本書は公式組織の理論についての本であるが、現実の世界ではきれいに分類するのが面倒なため、さしあたって「公式組織」に明確な定義はしない。組織は経営者や行政官にとって重要な関心事であり、彼らに向けた組織に関する本も多い。一方で、組織論は今の社会学では重要だと認識されておらず、社会学・心理学の教科書でもほとんど触れられてきていない。
組織が重要であるとする理由は、単に人々が生きるうえで大部分の時間を組織の中で過ごすからというだけではない。社会学の観点からいえば、個々の人間が組織からどんな影響を受け、その影響にどう反応するかということの説明に関心があり、加えて組織の中で過ごす時間以上に組織は人の行動に重要な影響をもたらすからというのが主要な理由である。
一般的な社会的影響過程は拡散性という特徴を有しているのに対し、組織内影響過程は特定性という特徴を持っている。具体的に言えば、噂の伝達は単一の経路のみで外に伝わることがめったになく情報源から拡散されるのに対し、顧客からの注文は明確に限定された経路で特定の伝達先まで到達する。あるいは、マスコミが影響力を行使するとき、受け手と共有する専門的語彙がないために指示は簡略的なものとなるのに対し、組織的伝達では、暗号にもなりうるほど双方が共通の専門的語彙を有するため、高度で詳細なものとなる。ここで言いたいのは、公式組織の情報伝達はどうで非組織の情報伝達はこうだということなどではなく、経路や内容の特定性という点に顕著な程度の差があり、そしてその差が非常に重要だということだ。
社会学でいう役割という概念でいえば、組織内の役割は明確に定義されていて、高度に精巧かつ安定している。取引機会がある組織内の人にも詳細に知られるため、組織構成員の周囲の人の環境が予測可能で安定的になる。組織は調整することで環境に対処する力を有するが、それは部分的にはこの予測可能性のおかげなのである。組織行動の調整は非常に高度である。経済学的な市場の調整は、商品の総供給量や価格についてのある程度の情報のみを売り手に与える。一方で組織内取引は、自動車の製造に例えれば、エンジン部門に生産すべきエンジンの台数や買い手についての情報を正確に与える。これは、社内の完成車生産部門の生産計画などと高度な調整を行っているからである。生物学的に例えるなら、組織の中枢調整システムは高等生物の中枢神経系統ほどには発達しておらず、猿というよりミミズに近い。にもかかわらず、組織内構造と調整の高特定性という特徴ゆえに、生物学における一生物に匹敵するほどに、社会学における組織というものは重要なのである。
社会学者が組織論に貢献してこなかったことは先述の通りである。しかし、組織は社会に多面的に影響するので、経営者や行政官、一部の社会学者や政治学者などの伝記や研究といった文献から組織論の断片や経験的データは収集可能である。これらの情報を一本化するうえで、二つ大きな問題がある。一つは、文献は様々な言葉で同じことを述べていただけで、実際に組織についての情報を多くは持っておらず、ゆえにまずは共通の言葉を定義する必要があるということだ。もう一つは、仮説と証拠の間に大きな隔たりがあるという問題だ。現在の組織に関する知恵の多くは、実務経験から抽出されたものであり、検証可能性と再現性という科学的な観点で見れば、裏付けとなる証拠はほとんどないのである。本書では、どのような証拠が存在するのかを吟味していく。そのために、変数を測定可能に定義し、既存仮説を検証可能な形に言い換えるとともに、いくつかの例に対して、どんな種類の検証が妥当で実行可能かを示す。
組織に関する命題は、人間の何らかの特性を仮定して記述されており、次の三つに大別できる。
人間はこれらすべての側面を持っており、それぞれの側面に注目して理論化は進んできた。科学的管理運動は人間行動の機械的側面に、官僚制や人間関係論などは動機的・態度的側面を、経済学や心理学では合理的側面に、といった具合である。本書では、この三つのモデルを、命題の分類および既存知識体系化の基礎とする。
本書の中心は、組織に関する一連の命題である。命題には、次のようにいくつかの種類が存在する。
最後に、本書の分析全体の基礎となる、生物としての人間の仮定を紹介する。生物の行動は、短期間であれば、期首の内部状態(これは通常、記憶と呼ばれる)と環境に左右される。
記憶を、その時点での行動に重大な影響を及ぼす部分(=想起集合)と、まったく影響を及ぼさない部分に分けて考え、後者を想起集合に移す過程は想起過程と呼ぶ。記憶内容全体の変化は「学習」と呼ばれる過程により比較的遅く進行する一方で、想起過程は非常に速く進みうる。行動を変化させるには、学習によって記憶内容を変えるか、想起によって特定の行動要因を変える必要がある。影響の理論においては、これら2つの過程は区別する。
環境においても同様に、次の行動に重要な影響を及ぼすものとそうでないものに区別できる。前者は刺激と呼ばれるものであり、一般に環境のうち急速に変化する部分である。ある時点の刺激がどの集合が想起されるかの決定因となり、逆に想起集合が環境のうち有効な刺激の決定因となるといったふうに、刺激と想起集合には強い相互作用がある。
内部状態や環境の活動的部分とそうでない部分をどう定めるかは、観察期間の長さに依存する。1/1000秒間では想起集合の要素と刺激は非常に少なくなるし、1週間では記憶内容の大部分が想起集合になり多くの環境要素が刺激となるだろう。刺激を受けて一つの要素が想起されると、その要素から連想されるように学習された他の要素もまた想起されるということも起こりうる。ある目的をある行為により達成していた場合、その目的の想起により行為も連想するといった具合であり、習慣的反応はこの最たる例である。
まとめると、本書の分析において人間は、同時には限られた個数のことしかできず、記憶・環境情報のごく一部にしか注意できない、選択・意思決定・問題解決をする生物である。この特徴が組織内人間行動の顕著な特徴のいくつかの基礎となる。
フレデリック・W・テイラー(Frederick W. Taylor)は工業組織を舞台に人間を効果的に使うことを研究した。その際、人間特性と組織内の社会的・課業的環境との相互作用を分析することを実質的に自身に課したが実際の研究はずっと狭い範囲の行動である、ルーチン的製造作業において機械の付属物としての人間をいかに扱うか、についてだった。科学的管理法グループは、時間研究・方法研究をする際、比較的単純な課業を行う比較的単純な機械として人間を扱い、その特性を描写してきた。科学的管理運動のおかげで、組織内の従業員個人の生産活動の測定精度はかなり向上しそれに関連する多くの研究が行われた。結果、ルーチン的製造作業に含まれる活動は、正確に特定可能であることが示された。以上の点で科学的管理法が機械化やオートメーション化に関連しているといえる。一方で組織内の人間の活用を論じたものは、そのアプローチに内在する人間行動の理論が生理学的変数を主に扱うことから「生理学的組織論」と呼んでもいいものである。
科学的管理法グループが最も深く関与したのは、大部分が反復的であること、担当労働者自身による複雑な問題解決活動を必要としないこと、といった二つの重要な特性を持った類の課業である。科学的管理法では課業は比較的ルーチンなので労働者の心の過程を記述しなくても見える行動だけでほぼ完全に記述できる。他方、価格設定、機械設定、生産計画に伴う活動を目に見える行動で記述することは困難であり伝統的な時間研究・方法研究は、問題解決課業を回避し、人間行動面を扱わなかった。時間研究と方法研究の特徴は課業達成のための具体的なステップを精密に行動記述した多数の細かな指示と、その指示を行う労働者の行動の代替案を制限するために定められた制限時間の設定にある。
科学的管理法の理論では、扱う課業の種類で、考慮される人間の特性が決まってくる。行動を一連の高度に規則正しい肉体的活動としてみれば、関連するのは、生物としての人間の能力、速度、持久力、代価である。
テイラーとその後継者たちの業績は各具体的な状況での効率的方法の発見とその確実な適用のための作業手続きにある。彼らは自然科学者としてよりむしろ技術者の視点で、ルーチン的仕事の効率的な組織と管理のための処方箋を与えた。主要な処方箋は三つ。
このうち(1)を発展させた動作節約は疲労の研究と並んで生理学的組織論が命題の形をとる領域でありその原則は(a)人体の使用に関する原則(b)作業場の整備に関する原則(c)工具および設備の設計に関する原則、の3グループに分類される。これらは、経験的基礎はあっても、人間のメカニズムに関する明確な基礎理論には欠けている。これらの命題は、動機づけを考える必要や複雑な計算の必要のない課業の領域については重要性があるがその領域を超えて拡張することは、枠組みをかなり拡大しない限り無効である。
部門化を明示的に扱った理論は古くはアリストテレスまで遡ることが出来るが、ここでは、現代のルーサー・ギューリックの有名な論文の理論を考察する。ギューリックに加え、ホールデン、ファヨール、ムーニー=ライリー、アーウィックらが提唱する理論系統を「管理論」と呼ぶことにする。本書で「科学的管理法」ないし「生理学的組織論」に分類した研究と「管理論」は、比較的単純な人間の神経生理学的特性と比較的単純な種類の組織的課業にこだわるという形式的な共通点がある。しかし、管理論者は少なくとも知恵と洞察のレベルでは、そのモデルの限界を超えて分析する傾向があった。
定式化された管理論が問うている問題は所与の活動集合を、多くの人々の間で効率的に割り当てるといったものであり、理解の要点は、この課業集合全体が事前に与えられているとされる点にある。ここで、課業とは割り当てられた業務のことで、本書では活動集合 S がある特定の時間 T 以内に一人の人間によって実行可能である、すなわち t(S)≦T のとき、S を課業と定義する。
一方で、割当問題を数学的に研究しても、数学を使わないギューリックの文献の既出問題を超えるような一般化はほとんど期待できないことが分かる。節約効果があること以外、過程類似性がはっきり分かる方法はなく、これがまさにこの理論の限界なのである。
モデルには調整問題が欠落しており、組織に関する常識との間に大きな隔たりが存在する。また、常識はモデルよりも現実世界の事象に適しているように見える。理論と知恵の間の溝を埋めるには以下の二つが必要である。
本書では、この一般化(1)(2)を2段階で導入する。一般化の第一段階は、組織の活動自体は良く定義された高度にルーチン化された種類のものであっても、その実行機会は「指示」「情報」などの環境的刺激で決まる、というものである。第二段階は、状況依存的プログラムですら、しばしば事前に与えられていないことを認めるというものである。
静態的に、その時その時に実行されている活動の種類で、ルーチン化された組織を記述することができるが、活動の条件依存的特性を考慮すると組織の問題も発生する。部門化モデルの改訂版では、活動リストに実行条件が含まれており、活動が外部環境に関連する場合、実行責任は条件に基づいて割り当てられ、時間制約が適用される。一方で、活動が他の活動の条件付きの場合、情報伝達の容易さと正確さが重要であり、これらの要因を考慮に入れて条件付き活動の範囲を制限する必要がある。相互依存的な条件付き活動のための情報伝達システムの整備は調整の問題であり、部門化モデルの改訂において重要な役割を果たすのである。
組織計画を比較する際、自己充足度は中心的な変数の一つであり、組織単位の活動実行条件が他の組織単位の状態から独立している場合、その組織単位は自己充足的である。過程別専門化は効率的であるが、調整に時間費用がかかり、バランスを取る必要がある。
目的別組織の優越性は三つある。
自己充足性の重要性は、組織計画と部門化の議論で強調され、組織変数としての自己充足性は管理論において重要な観点であることが指摘されている。部門化の形態は、過程別部門化と目的別部門化のどちらが適しているかについての議論があり、組織規模が大きくなるほど、過程別組織より目的別組織が優れているとされている。
結論として、ここまでに述べたものでは、それまでに存在しなかった新しい活動・プログラムを開発する過程の動学が無視されているのである。こうした要因を含む、より一般的なモデルは、少なくとも以上の定式化では、古典的組織論の限界をかなり超えている。
