高橋伸夫ゼミナール 《2019年度冬学期テキスト: 課題・要約・参考文献》  Handbook  BizSciNet

Barnard, Chester I. (1938). The functions of the executive. Cambridge, MA: Harvard University Press.

C.I.バーナード『新訳 経営者の役割』(山本安次郎・田杉競・飯野春樹訳) ダイヤモンド社, 1968.



(pp.37-44)

【解題】バーナードが論じようとしているのは、軍隊のように上官が部下に命令すれば動く組織でもなければ、金で動かす組織でもない。では、どうやったら組織は動かせるのか。(高橋伸夫)

 管理者は、組織の本質的問題を論ずるに当たって、もしそれぞれの分野の専門的用語にこだわらずに質問が述べられさえすれば、僅かの言葉で相互の考えを理解することができる、というのが著者の体験するところである。牧師、軍人、官吏、大学職員や様々の実業人たちは、誰もが同じような理解、センスを持っているように思われる。このように、組織化に堪能な人々が持っている生きた理解、評価、考え方に見られるような組織の一般的特徴というものが存在する。

 ところが、著者の経験に合致するように、あるいは管理実践や組織のリーダーシップに練達だと認められた人々の行為のうちに含まれる考え方に合致するように、組織を取り扱った書籍は一つもない。 組織の外見的特徴を叙述、分析した優れた著書はあるものの、管理職能を理解するためには、いかなる種類、性質の力が、どのように作用しているかを知ることも要求される。それだけでなく、公式組織が社会生活の最も重要な特徴であり、また社会そのものの主要な構造的側面であることがあまり認識されていない。社会研究の一般理論は発達したものの、それに関連する大衆の行動との間に橋渡しがないように思われる。

 組織の一般的特質に対する研究を妨げていたものは、国家と教会に関する思想、あるいは経済思想である。国家と教会の本質に関する長い思想史について、この思想の中心は権威の起源と本質に関するものであった。そこから出てきた法律万能主義が社会的な諸組織の本質的事実を認めさせず、この法律学説と相容れぬ組織理論は受け容れられてこなかった。

 加えて、過去150年間における経済思想の発展過程と初期の経済理論の形成においてあまりにも安易になされた人間行動の経済的側面の誇張である。 アダム・スミスやその後継者たちによって発達した諸理論は、経済的関心のみを過度に強調し、特定の社会的過程に対する関心を抑圧した。 さらに、功利主義に根ざす唯物論哲学を持っている純粋経済理論の中で、動機というものに適当な考察を加えず、また社会的行動のうちで、生理的過程とは別個の知的過程の占める地位を一般に甚だしく誤って考えた。こうした思想の中では、人間は「経済人」であり、経済的以外の属性はわずかしかもたないのだということを意味した。

 一方で組織およびそこにおける人間行動というものは、こうした経済理論と経済的関心を第二義的地位に退けて初めて理解できる。これは政治的、教育的、宗教的組織などの非経済的組織が重要だというだけでなく、特に経営組織に関連して、非経済的な動機、関心および過程が、経済的なそれらと並んで取締役会から末端の1人に到るまで、その行動において基礎的であることを意味する。このように、誤って捉えられている組織というものを、著者自身の体験と信念によって論じたのが本書である。

(中村匠)


第1部 協働体系に関する予備的考察


第1章 緒論 (pp.3-7)

【解題】一群の人が、でたらめ(ランダム)ではない動きをしているとき、われわれはそこに組織を見る。では、どんなときに、でたらめに見えないのだろうか。(高橋伸夫)

 社会改造の文献において、現代の不安に触れない思想は一つもないが、具体的な社会的過程としての公式組織に論及しているものは事実上全く見当たらない。社会的行為は主としてこの社会的過程によって遂行されるのに、この具体的過程は、ほとんど完全に無視され、何らかの社会的条件や社会的状況を構成する一要因にもされていない。

 我々の社会で目につく人間の行為、すなわち動作、言語、およびその行為から明らかとなる思想や感情、これらを注意深く見ると、多くは公式組織に関連して決められたり、方向付けられたりしていることがわかる。多くの人々は50以上の組織に所属しているが、その中での人々の個人的行為は、組織内の諸関係によって直接支配され、規制され、条件づけられている。その上、公式組織の中には、非常に短命なものが無数に存在する。

 公式組織とは、意識的で、計画的で、目的を持つような人々相互間の協働である。このような協働は今日どこでも見られる一般的なものであるため、あたかも他の協働の仕方が全くないかのように、「個人主義」とのみ比較される。また、組織的努力は通常成功するものであり、その失敗は異常な場合だと信じられやすい。しかし実際には、公式組織の中での、あるいは公式組織による協働が成功するのは異例であり、通常のことではない。たいていの協働は計画の途中で失敗したり、初期に死滅したり、短命であったりする。

 このことを説明しようとして、組織内に原因を求めることが常であるが、実際には公式組織の不安定や短命の基本的な原因は、組織外の諸力にある。これらの諸力は、組織が利用する素材を提供するとともに、その活動を制約する。組織の存続は、物的、生物的、社会的な素材、要素、諸力からなる環境が不断に変動する中で、複雑な性格の均衡をいかに維持するかにかかっている。このためには組織に内的な諸過程の再調整が必要である。本書の主たる関心は、その調整が達成される過程である。

