ぬるま湯感は不活性化状態ではない。ぬるま湯感は体感温度(=職場のシステム温−組織人としての体温)で説明できるし、変化性向として測定もできる。チャレンジ精神や成長性などとの意外な関係も明らかになる。そうした関係を本書第6章第2節の要約を基に整理しておこう。
当初、「ぬるま湯」現象は、組織の活性化していない状態の典型であると考えられていた。しかし、ぬるま湯感と職務満足感の間には、確かに有意な負の相関関係があるものの、職務満足感を感じている人のほぼ半数がぬるま湯感も同時に感じており、職務満足感とぬるま湯感との間にはかなりの重なりが存在している事実が判明した。
もともと「ぬるまゆにつかる」とは「現在の境遇に甘んじてぬくぬくとくらす」あるいは「安楽な現状に甘んじて呑気に過ごす」意味であるとされている。そこで、現状に甘んじることなく変化を求める傾向、現状を打破して変化しようとする傾向、これを変化性向と呼び、つかっているお湯の温度に対応するものとして、組織のシステムとしての変化性向である「システム温」を考えた。このシステム温が高ければ、「温度」が高く、熱いと感じ、逆に、システム温が低ければ、「温度」が低く、ぬるいと感じるのではないかと考えたが、調査データは、ぬるま湯感を説明するためには、システム温だけではまだ不十分であることを示していた。
そこで、「ぬるい」と感じるか「熱い」と感じるかということは、組織人としての「体温」をベースとした体感温度の問題なのではないだろうかと考えたわけである。ここで体温とは、組織のメンバーの組織人としての変化性向である。この体温とシステム温との温度差で、ぬるま湯感を説明することを考えたのが、体感温度仮説である。
仮説1 (体感温度仮説). 体感温度をシステム温と体温を使って、企業のぬるま湯的体質をかなり説明することができるということが1987年調査のデータによって検証されている。さらに中間管理職を対象とした1988年調査でも、体感温度仮説によって、ぬるま湯感を説明できることが確認された。また1988年調査では、1987年調査と比較して、高水準のぬるま湯感が存在していたが、両調査のシステム温の平均はほとんど同じであり、システム温だけによって1988年調査での中間管理職の高水準のぬるま湯感を説明することはできない。しかし、体感温度仮説によれば、1988年調査の体温の平均が、1987年調査の平均を大きく上回っていたために、その体温の高さゆえに体感温度が低下し、その結果、ぬるま湯感が高水準になっていると説明することができるのである。
体感温度仮説が正しければ、体感温度はシステム温と体温の温度差なので、システム温、体温が共に高くても、共に低くても、同じ体感温度になってしまう。したがって、組織や職場の状態をその中にいるメンバーの「感じ」だけで判断してしまうことは危険だということになる。メンバー自身が「適温」だと思っていても、その実態はシステムも人も変化性向の低い状態になってしまっているかもしれない。経営学の領域でいう「ゆでガエル現象」である。体感温度仮説においては、体感温度の概念を定義、操作化することで、こうした指摘を単なる教訓話としてではなく、論理として議論の対象として提示することに、ある程度成功していると考えることができる。
湯かげん図において重要なことは、活性化していると呼ぶべき状態が「適温」の状態であることは確からしいが、他方、本来、活性化していないと呼ぶべき状態は「水風呂」の状態であって、「ぬるま湯」と感じている領域はどちらとも異なるということである。つまり、ぬるま湯の状態は不活性状態の典型というわけではなかったことになる。
こうして、システム温と体温の差によってぬるま湯感を説明する体感温度仮説を立て、ぬるま湯感を説明することに一応成功したが、いくつかの問題がまだ解明されないままに残っている。こうした問題に答えるために、この後の作業が続けられた。
なぜ、ぬるま湯的体質が企業から問題視されるのだろうか。そして、本当は違うのに、なぜ、ぬるま湯的体質が「組織が活性化していない状態」の典型という発想が生まれるのであろうか。そのことを明らかにするために、次の仮説が検討された。
仮説3 (成長性先行仮説). (a)成長期にある企業はぬるま湯感が低く抑えられていて、また活性化された状態が比較的容易に達成されうるのだが、(b)企業が低成長もしくは低迷に陥ってしまえば、活性化された状態は失われやすく、ぬるま湯感も進みやすい。つまり、組織の活性化された状態とぬるま湯現象は、概念的には独立の、直接的には因果関係の存在しない現象であるにもかかわらず、
というように、成長性という先行変数があるため、見かけ上は疑似相関があるだろうと予想するのである。
