もし鉄道について経済学的な議論をするのであれば、鉄道システムのもたらす便益だとか国民経済的な効果だとかを持ち出すことになるのであろう。鉄道システムの波及効果を考慮すれば、一般にその経済的効果は大きなものであり、しかもその議論は、素人が見たのでは理解不能なほどに高度で、かつ抽象的である。しかしこの本では、そのような高尚な議論や机上の空論を持ち出すつもりは毛頭ない。問題の本質はもっと別の所にある。
鉄道事業者の資金調達問題を調べてみたい。そう思い立って調査研究に着手して以来、私の頭の中には、いつも二つの疑問がぐるぐると渦を巻いていた。すなわち、
非公式に接触していた会社を除けば、今回直接の調査対象となった鉄道事業者は、旧国鉄・JR東日本、日本鉄道建設公団、都営地下鉄、営団地下鉄であったが、この二つの疑問に関しては、こうした巨大企業も中小企業も個人の住宅ローンも基本的に変わるところはない。
自分の目線の高さで鉄道経営を見つめ、自分の耳で直接関係者の話を聞くことで、鉄道経営の抱える問題の本質をつかみ取りたい。それがこの調査研究の目的であった。しかし、私の二つの疑問に対する答えはまだ断片的にしか見つかっていない。ひょっとすると、いくら探しても断片しか見つからないのかもしれない。まずはこの序章で、鉄道経営の抱えている問題の全体像を素描しながら、拾い集めた答えの断片をはめ込んでみることにしよう。ちょうど発掘された土器の破片から土器を復元するときのように。私が見つけた各断片の詳細な検討は第1章以降の本編で行うことにする。
経営学者である「私」は、現在の鉄道経営を考察するための準備作業として、まずは、既に結果の出てしまっている「教材」として、国鉄の事例を選択し、なぜ国鉄が破綻したのかを追いかけることから始めた。ところが驚いたことに、鉄道の地位低下や人件費膨張、そして赤字ローカル線の存在――これまで国鉄の経営破綻の原因として挙げられてきた要因は、実は直接の原因ではなかったのである。直接の破綻原因は、国鉄が1965(昭和40)年度から着手した第三次長期計画の資金調達スキームの失敗にあった。
つまり、わかりやすく言うと、改良工事や設備更新に必要な資金を高利の債券で調達したために、雪達磨式に負債が膨らみ、たった数年であっけなく経営が破綻してしまったのである。しかも、そもそも必要資金を高利の債券で調達するという無茶苦茶な資金調達スキームでは、すぐに経営が破綻してしまうということを、当時の国鉄自身が事前に警告していたにもかかわらず。
こうして、経営内容に立ち入らずとも、資金調達スキームだけで、国鉄の経営破綻のシナリオはできていたという驚くべき事実。鉄道の地位低下や人件費膨張など起こらなくても、そして赤字ローカル線が存在しなくても、国鉄の経営は破綻していたという驚くべき事実に、経営学者としての私の目は、否応無しに、資金調達スキームに向けられることになる。破綻当時は資金調達スキームという言葉すら存在しなかったのである。
そして、調査を進めていくうちに、さらに驚いたのは、現在でも各鉄道会社(正確には鉄道事業者)で、資金調達スキームを把握している人がほんの数人しかいないという事実である。数十億円〜数百億円単位の巨額資金が日常的に動いているにもかかわらず、一般の職員や従業員は、自分の会社がどのようにして資金調達をしているのかも知らなければ、そこでどんな理不尽な理屈を押しつけられているのかも知らない。そして、かつて国鉄が、それが原因で破綻したことも知らないのである。
そこで私は、鉄道建設に的を絞って資金調達スキームを調べることにした。国鉄の分割民営化で資金の流れは複雑になったが、日本では、鉄道建設のための資金は二つの組織を経由して流れている。一つは国鉄分割民営化の落し子の末裔である運輸施設整備事業団、そしてもう一つは日本鉄道建設公団である。この二つの組織を通した補助金、交付金、無利子貸付金、財投資金の流れを整理して把握すれば、資金調達スキームのかなりの部分は押さえられる。言い方を変えると、鉄道建設の資金調達スキームは、官民を問わず、かなりの部分がこの事業団と公団、すなわち政府によって決められてしまっているのである。
その結果、驚いたことに、有利子の旧国鉄債務を返済するのに当てられるべき資金、JR東日本・JR東海・JR西日本から入ってくる既設新幹線譲渡代金、年額7,424億円のうち、実に1,059億円が、「交付金」あるいは「無利子貸付金」として整備新幹線等の建設資金に注ぎ込まれていることもわかった(1997(平成9)年度決算)。国鉄分割民営化までの間に雪達磨式に約20兆円にも膨らんだ国鉄の長期債務の利子すら賄えない状態であるのに。