 公式組織内の再調整は管理者が担うが、管理者の諸職能は、公式組織における統制、管理、経営の職能である。これらは、公式組織内の高級職員にとどまらず、あらゆる段階で統制的地位にある全ての人々によっても行われる。その意味で、この研究で問題とする管理職能は、一般的に管理者と呼ばれるたいていの人々の主要な職務によっては大まかにしか示されず、従って慣習的な肩書きや「管理者」という言葉の定義によって制限されるものではない。またその管理職能は、工業や商業のいずれの組織にも限られるべきではなく、むしろあらゆる種類の公式組織が考察の対象となる。

 本書では、まず協働体系についての予備的考察から始め、前半では概念的枠組みを構成する意味で公式組織の理論を展開する。後半では、これをもとに公式組織の諸要素、これら諸要素と管理職能との関連、そして最後に協働の存続についての管理職能の役割を取り上げる。

(中村匠)


第2章 個人と組織 (pp.8-22)

【解題】後にノーベル経済学賞学者サイモンが有名にした「限定された合理性」(bounded rationality)や「状況定義」のアイデアが、限界のある選択力や選択を狭める技術として既に登場している。この章で説明される個人行動の有効性と能率は、後の章で、組織の有効性と能率の概念に発展する。(高橋伸夫)

 人々の行動は、「個人とは何か」「人間とは何を意味するのか」「人はどの程度まで選択力や自由意志を持つのか」という疑問に関する基本的な前提や態度に基づいている。しかし、「個人」には二つの意味があり、一方は個々の、特定の、独特な、ただ一人の個別的人間という意味、他方では非個性的な性格を持つ他の何ものかが重要とみなされていて、ただの集団を構成する人間という意味である。後者の情況の下で、先程の問題を考えると、答えは不一致で不確実なものとなる。そこで、組織の性格やその機能について広範囲な研究をする場合とか組織における管理過程の諸要素を説明しようとする場合、「個人」「人間」及び、関連する事項についての立場、理解、公準を明らかにする必要がある。従って、本章では、

  1. 個人の地位及び人間一般の特性
  2. この書物における個人や人間の取り扱い方法
  3. 協働体系外の個人的行動の特徴
  4. 個人的行動における「有効性」「能率」の意味を明らかにする。

第1節 個人の地位と人間の特性

1. 個人の地位

 人間有機体は、物的要因と生物的要因双方の統合物である行動によって認識されるもので、つまり物的なものと生物的なものから構成される。人間有機体は、他の人間有機体と関連を持たずしては機能しえないもので、相互に関係を持ち、作用している。二つの人間有機体間の相互反応は、適応的行動の意図と意味に対する一連の応答であり、この相互作用に特有な要因を「社会的要因」、その関係を「社会的関係」と呼ぶ。この書物で個人とは、過去及び現在の物的、生物的、社会的要因である無数の力や物を具体化する、単一の、独特な、独立の、孤立した全体を意味する。

2. 人間の特性

 個人の特性は、「人間」という言葉に含意され、(a)活動ないしは行動、その背後にある、(b)心理的要因、加うるに、(c)一定の選択力、その結果としての、(d)目的、を表す。

  1. 個人の重要な特徴は活動であり、そのおおまかな、容易に観察される側面が行動と呼ばれ、行動なくして個々の人間はありえない。
  2. 個人の行動は心理的要因の結果であり、「心理的要因」という言葉は個人の経歴を決定し、さらに現在の環境との関連から個人の現状を決定している、物的、生物的、社会的要因の結合物、合成物、残基を意味する。
  3. 人間は、選択力、決定能力、自由意思があるものだと認められている。自由意思は自律的人格という感覚を保持するために必要で、逆にその感覚がないということは、社会生活への適応力がないことを意味し、そのような人間は問題であり、病的で、精神異常で、社会的でなく、協働に適しない人である。しかし、選択力には限界があり、選択には可能性の限定が必要である。してはいけないことを見出すことが、なすべきことを決定する一つの共通の方法である。つまり意思決定の過程は、選択を狭める技術である。
  4. 意思力を行使しえるように選択条件を限定しようとすることを、「目的」の設定または「目的」への到達という。これは通常「努める」「試みる」という言葉の中に意味されている。個人の行動を規定しようとする努力の一部は、訓練、説得、刺激の設定によって個人を規制するなど、行動の諸条件を変更する形をとる。このような方法は管理課程の大部分を構成するもので、経験や直観に基づいて遂行されている。つまり、選択力は制限されていて、それに関して正しい認識を持っていないと、管理活動の失敗につながり得る。

選択の可能性が狭い範囲に限られるのは、物的、生物的、社会的要因が共に作用するためである。従って、人間には常に選択力があり、同時に、人間は主として現在及び過去の物的、生物的、社会諸力の合成物である。

