書における結論として、@同時処理の利点以外にも問題分割には重要なことがあり、A集団問題解決では相互作用無視の損失があっても、同時処理の可能性を活かすので高度な問題分割に利があることが導かれる。
革新はどの組織層で起き、それはなぜか? 組織階層を上下すると、革新過程への参加に質的な違いはあるのか? 組織層が異なれば、起こりやすい革新類型に違いはあるのか?
以上の問いに答える第一歩として、組織内目的構造と組織単位階層構造の関係を検討する。次のことが明らかになっている。
ここで、操作的とは、特定の活動や活動プログラムの目的貢献度を測る一致した基準が存在すること(6章)。
公式権限関係の階層(構造)と手段・目的階層の関係を説明する。目的構造と組織構造の適合関係で組織は種類分けされる。各群が単一部門の管轄で、一つの群の操作的目的が一つの部門の目的である場合、部門は一元的組織と呼ばれ、組織全体は連邦的組織と呼ばれる。課は一元的部門の構成組織となる(3層モデル:組織⊃部門⊃課)。各群が一つかそれ以上の部門の管轄に収まりきれず、組織全体でようやく収まる場合、組織全体は合成的組織と呼ばれ、部門と課が構成組織となる。より形式的に定義すると、組織は、活動範囲が単一操作的目的の手段・目的構造と合致する限り一元的である。組織は、複数の一元的下位組織から構成されていれば連邦的である。組織は、活動範囲が複数の操作的目的の手段・目的構造にまたがり、しかも一元的下位組織から構成されないのであれば、合成的である。一元的組織や合成的組織の一部である組織単位は、構成単位といわれる。合成的組織の一形態は広く流布している。組織における管理活動は、組織全体のために活動する特別な部門に分割・割り当てられる。この種の構造は、ライン・補助組織と呼ばれ、「ほぼ一元的」部門はライン部門、共通の管理活動をする部門は補助部門と呼ばれる。ライン・補助組織が連邦的か合成的かは、ライン部門の操作的目的関連活動のうち、どれだけを補助単位に割り当てるかに関係する。
一つの組織のいくつかの操作的下位目的は、互いに独立しているかもしれないし、直接競争するかもしれない。操作的目的に関する第5,6章の中心命題の一つは、代替的行為の選択に、共通の操作的上位目的をもたない数個の操作的目的の比較を要するならば、交渉が意思決定過程の特徴になる。また、考慮される代替案すべてが同じ操作的目的に向けられているならば、分析的な意思決定過程が主になる、というものだった。よって、交渉が広く行われるのは、目的が操作的でないか、共有されていないかどちらかの兆候である。最終的に、どんな具体的プログラムも操作的目的群を獲得すると仮説をたてる。いったん獲得すると、操作的目的はプログラム評価の基礎となる。
組織のどこでも、革新感受性は、特定単位ニーズ革新関連性の関数だ。このことは、(a)注意を引いたもの、(b)その後付いた優先順位、の両方で明らかである。変化が組織の既存の操作的目的以外の、連邦的単位の非操作的目的に関連する場合、既存の一元的組織の管轄外の新プログラム作成(と新操作的目的定義)が起こる。合成的組織では、トップ層でより広範な革新活動が見られる。ライン・補助構造は連邦的と合成的構造の間にあり、既存操作的目的の革新の大部分は、トップ層よりライン部門層でなされると期待できる。連邦的組織では、革新が既存操作的目的に関係するなら、たいていのプログラム作成は一元的下位組織の中で起こり、より高層の創始参加はプログラム承認に限られる。このため、公認組織単位への活動・操作的目的割当は専任の従業員集団を作ることになる。加えて、連邦的・合成的組織の一元的部分より上層の革新関与度は調整類型に依存する。ライン・補助組織の革新の場所と率は、一元的ライン部門の自己充足度に依存する。補助単位への依存が大であるほど、革新活動は不活発になる。一般に、活発な革新活動はプログラム化活動の責任が大きくない組織単位でだけ起こる。それゆえ、革新が起こるのは、重い業務責任なしに計画責任のある個人・単位が存在する層である。また、革新の場所は権力・影響力の分布にも影響する。