旧国鉄関連の話だけではない。都営地下鉄の建設のために発行される建設債では、その利子部分の支払いが先延ばしにされ、その間を特例債という有利子資金でつないでいる。そのため、結局、利子を雪達磨式に転がして膨らませてから国庫か東京都の一般会計で支払うという首を傾げたくなる行為が繰り返されている。どうせ国か東京都が支払うのであれば、利子で膨らむ前に支払ってしまった方が安上がりだというのが社会的な常識ではないだろうか。一体、この国で、国鉄の経営破綻の教訓は生かされているのか。一体、どんなポリシーがあるというのだろうか。
実際、資金調達スキームの応用問題として、ケース・スタディー的に営団地下鉄と都営地下鉄の地下鉄建設費の資金調達スキームを比較してみると、同じような業態にもかかわらず、営団の方が厳しい条件での資金調達を強いられていた。しかも営団南北線の建設では、建設工事が始まった後も、何度となく資金調達スキームが変更されていただけではなく、補助金そのものが8年間にもわたって凍結されていた。いかに国の予算は単年度主義だといっても、へたをすると資金繰りにも困りかねない事態ではないか。この他にも、補助金の出し方は、政策の一貫性に疑いを抱かせるような変転をめまぐるしく続けている。
日本と好対照をなしているのがドイツである。ドイツでは、日本の国鉄分割民営化をモデルにしているともいわれる鉄道改革(Bahnreform)が1994年に行われて、旧東西ドイツの国鉄はドイツ鉄道株式会社(DBAG)に生まれ変わった。しかしドイツでは、鉄道だけではなく道路も含めた一貫した交通政策や議論が鉄道改革前から存在していた。ドイツでのインタビュー調査において、鉄道改革に至る戦後のドイツの鉄道事情が、過去の事件や成り行きの集積としてではなく、それぞれの長期的な政策として語られていたことは新鮮な驚きであった。しかし鉄道改革前には、そうしたいくつもの長い縦糸(=一貫した政策)が、国鉄という結び目で複雑に絡み合ってしまっていたために、鉄道改革によって、その結び目を東西ドイツ国鉄を再編することで解きほぐし、それぞれの縦糸に政策としての一貫性を確保したのだと考えると理解がしやすい。
その結果、ドイツでは、鉄道建設に莫大な設備投資資金を投入するための資金調達スキームは、鉄道改革を通して、よりシンプルなものに整理されつつある。連邦政府の関係する主な補助金、無利子貸付金がGVFG、DBGrG、BSchwAGなどと、その根拠法の略称で呼ばれていることは印象的である。それと比べて日本では、国鉄分割民営化は国鉄の「清算」を意図したものであり、格段に簡単な作業だったはずにもかかわらず、分割民営化後、ルールが場当たり的にコロコロ変わり、資金調達スキームがかえって複雑化してしまった。まさに好対照である。
資金調達スキームが重要であるのは、鉄道建設も鉄道経営も基本的には金利との競争であるという事実が厳然として立ちはだかっているからである。建設資金がこれだけ巨額になると、開業時点までに累積する有利子負債額がある限界を超えてしまえば、もはやどんなに頑張っても、営業利益は利子の支払いにも追いつかない状況になってしまう。こうして支払利息で営業利益が吹き飛ぶような状況下に置かれていては、いくら営業努力を積み重ねても報われず、借金は雪達磨式に膨らんで、いつしか営業努力自体も忘れ去られることになるだろう。そのことをわれわれは国鉄という「教材」で学んできたはずではなかったのか。
そうならないためには、まず第一に、無理のない資金調達スキームを最初に工夫する必要がある。つまり、@できるだけ補助金や無利子貸付金そして内部留保で資金調達し、A有利子負債はできるだけ低金利のものにして、B補助金、無利子貸付金、内部留保をできるだけ早い時点で投入し、有利子資金の投入をできるだけ遅らせる必要がある。こうして開業までの間にどうしても膨らんでしまう有利子の負債額をできるだけ圧縮するのである。