第2節 この研究における個人や人間の取扱い方

 この書物では特定の協働体系の参加者としての人間を、純粋に機能的側面において、協働の局面とみなす。同時に、何らかの特定の組織の外にあるものとしての人間は、物的、生物的、社会要因的の独特に個人化したものであり、限られた程度の選択力を持つものとされる。つまり、機能的存在としての個人と、一人の人間としての個人は、協働体系では常に並存する。協働を二人以上の人々の活動の機能的体系と考える場合には、人間の機能的もしくは過程的側面が関連する。人間を協働的な機能もしくは過程の対象と考える場合には、個人化の側面を考えるのが良い。

第3節 個人の行動

 人間は、個人的側面において特定の協働体系に入るか否かを選択する。この選択は(1)そのときの目的、欲求、衝動、及び、(2)その人によって利用可能と認識される、個人に外的な他の機会、に基づいて行われる。組織はこれらの範疇のうち一つを統制したり、影響を与えることによって、個人の行為を修正する結果生ずる。欲求、衝動、欲望を「動機」と呼ぶとすると、「動機」は過去及び現在の物的、生物的、社会環境における諸力の合成物である。つまり、心理的諸要因と同意義で事後的に推論されるものである。動機は通常求める目的によって述べられ、意識的に求めている目的を取り巻く諸条件や環境の重要性によって、動機が複雑なものに由来するということが明示されることがよくある。動機によって惹起された活動が求める目的を達成し、緊張を解く場合もあり、そうでない場合もある。しかし、活動は常に求めない他の結果を伴い、通常これらの求めない他の結果は、偶発的なもの、取るに足りないもの、些細なものとみなされる。

第4節 個人的行動の有効性と能率

 行為が特定の客観的目的を成し遂げる場合には、その行為を有効的という。有効的であろうとなかろうと、行為がその目的の動機を満足し、その過程がこれを打ち消すような不満足を作り出さない場合に能率的であるという。人々が求める特定の目的は、物的なものと社会的なものから成り立つ。物的な目的とは空気や光などの物的条件で、物的な環境の中に見出される以外にも社会的環境と関連して見出されることもある。社会的目的は他人との接触や相互関係、コミュニケーションであり、社会的環境と物的環境の中にも求められる。従って、それらは人間の複雑な動機を満たすのに役立つ。目的を追求する行為は、物的であるが社会的である場合もあり、その行為には求めもしない結果が含まれ、その結果が満足か不満足かを与える。従って、協働に加わる人々の動機は、それが少なくとも社会的、生理的に条件づけられているという意味で、たいていの場合、生理的、社会的動機の複合体である。

 協働体系や組織についての便利なそして有効な理論の展開と管理過程の有効な理解のために、社会現象の二つの側面を表すものとして両方の立場を受け入れる必要がある。協働や組織は、観察、経験されるように、対立する事実の具体的な統合物であり、人間の対立する思考や感情の具体的統合物である。管理者の機能は、具体的行動において矛盾する諸力の統合を促進し、対立する諸力、本能、利害、条件、立場、理想、を調整することである。

(和田佳奈絵)


第3章 協働体系における物的および生物的制約 (pp.23-38)

【解題】目的を達成できそうなとき、たいてい目的達成のために克服すべき制約(limitation)があるものだ。この制約を克服するには、通常、いくつかの方法があるが、その中の一つが協働(cooperation)である。では、どんなときに、協働は有効になるのか。(高橋伸夫)

 個人には目的があるということ、あるいはそうと信ずること、および個人に制約があるという経験から、その目的を達成し、制約を克服するために協働が生ずる。この過程を理解することは、協働の理由、組織の不安定、および管理活動における意思決定の機能を理解するのに不可欠である。この章では、

  1. なにゆえに、またいかなるときに協働は有効なのか
  2. 協働過程の目的は何か
  3. 協働の制約は何か
  4. 協働体系における不安定の原因は何か
  5. 追求する目的に対して協働はいかなる結果を生むか
の5つの疑問を提起する。ここでは、生物的要因と物的要因のみが存在するという仮定のもとで考える。

第1節 協働の有効な時と理由

 上の仮定のもとで考えると、個人ではやれないことを協働ならばやれる場合にのみ協働の理由があることとなる。目的達成の制約は(1)個人の生物的才能または能力、(2)環境の物的要因の二種類の要因の結合結果である。(1)は変更することが難しいため、一般に人は(2)を制約と考え、情況の物的要因を変えることで制約を克服しようとする。二人以上の人々がいっしょに働く場合の生物的な力は、ある点ではまたある条件のもとでは、個人の力にまさるため、それが妥当と思われる程度に応じて、制約的要因を、物的な分野から生物的な分野へ移すこととなる。協働によってその制約が克服されると信じられるならば、そのときには協働そのものが制約的要因となる。

 協働は、協働の結成段階においては、個人の生物的制約の克服・打破に有効であるため、協働の有効な時と理由について答えるには、まず個人の力およびその協働的結合が有効となる条件を考える必要がある。協働が有効でないのは

  1. 人力の結合の有効性の程度が小さい
  2. 結合によりもたらされる利益を相殺する不利益が含まれている
  3. 個人的努力が整然と結合されない
ときである。

 物的環境に適応するに際しての人間の生物的制約は、(a)人間のエネルギーを環境に適用することについての制約、(b)知覚についての制約、(c)環境を理解し、あるいは環境に反応することについての制約、の3つに分類される。