1989年調査によると、実際,ぬるま湯比率と活性化比率との間には負の有意な相関関係がある。つまり、活性化しているほど、ぬるま湯感が減少しているように、あるいは、ぬるま湯感が減少するほど活性化しているように見える。しかし、各社ごとにぬるま湯感と活性化の相関関係をみるために3重クロス表を作ってみると、こうした相関関係が、表面的、間接的なものであり、成長性という先行変数があるために、見かけ上の疑似相関であることが明らかになった。したがって、成長期の企業は活性化していて低ぬるま湯感、低迷期の企業は活性化していなくて高ぬるま湯感という特徴を持ち、全体として総計すると、見かけ上、活性化とぬるま湯感の間に相関関係がみられると考えられるのである。
疑似相関であるから、ぬるま湯感と活性化との間には、直接の因果関係は存在せず、ぬるま湯感を人為的に変化させても、直接的には活性化に変化は生じないはずである。そのことは実際にも確かめることができ、その良い例がG社で、調査年に社名を変更して、CIの真っ最中であり、そのために、システム温が上昇して、ぬるま湯感が低下しているが、活性化については、今までのところ変化していないことがはっきり示される。
もし企業が高成長を続けているのであれば、その組織自体の変化率が大きいことから、組織が現状に留まることは、したくてもできず、組織のシステムとしての変化性向も大きなものとならざるをえない。そのため、ぬるま湯感は自然と低く抑えられることになる。したがって、成長性仮説が明らかになったことで、ぬるま湯感の発生は、その企業の成長性が鈍化し、衰え始めることで、システムの変化性向すなわちシステム温が低下してきているという意味での危険信号、シグナルになっていると考えられるのである。
体感温度仮説の検証を行った際に、一つの重要な事実発見、すなわち「非ぬるま湯」群の大部分が、実は「熱湯」ではなく、「適温」と呼ぶべき領域に属していたことがわかった。そこで、第3章では、こうした事実発見をふまえて、「ぬるい」対「熱い」という対立図式を体感温度によって説明するのではなく、ぬるま湯比率を体感温度で説明することを考え、次のような体感温度仮説のぬるま湯比率版を考えた。
仮説4 (ぬるま湯比率に関する体感温度仮説). ぬるま湯と感じる人の比率をぬるま湯比率と呼ぶと、体感温度が高くなるほどぬるま湯比率は低下する。これまでの質問票調査によって集積されたデータと経験をもとにして、質問項目の収集、整理が行われ、それを基にした質問調査票の設計を行い、1990年に予備調査と本調査の2回の調査を行って、質問項目リストの改善を図った。さらに追試として、1991年に調査を行い、質問項目リストの再吟味を行った。その結果、体感温度の測定はより信頼できるものになったことがわかった。
なぜ、職務満足感とぬるま湯感は共存するのであろうか。そもそも、職務満足はどこから来て、システム温、体温といった変化性向とはどのような関係があるのだろうか。職務満足については、内発的動機づけを考えることがもっともらしい。
内発的に動機づけられた活動とは、当該の活動以外には明白な報酬がまったくないような活動のことである。見た目には、つまり外的には何も報酬がないのに、その人がその活動それ自体から喜びを引き出しているようなとき、そう呼ばれる。言い換えれば、その活動が外的報酬に導いてくれるという、目的のための手段になっているという理由からではなく、その活動それ自体が目的となって、その活動に従事しているような活動を内発的に動機づけられた活動というのである。
内発的に動機づけられた行動は、人がそれに従事することにより、自己を有能で自己決定的であると感知することのできるような行動である。人間にはもともと有能さと自己決定の感覚への欲求があり、それが自己とその環境との相互作用の結果として、特定のいくつかの欲求へと分化していくのである。ここでの「有能さ」という用語は、自己の環境を処理し、効果的な変化を生み出すことのできる人の能力または力量を指しており、言い換えれば、有能さという用語を選ぶことで、変化性向の概念を考察していることになる。人は自己の環境を自分で処理し、効果的な変化を生み出すことができるときに、有能で自己決定的であると感じるのである。もちろん本書では、変化性向の大きさを測定しようとする試みからスタートしていることからもわかる通り、変化性向には個人差があることを前提としているが、この変化性向がある程度の大きさでは存在しているために、内発的に動機づけられた行動をとり、その結果、有能さと自己決定の感覚が高められれば、満足感を得ることになるのである。