古典的組織論において、組織のメンバーは、割り当てられた課業は遂行するものの、自力では動けない機械とみなされ、システム内変数というより、与件(与えられた条件)とみなされる傾向がある。文献にも例外はあるが、組織行動の一般理論では、個人行動に関する要因、特に動機づけを大部分無視している。その結果、生理学的組織論についての所見の多くが、ここでも当てはまるのである。
これまでは、古典派の問題定式化の仕方に焦点を当ててきたが、提案された主要な命題の意義と妥当性についても議論が必要である。サイモンの初期の著作では、組織論の命題の操作化に繋がる問題について詳しく議論されてきた。ここでは、組織原則と部門化の理論についての二つの例に焦点を当てる。
ムーニーが挙げた五つの原則は具体性に欠け、何を指しているのか分からず、「原則」が勧告なのか定義なのかはっきりしないため、その意味が不明確である。結局、これらの原則は経験的に無意味となりがちである。
ギューリックの部門化理論では、説明変数は、組織内で仕事をグループ化する仕方である。この説明変数の値として(a)目的別(b)過程別(c)顧客別(d)場所別(e)時間別の分類を提案する。また、問題を単純化するために公式的な組織的階層だけを考え、公式の命令系統一元化を仮定し、どの従業員もただ一つの部門にのみ所属すると仮定する。ある一組の仮定の下では、問題は難しくない。いま、
が与えられていると仮定する。この仮定(A)(B)の下では、もし個々の部門が、手段・目的地図の別々の部分地図に対応しているならば、その組織は「目的別」組織と呼ばれる。「過程別」「顧客別」「場所別」「時間別」部門化を区別するには、これらの変数に関して、類似性を定義しなければならない。過程の類似性は、用いられる技能、知識、情報、装置の類似性を意味すると思われるため、過程別に活動を分類するには、どの種類の「類似性」が関連するかに関する命題全体が必要になる。
しかし、もし手段・目的階層の地図が事前に与えられていないのならば、実際にどの部門化基準を使うか決める問題はより難化する。その際に先に地図を作らなければならないのだが、こうして作られる地図は唯一でないといけないが、特定状況で手段・目的地図を決めるのは難しい。しかし、最も問題なのは、古典的文献ではどれもこの問題について提起すら行われず、その答えである手段・目的地図が、命題の経験的検証にとって本質的だと考えられていなかった点なのである。
管理論の致命的陥は、理論を証拠と突き合わせないことである。その理由の一部は、上述のように操作化が難しいせいである。検証可能な形にしたとき、理論は瓦解しがちだが、これも実証研究を無視してきた理由を完全には説明していない。広く同じ領域の研究者として、管理論の理論家の「実践的」勧告に経験的証拠が少ないことの責めは共有しなければならない。
生理学的組織論と管理論をこのように簡潔に概観したのは、その応用を詳しく示そうというのではなく、その理論の重要な限界と広く実証面・定式化面で必要なものを指摘するためである。生理学的組織論の場合は、文献の中に見られる仮説や経験則の根底にある重要な関数の形を推定し定式化すること、管理論の場合は、重要な変数の定義を操作化することと、操作化できる命題を経験的に検証することが、緊急の問題に思われる。これまで五つの基本的限界に言及してきた。
これら古典的アプローチの限界は、それぞれが近年発達してきた研究・理論と対になっている。
第2章では、古典的組織論が人間は単純「機械」でその能力・速度・持久力・代価のみが組織目的達成の制約条件になると考えてきた。しかし実際には組織がそのような機械で構成されているかのように扱うと予期しない結果が生まれる。
こうした古典的理論が予期しない結果は、以下の3つの問題が現象の根底にある。
そしてこれらの問題は、経営側が自身の行動管理に「機械」モデルを使用することから生じ、悪化する。
官僚制の研究者、マートン、セルズニック、グールドナーは、「予期しない」反応へ注目し、官僚制組織に必然の逆機能を示唆してきた。加えて、個人を機械として扱うと、意図しない結果がかえって「機械」モデルの使用を助長するという仮説を立てた(図3.1)。
マートンは逆機能的組織学習を扱っている。すなわち、組織メンバーが反応を学習し、他の類似状況に一般化して適応すると、予期しない結果になるというのである。マートンの命題体系は、階層最上位による組織制御要求(3.1)から始まり、これは組織内行動の信頼性強調(3.2)の増大となって現れる。標準作業手続を制定し、実際にこの手続を守るよう点検することで信頼性を確保している。行動の信頼性強調と信頼性確保手法は次の3つの結果を伴う。
人格的関係の減少、規則内面化の増大、代替案探索の減少が結び付くと、参加者の行動硬直性(3.7)が増大する。同時に人格的関係の減少は、団結心の醸成を促し、集団メンバー間で知覚された目的共有の程度(3.8)を増大させる[3.3→3.8]。このような目的、利害、気質に関する共有感は、組織メンバーの対外部圧力相互防衛性向(3.9)を増大させ[3.8→3.9]、行動硬直化で団結させる[3.9→3.7]。行動硬直性には3つの帰結がある。
組織下位者の権威を笠に着る程度(3.12)の増大は、顧客との悶着をさらに増大し[3.12→3.11]、内集団防衛で助長される[3.9→3.12]。
組織が顧客不満足に直面してもなお同じ手法を適用し続ける理由を説明するにはマートンの命題体系にフィードバック・ループを2本追加する必要がある。 個人的行為防止の増大は行動の信頼性強調を強化するはずの顧客のえこひいきを抑止する[3.10→3.2]。加えて、低階層への顧客悶着は個人的行為防止の必要感(3.13)を増大させる傾向がある[3.11→3.13]。よって個人的行為防止の必要感から、行動の信頼性強調を強化するだろう[3.13→3.2]。
セルズニックは権限委譲を強調する。始点はマートン・モデル同様、階層最上位の制御欲求(3.1)であり、その結果、権限委譲(3.14)の増大が始まる[3.1→3.14]。委譲には2つの直接的結果がある。
委譲による専門化訓練によっても利害分岐が促される。訓練の結果、能力が増すと、人事異動費用(3.18)が増え[3.15→3.18]、下位単位目的の差異がさらに広がる[3.18→3.17]。この組織内利害分岐は、組織下位単位間の対立(3.19)を増大させる[3.17→3.19]。その結果、参加者による組織目的内面化(3.21)がほとんどなければ、組織内決定内容(3.20)はますます内部の術策で決まるようになる[3.19,3.21→3.20]。それで組織目標と実績の差異が大きくなり[3.20→3.16]、このことでさらに委譲(3.14)が増大する[3.16→3.14]。組織内の主導権争いは、下位単位イデオロギーの形成(3.22)を引き起こす[3.19→3.22]。これにより参加者による下位目的内面化(3.23)が増大する[3.22→3.23]。
同時に下位目的内面化は決定内容からのフィードバックで強化される。
下位目的内面化は、組織目的の操作性(3.24)に一部依存しているがそれは組織目的の操作性の変化が決定内容に影響し[3.24→3.20]、さらに下位単位目的内面化の程度にも影響するからである。このことから委譲が組織目標達成に機能的結果も逆機能的結果も持つことは明らかである。
グールドナーのモデルは、変数・関係の数では1番単純だが、他の2モデルの主な特徴は示している。マートン同様、組織構造維持のための官僚制的規則がどんな結果をもたらすのかに関心を持ち、マートン、セルズニック同様、下位システムの均衡維持のために設計された制御手法が、どのようにして上位システムの均衡を妨げ、下位システムにフィードバックされるのか示そうとしている。このモデルでは、仕事手続を律する一般的・非人格的規則使用は、階層最上位の制御要求への反応の一部となっている。そのような規則使用は、職場集団内の権力関係可視性を減少させる。この職場集団内権限差の可視性は、平等規範浸透程度とともに、監督者の役割正統性に影響する。これが次には職集団の中の個人間緊張の水準に影響し、こうした規則制定の予期した結果が実際に起こること、一般的規則を作れば職場集団は事業単位としてさらに存続できること、その結果、そうした規則の使用が強化されること、これらがグールドナーの主張である。同時に仕事の規則は、組織側の意図を超えて組織メンバーにきっかけを与える。特に規則で受容不能な行動を規定すると、最低受容可能行動の知識が増え、低水準の組織目的内面化が一緒になると行動は最低水準に落ち、組織目標と実績の差異が増大するのである。規則の内部安定効果は、規則が上位組織で起こす不均衡で相殺され、この不均衡に反応して、職場集団に対する監督の細かさ(怠けている人を注意し監視を続ける度合)が増大する。この反応は人間行動の「機械」モデルに基づくもので、低業績ならば「機械」操作のより細かな点検・制御が必要になるが、次には組織内権力関係可視性を増大させ、職場集団の緊張水準を上げ、それにより元来規則の上に成り立っていた均衡を崩してしまうのである。このモデルの大要を図3.4で示す。
官僚制行動の主要3「モデル」についての仮説は、セルドニックやグールドナーのものは命題に対してそれぞれ一組織の実地長期観察に基づいている。一方で、マートンが依拠するデータは組織行動の一般的特徴から抽出されたものであり、あまり具体的ではない。組織行動の仮説実証に、実地調査は統計的推測の標準的手法が求める主な仮定の多くを満たせない、単一事例では調査設計の基本である標本サイズを実際に決めることが困難であり、証拠能力が不十分であるという2つの問題が存在するのである。
この節で検討した「官僚制」モデル3例は、
この節では個人満足と個人生産性の関係について概説していく。生産性の「伝統的」研究方法によって導き出された個人行動モデルは、明らかに機械から類推した遂行制約条件しか認めていない。効率的組織化とは、生物としての人間の生理学的能力を明らかにし、それを十分に使うような活動をプログラムすることである。その後、組織内個人行動の研究者は、組織行動モデルに勤労意欲・満足・凝集性のような概念を導入し、これを生産性に直接関連付けようと試みたが、一貫した単純な関係は出てこなかった。高い勤労意欲は高い生産性の十分条件ではないため、必ずしも生産性が高くなるわけではないからである。このように「機械」モデルで生産を行おうとすると、予期しない結果になることが分かってきた。
従業員の2種類の決定には重大な違いがある。第一に「組織に参加するor組織を離れる決定」、第二に「経営側が求める率で生産するかしないかという決定」が存在する。全く異なる集合を考えるという点で、生産の決定は参加の決定と実質的に異なる。ここで次の命題群で表されるような適応的で動機づけられた行動の一般モデルを考える。
この適応的で動機づけられた行動の単純モデルから、なぜ満足と個人生産性の関係が複雑なのかが分かる。「満足した」ネズミがT迷路で最善を尽くすとは誰も予測しない。同様に、高い満足自体が個人を経営側の目的に従うように動機づけると予測する理由がない。
仮に個人が不満足とすると、彼は代替案を欲する。単純化の為、鍵となる代替案3つに注目しよう。
1.組織を辞めるは次章で考察するので、今は組織内に留まる2,3に注意を絞る。どちらの決定も従業員が自分の行動の結果と知覚する報酬をもたらしうるが、個人は自分の報酬は自分の生産性とは無相関、あるいは非生産変数次第なので生産行動とは無相関か逆相関としばしばみなす。このことから、高い満足それ自体は、高い生産の特に良い説明変数ではなく、生産を促進する因果関係もないと結論していい。生産の動機付けは、現在の不満状態もしくはその予感と、個人生産が次の満足状態に直結するという知覚から生じる。しかし、この理論は個人間の満足の伝染についての説明としては不十分であり、組織化された生産における個人間相互作用を無視しているのである。
生産動機づけ(経営者の要求に従うこと)は、代替案の想起集合の特性(どんな代替案を知覚しているのか)、想起代替案の知覚された結果(その代替案のどんな結果を予想しているのか)、代替案の評価基準である個人目的(その代替案をどのように評価しているのか)の3つの要因の関数である。この3要因それぞれを3.4.1〜3.4.3でそれぞれ検討する。