  1. 人間のエネルギーを、たんに機械的に用いる普通の場合、同時的協働が有効なのは、集団の能力が、体力の要因、仕事の速さ、継続性、肉体的適応力などの点において個人の能力よりも優れている場合である。しかし、努力の同時性よりも持続性のほうが必要となることも多い。能率になんの関係もない「純粋」な場合でさえも、協働を成功させるためにはかなりの工夫を要する。十分な力を得るために多くの人々をいっしょにすると、肉体的適応力の問題や、作業の同時性から信頼性と統制という問題が生じる。しかし実際には問題が「純粋」な場合はそうそうなく、経済的な問題をまったく別にしても、協働集団をうまく特定の仕事に適応させることは、いつも容易であるとは限らない。作業集団が仕事のある部分にはうまく適応するが他の部分には適応しなかったり、逆に悪い結果を生じたりすることもある。
  2. 肉体的エネルギーを用いる場合の協働も、感覚器官や知覚の協力なしには不可能である。この問題を視覚作用に限定して論じると、同時的な協働観察には、観察される事物や事件が協働観察者の位置を結ぶ線の内部にあり、観察される事物がほぼ中心部にある場合と、観察の対象が観察者の位置を結ぶ線の外部にあり、観察者のほうが中央にいる場合の2種類がある。前者の場合は個々の人々が対象を見ることができ、後者の場合は観察の範囲が広く発見の速さと確実性が増す。これらの協働が有効なのは、感覚器官に制約があり、個人が短期間に占有できる位置が限られているからであるが、個人が一定期間継続的な観察ができない場合、継続的協働が必要となる。
  3. 複雑な条件のもとでは、協働観察の有効性を相殺する困難が大きい。多くの重要な協働観察は、訓練された観察者による場合や、経験や工夫から得られた技術による場合以外には有効でない。協働は、有効性という限られた見地だけからでもむずかしいものであり、環境のわずかな変化でも成功可能な方法をたやすく無効にすることがある。

第2節 協働の目的の性格

 協働的努力の目的は種類と質において変化する。ここでは社会的目的を考えていないので、個人的行為の目的は、目的の達成を制約していると思われる物的環境を変えることである。これらの目的は直接的な場合も間接的な場合もあり、間接的な場合には、将来達成すべきことを促進する意図から現在の環境に働きかける行為が含まれている。間接的目的のための迂回的行為はすべて協働的努力に見出されるが、行為が協働的となるとそれらは個人的な性格を失う。個人的目的は、分配の過程がはいって初めて、協働行為を通じて満たされる。そのうえ、個人的行為ではみられない、協働それ自身の促進をめざすタイプと、協働体系の維持をめざすタイプの行為が協働体系では作用する。

 協働体系を準機械的体系とみなせば、その活動は(a)消費財を獲得する活動、(b)消費財を分配する活動、(c)協働的設備を獲得する活動、(d)運転資本を獲得する活動、に分類される。これらの活動は相互に依存しあっており、その組み合わせ方は、個々の協働体系の特定な条件によるものである。好都合な条件のもとにおける簡単な体系では、b、c、dの活動は重要ではないが、その条件のもとでは有効な協働の可能性は限られたものである。協働はそれが高度に発展するまでは一般に有効とはならず、高度に有効となるためには、協働はb、c、dを含むことが必要である。

 このように、有用な協働的工夫を発見したり発明したりするには、具体的な活動形態で発見や発明が可能となるまでに物資の蓄積(活動d)が必要であり、これにはbの活動を導入することになる。したがって、協働が一度確立されると、上述のすべての種類の活動の間に注意の焦点が移動し、順次、各活動がその時の制約の中心となったり、その情況における制約的要因となったりする。

第3節 環境の変化と協働過程の適応

 協働がひとたび確立されると、注意の移転は不必要となり、安定する。しかしなんらかの理由、例えば環境の諸条件の変化によっては、協働は個人と同様な制約をこうむることになる。協働の場合、個人がおこなう生理的な適応とは異なり、種々のタイプの組織的活動の均衡を保たしめる適応である。そのため、協働体系では適応の過程および協働を維持することを専門とする活動の側面が発達してくる。これを担う管理者と管理組織は、たいてい最も重要な制約である。

第4節 目的の変更と協働過程の適応

 不安定性は、物的環境の変化と協働体系内の適応や管理過程の不確定とからだけでなく、可能性の変化に伴う行為目的の性格の変更からも生ずる。協働の発展に伴って目的の数および範囲が拡大することは、それ自体として協働における不安定要因となり、協働がより発展・複雑化するにつれいっそう不安定要因は増大する。

(倉成磨里)


第4章 協働体系における心理的および社会的要因 (pp.39-46)

【解題】ここで心理的要因と呼ばれているものは、後にマーチ=サイモンが状況定義と呼ぶことになる概念と基本的に同じである。p.40とp.42で繰り返して、(a)人間を制御可能な客体とみなす考え方、(b)人間は自ら欲求を満たすべき主体とみなす考え方があると述べられているが、(a)は第12章「権威の理論」、(b)は第11章「誘因の経済」への伏線となっている。同時に、後に内発的動機づけの理論でデシが整理している考え方とも符合している。(高橋伸夫)

