この論文は、エージェント・ベースド・モデル(agent-based model)あるいはマルチエージェント・シミュレーション(multi-agent simulation)とも呼ばれるシミュレーション・モデルを用いている。このモデルでは、複数のエージェントが、それぞれのルールに基づいてコンピュータ上の空間で行動する。各エージェントのルール自体は簡単なものでも、多数のエージェントが互いに影響を与え合いながら行動すれば、個別エージェントの行動を積み上げた全体では、予測もできなかったような複雑な動きをするようになる。複雑系の分野で、遺伝的アルゴリズムやカオス理論と並んで1990年代に注目を集めるようになった。
この論文のモデルでは、160個のエージェントを下から81-41-21-11-5-1個と6層に配置したピラミッド組織を考えている。各エージェントは18歳以上60歳以下の「年齢」と1以上10以下の「有能度」(degree of competence)で特徴づけられている。年齢は平均25歳(標準偏差5歳)、有能度は平均7.0(標準偏差2.0)の正規分布で与えられている。エージェントは、年齢が60歳を超えると退職し、有能度が4を下回ると解雇され、できた空席には下の階層から別のエージェントが昇進してくることになる。そうやって次々昇進していって最下層にできた空席には、さきほどの正規分布に従った有能度をもった新人が採用される(新人の年齢については言及がない。18歳と暗黙の前提があるのか?)。
そこで、このモデルでは、昇進する際の有能度の変化と選抜にそれぞれ特徴のあるルールが組み込まれる。まず、有能度の変化については、ある階層レベルで有能だったメンバーは、より上の階層レベルでも有能だろう(シミュレーション・モデルでは±10%程度の変動は確率的にすることになっている) という「常識仮説」(CS; common sense hypothesis)と、それに対して、有能度は元の階層レベルでの有能度とは独立の確率変数だという「ピーター仮説」(PH; Peter hypothesis)の二つのルールが考えられている。次に、選抜については三つの昇進戦略を考えている。最良のメンバーを昇進させる「最良戦略」(The Best strategy)、最悪のメンバーを昇進させる「最悪戦略」(The Worst strategy)、ランダムに昇進させる「ランダム戦略」(Random strategy)である。
そして二つの仮説と三つの昇進戦略を組み合わせて、2×3=6通りのシミュレーションを行っている。その結果、最良戦略や最悪戦略では、それぞれピーター仮説、常識仮説との組み合わせでは組織全体のパフォーマンスがマイナスになってしまうのに対して、ランダム戦略であれば、どちらの仮説が正しくても、組織全体のパフォーマンスはプラスになる。あるいは、ゲーム論的に最良戦略と最悪戦略を確率0.47と0.53で混合する「最良最悪戦略」(Best-Worst strategy)でもプラスになると結論している。
「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して贈られるイグノーベル賞は、ノーベル賞をもじって命名されたものだが、日本のニュースなどでも取り上げられるようになった。そのイグノーベル賞に、2010年、初の経営学賞が登場し、「人々をランダムに昇進させると、組織はより効率的になる」ことをコンピュータ・シミュレーションで示したプルチーノ(Alessandro Pluchino)、ラピサルダ(Andrea Rapisarda)、ガロファロ(Cesare Garofalo)の3氏に贈られた。
とはいうものの、残念ながら、私は何も知らず……なのだが、論文を読んでみたら結構面白かった。私が知らなかったのも無理はなく、授賞対象となった論文「ピーターの法則再訪」が掲載されたのは物理学系のジャーナル Physica A で、3人とも経営学者ではなかった。Physica A というジャーナルは、元々オランダの1934年創刊の物理学の英文ジャーナルPhysica が、1975年にA、B、Cの3つに別れたものの一つらしい。現在はD、Eまである。Physica A は統計学や確率を使った領域のジャーナルらしいが、最近では、複雑系やあまり物理学と関係のない論文も多いようだ。
論文のタイトルにもなっている「ピーターの法則」(Peter principle)とは、カナダ生まれの教育学者(論文の紹介では心理学者)ピーター(Laurence J. Peter; 1919年9月16日生〜1990年1月12日没)が唱えたものらしい。Laurence J. Peter & Raymond Hull, The Peter Principle, (William Morrow & Company, 1969)は、翌1970年に翻訳され(田中融二訳『ピーターの法則』ダイヤモンド社)、2003年には新訳(渡辺伸也訳『ピーターの法則』ダイヤモンド社)も出版されている。ピーターの法則とは「階層社会では、すべての人は昇進を重ね、おのおのの無能レベルに到達する」ということで、「やがて、あらゆるポストは、職責を果たせない無能な人間によって占められる」という結末になるわけだが、実は、成果主義で人事をすることこそが、その原因なのである。そのことが、『ピーターの法則』の本全体で、さまざまな事例を出して、繰り返し、繰り返し強調されている。そして、そのことをこの受賞論文はコンピュータ・シミュレーションで示したのだ。
では、なぜそうなってしまうのか? その理屈は簡単である。必要とされる能力は仕事によって異なるのだというごく当たり前の事実からきているのである。階層社会でいうと、ある階層レベルでは有能だった人が、その上の階層レベルでも有能だとは限らない―というか、むしろ無能である可能性が高い―ということである。『ピーターの法則』では、現場では教師、技術者、監督者として有能だったので管理職に昇進させると、その途端、管理職としては無能ぶりを発揮しだした例を次々と挙げていく。
実際、ヒラで必要とされる能力と管理職として必要とされる能力とでは違いがあるし、経営者には、さらに特別な資質・能力が求められることは直感的には理解できる。現在のポジションでどんなに成果を挙げていても、昇進させてうまくいく保証などない。だから私は、成果主義や論功行賞で人事をやってはいけないといい続けているし、人事は、あくまでも適材適所でやるべきものなのである。
そもそも、「論功行賞」という言葉は、企業の現場では悪い意味で用いられるビジネス用語なのだ。自分が過去に使ったことのある状況を思い出してみればいい。たとえば、
「なんで、あいつがあんな重要ポストについているんだ?」
「論功行賞らしいよ。なんでも、例の一件で、常務に恩を売ったとか。」
つまり、そのポストが必要としている能力に比して、明らかに力量不足の者(あるいはスペックが違う者)が、分不相応に就かせてもらったときに、適材適所との距離感を埋めるための理由として「論功行賞」は使われるのである。人事というのは適材適所で行われるべきものであって、論功行賞で行うものではない。(詳しくは拙著『虚妄の成果主義』ちくま文庫を参照のこと。)