どんな条件下で、個人は組織をやめる代替案を想起するのか。一般に、外部代替案の客観的利用可能性が大であるほど、想起されやすくなる。その他にも、経営側からのきっかけ、課業それ自体が発するきっかけ、報酬によるきっかけ、同僚からのきっかけなどがある。
もし個人が機械モデルの仮定通り行動するなら、監督者の直接命令はほかの代替案の想起を排除し、決定への参加は想起をかなり増加させる。実際は逆の結果が観察されているが、それは二つのメカニズムで説明できる。一つは、意思決定の独立性尊重の文化規範が広く存在するため、最低限形式的な決定参加が、決定受容(これ以上代替案を探さないこと)の条件となること。もう一つは、経営側が想起を制御できる状況で代替案が示されること。監督の細かさは、代替案の想起集合に影響し、またその効果は課業複雑性に依存する。個人能力と比較して課業が単純なときは、監督指示が具体的であるほど、組織未承認で有害な代替案の想起が増える。
報酬の変化の主効果は結果の評価変更だが、想起現象にも関係すると考えられる。代替案の想起集合が革新を含む確率は奨励金制度の種類の関数であるという仮説を立てる。すなわち、革新は、
労働者個人で想起された生産率規範は、同じ課業の隣接個人行動を反映する傾向がある。
行為結果に関する個人の期待形成には3種の情報が使われる。A.外部環境状態、B.組織内下位集団発の圧力、C.組織指定の報酬制度である。以下、3種の情報ごとにそれぞれ要因をまとめる。
ここでは個人目的と特に一体化現象に目を向ける。人間は、機械とは違い、他者の価値と比較して自らを位置づけ、他者の目的を自身の目的として受容するようになる。これが一体化現象である。組織メンバー個人は、選好の事前構造(パーソナリティ)をもち、組織にいる間はそれに基づいて意思決定をする。このように、個人目的は組織にとって、所与ではなく、採用手続と組織的慣行の両方を通じて変えることができる。一体化の対象にできるものは主に4つある。
認知的な影響のせいにしてきたいくつかの現象は一体化で説明ができるし、動機づけの研究者は好んでそうしてきた。「個人の集団への一体化が強いほど、個人目的は集団規範の知覚に、より従いそうだ」という基礎命題は、さまざまな知見が広く支持しており、前述の一体化できるものとして挙げた4つの対象への一体化の強さに影響する要因に関して、次の5つの基礎仮説を提案しよう(図3.8)。
以上の5命題は、集団組織相互作用を目的共有感に関連させる命題と集団内充足欲求数に関連させる命題と一緒に基礎的枠組みを形成し、その中でより具体的な命題の展開が可能になる。
5つの基礎仮説で特定した5つの変数に影響する重要要因について述べる。
5変数に影響する以上の要因は図3.10で図示する。図3.8 、3.9、 3.10を合わせれば、集団一体化を通して個人目的に作用する変数全般の構想となる。 次に、こうした要因が特定の種類の集団(一体化の対象)においていかに機能するかを議論する。
メンバーが一体化しがちな集団の種類の二つ目は組織それ自体で、その強さについていくつか予測がある。
同じ課業を遂行する個人から成る課業集団に対する一体化として考えるのが適切である。特定の課業が、最終的仕事というよりむしろ訓練として知覚されるほど、課業一体化は弱くなる。例えば、組織で低層の課業は、高層への踏み台と知覚すると一体化しないが、昇進期待がないと課業一体化が起こる。 その結果、長期間仕事が同じ人は、短期間のみの人よりも職務に一体化しやすいだろう。
最高職位より下の職務の内発的職務満足の観点において、(a)「より高い」キャリアへの訓練との課業知覚と昇進期待が職務満足につながり、 (b)キャリアとしての職務への一体化が職務満足につながり、(c)昇進期待が消えた後も訓練との課業知覚が持続するならば、勤務期間中の職務満足は
個人は、職務を手段として個人欲求を充足しようとする。職務特性上そのような充足が許されるとき、強い課業一体化が予測される。また、いくつかの課業特性は、私たちの文化のような成功志向文化と明確に関係する。(i)高度な技能を要する課業ほど、(ii)個人が自律的に意思決定できる課業ほど、(iii)単一プログラムより多くの異なるプログラムを使う必要のある課業ほど、課業一体感は強くなる。
下位集団一体化は、下位集団規範の受容・服従を意味する。逆に言えば、受容・服従が状況的で困難なところ(特に外部要因が職場集団メンバー間の競争を刺激するところ)では一体感は妨害される。例えば、個人能力に応じた報酬制度では全員が報われる余地がなく、全員が報われうる他の報酬制度のところと比較して、下位集団一体化は低いと思われる。下位集団一体化もまた相互作用と欲求充足に依存するので、相互作用と個人目的充足を容易にする集団が、そうでない集団より大きい凝集性を示すと推測される。
組織内下位集団・組織外集団は、経営側が定めた生産率の達成を頻繁に妨害できるという事例文献が多くある一方で、さまざまな状況下で、小集団による制御は制度的制御を補いうるという指摘もある。以降、他方で競合集団が押し付ける規範間の類似量が変動する理由を明らかにする。規範が似ているほど、集団圧力が組織要求を支持する程度も大となる。
1、2の両タイプの状況を反映した三つの命題を記述し、具体的な経験的予測を行う。
命題1:二つの制度の社会的立場の類似性が大きいほど、押しつける規範はより似てくる。
命題2:組織の文化中心性が大きいほど、同じ文化内の他の集団の規範との類似性は大となる。
命題3:集団内での代替案の想起・評価を組織が制御する程度が大きいほど、組織と集団の規範間の類似性は大となる。
以上の(a)社会的立場、(b)文化的中心性、(c)意思決定に対する組織制御の三つについて、具体的に予測して、そのメカニズムの働きを例示できる。
専門職集団と宗教集団は組織メンバー個人の行動に影響するが、個人行動からは影響を受けないとしてきた。「一方通行」の関係。しかし、組織内下位集団や組織外集団が、組織やそのメンバーと一緒に、内部相互作用の強い小集団を作ることがある。その場合には「両方向」の影響も考慮しなければならない。圧力の方向に影響する既出の一要因である決定参加について、経営側が追求する価値と他の参加者が追求する価値が両立するならば、メンバーが政策決定に参加するほど、組織内非公式職場集団からの圧力は経営側の求めを支持するものになりやすい。
個人の生産動機づけに影響する個人目的は集団一体化の強さと集団圧力の方向の両方を反映し、初期経験に由来する基礎的価値も反映する。パーソナリティ要因的なものより、一体化を長々と力説してきたのは、次の二つの理由による。
個人行動「動機」モデルは、参加者が同時に果たす広範な役割を無視しがちであり、役割調整の問題を事実上扱わない。特に、素朴な「機械」モデルに基づく監督行為が、組織が回避を望む行動に終わることは明らかである。本書の分析によれば、生産動機づけへの影響は、次の三つに及ぼす影響の関数である。
第3章では生産の決定つまり個人の生産動機づけを探究してきたのに対し、この章では参加の決定について探求する。この組織参加の決定は、生産の決定とは動機が異なる。参加の決定は、バーナードとサイモンが「組織均衡」と呼んだ組織の存続条件の中心にある。この章では、組織均衡の一般論を考え、組織の主要参加者とその参加者の決定に影響する要因を特定する。
組織均衡論は、本質的に動機づけの理論である。この理論の中心的公準は次のように述べられている。
この理論の検証には2変数: (a)参加者の行動(組織に加わる、留まる、去る)、(b)参加者の誘因と貢献の効用バランス、について独立に測定する必要がある。これらの変数の観察問題として2つの一般的アプローチを提示する。
誘因-貢献効用バランスを直接推定するのに最もふさわしい尺度は個人満足を変形したものである。例えば、組織への大きな労働から生まれる適切な賃金は労働者にとって個人満足も高いと合理的に考えられる。ここで、誘因-貢献は満足尺度で測定できると仮定する。しかしながら、満足尺度がゼロ点(臨界点)の時に誘因-貢献効用バランスがゼロ点であるとは言えない。両者のゼロ点が一致しないということは「満足」な参加者が組織を離脱することは少ないが、「不満足」な参加者は全員が組織を離脱するのではなく、一部だけが離脱するという点からも理解できる。しかしながら、なぜ一致しないのか。それは今の活動に代わる代替案の登場で説明できる。不満足は参加者がほかの組織を探索するきっかけにすぎない。ほかの組織を探索する代替案が失敗すると参加者は要求水準を徐々に下げるが、誘因-貢献効用バランスは代替案の知覚変化にすぐに反応する。つまり、代替案の減少や、質の悪化によってあきらめる活動の効用は速やかに減少するのである。したがって、知覚された利用可能な代替案の推定とともに使うという条件付きであれば、個人が表明する満足を誘因-貢献効用バランスの推定尺度として使うことは可能である。
効用関数に3つの仮定を置き、効用以外で測定された誘因-貢献の変化を観察しても、効用バランスを推測できる。その3つの仮定とは、
企業組織は主要参加者以外にも、多くの個人がその組織から誘因を受け、その存続に貢献し、しかも特殊事情化では組織均衡に支配的役割を果たすと想定できる。しかし、たいていの企業組織の主要参加者は、一般に、従業員、投資家、供給業者、流通業者、消費者の主要5種類に限定して記述される。しかし、組織概念を文字通りに取ってしまうと、人間行動の知識はほとんど組織論に入ってしまう。したがって、ここでは主に従業員の参加に注意を限定する。
組織に最適な従業員活動が事前に正確に予測できないときは、権限関係確立が組織に有利である。従業員の各行動側面は雇用契約条件として
参加の測定には次の3方法があり、それぞれ異なる結果をもたらす。
利用可能な経験的証拠は、生産、欠勤、自発的離職の間に一貫した関係がないことを示している。相関は高いことも低いこともあり、そうなる先行条件の特定は難しい。どんな条件下なら、低欠勤率が高自発的離職率と関係するか。もし欠勤に対してひどい処罰を科せば、辞職しない人の欠勤率は低下傾向があるだろうが、辞職率も高くなるはずだ。どんな条件下なら、欠勤と離職の間に正の関係があるのか。
この3仮定の下で、欠勤・退出に関する処罰が「一般並み」の時は、欠勤率と自発的離職率の間には、正の関係があるだろう。ここでは、離職基準を用いることを提案する。
誘因効用−貢献効用バランスの増加は、組織からの参加者個人の脱退性向を減少させ、またこのバランスの減少は逆の効果を持つという一般公準を置く。誘因効用バランスは、二つの主要構成要素 、(i) 知覚された組織退出願望と (ii)知覚された組織移動容易性 の関数である。欠勤と離職の違いは、初期衝動を含む要因の違いではなく、主に退出形態の結果の違いから生じる。
組織退出の従業員動機づけに関する文献は、動機づけに影響する主要因は従業員職務満足だと示唆する。すなわち、個人の職務満足が大であるほど、知覚された移動願望は小になる。
個人が仕事を辞める動機づけについての主要命題は次の三つである。
最初に、従業員の自己性格規定と職務のさまざまな適合に関する実証データを考察を考察しよう。
次に、要求水準の変化から何がいえるのか。
組織規模が大きいほど、知覚された組織内移動可能性は大となるので、知覚された組織退出願望は小となる。小さな企業では離職となるかなりの部分が、大きな会社では「部門間移動」と分類される。
個人の知覚された移動容易性は、(1)その人に見える組織で、(2)自分が適任の就職口が利用可能かで決まる。つまり、知覚された組織外代替案数が多いほど、知覚された移動容易性は大となる。本章では、(1)組織可視性と(2)就職口利用可能性の関連要因を探す。
経済活動水準が低いほど組織外代替案数は少ない。失業の数字を経済活動の判断基準に使うとこの命題はほとんどトートロジーになる。この命題の証拠はしっかりしている。レイノルズは1948〜1949年の景気後退時の39社調査の平均自発的離職率が月3.5%から1.6%に低下し、一般に市場での労働需要が自発的離職率の支配的要因であると報告している。同様の結果は複数報告されている。しかし、個人属性が個人の雇用可能格付けを定め、経済状態変化の効果に違いが出る。よって個人格付けの影響要因を明らかにしたい。
参加者の可視組織数が大であるほど知覚された組織外代替案数は大となる。調べる組織が大であるほど雇用・解雇分岐点以上の代替職を含む確率は高くなる。