変化性向の定義から考えて、個人の変化性向である体温が高いほど、そして、個人の組織内環境であるシステムの変化性向、つまりシステム温が高いほど、個人の自己決定の度合は高くなり、自己決定の感覚も高くなるはずだと考えられる。そこで、変化性向との関係から、自己決定の感覚に的を絞って、自己決定度を連結点にして、変化性向と職務満足を結び付ける自己決定度仮説を立てた。
仮説5 (自己決定度仮説). (a)個人の変化性向である体温が高いほど、そして組織のシステムとしての変化性向であるシステム温が高いほど、組織の中での個人の自己決定の感覚は高くなる。(b)この自己決定の感覚が高いほど、職務満足は高くなる。ただし、システム温は衛生要因的な役割を果たすにすぎず、それ自体が直接、自己決定の感覚をもたらすわけではないことには注意がいる。 1990年本調査、1991年調査のデータはともにこの仮説を支持している。この自己決定度仮説によって、なぜ職務満足感とぬるま湯感が共存しうるのかということを説明できる。体感温度仮説によれば、高体温・低システム温は高いぬるま湯感をもたらし、一方、自己決定度仮説によれば、高体温・高システム温は高い職務満足をもたらす。したがって、高ぬるま湯感領域と高職務満足感領域は、湯かげん図上で重なり、高ぬるま湯感・高職務満足感領域ができてしまうのである。
ぬるま湯感やシステム温、体温といった変化性向は、組織の生産性や職務遂行との間にどのような関係をもっているのであろうか。米国では、退出の意思決定に由来する欠勤、離職といった行動と職務満足との間に相関があることは広く認められている。次の退出願望と職務満足に関する仮説は、1990年本調査のデータでも容易に検証される。
仮説6 (退出仮説). 職務満足が低いときに、「組織を退出したい」という願望が知覚される。それに対して、職務満足と生産性の相関には疑問のあることが、これまでに指摘されている。これはどうしてなのであろうか。内発的動機づけのモデルでは、個人がより困難なことにチャレンジし、より効率的に生産活動を行うように動機づけられることを説明できる。しかもこのとき、個人の変化性向である体温が内発的動機づけを決定づけて、高い体温が高い生産性につながるのである。自己決定度仮説が示すように、体温とシステム温が高いほど自己決定度も高まるので、次のように変化性向を媒介させることで、事実関係をうまく説明することができる。
体温を先行変数として、自己決定度と生産性との間で疑似相関があると考えられる。しかし、自己決定度に対しては、システム温も影響を与えることから、その生産性との疑似相関はより弱いものになってしまうし、問題の職務満足と生産性との相関関係はさらに弱まり、明確な相関関係が見られなくなっていることも十分に考えられる。そして、こうした図式の中でシステム温がうまく機能しているかどうかということが、実は、本書のメイン・テーマであるぬるま湯感によって検知されていたのである。
高体温が高い生産性と直接的に結び付くという考え方は、事実関係を説明するには有力である。しかし、残念ながら、組織の生産性と変化性向との関係についてのデータを我々はまだ持ち合わせていない。そこで、経営の分野でこれまで蓄積されてきた事例研究や事実発見をもとにして、次の仮説が立てられる。
仮説7 (生産性仮説). 体温の高い組織ほど生産性が高い。以上の諸考察から、図1のような関係が組み立てられる。これが「変化性向の枠組み」である。職務満足の理論では、主要関心は二つの変化性向の足算つまり右下の方向に向いていたのに対して、もともと体感温度仮説では、二つの変化性向の引算つまり左上の方向に向いていたことになる。この変化性向の枠組みによって、ぬるま湯感と職務満足感の発生と共存のメカニズムが統一的に明らかにされるとともに、生産性や職務遂行との関係も明らかになる。
図1. 変化性向の枠組み
ところで、実はこれまで整理してきた仮説の中に次の仮説2が入っていなかったことに気の付いた読者もいただろう。
仮説2 (恒温仮説). システム温の変動にかかわらず、個人の体温は安定的である。いくつかの経験的証拠、状況証拠からすると、この仮説は正しいようなのだが、それならば、なぜ企業によって体温の違いができるのであろうか。そして、体温とシステム温の間に正の相関が見られるのはなぜだろうか。そこで本書では、本書及びこの章の締めくくりとして、システム温と体温の概念を膨らませて、より一般化し、単に大きさや量だけではなく、内容や質も考えることで、組織のロジックと「人質」という概念をそれぞれ考え出し、システム温と連動した体温形成のメカニズムについての一つの解答を述べている。