第二に、今度は、着工から開業までの期間をできるだけ圧縮することである。開業するまでは収入がないわけであるから、当然元利ともに返済ができるわけもなく、その間の利息で有利子負債の額は雪達磨式に膨らんでいってしまう。特に、建設主体が経営主体と別になっている場合には、要注意である。着工から開業までの期間が延びれば、「つなぎ資金」の有利子負債が雪達磨式に膨らむが、このリスクを建設主体と経営主体がシェアするような仕組みがまだない。そのため用地買収から始まる工事期間が延びても、建設主体には何の痛みも伴わないので、工事期間の延長に歯止めがかからなくなる。それが言い過ぎであれば、少なくとも早期開業を目指す意気込みが違う。そうやって膨らんでしまった巨額の有利子負債のために、開業前に「破綻」が決定的になった経営主体のケースもあると業界では噂されている。鉄道の建設・改良と経営をただ上下分離しただけでは何の問題解決にもならないのである。リスク・シェアリングの仕組みを作らなければ、むしろ事態を悪化させる可能性の方が大きい。
第一のポイント、無理のない資金調達スキームを最初に工夫する必要がある、ということを見事に例示しているのが、地下鉄建設の資金調達スキームである。かつて地下鉄建設への補助金は、累計額では建設費用の半分以上を出していることになっていた。ところが、運営費補助として10年以上にわたってだらだらと交付されていたために、一番資金が必要な建設時にはほとんど資金がなく、結局、鉄道事業者が、建設資金の多くを「つなぎ」として市場や銀行からの有利子負債で調達せざるをえなかった。そうやって開業までの建設段階で雪達磨式に膨らむ有利子負債の額があまりに巨額になってしまうために、結局は、そのあとだらだらと交付される補助金は利子補給にしかならなかったのである。
しかし1992(平成4)年以降のルールで、建設時一括交付の資本費補助方式に変更になり、事態は好転する。建設時の一括交付で、開業までの「つなぎ」の有利子負債の額を半分以下に圧縮でき、ひいては利子の額も半分以下に圧縮できるようになったのである。そのために、実質補助率が低下したにもかかわらず、地下鉄事業者の実質負担は大幅に軽減し、収益構造の改善に大いに貢献することになる。つまり調達される資金の額だけではなく、資金を調達するスキームによっても、開業後の鉄道経営は決定的な影響を受けるのである。
鉄道建設に補助金を投入する場合、このように、補助金を資本費補助として建設時に集中投下し、有利子負債額と工事期間の両方をできるだけ圧縮することが肝要である。それほど有利子負債の存在は重圧であり、補助金を薄くばら撒くことはドブに金を捨てるようなものである。そして実は、有利子資金を調達しながら鉄道建設を行うこと自体が、いまや国際比較上当たり前のことではない。
例えばドイツである。ドイツでは鉄道改革当時、鉄道に対する莫大な設備投資を必要とする状況に陥っていた。もともと旧西ドイツ側でも道路やアウトバーンが優先され、鉄道への設備投資が遅れていたが、さらに旧東ドイツの国鉄の設備は劣悪で、分断されていた東西ドイツを結ぶ路線も早急に整備する必要があった。しかし赤字続きで巨額の累積赤字を抱える国鉄が莫大なインフラ整備を負担できるわけもなく、代わりに連邦政府が財政負担することに決めたのである。1999年から始まった鉄道改革の第二段階では、新線建設はすべて連邦政府の補助金で、改良工事は連邦政府からの無利子貸付金と鉄道事業者自身の内部留保で賄うこととした。日本のように、鉄道建設の資金調達を安易に有利子負債に求めず、全額を補助金等で財政負担する覚悟を決めたということは注目に値する。
それでは、既に巨額の借金をしてしまっている場合にはどうするのか。それは、少しでも低金利のローンに借り換えるというのが、社会的常識であろう。実際、JR東日本は、低金利時代の追い風を利用して低金利資金を調達し、その資金で国鉄時代の高金利の鉄道債を繰上げ返済することで、分割民営化前夜に7.13%もあった長期債務の平均利率を、その後10年で5%以下にまで抑えることに成功した。JR東日本の長期債務の額は5兆円近いので、2%の違いは年間1,000億円にもなる。
ところが、財投資金や開銀融資は繰上げ返済を制度的に許してこなかったし、新幹線債務などは、規定上は繰上げ返済が可能だったにもかかわらず、実際にはある「事件」まで繰上げ返済を認めてこなかった。できるだけ高金利で貸し付けたままにしておきたい政府側とJR側との温度差は広がるばかりである。比較的低金利とはいえ、繰上げ返済もできない財投資金にべったり頼って、単年度主義の場当たり行政に翻弄されるよりは、自社の経営内容に注意しながら市場での高い格付けを維持し、低金利のときにタイムリーに市場で資金調達をする方が、企業としてどれだけ健全なことか。JR東日本に限らず、財投脱却による資金調達の自立こそが、真の民営化の姿なのである。