しかし、組織の人員補充は個人の問題ではない。人が職を探すと同時に職も人を探す。すなわち組織の探索方式を決める要因が個人の探索の成否に影響する。組織から見た個人の可能性が大きいほど個人から見た可視組織数は大となる。
最後に個人の探索性向を考察する。個人の探索性向が大きいほど、可視組織数は大となる。職務満足が大きいほど就職口の探索性向は小となる。特定職務・組織に対する順化が大であるほど代替的仕事機会の探索性向は小となる。この命題は前の命題(職務満足が大きいほど就職口の探索性向は小となる)に含まれている。しかしながら、特に要求水準の順応が許されるときは、今の満足と過去の満足を分離するのが望ましい。もし不満足な状況で探索が制限されている時、探索制限を打破するより、状況への要求水準の順応が起こりうる。順化は考慮される代替案の範囲を狭める働きをし、特定の選択を評価・選択の範囲から取り除く傾向がある。そのことで就職口は変数というより個人ごとに定められた定数として扱われるようになる。
従業員以外の参加者―買い手、供給業者、代理店、投資家―が組織システムに重要であることを考慮して、従業員の参加の決定についての命題を彼らにいかに拡張できるかを示す。従業員参加については4.6までで、(1)知覚された退出願望、(2)知覚された移動容易性、の主要2変数が特定されている。従業員以外の参加者にも、これと似たメカニズムが働くがすべての参加者に対して既述の各命題の直接的類推ができるわけではない。
例えば投資家と従業員行動は代替案の相対的比較可能性で異なる。投資決定は比較容易な次元でかつ確実性下でなされるわけではないとはいえ、投資家(少なくとも大口投資家)の主観的不確実性は従業員よりも小さい傾向があると仮説を立ててもよい。その状況では従業員より投資家の要求水準の方がより速やかに外部環境に順応すると予測する。消費者行動と従業員行動との重要な違いは「無為」が1つの代替案になる程度にある。従業員の「何もしない」は今の職務を続けることだが、典型的消費者が「何もしない」なら餓死する。消費者の「無為」の状況を確保するためには販売業者は何か特別なことをする必要があり、これは二つ状況の違いを部分的に反映している。こうした違いで前置きし、これから本章の一般枠組みと主要変数を従業員以外の参加者にいかに拡張しうるか論じる。主要仮説だけを考えれば、基礎的変数は次の4つ。
組織内または組織周辺の条件が変化し誘因―貢献バランスの減少や組織存続の危機を招くようなとき組織メンバーはバランス回復のために活動の変化・新活動を創始する。この適応的・「機会主義的」過程においては、試みる変化の種類と順番は活動的な個人・集団の一体化によって大部分が決まるため、個人・集団の一体化は重要であるとい言える。一般に組織存続に一意的条件集合はなく、好適な誘因―貢献バランスをもたらす代替的条件集合がさまざまある。そのどれか一つに向けて組織を動かすのが組織の存続適応である。そうした自由度の中で組織の誘因―貢献バランスにおける機会主義的変化が起こるとき、その変化を創始する個人が一体化する対象は変化しない傾向がある。
組織活動に影響を与えられる集団にとって、影響力を行使して変えるものは低満足度時に想起される組織退出の代替案である。組織退出前に退出の代替案が想起される確率は次の3変数で大きくなると予測できる。
この章では、もとはバーナードが定式化した誘因-貢献公準と、その証拠として労働者の離職率を検討、従業員参加一般モデルの従業員以外の参加者への拡張示唆した。誘因-貢献公準の検証には組織が提供する誘因と個人がなす貢献を測定する手続きが必要になる。この測定の難しさは次の、の重要3仮定が満たされる程度に依存する。
誘因-貢献バランスは知覚された組織退出願望、知覚された組織移動容易性の二つの主要構成部分からなる。知覚された退出願望は、今の職場に対する個人満足と知覚された組織内移動可能性の関数である。知覚された組織移動容易性は、知覚された組織外代替案数の関数である。組織不満足が退出を導くか否かは、参加者が「雇用契約」を所与として知覚しているかそうでないかに依存する。契約を変更不能と知覚すれば選択は「受容」か「拒否」しかないが変更可能と知覚するならば参加は内部の対立と交渉を決して排除しない。こうして移動ではなく内部交渉を選ぶと、数種の組織に参加する一因となる。一般に、組織の葛藤・対立、と呼ばれるこの現象が組織論にとっては重要である。
コンフリクト(conflict)は多義的な用語であるが、本書では「標準的意思決定メカニズムが停止し、個人・集団が行為の代替案の選択に難儀すること」を指す。この意思決定モデルに照らして定義される葛藤・対立は、(1)個人的葛藤、(2)組織内葛藤・対立、(3)組織間対立 の3つである。この3種類は一般には異なる基礎メカニズムから生じる。また、この章の目的は以下の問いに答えることである。
個人的葛藤の発生の仕方を記述するために、意思決定が複雑にならない条件を示すことから始める。想起された行為代替案の中で、一つが他のすべてのものよりも明らかに良く、かつその選好された想起代替案が受容可能なほど十分良好ならば、単純な決定状況が存在する。この条件下では決定は速く、その事後評価もない。他方、もし他よりも明らかに良い 代替案がないか、あってもその最良の代替案が「十分良好」でなければ、意思決定は遅れ、後で再評価と合理化が行われるだろう。
葛藤は主に3通りの発生の仕方があり、それを受容不能性、比較不能性、不確実性と区別する。受容不能性の場合、個人は少なくとも各行為代替案の結果の確率分布を知っている上に、苦もなく選好代替案が分かる。しかし、その選好代替案は十分良好ではない、すなわち満足基準を満たさない。比較不能性の場合には、個人は結果の確率分布を知っているが、選好代替案が分からない。不確実性の場合、個人は、行動選択と環境の組合せの結果の確率分布を知らない。ある2つの代替案A, Bの先行状況を想定した分類表5.1(p.144)とダラード=ミラーの葛藤状況類型の関係は明らかであるが、本書で概説する葛藤理論が古典的葛藤理論と最も違うのは、葛藤で探索行動が発生すると強調するところである。生物が葛藤状況に反応する際、ジレンマを切り抜ける道を探すのが最もよくある反応だと主張している。
知覚された葛藤は、代替案の主観的不確実性、代替案の主観的比較不能性、代替案の主観的受容不能性の関数である。葛藤が知覚されると、葛藤減少動機づけが生じると仮定する。葛藤がシステム内不均衡の表れというこの仮定は、現象を扱う際いつも暗黙に仮定されている。葛藤への反応は、その源泉次第である。葛藤減少動機づけが存在し、葛藤の源泉が不確実であれば、個人はまず想起代替案の結果の明確化探索を増やすだろう。それに失敗した場合は、新代替案探索を増やすだろう。つまり、新代替案探索の前に、少数の代替案を徹底的に評価する傾向がある。また葛藤を減らす動機づけが存在し、葛藤の源泉が受容不能ならば、個人は新しい代替案を探索するだろう。葛藤を減らす動機づけの強さ(したがって探索率) は、無難な代替案の利用可能性と時間圧力に依存する。さらに、葛藤の源泉が比較不能でかつ受容不能ではないならば、決定時間は短いだろう。このような条件下では、選択は注意と代替案提示順序で決まるだろう。個人が代替案間の限界差異を評価していても、数個の満足な代替案の中から選択するときには、その選択は無差別曲線よりも注意のきっかけと提示順序で決まると考えられる。
組織内では、各メンバーは、組織が利用できる(または見かけ上利用できる)代替案を評価できる。メンバー個人の状態と組織内決定ルールで状況を特徴づけられる。組織内意思決定の難しさは、少なくとも一部、規定した決定手続の関数である。その集団が、独裁制、多数決制、全員一致制のどれで運営されるかで違いが出る。しかしここでは、少なくとも暗黙には、集団が全員一致制で動くと仮定する。これは、一般に全員が同意できる決定に達することが重要だとその集団が思っているという意味である。
ここで定義したような葛藤・対立は、組織内でどのように発生するのか。組織内葛藤・対立を大きく2種類に区別する。第一は、最初に主にメンバー個人内で発生する決定問題である。この場合、自分自身の目的と知覚に照らして受容可能な代替案を、メンバーのだれも(もしくはごくわずかの者しか)知らない、というのが組織の問題である。第二は、個人の決定問題ではなく、組織内で個人選択間に違いがあることから発生する組織内対立である。この場合は参加者個人に葛藤はなく、組織が全体として対立状況にある。ありうる種類はこれらだけではないが、この節では組織内での個人的葛藤について考察する。
組織内葛藤・対立が個人内型であるためには、決定問題は、関連する全組織メンバーが、不確実性、比較不能性、受容不能性の3種類のどれか1つである必要がある。逆に、個人間対立や集団間対立が起こるには、各参加者には受容可能な代替案があり、かつ異なる参加者が異なる代替案を選好するという条件を満たす必要がある。このように、個人内葛藤についても、その発生率、組織の反応、態度を考察する必要がある。前の諸仮説から、組織的決定が、広範囲の不確実性や受容可能代替案の不足という条件で行われるとき、個人内型の組織内葛藤が最も起きやすいと予測できる。当然、個人は多様であるが、多くの環境特性がこの次元に沿って個人判断に一般的影響を及ぼすので、環境や決定状況を (1)「不確実性」、(2)「悪い」と特徴づけることは意味がある。(1)は、他の状況より個人の主観的確実性が低い傾向を意味し、(2)は、環境が良い代替案をほとんどもしくはまったく提供しないと個人が概して知覚していることを意味している。
決定状況についての過去経験量が大であるほど、個人の主観的不確実性が生ずる確率はより小さくなる。決定状況複雑性が小であるほど、個人の主観的不確実性が生ずる確率はより小となる。この2命題から、新製品の価格決定や、基本技術の変化に伴う新生産ライン用生産設備の選択の方が、安定環境下での標準製品の価格決定や、技術に実質的変化のないライン用生産設備の選択よりも、主観的不確実性が高まり、その結果、個人内型の組織内葛藤がより頻繁になるだろうと推論できる。同時に、組織特性も組織内の不確実性量に影響する。たとえば、頻繁な部門間人事異動という組織政策は、経験を低水準にとどめる傾向がある。不適切または再利用不能な「記憶」を生む組織政策は、不確実性の効果を強める傾向がある。
要求水準と可能な業績との間の乖離一般が、組織内の個人的葛藤を生む。要求水準は業績に時間的に遅れて順応する傾向があると分かっているが、その順応の遅れが大幅なとき、葛藤が起こる。要求水準・業績間乖離が大であるほど、主観的受容不能性の確率は高くなる。この乖離は、環境の気前良さが突然下降したとき、最も頻繁に起こる。こうした企業組織環境が突然下降する一番分かりやすい例は不況である。そのとき、個人の要求水準は満たしうる水準よりずっと高いままあるため、受容不能性の個人的葛藤に陥る。そのため、このような組織内葛藤は、不況の間は増大し、比較的景気の良い年には減少すると予測する。また、経済動向が下落しなくても、業績の向上率が突然抑制されたら、要求水準が追い抜くと予測される。要求水準は変化率で設定されうるし、常にプラスにはなるもののその率は低減するという環境は、受容不能型葛藤を生みやすい。このことから、不況だけでなく景気減速もまた、個人内型の組織内葛藤の頻度を増やすかもしれない。
特に葛藤に陥りやすい組織の種類も特定できる。たとえば、成長産業で相対的に成功していない組織は、他組織よりも個人内型の組織内葛藤に陥りやすい。
広範に個人的葛藤がある限り、組織内集団間対立は最小化する。個人的葛藤がないと仮定したうえで、組織内で参加者間の不一致を生み、組織内集団間対立を生むメカニズムを特定する。集団間対立の必要条件は個人的葛藤がない仮定の上で次のような3つの変数の条件として要約できる。それは、組織内参加者で、(1)共同意思決定の必要感が存在し、(2)目的差異か、(3)現実についての知覚差異のどちらか、ないしその両方が存在することが、集団間対立の必要条件である。
組織内共同意思決定の必要感を生む要因は様々であるが、特に2つが決定的と思われる。1つは、有限資源相互依存性が大きいほど、その資源に関する共同意思決定の必要感はより大きくなる。もう1つは活動タイミング相互依存性が大きいほど、計画を共同意思決定する必要感はより大きくなるというものである。この2つから導き出せる考えは、組織内で資源やタイミングに相互依存性がある時、参加者は自身に影響する資源配分や・活動タイミングの制御を欲するため、他の参加者の参加決定への圧力と共同意思決定圧力を上昇させるというものである。しかし、これには組織内対立を伴う抵抗が予想される。