 前の章では心理的ならびに社会的要因を除外して、協働体系を論じてきた。この章では心理的要因の意味を述べ、また協働体系の中に含まれている社会的要因を論じる。我々は個人には経験の能力があるものと考え、これは過去から作用し続けてきた諸要因が現在の行動にも様々な影響をもたらしていることを意味する。これらの諸要因は影響面を重視して、「記憶」と名付けることもできるし、過程面を重視して、「条件付け」と呼ぶこともできる。また、我々は個人には重要な選択力があるものと考えた。選択にとって必要な限定や制約は経験、すなわち記憶または以前の条件付け、及びある時点の物的、生物的、社会的要因である。この選択力があるゆえに、現在の諸条件に対してたんなる「反応」以上のことをする人間行動の「適応」活動が意味を持つのである。

第1節 心理的要因の意義

 個人に経験と選択力があることから、他の人と関わる状況では、個人に対する二つの評価が必要となる。第一の評価は、その状況における個人の能力に関するもので、第二の評価は個人の能力の範囲内における決断力または意欲に関するものである。人々の間に日常的に生じる非常に多くの相互作用の中で、このような評価は多くの場合、はっきりと区別されるものではない。それにもかかわらず、区別され、別々の表現をされる場合も数多くある。第一の評価は、その人は誰か、どんな人か、どんなことができるか、という質問に対する回答によって表現され、第二の評価は、その人は何を欲するか、何をしようとしているか、何をするつもりか、という質問に対する回答によって表現される。人間関係に含まれるこの二つの評価は、目的行為の場合には、二つの方法で人間行為に影響する。他の人との満足な関係を確立するために、現実に、一人の人間がなせることは他の人の選択の限界を狭めるか、または選択の機会を拡大するかのいずれかである。

  1. 第一の場合は、外部の状況を変えるか、あるいはその人の「心的状況」を変えるかのいずれかであろう。言い換えれば、可能性を制限するか、あるいはその人の欲望を制限するか、のいずれかである。例えば、一人の人がある人と敵対関係にある場合に、自分と敵との間にテーブルのようなものを置くことによって、敵の動きを制限することもできるし、敵の注意をそらすようなことを言って、「心的状態」を変えることもできる。このような行動は選択力を制限し、規制するものである。
  2. 第二の場合は、テーブルの上に貨幣を置き、相手が利用できる他の手段を付け加えて、彼の選択力を広げるものである。

 他人に対して行動する場合、このような二つの評価とその評価に関連する方法は、次のいずれかのか形をとることを示している。一つは彼らに影響する要因を変えることによって、彼らを操縦しうる客体とみなす場合であり、他の場合は欲求を満たすべき主体とみる場合である。第一の場合には、人々は継続的過程の関数と考えられ、第二の場合には、その時点で絶対的に独立的なものとみなされる。いずれの場合でもその扱いは個人としてであり、社会的状況から隔離されている。いずれの場合にも、個人は全体としてみなされるのであるが、第一の場合には、特定の外的要因の操作を通して、その全体に間接的に接近するのに対して、第二の場合には、全体に対する直接的な接近であり、そこではその直接的な接近に伴う外的要因を除いた、全ての外的要因は、個人の中に所与として体現されたものとしてみなされるか、あるいは無関係なものとして扱われる。どちらの場合でも、社会的要因は含まれるが、との要因と不可分な形で混ざり合って、分析の目的からのみ区分されるにすぎない。したがって、個人のうちから協働体系に働きかけている明確な社会的要因は存在せず、むしろ社会的要因は、協働体系ならびに、他の社会的関係から個人に対して働きかけるものなのである。

第2節 社会的要因の意義

 ここで議論するべき社会的要因は以下のことである。(a)協働体系内の個人間の相互作用、(b)個人と集団間の相互作用、(c)協働的影響力の対象としての個人、(d)社会的目的と協働の有効性、(e)個人的協働と協働の能率、である。