そしてもう一つ、資金調達の自立でもっとも重要なことは、鉄道事業者自身に設備更新や新規投資のための内部留保をいかに確保させるかということである。少なくとも資金調達スキームに関しては、鉄道事業者の「自己決定原則」を貫かせるべきである。企業は、自らあげた利益に対して、それを処分する権利をもっていればこそ、今は多少我慢してでも利益をあげ、こつこつと内部留保の形で、将来の拡大投資のために貯えるのである。実際、民営化後の旧公社のパフォーマンス向上に本質的に重要だったものは「自己決定」であった。経営学的には、内部留保を含めた資金調達スキームの自己決定原則の確立こそが望ましい。
もう一度、国鉄の直接の破綻原因となった第三次長期計画について振り返っておこう。実はこの時期、国鉄は、新線建設ではなく、改良工事や設備更新の必要資金を高利の債券で調達したために、雪達磨式に負債が膨らみ、たった数年であっけなく経営が破綻してしまっていたのである。それでは、なぜ国鉄は、改良工事や設備更新の必要資金くらい、内部留保の形で用意しておけなかったのだろうか。その原因は、乱暴な言い方をすると、国鉄の内部留保分に対する政府と地方自治体の「たかり」にあった。1949(昭和24)年の国鉄発足以来、国の社会・文教・産業政策との関連で、通勤・通学定期、特別扱新聞紙・雑誌等の形で、国の肩代わりをさせられた運賃上の公共負担は1967(昭和42)年度までの累計で9,514億円に達する。さらに1956(昭和31)年度から地方財政健全化のために課された市町村納付金は1967(昭和42)年度までの累計で997億円になる。合計すると1兆0511億円もの資金が、国や地方自治体の手で国鉄からむしりとられていたことになる。この金額が、1965(昭和40)年度から着手した第三次長期計画の最初の3年間に、国鉄が調達した設備投資資金の合計額1兆0204億円とほとんど同額なのは、たんなる偶然であろうか。もしこれだけの資金が内部留保されていれば、国鉄は経営破綻しなくても済んだはずなのである。これがいずれ雪達磨式に借金約20兆円にも膨らむきっかけとなったのだから、随分と高くついたものである。その場しのぎで目先の金に群がれば、いずれはさらに高いつけとなって跳ね返ってくることになる。
社会的常識では、鉄道に限らず、施設の建設は長期のトータル・コストで考えるべきである。建設コストの他に、少なくともメンテナンス・コストや支払利息を計算に入れるべきである。この当たり前のことを実践させるために国民に許されたもっとも有効な選択肢は、会計検査院が検査の視点を変えることである。従来の会計検査院の検査は、一般に目の前の「モノ」に視野が限定されがちであった。しかし、いかなる検査対象も「ビジネス」としての広がりをもっている。トータル・コストの視点から、会計検査院が資金調達スキームの事前検査も行うようになれば、国鉄の例にもあるように、仔細な経営内容に立ち入らずとも、比較的容易に巨額の国損を未然に回避することができる。経営破綻まで行かなくとも、最初に投下する補助金・無利子貸付金の額を出し惜しみしていると、その分増えた有利子資金のせいで、長期的に見ると国民がかえって大きな負担を強いられることになるのは厳然たる事実なのである。
少なくとも、国鉄経営破綻前夜のように、当事者自身が危険信号を発している場合には、会計検査院は事前検査を率先して行うべきである。その際のポイントは、明らかに合規性ではない。合法的な資金調達スキームでも、利払いを含めた負債の返済計画が破綻していれば、常識的に考えてナンセンスなのである。どんなに非常識なものでも、法律さえ作ってしまえば不当事項として指摘されることはあるまいという「確信犯」に対して、会計検査院は自らの検査マインドに立ち返ってクレームをつけるべきである。事前検査が無理でも、せめて資金調達スキームをトータル・コストの視点から事後検査すると宣言すべきである。さすれば、補助金や無利子貸付金、さらには有利子の財投資金を使った資金調達スキームも変わらざるをえなくなるはずである。
序章 メッセージ
第1章 国鉄の経営破綻と資金調達スキーム
第2章 鉄道建設の資金調達スキーム
第3章 JR東日本に見る金利との競争
第4章 ドイツの鉄道改革と資金調達スキーム
第5章 ビジネスとしての視点
あとがき