国家計画・企業内計画の計画過程の長年の議論にこの理論を適用する。計画は、(1)近代工業経済における中央計画の望ましい範囲に関する「計画対無計画」論争、(2)大規模工業会社における集権化と分権化の比較優位に関する議論、の2文脈で議論されてきた。
中央計画の論点は、経済運営の中央メカニズムとして私企業、市場、価格に委ねる時はいつで、国家がこのメカニズムを補完し取って代わる時はいつか、である。アダム・スミスによって与えられた問題の枠組み、(1)動機付け、(2a)社会的厚生基準の定義、(2b)私利と社会的厚生の相似現象、のうち(2b)に関連する認知的側面の議論をする。
中央計画の最も単純な形態では、一人または集団が、可能な代替的行為とその結果の効用を結ぶ関連情報を全て持っているならば、どの代替的行為が組織に最良かわかる。代替的手続きとして組織内で市場の働きと価格メカニズムを真似ることもできる。これは価格を通じた分権的意思決定と呼ばれる。もし下位部分の基準の選択が適切で、市場が適切に働くならば、見えざる手によって中央計画下と同じ代替的行為がとられる。厚生経済学の基本定理は、そうなる状況を正確に示すことに関係する。
本書を書く前、私はハロルド・ゲッコウとともに「命題目録」作りをしていた。その中で命題の体系化を行い、組織論の体系の提案にまで至り、本書が出来上がる次第となった。それ以来、本書は注意と関心を引き続けた。本書への関心は元の本文のままでも続いていたが、組織と組織論の中で初版発行以来の35年間でいくつかの事が起こったので、それについてここでコメントしていく事にする。ただ、そうはいっても、組織や組織論の基礎を揺るがすような事態は起こってないといえる。1958年以降、組織研究は印象的な発見が勢ぞろいしたものの、新しい現象・概念は、これまでの理論にぴったりとはめ込めてしまうのだ。
本書の関心は公式組織の理論である。葛藤・対立のある個人・集団の間で調整された行為のシステムが組織であり、葛藤・対立を協働・努力の調整などに変えていくのを記述するのが、組織論である。こうした共生は情報やアイデンティティの制御を通じて成し遂げられ、組織過程と経路情報が参加者の目的・忠誠心を作る。こうして物語が共有され、組織のエートスが作り出されていくのだ。しかし、組織過程を有効に制御するには限界がある。寿命のあいまいさや認知的・感情的能力による限界などによってである。組織の行為者たちは、協調的・競争的優位を追求してこれらの限界に立ち向かう。@計算し、A経験から学習し、B知識を蓄えるルールを創ることによってだ。このようにして、組織の助けとなる文化・合意などを作り上げるのだ。
組織はたいてい階層的とみなされる。これは、階層が効率的かつ一般の文化規範に適合的だからである。階層は、@箱間よりも箱内の方が伝達がより密集しているという入れ子の構造とAよくある権限関係のピラミッド関係、という二つの側面を持っている。前者は組織の下位単位間の専門化を可能にし、後者は公式権限の指揮・調整メカニズムへの利用を可能にする。ただ、組織過程は一貫して階層的ではなく、他の類型のネットワークもある。ただ、本書の中心をなしているのは、階層ではなく意思決定の過程である。もちろん、「決定」の概念とは、非常につかみにくいものでもあるのだが。
組織にとって重要といえる決定には、@個人が組織に参加するか否か、どれだけ参加するのかという決定と、Aどのように組織を指揮していくのか、という決定の二つがある。前者は第3章・第4章で扱い、後者の静学的面は第5章で、動学的面は第6章・第7章で扱っている。このように本書は意思決定を中心的な構成概念にしているものの、選択理論よりも注意の理論を展開してきている。人間はあらゆることに注意を向けることはできないので、注意の配分方法を理解するのが、決定の理論に不可欠だからである。