これらは共同意思決定に決定的で、組織内対立の焦点だがそのメカニズムの働きを抑えることはできる。例えば、予算配分における共同意思決定圧力の強さは、組織全体として資金がどの程度限られているかに依存する。分ける予算に限度がなければ何も問題はなく、組織の利用可能資源が前期と同じかそれ以上であれば組織の下位単位は調整圧力・議論圧力を特に感じない。この時、予算が逼迫しているほかの組織と比べると予算の対立はかなり少ない。これより、共同意思決定の必要感を環境の状況に関連させる命題が導き出される。環境の気前の良さが大であればあるほど、有限資源相互依存性はより小となり、共同意思決定の必要感もより小となる。
一般に組織のレベルが高いほど、共同意思決定の必要感は大となる。どの階層の組織経営者も、配下の所単位は高度に相互依存的だが、自分の単位は大部分自己完結的だとみるからである。共同意思決定圧力は、集団間対立の必要条件の一つとなる。低不確実性で、需要可能代替案が頻出し、そのため個人的葛藤が支配的でないならば、集団の不一致、対立の可能性が生まれる。
前述したように、共同意思決定圧力があれば、個人目的もしくは個人知覚に差異がある時、個人的葛藤が生じる。しかし、企業の経済理論が組織内集団間対立にほとんど注意を払ってこなかった。それは、組織の中で目的・知覚の差異を考えから捨て去っていたからである。また、雇用契約に焦点を当てることで個人の動機付けも捨象されてきた。個人の参加者の中での目的分化を促進する組織特性は、大きく3つに分類される。
目的共有は、主に組織の採用手続きと相互作用パターンの関数になる傾向がある。つまり、「採用」要件を変えることで、目的の同質性を変えることができる。また、一度採用すると、参加者の個人目的の同質性は組織内で準拠集団一体化が確立している程度に応じて変化する。第3章で議論したように、組織内相互依存作用パターンの程度と特性に依存し、時間の影響もうける傾向がある。
報酬制度の目的分化防止効果は、組織のほかの特性に依存する。組織目的の主観的操作性が小であればあるほど、組織内の個人目的分化はより大になる。第3章で、(1)組織の種類、(2)組織規模、(3)組織層などが目的の主観的操作性に影響する要因である言及している。同時に、目的対立は報酬制度によって刺激される。気前のいい環境である場合、組織内の資源を完全に消費することなく目的を達成することができる。その結果、組織活動の大部分は個人目的・下位集団目的達成に向けられる。こうして生まれた「組織内余剰」はいくつかの結果を伴う。その結果の一つが、「組織内余剰が組織内集団間対立にとって直接的に重要」である。資源の制限が比較的ないとき、組織は下位集団の要求を相対評価する必要がない。よって、要求や要求の合理化で争わない傾向があり、組織内で実質的な目的分化が起きる。一方、資源が制限され、組織内余剰がなくなると、組織内では厳しい集団間対立が起きる。つまり、限りない資源は共同意思決定要求を下げると既に述べたが、限りない資源は目的分化を増大させることを意味する。
組織内の対立は目的対立だけではない。その原因は組織内の場所の違いによって情報の量と種類が違うからである。この不完全な情報共有が組織内不一致につながる。ここでは目的分化に対する主な要因のみを考える。個人目的と認知の間には事実上相互作用があり、個人目的分化と個人知覚分化には正の相関がある。この価値観・期待一致圧力は組織内での部門化とその結果による下位集団内社会的影響構造によって強まる。さらに組織特性が参加者間の情報共通性に影響する主要3方式が存在する。
以上で部門相互連結が組織内集団間対立に影響する経路(a)(b)(c)を特定した。例えば、連結が密であるほど、(a)共同意思決定の必要感は大、(b)目的分化と(c)知覚分化は小になる。これは、(a)が対立を抑制し、(b)(c)が対立を刺激するためである。これらの細かい予測は各要因の効果と要因間の交互効果に依存する。
組織内葛藤・対立が説明変数となっている命題を考察する。(a)組織の内部葛藤・対立は安定した状態でないこと、(b)個人的葛藤・集団間対立両方の解消に意識的に努力がむけられること、の二つを仮定する。組織は以下の4過程で葛藤・対立に反応する。
組織が葛藤・対立解消に、いつ分析的過程(問題解決と説得)を使う傾向があり、いつ交渉(交渉と政略)に訴えるかを明確にする。
交渉と分析の主要2過程は組織に対して異なる効果がある。特に交渉は意思決定過程として破壊的結果を招く恐れがある。交渉は結果を問わず、組織内の身分・権力体制に負担をかける。例えば、強者が勝った場合は、組織内の身分・権力の知覚差異をより強化する。強者が負けた場合は、立場が弱くなる。その上、交渉は組織内での異質な目的を認めて正当化するので、経営側に利用可能だったはずの制御手法を殺してしまう。上記の顛末のせいで、経営側は事実上すべての葛藤・対立が集団ではなく個人的葛藤であるかのように知覚すると予測する。より細かく言うと、
前出の理由より、一般には、組織間と比べ、組織内では分析的手法の使用圧力が大きいとされている。それより、組織間対立の文献は、特に交渉過程による対立解消、すなわち誰が何を得るか、を扱ってきた。さまざまな研究法がある中で、特に経済学では、近年ゲーム理論家が交渉理論に特段の関心をもってきた。以下にフォン・ノイマン、フォン・ノイマン=モルゲンシュテルンが発表して以来、取り組んできた対立問題の種類と最有望な発展方向を示す。 2人〜n 人協力ゲームは、2人ゼロ和ゲームと比べてそれほど発展していない。しかし、2人〜n 人協力ゲームの発展には重要なものが多い。その発展の中で特に組織間対立にとって重要なものは、(1)どの連携がプレイヤー間で形成されやすく、形成されれば安定的になりやすいか、(2)交渉の結果はどうなるのか。
フォン・ノイマン=モルゲンシュテルンの議論では、提携の形成が、n 人ゲーム理論の中心である。ルースは提携の変化が、通常はほんの小さな部分的変化だとした。具体的には、(i)新しい提携を形成しても全体として現在の利益よりよくなる見込みがなく、かつ、(ii)現在の提携からプレイヤーが離れて一人になっても利得がよくなる見込みがないとき、ψ安定と呼ばれる。もし、そのように制約して、一つ以上の安定的提携を許すと、最終提携はゲーム特性だけでなく、初期提携にも依存すると一般的にいえる。伝統的にゲーム理論では代替的提携の評価にフォーカスされてきたが、どの提携が検討されたかという実際の行動にも同程度依存するかもしれない。
エネルギーと能力の点で、過去10年の数学的努力に匹敵するほどの真剣な努力がなく、「現実世界」では交渉状況は非常に複雑かつ標準化していない。 結論としては、理論と証拠をもっと突き合せる必要があると判断する。以下、初期からのゲーム理論での交渉結果の正確な予測である。初期のゲーム理論では、ゲームの「解」として、結果の実現可能集合を特定した。例えば、高度に専門化した経営者が所属組織と給料交渉をする際、結果である支払給与は、経営者がどこか他所で利用可能な最善の代替案の価値(両者の協働なしに経営者が自身に保証できるもの)と組織が交替要員を雇用・訓練する費用(両者の協働なしに組織が自身に保証できるもの)の間のどこかになる。この範囲がかなり広い可能性があるのでこの理論は大いに役立つとはいえない。
当事者たちが従わなければならない文化に公平性の一般基準があると仮定するならば、交渉は、公平性を守らせる社会規範を使った暗黙の仲裁だと主張できる。理由は、交渉結果の予測範囲をより限定しようという試みは、何が「公平」な結果なのか?という問いに答える試みである。また、公平な仲裁者の見地を反映するので時には仲裁問題として記述されるからである。
ナッシュの主張は、交渉領域の中で、各プレイヤーの基準点(交渉が不成立の場合に得られると予想される利得)からの利得の増分の席を最大にする点を妥協点とするルールを提案した。その結果、参加者のリスク態度にかなり依存する。参加者が喜んでリスクを引き受けるほど、より好ましい条件で取引できる。
シェリングの主張は、交渉結果は、それを当事者たちに勧めるある種の「自明性」に依存すると主張する。交渉状況はめったに一意的と知覚されないと想像するならば、ある文化に属する個人は、そのような状況に対する「正規」の反応を構築すると予想する。シェリングの解は、ゲーム理論家が提示した解と比べ、参加者のリスク態度(脅しを使用する能力)にあまり依存しないとされる。この概念をゲーム理論と調和させる一つの方法として、検討される代替案集合の限定にシェリング理論を使うことが挙げられる。
第5章では、組織内で葛藤・対立がどのように生じるか、葛藤対立の結果どんな種類の行動になるかを示してきた。
この二つのまったく別種の組織内葛藤・対立を論じてきた。(a)個人的葛藤が、代替案の比較不能性から、あるいは代替案の受容不能性から、さらには代替案の結果の不確実性から、どのように生じるか。(b)組織環境と組織特性の両方が組織内個人的葛藤の量にどのように働くか。(c)組織内集団間対立、それが生じる条件、それに対する組織の反応。共同意思決定の必要感、目的差異・知覚差異のどちらかもしくはその両方の存在が、集団間対立の必要条件であり、これらの条件が生じる条件が組織についての意識から予測可能であると主張してきた。
前3章では、動機づけと目的が組織内の人間行動にどのように影響するかを考察したが、人間を「機械」とみなす「古典的」組織論をかなり修正する内容だった。この章と次の章では、組織メンバーの別の特性集合、すなわち合理的人間としての特性に焦点をあてる。まず6.1節では、組織内意思決定過程に課された人間の合理性の特性に注目する。
「経営人」の合理性を、古典的「経済人」の合理性やそれよりは新しい統計的決定理論の合理的人間と比較したらどうなるか。後者は、高度に特定化され、明確に定義された環境の中で、次のように「最適な」選択を行う。
この合理的人間のモデルには問題がある。第一に、常識的な合理性概念と合うのは、確実性の場合だけである。特に不確実性の場合、統計的決定理論の代表的論者の間ですら、その「正しい」定義についてほとんど合意はない。第二に、選択メカニズムに次の3要件を求めている。
この要件に異議を唱えることはできない。合理的人間は、情報が欠ければ、主観合理的なのであって、客観合理的ではない。客観合理性の概念は、何か客観的な真実の存在を仮定している。理現象学的な言い方をすれば、われわれは準拠枠から見た相対的な合理性しか語れないし、この準拠枠は合理的人間の知識限界によって定まるだろう。主体の選択を観察する者を概念導入して、観察者の準拠枠から見た相対的な主体合理性を語ることはもちろんできる。主体がネズミで、観察者が人間ならば、その人間の状況知覚を客観的、ネズミのそれを主観的と考えてもかまわない。しかし、もし主体も観察者も人間ならば、客観状況の特定化は困難になる。この状況では、ある特定の準拠枠から見た相対的合理性のみを語るのが一番無難だろう。
第2章で述べた古典的組織論は、古典的経済理論同様、合理性の主観的・相対的特質を明らかにせず、そうすることで、自身の重大な前提を吟味しなかった。身を置く組織的・社会的環境が、意思決定者の予期する結果・しない結果、考慮する代替案・無視する代替案を決める。組織論は、組織的・社会的環境を説明もなしに説明変数として扱ってはいけないのであり、それ自体を理論的に定め、予測する必要がある。
ここで提起する合理的選択の理論は、次の二つの特質を組み込んでいる。
(個人的また組織的)活動は、通常、ある種の環境刺激までたどることができる。刺激への反応はさまざまで、一方の極では、刺激は反応(時には非常に精巧)を想起する。これは、以前、同種の刺激があったとき、適切な反応として開発、学習されたものである。これが連続体の「ルーチン化」極で、刺激はほぼ瞬時にプログラムを想起する。もう一方の極では、刺激は多かれ少なかれ問題解決活動を想起する。そのような活動は、プログラムを学習済みならば省略できる特徴がある。問題解決活動は、一般に探索を伴う程度で識別できる。探索の目的は行為の代替案・結果の発見である。問題解決者のレパートリーに既に利用可能なものがなければ、代替案の「発見」は、プログラム全体の発明・作成を伴う。