  1. 個人がある協働事業に参加すると、同じように参加している人との接触によって、相互作用を受けることになるが、これらの相互作用は、協働体系の目的でもなければ、協働体系に参加している個人の目的でもない。それにもかかわらず、相互作用は避けようとしても避けられないものであるため、こうした相互作用は協働体系の結果であり、協働の中に含まれる一種の社会的要因を構成個人間に相互作用する。これらの要因は当該諸個人に作用し、他の要因と結合してそれらの人々の精神的、感情的な性格の中に組み入れられる。このような作用のために社会的要因は重要な意識を持つのである。そこで協働は普通ならば生じないような変化を個人の動機にもたらし、このような変化は協働体系にとって役に立つような場合もあれば、制約となる場合もある。好ましくない性格を持つ相互作用は「不調和」をもたらし、協働を破壊する傾向を持つ。逆の場合は、調和であり、通常は協働の必要条件である。
  2. 協働に際して見られる相互作用は、個人と集団の間にも存在する。集団はこの点で二つの意味を持つ。第一に、集団という言葉は個人B、C、Dなどと接触する個人Aの心理に及ぼす相互作用の結合された効果を表すにすぎず、この意味での相互作用は(2)で議論されたものに含まれる。第二に、集団とは個人とそれが相互作用し合う一つの単位であり、それを構成する個人間の相互作用のたんなる合計以上のものであり、社会的単位と呼ばれる。この意味で集団は社会的行為の一体系を意味し、全体としてその内部の個人と相互に作用し合うのである。このような意味の集団関係に含まれる諸要因は、他の要因と結びついて個人心理に働きかけるため、集団は個人の心理的性格、動機に普通生じ得ないような変化をもたらす。これも同様、協働体系においては、役に立つ場合と制約になる場合がある。
  3. 今論じた社会的要因は主として意識されないもので、概して意図されたものではない。しかし、協働体系は個人に対して、意識的な、また意図された関係を持つこともある。この関係には二つの側面がある。第一は、個人を協働体系内にもたらすために特殊な行為を行うという側面であり、第二はその体系内の個人の行為を統制するという側面である。第一の側面は個人の意思に直接訴えかけるもので、誘因あるいは強制の側面である。第二の側面は行為体系内、及びその中の個人の行為に関連する。いずれの側面においても個人の心情に対する影響は避けられないことは明らかである。
  4. 公式的な協働体系は目標、目的を必要とする。目標それ自体は協働の産物であり、協働体系が行為を加えるべき諸要因の協働的識別を表している。協働的目的と個人の目的とを完全に区別することは重要である。例えば、石を動かすような一人ではできないことをするために他人の助けを借りるような場合でさえ、その目的は個人的なものではなくなる。それは集団努力の目的であり、その結果からメンバーに満足が生じる。協働体系の目的が達せられた場合にはその協働は有効であったといい、そうでなければ、有効でなかったという。有効性の程度の十分さは協働体系の観点から決定されるものであり、個人的観点はここでは関係ない。ここで、協働における個人の努力の有効性には二つの意味がある。第一に、それは特定の努力の協働の成果に対する関係に関わり、その場合には、協働目的の達成に対して特定の努力がいかなる意義を持つのかは協働の観点から判断するのである。第二に、それは協働体系に貢献する個人の一連の努力がどれだけ個人的動機を満たしているのかという状態に関連する。この観点から見た有効性は全く異なったもので、協働が問題とされる場合には、これを構成する努力の有効性は協働的観点から決められ、個人的観点は直接関係を持たない。
  5. 能率については、全く事情を異にする。協働は個人的動機を満たすためにのみ結成されるものであるから、協働の能率は個人の能率の合成物である。それは性質の異なる個人的動機から構成された複合物である。これらの動機がどこまで満たされるか、その程度が協働行為の能率である。この能率の唯一の決定因子は個人である。ある人が協働体系に貢献するにあたってその行為が非能率的であると判断すれば、その行為をやめる。彼の貢献が体系にとって不可欠であれば、彼の非能率はこの体系の非能率となり、すべての人にとって非能率となる。それゆえ、ある協働的努力体系の能率は、限界的貢献の能率に依存し、限界的貢献者によって決定される。

 個人のあらゆる目的行為が求めざる結果を生ずること、及び結果はその目的が達せられたかどうかにかかわらず、満足あるいは不満足をもたらす。このことは協働体系に対して貢献するという行為について妥当する。すなわち、この行為にはその貢献を積極的に誘因するものでなかった諸要因が伴い、その結果、求める目的が達せられなくても、動機は満たされるかもしれないし、求める結果が達成されても、不満足が生じる可能性がある。目的の達成は別にして、協働に参加することから生じる満足、不満足は社会的なものである。すなわち、個人的な相互作用の結果である。同様に、協働的な目的を達成する協働行為は全体として求めざる結果を伴う。目的が石を動かすという物的な結果である場合には、求めざる結果は性格上社会的なものを含む。目的が社会的な求めざる結果には物的な結果が含まれる。個人行為の能率と同じく、協働の能率はしばしば、具体的目的を達するための過程の満足不満足に依存する。

 協働の最も重要な一般的な結果は、すべての協働参加者及び参加しない人々への社会的条件付である。人々の動機は協働によって絶えず、修正されているのであるが、協働それ自体もその動機によって、能率の諸要因が変化を受けているように、変化を受けるものである。 この章で結論づけるところは、協働には社会的要因が常に存在するということである。それは協働体系の本質であり、個人及びその動機に及ぼす社会的経験の効果のためである。個人の協働意欲は、ただ一人の人間にとっては心理的事実に属するが、協働体系に関しては社会的事実なのである。逆に協働から得られる満足は、個人にとって心理的事実であるが、協働体系の観点からは協働の社会的効果であり、その社会的効果が協働それ自体を決定するのである。

(葉山裕基)


第5章 協働行為の諸原則 (pp.47-63)

【解題】この章は第1部の最後の章ということで、前の諸章をまとめる章という位置づけらしいが、第1節の4つの例証は組織の話ではない等、不適切。全体的に記述が錯綜しており、能率と有効性の話に絞って理解した方がいい。(高橋伸夫)