本書での組織的注意の理論は、@組織が目標を成功・失敗に二分して考えていることと、A組織は目標未達の活動に注意を向けること、という二つの着想の元に構築され、この二つの着想は意思決定に関してかなりの収穫をもたらした。
組織に関する本書の考え方は有用だと自負している。しかし、もし本書を書き直すとすれば、
本書に一番欠けているのは、経験的証拠の手当てである。最初の5つの章ではさほど問題はなかったが、第6章・第7章においては、関連証拠の大部分が事例研究の形をとってしまっていた。組織的意思決定過程に関する仮説を発見・検証するには実際の組織的文脈で過程を調べる必要があるが、こうして調査された標本は、定義できる母集団の代表にはなりえなかった。現在においては、実験室実験・実地調査共に決定行動研究が急増したため、こうした調査の再調査がいくぶんしやすくなっている。そして、社会学と心理学においても、非定量的な言葉のデータを体系的に扱う方法がかなり発達した。組織・組織メンバーの母集団からの標本抽出問題と個人・小単位のデータの総計問題はあまり進歩がなかったが、これらの問題もいずれ解決するだろう。最終的に、統計理論を改造し、新しい類のデータやモデルを扱えるようになれば、こうした遅れを改善することができるだろう。
人間は結果に照らした代替案の評価をもとにして選択するという考えは「常識」で、現代社会科学の基礎となっているが、しばしばこの姿勢は批判される。そして、本書が合理性の本であるのは間違いない。しかし、その合理性はかなり限定されている。本書に出てくる登場人物は「理由」を持っており、それにより、行動とその説明を予測させる。こうした「理由」は、二つの行動の論理を反映している。@分析的合理性で結果の論理とAルールの状況対応、の二つである。本書は両者ともに記述するが、特に@に注意を向けている。つまり、代替的行為の主観期待効用比較によって行動を予測できる、というものだ。ただ、ここにおいては、人には「必然的理由がある」と仮定しているだけで、合理性が知的であるとは言っていない。組織内行動においては、しばしば組織の目的と個人の目的は対立するし、一致することももちろんある。こうして、行動における感情の重要な役割を無視しないようにしているのだ。限られた合理性の考え方は、少なくとも今現在の意思決定理論においては、標準となっている。情報技術の精緻化が起きたとしても、この考え方は強力な基礎的枠組みを与え続けると信じる。ただ、人間の情報・計算的限界を前提とする限定的な合理性にとって、情報技術の進歩は大きな挑戦をしているといえるだろう。こうした新ツールによる応用は、主に中間管理層・下位管理層の決定に限られ、より上位の管理者の仕事は一般にあまり変わらなかった。電子的通信方法は画期的な変化を見せているが、本書が論じる過程の本質はいまだ変えていない。人工知能と「エキスパート・システム」は、今にオペレーションズ・リサーチや経営科学よりも経営課題の中核に浸透するかもしれないが、そういった発達はどれもまだ、限られた合理性の経営への応用の再考を迫るほどにはなっていない。
ルール・ベース型の行為について本書の記述は多分控えめである。専門家の行動に関する認知ベースの研究では、一方では体系的な結果分析の意思決定過程におけるそれぞれの役割が、他方では認知された状況に対しての適切な行為を見つけることがかなり明らかになってきた。後者は、経験をつんだ意思決定者の行動でたびたび起こる「直感」のような現象の重要な構成要素であるらしい。直感に特有の特徴は、ほとんど処理時間や努力を要しないように見えるのにしばしば正しいことである。過去の要件を通して熟知したものを認知する技能なのである。チェス競技の研究からは、分析と直感の関係について語られており、直感は認知のありふれた現象と同義だと言われる。専門家の行動研究の他の分野でも繰り返され、例えば、専門の経営者も豊かな直感と経営分野での長年の経験を通して得た行為のルールを分析に十分織り交ぜる。
