Fortune 2009 World’s Most Admired Companiesに選ばれた医療産業の59社のうち、KDL (Kinder, Lydenberg, Domini)のCSR (corporate social responsibility; 企業の社会的責任)評価のある51社を対象とした分析。
分析の結果、Fortuneの評価に対して、女性取締役数だけが有意で、多段階の回帰分析により(共分散構造分析を使う方が一般的だと思われるが)、制度的強度と技術的強度が媒介変数だということがわかったとしている。しかし、なぜだろう。確かに、この論文で定義しているような取締役会の多様性が評価に効くとは思えないが、女性取締役数(構成比率でもない)が評価に効くという理由も分からない。しかも企業の社会的責任CSRの評価が媒介変数になるという理由も分からない。考えられる原因としては、非説明変数であるFortuneの評価の中に既に社会的責任が入ってしまっていること、そして、企業側が年次報告書にわざわざ女性取締役の写真を載せるほど(p.210にそう書いてある)、女性取締役の存在が企業イメージにプラスの効果があることだろうか。
こうした論文を読むと、企業の社会的責任とは何かとつくづく疑問に思う。かつて保険金不払いが問題になっていた保険会社で、従業員が東南アジア諸国にまで行ってマングローブを植えていたことを環境団体がCSRとして高く評価していたが、「そもそも保険会社の社会的責任とは、保険金をきちんと支払うことだろうが。マングローブなんか悠長に植えている場合か」という至極真っ当な批判を関係者(環境団体も含めて)は、どう受け止めていたのだろうか。それを考えると、こんな論文のあやしい分析を根拠にして、CSRは大事ですよという主張をする輩が続出するようでは、CSR論(それを論じている人も含めて)はそもそも百害あって一利なしなのではないかという気までしてしまう。
そもそもFortuneの評価がそれほど信用に値するものなのか。たとえばFortuneが1996年〜2001年に6年連続で「米国で最も革新的な企業」に選んでいたエンロン(2000年度の売上高は全米第7位、世界第16位)は、2001年10月17日に粉飾会計疑惑が報道されるや、わずか46日で、12月2日に倒産してしまった。あるいは、かつて企業の株主利益や株価と相関していると主張されていたGMI (Governance Metrics International)のガバナンス評価で、10点満点をとっていたGMは(その間、日本企業の平均はなんと3点台)、あろうことか数年後(2009年)には経営破綻してしまった(高橋, 2010)。こんなによくある事例からすれば、どこかの機関の「評価」を変数で使うには、長期にわたってデータを集めて信頼性を検証する作業がまずは必要ではないだろうか。
高橋伸夫(2010)『ダメになる会社: 企業はなぜ転落するのか?』筑摩書房.