刺激が、過去に繰り返し経験してきた種類のものだったら、反応は普通、高度にルーチン化される。最低限の問題解決他の計算活動だけで、刺激は、反応プログラムを含む良く構造化された状況定義を想起し、レパートリーの中から適切な反応を選ぶプログラムを想起する。それと比べて刺激が新奇ならば、最初は状況定義の構築、それから一つ以上適切を開発するための問題解決活動を想起する。創造的思考や問題解決を研究してきた心理学者も洞察力鋭い素人も、探索過程の役割が大きいことについては一致している。探索は一部ランダムだが、有効な問題解決の探索はやみくもではない。探索過程自体がしばしば合理的な設計対象である。たとえば、新しいプログラムを開発する実体的計画とは別に、問題解決過程自体を開発する手続的計画もある。特定の刺激は実行にとどまらず、多くの問題解決活動を想起するかもしれないが、問題解決活動自体も程度によらずルーチン化してもいい。たとえば、チェック・リストを使って探索を系統的に行ってもいい。
選択に適した範囲の代替案・結果を発見するのに、どんな種類の問題解決活動が必要になるのかは、選択基準に依存する。特に、最適な代替案を見つけることと、満足な代見つけることでは、問題が根本的に異なる。代替案が最適であるとは、
たいていの人間の意思決定は、個人的であれ組織的であれ、満足な代替案の発見と選択に関係しており、例外的な場合にのみ、最適な代替案の発見と選択に関係する。最適化には満足化よりも数段複雑な過程が必要となる。満足基準で選択する際、満足基準それ自体が状況定義の一部である。基準は、状況定義の他の要素と同様に、所与とみなす必要はなく、基準の設定・修正の過程を理論に入れてもいい。その際、基準設定の過程自体に合理性基準を適用してもいい。たとえば、満足基準を上げると、
このモデルの「最適化」ルールは、(1)限界改善と(2)限界費用がちょうど釣り合う水準に基準を設定することである。もちろん実際問題として、限界改善と限界費用はめったに共通単位で正確に測定できない。それでも、代替案の発見が容易と分かったときは基準を上げ、発見が難しいときは下げるならば、この最適化ルールと似た結果が自動的に得られる。こうして選ぶ代替案は、探索費用を考えた最適なものとそれほど違わない。人間の基準は、多くの条件下でこの特性をもつ傾向があるので、探索費用を導入して最適化モデルに固執する理論家たちもいる。これが本書提案のモデルに代わる実り多いものとなるのか、非常に多くの状況では疑問だが、どちらのモデルも、最終判断をできるほど十分には予測に使われていない。
ある種の状況下では探索・選択過程が非常に短縮されることは既に確認した。極限では、環境刺激が即座に組織から高度に複雑かつ組織化された反応集合を想起する。このような反応集合は、実行プログラムあるいは単にプログラムと呼ばれる。比較的単純な刺激で、見かけ上、探索・問題解決・選択の合間もなく、精巧な活動のプログラムが起動する状況はまれではない。すべての人の行動の大部分と比較的ルーチンの仕事につく人の行動のほぼ全部はこれで説明できる。たいていの行動、特にたいていの組織内行動は、プログラムが統御している。ただし、用語「プログラム」に完全硬直性の意味を含ませるつもりはない。プログラムの内容は、多数の起動刺激特性に順応してもいい。プログラムは起動刺激と無関係なデータにも左右され、実行戦略と呼ぶ方が適切である。たとえば、在庫記録で商品手持量が発注点まで減っていたら、購買担当の決定ルールが起動し、過去12ヵ月の売上量を公式に代入して発注量を求めさせる。この場合、探索は省かれているが、選択は、非常にルーチン化されてはいるものの残っている。刺激に対する固定的反応の開発により選択が単純化されると、その程度に応じて活動集合はルーチン化されているとみなされる。探索が省かれ、明確に定義された体系的計算ルーチンの形で選択が残っているときも、活動はルーチン化されているという。逆に問題解決的なプログラム開発活動が先行する必要があるならば、その程度に応じて活動は非ルーチン化とみなされる。
特定の組織がどのようなプログラムを使用しているかを測定する方法はいくつかある。
ただし、記録された作業手続と実際に実行されるプログラムの関係は複雑であるが、プログラムを記録する目的は次のようだからである。
この3つ以外にも可能性はあるが、いずれにしても、プログラムの情報源として文書を使う際は、文書を用意した目的が解釈に関わってくる。そして、組織内個人活動は、プログラム化が大であるほど、予測可能性は大となる。一般にプログラムは、所与の状況における過去の経験と未来の経験期待から生まれると予想される。したがって、個々の活動の反復性が大であるほど、プログラム化はより大となる。以上により、プログラム化が最も進むのは、事務仕事と工場仕事で、特に仕事が主に過程別に組織化されているときであると予測される。またプログラムが、比較的ルーチンな課業の個人・集団行動をある程度細かく決めるならば、次の質問に答えられる程度に応じて行動を予測できる。
次は、この二つの質問に目を向ける。
多くの人間活動がプログラム化できることは、様々な課業に普及を続けるオートメーションが証明している。ただ、ルーチンの仕事でもプログラム内容は一様ではなく、詳細な時間明細を含まないものもある。実際、プログラムは通常、活動のタイミングよりも内容のほうを細かく指定する。また、プログラムは、使用法の詳細よりも製品の明細を指定する。プログラムは内容の変化を次の3次元で説明する命題が必要となる。
プログラムは組織のシステムでも重要で、その内容はプログラムが果たす機能と関係する。(1)組織内制御システムの一部としての機能。組織は、標準作業手続を指定し、それに組織的報酬・罰を付けることで、従業員を制御しようとする。(2)組織内調整システムの重要部分としての機能。プログラムは部門間予測の必要を満たすのに役立つ。プログラムが(1)の制御機能を果たす限り、観察可能かつ測定可能な変数とつながる必要がある。つまり、プログラム内容は、職務活動観察の容易さ、職務アウトプット観察の容易さ、活動をアウトプットに関連づける容易さの関数であるはずだ。プログラムが(2)の調整手段として役立つには、組織が感じる調整欲求とつながる必要がある。その結果、プログラム内容は活動調整欲求とアウトプット調整欲求の関数であるという仮説が立てられる。組織メンバーが自分の活動をあるひとりのメンバーの活動に詳細に合わせる必要があるほど、プログラムは活動パターンや活動ペースをより完全に指定するだろう。しかし、ひとりのメンバーの活動ではなくアウトプット特性に依存するならばその程度次第で、プログラムはアウトプット特性を指定するだろう。
以上のプログラム内容の命題は、組織目的に合わせてプログラムは合理的に修正されると仮定して導出された。この仮定でプログラムが決まるからには、生産関数の形同様に、プログラム内容は技術的問題となる。実際にも、ある期間で組織が効率的プログラムに達すると仮定すれば、長期的には技術的分析により効率的プログラムを求めることで行動を予測できる。しかし、この予測方法に内在する最大化仮定は、行動合理性の仮定に替えられる。これは、「満足な」プログラムを探すのであって、必ずしも「最良の」ものを探し出すとは限らないという前出の意味での合理性である。この場合、プログラムの予測はより難しくなる。なぜなら、組織が満足な潜在的プログラムのどれを採用するか、プログラム新造・改良の手続に依存するからである。
再発性事象を処理するプログラムには、プログラム想起ステップ、プログラム実施ステップがある。プログラム想起ステップは他の活動に付随する観察しか含まないことも、環境の一部を体系的に調べることを含むこともある。さらに、ある組織メンバーのプログラム実施ステップは、他のメンバーのプログラム想起ステップになることもある。単純な事象では、プログラム実施ステップは自由裁量も問題解決も要しないが、事象が複雑になると、プログラムは戦略となり、行為は様々な状況特性に依存する。
組織参加者に許される自由裁量の量と種類は、プログラムの内容の関数で、特にプログラムが活動(手段)と製品・結果を指定する程度の関数である。プログラム実行者に手段選択の自由裁量がより認められる。伝統的な合理的行動理論の枠組みでは、自由裁量の余地を見いだすことは難しい。しかし、この理論では現象丸ごとを自由裁量で扱える。第一に、プログラムが探索活動を伴うとき、実際の代替的行為は発見したもの次第なので、探索後の代替的行為選択は自由裁量的とみなしてもよい。第二に、プログラムが戦略になっているとき、特定状況への戦略適用には、データの予想他の推定が必要なので、代替的行為選択への戦略適用は自由裁量的とみなしてもよい。第三に、プログラムはそれを使う個人の記憶の中に存在していることもある。この状況では、自由裁量的に行動しているとしばしばみなされる。以上の場合では、決定過程が高度にルーチン化していてもよく、「自由裁量的」というのはプログラムの形態や獲得源泉のことである。これは「自由裁量的」の第四の意味である「プログラムは一般目的のみを指定し、その手段となる活動そのものは指定しないままにしておく」とは区別する必要がある。第四の意味においては、問題解決や学習の過程を通したプログラムの開発・修正を「自由裁量」というのである。
単純でも複雑でも、プログラムはある刺激で想起されると起動する。組織のプログラム活動の全体パターンは、各々が適切な想起ステップで起動するプログラム実施の複雑なモザイクである。プログラム想起刺激が組織外からくるだけなら、モザイクのピース同士が関係するのは、同時に同じ資源を必要として配分問題から生じるときだけであるが、この配分問題で最適化を厳格に受け取ると、問題解決過程はいつも複雑になる。それは刺激に反応した 全活動の限界収益を等しくする必要があり、プログラムを同時決定する必要があるからである。刺激に対して最適ではないが満足な反応で良いとき、選択は単純になる。なぜならほかの刺激を心配しなくてもよい水準に設定していいからである。このようなとき組織は組織内余剰を持つことで、プログラム間の相互依存性を低下させる。また、プログラムAが高次プログラムであるとき、Aに関係する低次プログラムの内容はAに依存する。もしくは、Aの実施ステップの一つがプログラムBの起動刺激となるかもしれない。
組織では、組織メンバー間の階層関係とプログラム要素間の階層関係は、一般に類似度がかなり高い。すなわち組織の高位メンバーのプログラムの主要アウトプットは、低位の個人のプログラムの修正・起動である。高位メンバーの行為を、一からの新プログラム構築よりプログラム組み換えに限定することは、認知的見地から重要である。現実の状況は複雑であるため、合理的行動を扱う。監督者・経営者階層の上に行くほど、個人権限同士が相互に関係する範囲は大きく複雑になる。この複雑な問題は、より総体・総計的な形で扱われてのみ、個人の有限の力でも釣り合いが取れる。そのための方法の一つが、考慮する代替案をプログラム・レパートリーの組み換えに限定することなのである。
管理組織のうちであれ、外であれ人間の行動は合意的であるにしても、それは状況の所与の特性集合から見て相対的に合理的であるにすぎない。「所与のもの」には
が含まれ、この4つの所与のものが合理的行為者から見える状況を定義する。行為者が状況の定義に至る道筋のステップは、感情・認知過程が複雑に織りなす特殊なものである。本章から状況定義の認知的要素の考察を行うが下位形成の話から始める。
個人が一度に注意できることは限られており、合理的行動とは複雑な現実を単純な現実のモデルに置き換えることを必要とする。問題単純化の基本手法としては、問題を多数の独立な問題に因数分解し、各組織単位はそのうち一つの部分を扱い、ほかの部分を状況定義から省くことである。問題を因数分解する主な方法は手段・目的分析であり、特定した手段が個々の組織の単位に割り当てる下位目的になる。この下位目的形成過程の動機づけ側面は単純であり、個人・集団に正統的割当課業の受容を動機づけるものであれば、なんでも下位目的の動機づけとなる。なぜなら、課業割当後の状況定義は、暗黙であれ、明示的であれ下位目的を含むからである。