個人が経験を〈認知/行為〉ペアにコード化することで専門知識を獲得するこの過程は、組織が〈状況/行動〉ペアのルールを開発する過程と相似する。組織は役割とアイデンティティの集まりであり、〈認知された状況/適切な行動〉ペアのルールの集まりである。ルールの集まりは、一部は専門家を雇うことで組織に持ち込まれる。一体化や社会化の過程は、状況認知に対する反応をルーチン化するメカニズムでもある。結果、自身の経験も他者の経験・知識もルールに変え、そのルールは人が入れ替われども、根拠も知らずに維持実行されるのである。
上記のように、@個人では直感、A組織ではルールの2つが重要な役割を演じており、@組織内で観察される行動の多くは、状況を認識するとすぐに思い浮かぶという意味で「直感的」である。次にA組織的行為に見られる知的さの多くが、顕在的な分析ではなくルールから生じている。
選択の理論において、選好を自律的で決定に先立つと扱いがちである。個人の選択は、個人の選好のために行われると思われているが、形成過程は外生的なものとして扱われる。本書は、意思決定者とその選好の社会性が明確に扱われている。組織メンバーは社会的人間で、その知識・確信・選好・忠誠心もすべて、育った社会的環境の産物である。多種多様な集団や下位集団に対する複雑な忠誠心のせいで、個人内葛藤や個人間対立は組織生活の普遍的特徴となる。これら身につけた強い忠誠心が、組織目的支持を確保する基本メカニズムを構成する。対象が組織目的であるような献身は、利他主義の一形態とみなしうるだろう。組織はある共同目的を達成するために創りだしたと思われているが、そのことで組織の原「目的」達成後・忘却後も組織が長く続く傾向を無視するならば、誤解のもとである。組織は目的流動的に存在しうるという特性を持つのである。本書はこの特性にあまり注意を払っていない。問題と解の間あるいは目的と決定の間のつながりが、客観的実態に埋め込まれているというより、むしろ組織過程によって作られているという事実にも注意を払っていない。しかし、ことによると、本書の目的概念の精緻化で最も異彩を放っているところは、目的が行為を生むのと同じくらい容易に行為が目的を生むかもしれないという事実をより明示的に認めたことである。伝統的選択理論で有効な「効用の事前存在」の通り、われわれは自分の選択を経験することで、一部、自分の欲を作り出しているのである。さらに実は、行為はそれ自体が重要な目的であるという事実もある。
本書は決定の結果に対し過程を軽視する古典的見地への答である。決定の結果は文脈で一意に定まるものではなく、途中の組織的決定過程に左右されると暗に答えている。合理性の限界が予測不可能性を大量に持ち込み、複数均衡が存在する。外部環境も本当は組織とその決定で作られる。これら不確定要素が、組織的決定を「客観的」制約条件の知識から単純予測不可能なものにしている。本書は組織を含む社会システムを説明しようとする観点よりも、組織とその中の人々の行動を理解しようとする観点から書かれている。それゆえ、環境の中で、変化に対して組織がいかに反応するのかを理解するという観点が中心となる。
本書出版以降の組織研究は、組織的行動の象徴的・解釈的文脈をかなり強調してきた。意味は違いをつくり、意味は社会的に構築され、組織中に普及する解釈的言語を通じて伝えられる。そして、組織は、社会的に認められたメタファーの文脈の中で、それ自身を組織化する。さらに進んで、現代では、生活の中心的なものは選択よりもむしろ解釈であると主張する者もいる。組織の歴史的・社会的・解釈的文脈は、普及し、重要であるが、同時に、それが生み出す組織論構築の困難さを大げさに言い過ぎでもある。組織研究の世界は、まだ部分的に分解可能である。