 物的、生物的、個人的および社会的な諸要素や諸原因が、一つでも欠けているような協働体系はない。この章では、まずこの事実についての四つの例証を試み、次に最も重要な点の一般理論化に着目し、最後にこの第一部から得られた主要な理解を要約する。

第1節 要因の統合物としての協働行為

 全ての協働行為が、物的、生物的、社会的という様々な要因の統合物であり、全体情況に影響を与える。

第2節 協働的情況における制約とその克服

 前述の理論の意義は、(1)物的、生物的、社会的要因によって「課せられる」協働への結合的制約の本質、(2)目的行動においてこれらの制約を克服する過程、(3)それらが協働的努力の有効性に及ぼす影響、(4)それらが協働的努力の能率に及ぼす影響の四つの議題を適用することにある。

1. 協働的情況における制約の性格

 協働的情況における制約は、全体情況すなわち諸要因の結合から生ずる。例えば、話すことに関して、上手く聞き取れない場合、音量の少なさに原因を求めることができる。しかしその原因が、種々の環境条件や、理解の難易さなど、社会的要因にあるとも言える。

2. 協働的情況における制約の克服

 制約は全ての要因の合成効果ではあるが、ある目的達成のための着手という観点からは、一つの要因によるものとみなして良い場合がある。その場合にこの要因は戦略的要因となる。協働体系結成に際して行われる選択は個人的なものである。個々の努力を総合した方がより効果的であるなら、個人的情況もより能率的となる。そもそも協働が有効となるのは、その物的、社会的環境のもとでは、集団の力の方が一人一人の生物的な力よりもまさる時である。そして、協働することの能率は、関係者の得る満足が、人々を協働せしめるにたる以上のものであるという事実にある。このような満足は、本来の目的に加え、協働の結果望ましいものとなった社会的接触の喜びからも生じる。社会的満足は、単なる人間同士の接近以上に何らかの活動目的を必要とする。群居性は協働的活動を求めるが、協働のためにはなすべき目標が必要である。協働体系の運営には目的の変更が必要である。物的要因、生物的要因、社会的要因のいずれかに働きかけるためには、それ以外の2要因の利用が必要である。これら全ての要因で構成されている全体情況を変えるための手段として、常に特定の要因に働きかけるのであるが、この働きかけの究極の目標は個人的動機の満足である。しかしその直接的結果は、(1)これらの動機の直接的満足か、(2)協働のより一層の促進か、のいずれかである。協働体系の一連の行為において、これらの(1)と(2)とを分離することはできず、しばしば特定行為の目的の中に混じり合っているが、協働行為を全体として分析するに際しては、これらを区分できる目的として扱う。ここで、協働体系自体を促進するという直接目的に限定して考える。かかる努力は、(a)物的要因、(b)生物的要因、(c)社会的要因に向けられる。

  1. 協働の可能性を増大する目的のために、物的要因に働きかけることは、主として自然的環境を意図的に変化させるという形をとる。
  2. 生物的要因に対する働きかけは、主として教育訓練や個人の熟練を発展させる機会の専門家という形をとる。
  3. 社会的要因への働きかけの過程は、人間関係を効果的にするという直接の工夫を含んでおり、一つの特別な専門分野とはほとんど認識されておらず、科学的研究は今までほとんど行われなかった。

3. 協働行為の有効性

 協働の「有効性」とは、協働行為の確認された目的を達成することであり、達成の度合いが有効性の度合いを示す。協働の目的は非人格的なものであり、全体としての協働体系の目標である。有効性は、行われた行為及びそれによって得られた客観的結果が、個人的動機を満たすに必要な諸力やものを協働体系のために十分確保したかどうかで決定される。個人行為あるいは協働行為の目的の達成はそれぞれ自体としては必ずしも必要ではないが、協働を活動的にしておくためには必要である。この観点から見れば、有効性とは許容されうる最小限度の有効性である。できもしないことをしようとすれば、必ず協働の破壊あるいは失敗に終わる。協働行為の有効性は、これを構成している「個人的」行為の有効性も含む。

4. 協働行為の能率

 協働的努力の能率は、個人動機の満足に関連する。協働体系の能率は、その構成員としての努力を提供する各個人の能率が合成されたものであり、各個人の観点から見られたものとなる。個人は自分の行為によってその動機が満たされていることがわかると、協働的努力を続けるし、しからざる場合には続けない。つまり、協働体系の能率とは、それが提供する個人的満足によって自己を維持する能力である。これは協働体系を存続させる均衡の能力、すなわち負担と満足とを釣り合わせることと言える。能率ないし均衡は、個人の動機を変えるか、個人に生産成果を分配するか、のいずれかの方法によって得られる。この生産成果は、物質的なものの場合も、社会的なものの場合も、その双方による場合もある。協働的努力が受ける制約は、能率的な体系の場合さえも、物質的利益と社会的利益の提供が限られているということである。生産的観点からの能率も、個人の貢献に対して何がどれだけ与えられるかの分配過程に依存している。協働体系が能率的であるためには、満足の余剰を作り出さねばならない。個人にとって、能率とは満足のいく交換であり、この過程は協働の過程に含まれる。この観点からすると、協働の過程は、ただ交換の過程、すなわち分解の過程に過ぎないとも言える。たいていの協働はこのタイプであり、協働の公式的目的は、協働が組織化される支柱にすぎない。しかし多くの重要な協働体系は、具体的な目的の達成によって得られる生産に依存している。協働の能率は、それゆえ一方においては、協働が獲得し生産するものに依存するとともに、他方においてはそれをいかに分配し、動機をいかに変えるかに依存する。情況の変化によって、協働は誘因や満足を提供し、この満足の分配は、全体情況を変えるための物的、生物的、社会的な諸力の適用となる。協働体系は常に動的なものであり、環境全体に対する継続的な再調整の過程である。その目的は個人の満足であり、その能率は、環境全体の変化を必要とする。