下位目的に照らして課業を組織単位に割り当てたとき、組織単位の決定では、ほかの下位目的や組織全体の他側面を無視する傾向がある。意思決定のこの偏りは、一部の注意の焦点の移動に帰すことができる。下位単位で用いる状況定義は、ある基準を省き、それ以外の特に注意することで単純化する。組織単位メンバーが下位目的にのみ照らして行為を評価する傾向は
の少なくとも3つの認知メカニズムで強化される。
強化の源泉の3と1,2の間には差異があり、1 選択的知覚と合理化を通した強化と 2 内集団伝達を通した強化を使えば、いったん個人・集団で確立した特定の状況定義が、どのように安定的かつ強く自己持続するかを説明できる。しかし、このメカニズムでは、特定の環境の中でどんな特定の状況定義が確立させるかは説明できない。つまり、行動の持続は説明できても行動の起源は説明しない。
前節のすべての命題は、必要な変更を加えれば、状況定義の目的・価値以外の要素にも当てはまる。状況定義は客観的状況を単純化・選別した偏ったモデルであり、この濾過は決定過程に入る「所与のもの」、つまり、
のすべてに影響する。
組織内行動は意図的に合理的だという一般化と結びつき、操作的・非操作的目的の区別は、それに対応した二つの質的に異なる意思決定過程の考察につながる。多くの人が意思決定過程に参加し、(1)操作目的を(2)共有するとき、代替的行為に関する意見の相違は、主に分析的過程で解消される。前提条件(1)(2)のどちらかが欠けるときは主に交渉過程で決定に至る。
組織論の文献では下位目的は同期的に生じると記される。しかし、この節では下位目的一体化の生成・強化に認知過程が重要とみてきた。では下位目的の一体化が動機的に生じるかに認知的に生じるかでどのような違いがあるだろうか。短期的にはほとんど違いがない。しかし、一体化の変化過程では大きな違いを生むだろう。ほかの目的への認知的連関への一体化依存が大であるほど目的重点変更における注意指向刺激の有効性がより大となる。同じ理由で認知的連関に一体化が依存するならば、行為代替案と目的の間の手段・目的関係の新評価手法の発明は交渉過程を合理的分析過程に変換するだろう。
過程別専門化は安定的環境で最も進み、急速に変化する環境下では個々のプログラムの独立性確保の犠牲となると予測する。第二の予測として高度に過程別専門化できるよう、組織は環境の安定性・予測可能性の増大手段を工夫するだろう。そうした重要な工夫が3つある。
しかし、これだけ工夫しても概して調整の必要性は消えない。高度な過程別専門化の下で一番よくある下位プログラム間調整の工夫は予定表づくりである。予定表は単にどの仕事をいつするか決めた事前計画で詳しさや正確さもいろいろである。予定表に不測の事態が生じると、その調整には、計画・予測条件からの逸脱を知らせ、それに順応して活動を変えるよう指示する伝達が必要になる。
確定前の予定表に基づく調整を、(1)計画による調整、新情報伝達を伴う調整を、(2)フィードバックによる調整、と呼ぶ。状況がより安定的で予測可能ならば(1)、状況がより不安定で予測不能ならば(2)、により依存することになる。調整がプログラム化され状況が十分に制限された範囲内にある限り、調整メカニズムと公式組織階層の間に特に密接な関係はないだろう。すなわち、調整に必要な予定表情報・フィードバック情報は、通常、階層経路では伝達されない。階層はプログラム制定・正統化には重要かもしれないが、高度プログラム化活動の実行に伴う伝達は一般に「命令系統」をたどらない。加えて、特定の組織から見ると専門化と下位プログラム構造には、技術的であると同時に社会科学的である。従業員が持ち込む徒弟修業や学校で受けた訓練に組織はかなり依存している。それゆえ、組織より広い社会環境の職業・専門職業構造で個人の職務専門化の境界が決まる傾向がある。
伝達が必要な場合は次の5つのカテゴリーに分類することができる。
組織内伝達効率が大であるほど、相互依存許容度も大となる。これは量的かつ質的問題がある。ある条件下では、フィードバックによる調整に代えて計画による調整を代用することで、日々必要な伝達量を減らすことができる。また、比較的少数の記号で大量情報伝達を可能にし、伝達効率を増すという方法もある。例として青写真や会計制度などが挙げられ、標準語された言語のおかげで大量の情報を伝えることができる。
分類表は、伝達のプログラム想起局面で特に重要である。組織は利用可能なプログラムのレパートリーをもち、事象がいったん分類されれば、苦もなく適切なプログラムを実施できる。分類が伝達を節約する理由は、調整の大部分を事前にプログラム化できるからで、組織は刺 激への反応レパートリーをもち、どんな種類の刺激に直面したら入念なプログラムを実施するか知っているだけでいい。無形かつ標準化されていない対象の伝達は極めて難しい。それで、組織課業のあまり構造化されていない側面、特にまだよく定義されていない問題の説明で、伝達システムに最も負荷がかかる。
組織における技術的語彙と分類表は、組織の問題を分析・伝達する際に使う概念一式を提供する。不確実性の吸収は、一群の証拠・推論から推論を引き出し、その推論を証拠それ自体の代わりに伝達するときに生ずる。この過程を通じ、伝達の受け手は、その正しさの判断能力をひどく制限される。専門家のせいで、たいていの情報はごく特定の箇所から組織に入る。そのため、自分の直接知覚を要約・評価し、組織の残りのメンバーに伝える人は、組織的行為の前提の重要情報源になる。不確実性吸収の量と場所の両方が組織の影響構造に作用する。この理由から、意識的・無意識的に、不確実性吸収は権力の獲得・行使手法として頻繁に用いられる。事実主張の直接的否認をよしとしない文化では、事実主張、特に他人の直接知覚と矛盾しない事実主張をすれば、それは意思決定前提として受容されがちである。不確実性吸収は組織内の調整や予測に大きな影響を与え、公式の不確実性吸収点が組織内で重要な役割を果たす。
合理的な組織設計には、伝達負荷を最小化する経路配置が必要である。伝達ネットワークは、一部は計画され、一部は特定種類の伝達の必要に応じて発達し、一部は伝達のもつ社交的働きで発達する。そのどの発達段階でも、漸進的変化は既成パターンに大いに影響される。それゆえ、ネットワーク構造は組織の課業構造にかなり影響されるが、それで完全に決まるわけではない。
伝達経路の確立が、意思決定過程、特に非プログラム化活動に重要な影響を与え、異なる伝達パターンが異なる新製品アイデア環境を形成する。また、伝達パターンによって、行為者の注意や、行為の特定の結果にどれほど頻繁かつ強く向けられるかが決まる。注意の範囲を決める特に重要な変数は時間圧力であるため、締切があって時間圧力下で行われる非プログラム化活動の方が、比較的緩慢で慎重な決定過程の活動よりも、伝達パターンの影響が大きいと予測する。
この章の中心的テーマは、組織の構造・機能の基本的特徴が、人間の問題解決過程と合理的 選択の特性から導かれるということであった。個人・組織が直面する問題の複雑性と比べて、 人間の知的能力には限界があるので、合理的行動には、問題の複雑性すべてではなく主要点のみをとらえた単純化モデルが必要となる。 この単純化には次のようにいくつか特徴的な点がある。
個人や組織は、特定状況に合うように、プログラムを改良するか、あるいは既存レパートリーから適切なプログラムを選択する。両方が同時に起こることはめったにない。適応行動への接近法は、まさに「組織構造」と呼べる何かの存在に根源的である。 組織構造は、組織内行動パターンの比較的安定的で緩慢にしか変化しない局面のみから成っている。
組織がプログラムのレパートリーをもつならば、各発生状況に適したプログラムをそのレパートリーの中から選ぶ手続がある限り、短期的に適応的である。適切なプログラムを選ぶための過程が、短期的適応を支える「支点」である。いまもし、組織がそのレパートリーにプログラムを加えたり、レパートリー中のプログラムを修正したりする過程をもつならば、この過程が長期的適応達成のさらなる基本的支点となる。短期的適応は問題解決、長期的適応は学習と普通呼ぶものに対応している。
合理性の限界がある限り、組織構造の安定的核を形成する。もし合理性に限界がないならば、あるいは限界が急激かつ予測不能に変化するならば、安定的な組織構造はありえない。構造の一部の局面は他より容易に修正されるので、短期と長期の構造を区別する必要がある。この章は、大部分、短期構造、すなわち適応行為を要する一連の状況に反応するプログラムに関係してきた。次の章では、長期的考察に注意を転じ、特にプログラムを生み出し、修正する組織内過程を考察する。
前章では、組織の「定常状態」に注意を向けていたが、本章では、組織内変化・プログラム開発の過程に対する合理性の認知限界の影響をより完全に分析していく。
合理的選択理論では、一般に、既存プログラムの継続と変化を区別してこなかったが、どれが既存プログラムの継続なのかが明示されていない定式化でも、埋没費用の顕在化によって、それらの区別を公式化し、選択に影響させられる。現行プログラムの継続費用の計算では、埋没費用は除外されるが、代替的プログラムの発見・開発には多くの埋没革新費用がほぼ常時付随する。革新費用はその源泉が何であれ、プログラム継続の原因となる傾向がある。革新費用の正確な見積もりはめったにできないし、可能なときですらめったにしない。個人も組織も、現行為が「不満足」でなければ、その代替的行為の探索・検討をしないのだ。一般に、意思決定の影響過程類型は、選択問題類型の関数であると仮説を立てる。変化か継続かを選ぶときは、大半の影響過程は創始にあり、特に代替的行為がなければ、(a)未解決問題を解くか、(b)たとえ満足な受容プログラムでも改良するかして代替案を示唆する。それゆえ影響過程を観察すれば、複数代替案から一つを選ぶ選択状況と、新規プログラム提案の選択状況をはっきり見分けられる。創始・革新が存在するのは、変化が、新プログラムの考案、評価を要する時である。プログラム化された切り替えルールも含めてプログラムを記述できれば、プログラム化された通常の行動変化と新プログラム創始を意味する変化とを区別できる。
継続と変化を区別する理論が必要であり、行為と無為の区別も必要である。通常、一組織が「引き受け」可能な無為の量には限界はなく、無為は資源を奪わない。この区別は、最適化組織・個人と比べ、満足化組織・個人にとって重要である。なぜなら後者は無為では達成しないときのみに行為を考えればよく、しかも特定基準の関連だけでいいからである。受容可能水準決定ルールの使用が大であるほど、また環境複雑性が小であるほど、プログラム局所変更の使用はより大となる。
合理的選択の本質的特性を要約する。
ここでは、個人レベルの問題解決過程の知見と組織レベルの考察を紹介する。
人間の問題解決のほとんどすべてで、記憶の果たす役割は絶大である。問題解決が、ほぼ完成形で記憶されている解決法を比較的体系的に探索するものであるとき、「再生産的」といわれ、多少「原」材料から新しい解決法を構築するとき、過程は「生産的」といわれる。用いられる問題解決類型は、問題の特性と問題解決者の過去の経験の両方に依存する。
問題解決過程の一般特性を既知のことから描き出す。
目的達成活動のプログラム探索では、一般に次の順序で変数群間を注意の焦点が移る傾向がある。
個人と集団の問題解決過程はどの程度共通、類似しているのかを考察する。問題解決過程に対する集団の効果として、(1)共同判断の効果、(2)直接の社会的影響による問題解決法の修正の2類型に分けられる。
提案された解の正しさを評価する能力は、正しい解を発明する能力と必ずしも同じではない。このことは、影響理論が意思決定の評価面だけでなく、想起現象も扱わねばならないという一般命題の一つの支持になる。
プログラムに革新・変化が起こる理由を説明する必要がある。革新の理由の説明とは、プログラムがそれまで満たしてきた基準をもはや満たさない理由の説明である。
満足基準概念は心理学の「要求水準」概念と密接に関係している。最も重要な命題は、要求水準が次第に達成水準に合っていく傾向があることである。基準の現状適応を一般化するにはいくつかの点で修正が必要である。
これらから革新率の変動も予測できる。環境変化で既存の組織プログラムが不満足になると革新率は増大しそうである。会社では、市場シェア、総利益、投資収益率が低下すると革新に努力すると予測する。最も革新を生みやすい条件がどれかは、組織が最も注意をはらう条件を明らかにすることで予測できる。
組織にかかる「ストレス」が高すぎも低すぎもしないとき、革新は最も速く活発になる。ここでストレスとは、要求水準と達成水準の乖離を意味する。
最適ストレスは要求水準が達成水準を少しだけ上回っている時に生じる。
「既存プログラムでは基準の満足水準を未達」という革新への刺激を補うプログラム化された刺激もある。それは組織的に二つある。
少なくとも比較的安定した環境条件下では、概して革新の制度化が大であるほど革新率の平均は高くなると言える。
比較的責任ある層のメンバーが従事する活動の種類を決めるのは何か。組織メンバーの活動従事性向に影響する要因は二つ挙げられる。
以上の命題から、計画の「グレシャムの法則」といえる予測を導ける。それは、高度にプログラム化されている課業と、されていない課業との二つに直面している個人は、強い時間の切迫がない時ですら、後者より前者を優先させてしまうという予測である。つまり日常のルーチン(高度プログラム化課業)が計画(高度非プログラム化課業)を駆逐する。では、プログラム化されていない活動はどのように起きるのか。そこには二つの一般的条件が存在する。一つは、プログラム化されていない活動を要求している目的に対して資源を配分し、そしてプログラム化された活動によって達成できる代用物や代替的目的を与えることを拒否することである。もう一つは、締め切り時間を何らかの形で設定することである。
この節では、革新活動の性質をより詳細に検討し、特に意思決定と行為の新プログラムが発見、開発、実行に移されるまでの過程を問題とする。
新しいプログラムの開発は、新しい組織単位を創設して、(1)プログラムの形成と(2)プログラムの施行という2段階の過程で行う。プログラムの形成段階でなされた意思決定は再検討されることがなく、そこで設定される関係は比較的安定しており、コミットメントの過程は不可逆的になる。進行中のプログラムに投入されていない組織内余剰としての資金・人員が組織にあれば、新プログラムとプログラム作成のコミットメントに関し
の三つの機能の専門化が生じると考えられる。ここで言う投資が満足化で決定されるとき、新プログラムへの資源配分は起業家から投資家への提案の伝達構造と代替案提示順序に依存する。
組織の革新は発明よりむしろ借用の結果であると考えられ、それは革新に伴う3つの費用(発明費用、検査の費用、評価に際しての過誤の危険)を節約させるものである。革新が借用で起こる限り、革新率と革新類型は組織の伝達構造のような関数となる。革新率については、問題が広く気づかれ革新の必要性が生じても、革新の進捗が非常に遅い期間があるだろうが、いったん受容可能な解決法が発明され、組織に導入されれば、その産業内でも急速に広がる。
革新類型については組織内の関連単位がどこと接触しているかに依存している。例えば、特定顧客と接触している単位は、その顧客目的を満たす革新の源泉になると考えられる。組織は問題に気付いたが、そのことの伝達が解の提案を伴っていなければ、組織メンバーに「記憶されている」問題解決レパートリーが解の提案の主要源泉となり、問題が広範になるほど多様な人の目に触れ、解に影響を与えていく。また、レパートリーは解決策の発見だけでなく革新の実現可能性のチェックにも使われる。 新プログラムに関する組織内部の大量伝達が組織の蓄積された解の探索目的で行われていることがわかる。
たいていの組織プログラムは相互に関係した決定からなる複雑な構造をしている。そのため、人間の認知能力の限界から、新プログラムの発見・作成の意思決定過程は段階的に進み、常に問題の「全体」ではなく「部分」に関わる。 プログラム探索でのこの単純化は、問題を階層的に因数分解することで達成される。
手段・目的分析によるプログラム作成は、次の二条件を満たしている必要がある。
分析に何を含めるかの手がかりは、小集団問題解決の研究で得られる。問題の半独立下位問題への因数分解は、個人よりも集団の問題解決で決定的に重要となる。
何が因数分解類型を決めるのか。利得が加法的な構成要素からなるとき、それが問題の因数分解の因数となる。因数分解に対する社会的影響の一つが組織的分業であり、既存下位単位(販売部門、生産部門等)自体が問題解決の手段となりうる。手段・目的階層には時間的優先順位があり、一般目的を主要下位目的に分割することで、問題解決を同時進行できるようになる。問題の因数分解が細かいほど、同時活動が可能になり問題解決速度が速くなる。同時処理の利点が、個人での問題解決と集団での問題解決との違いの一つである。以上から、本書における結論として、(1)同時処理の利点以外にも問題分割には重要なことがあり、(2)集団問題解決では相互作用無視の損失があっても、同時処理の可能性を活かすので高度な問題分割に利があることが導かれる。
本節では組織層という要素が革新過程にどのような影響をもたらすかに注目する。
組織内目的構造と組織単位階層構造の関係を検討すると、手段と目的は階層的であること、上層の目的は操作的でないが下層の目的は操作的であること、操作的なものでは最上層の目的の1, 2階層下で個々のプログラムを識別できること、が明らかになる。組織は、目的・手段階層の設計図に沿って公式権限関係の階層を持つ。これらの関係を説明していくにあたり、組織を3層モデル(システム全体が「組織」、その中に「部門」、部門の中に「課」がある)で定義する。以下の2つが目的構造と組織構造の関係性の両極にある形である。
合成的組織の一形態であるライン・補助組織は広く知られている。管理活動を除く一元的な部門はライン部門と呼ばれる。管理活動は、補助部門と呼ばれる、組織全体のために活動する特別な部門に割り当てられる。連邦的・合成的どちらに似た振る舞いをするかは、各ライン部門の操作的目的関連活動のうちどれだけを分割して補助単位に割り当てるかに密接に関係する。ライン部門が自己充足的なほど組織はより連邦的に働き、補助活動が多いほど組織はより合成的に働く。
代替案選択の際に、それらが同じ操作的目的に向けられているならば、分析的な意思決定が主になる。操作的目的が共有されていないならば、交渉が意思決定の特徴になる。また、その際、(1)経営者集団メンバーの内面化により共有された目的、(2)経営者が報酬構造のために受容する共通組織目的、を区別するべきである。(1)の場合、交渉過程ではイデオロギー的対立が起こるだろう。(2)の場合には、交渉はより機会主義的なものになり、「私利を公益で覆う」企ての合理化が特徴になる。
最終的に、どんな具体的プログラムも操作的目的群を獲得することになると仮説を立てる。いったん獲得すると操作的目的はプログラム評価の基礎となる。
組織のどこでも、革新感受性は特定単位ニーズ革新関連性の関数といえる。すなわち、革新提案の目的範囲が担当組織層には不適切なとき、
といった選別を受ける。
プログラム提案あるいは変化が起きた状況を考える。連邦的組織において、それが既存操作的目的に関するものであれば、一元的下位組織の中で起こり、トップ層の創始参加はプログラムの承認が主となる。どの現業単位にも収まらない非操作的目的に関するものであれば、トップ層による新操作的目的定義と新プログラム創始が起こる。
他方、合成的組織においては、個別の操作的目的を包含する最小単位が「組織」であるため、トップ層でより広範な革新活動が見られる。 ライン・補助組織においては、連邦的組織と同様に、既存操作的目的に関する革新の大部分はトップ層ではなくライン部門で起こる。ライン・補助組織の革新の場所と起こりやすさは、一元的ライン部門の自己充足度に依存する。一般に、革新の提案者は公式構造上隣接していない構造要素や既存プログラムは所与で不変とみなすため、組織が合成的であるほど、ライン単位の革新活動は不活発になる。このような状況下で革新を成すためには、起案部門だけでなく、その相互依存部門にも資源配分することが必要である。
それゆえ、活動・操作的目的を公認組織単位に割り当てることは、選任の従業員集団を作るという大きな意義があり、その目的に関する更なるプログラム作成の創始の要点である。また、活発な革新活動は、プログラム化活動において重い業務責任がなく、計画責任のある個人・単位が存在する層で活発に起こる傾向にある。トップ層の革新関与度は、用いる調整類型に一部依存する。すなわち、トップ層の革新関与度はフィードバックによる調整で増大し、計画による調整で減少する。また、組織の上層部の注意のほとんどは、組織構造維持、組織存続、複数下位組織活動に意義のある革新提案に向けられるため、トップ層の革新関与度は、予定表にある他の優先項目の数にも依存する。
組織内の革新の場所は権力・影響力の分布にもかなり影響する。これには二つ理由がある。
この不確実性吸収の必要性のため、提案評価は推測過程の場所に大きく影響され、通常、不確実性の大量吸収は起案場所近くで起こる。
ここまで述べてきた、プログラム化/非プログラム化意思決定に関する命題は、国家計画・企業内計画の計画過程の議論に適用することで、その大局的意味を知ることができるだろう。計画過程は以下の2つの文脈で議論されてきた。
中央計画の論点は、経済運営の中央メカニズムとして、どのようなときに私企業・市場・価格に委ね、どのようなときに介入すべきか、である。アダム・スミスは、この問題に枠組みを与えた「見えざる手」についての有名な一節の中で、次のような主張をした。
最初の命題1は多少単純な事実問題の提起だが、2は物議を醸しごく最近まで次の2つに焦点が別れた。
つまり(1)動機づけ、(2a)社会的厚生基準の定義、(2b)社会的厚生の相似現象、の3問題を考える必要がある。ここでは、人間の情報処理能力と限界がいかに計画に影響するかという認知問題に注目したいので、(1)動機づけと(2a)目的対立の問題は少しコメントして片付け、問題(2b)に関連する認知的側面の議論を進める。
私利が唯一頼りになる人間の動機なのか否か。第3~5章の考察に帰れば、人間の動機づけに関する現在の知識では、単純にどちらともいえない。いずれにしても、現代の計画の経済分析においては動機づけ問題はそれほど重要ではない。社会的厚生関数の定義問題もまた、第3~5章のテーマに関連している。計画論争にとって、この理論の唯一の意義は、非常に強い仮定を置かなければ社会厚生関数が成立しないことを示したことだ。本書の主要関心は組織内計画なのだから、組織目的の定義問題には触れず、当面そのような目的の存在を仮定しよう。
単目的(例えば「利益最大化」)の一組織を考えてみよう。この組織は一定の資源を自由に使え、資源制約のもとでの目的達成が問題である。その主体が、可能な代替的行為とその結果の効用を結ぶ関連情報をすべて持っているならば、どの代替的行為が組織に最良か分かる。これが中央計画の最も単純な形態である。代替的に、組織内で市場の働きと価格メカニズムを真似することもできる。組織を様々な下位部分に分解し、それぞれに「利益」を設け、部分間を流れるすべての商品に「市場」を創るのである。各部分は投入を購入し算出を組織内他部分あるいは組織外に販売する。この手続きは価格を通じた分権的意思決定と呼ばれる。
厚生経済学の古典的定理は、完全競争かつ外部性がないならば、個々の企業による利益最大化は経済の社会的公正を最大化することを示し、これは計画・無計画論争において重要である。一方で、企業内の価格を通じた分権化にはほとんど関係ない。というのも、価格の物差しを提供する外部市場がないような中間財において、組織内部の市場は独占と不完全競争に陥ってしまうからである。しかし、バローネによるより新しい定理によれば、利益最大化ルールではなく、価格を各下位部分で制御可能な限界費用と等しくするルールに換えれば、完全競争でなくても「見えざる手」により企業利潤最大化に至る。この定理においては、外部性がない仮定は重要であるために、実際に価格メカニズムを組織内分権化意思決定に適用することは困難である。結局、厚生経済学の基本定理は、分権的価格メカニズムが中央計画より好ましいと主張しなかった。アダム・スミスが後者をより好ましいとする理由は動機づけの第一公準であったが、この公準の無視で、より最近の厚生理論の分権化の根拠は骨抜きになった。フォン・ミーゼスは、第一公準に代わる新しい議論を進めてきた。
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