(鵜田敦子)


第2部 公式組織の理論と構造


第6章 公式組織の定義 (pp.67-84)

【解題】公式組織の有名な定義「2人以上の人々の意識的に調整された活動や諸力のシステム」は、「人々」が組織のメンバーだけではなくステークホルダーまで含んだ広い定義であると同時に、「人々」は全人的実体としてではなく活動としてのみシステムを構成する。協働体系いわゆる組織には、この公式組織が存在するということ自体が、バーナードの「中心的仮説」であり、公式組織が成立・存続することは、組織がシステムとして維持されることを意味している。(高橋伸夫)

 協働体系とは、少なくとも一つの明確な目的のために2人以上の人々が協働することによって、特殊の体系的関係にある物的、生物的、個人的、社会的構成要素の複合体である。この体系は、ある観点からみると、明らかにより大きな体系の下位単位であるが、また他の観点からみるとそれ自体のなかにはいくつかの補助体系―たとえば物的、生物的などの―が含まれている。協働体系のなかの一つの体系であり、「2人以上の人々の協働」という言葉のうちに含まれている体系を「組織」と呼び、その意味をこの章で明らかにする。

第1節 定義の展開

 多少とも明確な目的をもち、注意をひき、名称を挙げられ、確認されるほどに永続的な協働体系の数は非常に多い。これらの体系の管理者の行動や態度には多くの類似点がみられ、いくらかの研究者たちはこれらの体系のなかにいくつかの共通要素があると主張している。協働体系一般に斉一性があるならば、それらすべてに共通な特定の側面、または部分のなかにも斉一性がみられることは明らかである。したがって協働体系を有効に研究するためには、これらの側面を他のものからひきはなして、その性格を明らかにすることが必要となる。この一つの共通な側面を「組織」と呼ぶ。具体的な協働情況における多様性は、さしあたって つぎのような四つの事情から生ずる。すなわち(a)物的環境という側面に関する差異(b)社会的環境という側面に関する差異(c)個人に関する差異、(d)その他の変数、がそれである。

  1. 協働体系の物的な側面が異なるに応じて、協働の他の側面の調整とか適応が必要となる。このような差異が協働の一般的研究にとって重要な意味をもつかどうか、また、たいていの目的にとって物的環境を一定として取り扱ってよいかどうか、ということがまず問題となる。物的環境が地理的な側面――すなわち、たんなる位置、地勢、気候など――を意味するかきり、一般的な目的にとってほとんどそれを考慮しなくてもよいことは、だれにも異存はないであろう。しかし物的環境のうち、組織の財産とみなされる部分はそうはいかない。多くの場合、組織の概念には明らかに、たとえば鉄道や電話の組織の場合のように、物的設備の組織が含まれる。したがって人が特定の企業を扱っている場合には、物的な設備、人々およびその活動からなる全体情況が、主として関心のもたれる最小限度の体系であるに違いない。この体系に「組織」という名称を与えてもよいが、通常は「企業」「事業」あるいは「営業」 という概念を使うほうがより適切であるから、物的環境を捨象した、協働体系のその部分に対してとくに「組織」という言葉を用いることとする。
  2. 社会的要因もまたたいていの場合には、明らかに具体的な協働情況の重要な側面となっている。しかしながら、組織の有効な概念から社会的要因を除外する――もしくは、たいていの目的にとって無視してもよい一定のものとみなす――のが一般の慣習であるように思われる。
  3. 組織についての最も普通の概念は、その活動の多少とも調整された人々の集団ということである。集団というものは、明らかに多くの人々になんらかの相互関係や相互作用のプラスしたものである。 社会的概念としての集団が通用するのは、集団内の人々相互間の重要な関係が個人の体系的な相互作用の関係とみなされるという事実のためである。集団の「構成員」と呼ばれる人々の行為でも、他の人々の行為と調整されていないものは、行為体系の一部ではない。たとえ多少とも同時的に協働行為に貢献する場合でも、協働的集団内の人々の行為のうちには、実質的な意味では協働行為の一部でないものが多くあることも容易に観祭される。だから協働体系との関連から、すなわち社会的な意味で集団という言葉が用いられる場合に、「集団」概念の基礎となると思われるのは、実際上は相互作用の体系なのである。「集団」という言葉は、3人がたがいに闘っているとか、たがいになんらの関係もない場合には用いられない。いまここで、「集団」という言葉を選ぶかどうかを決めるものは、通常、数的側面ではなくて、相互作用の体系としての協働関係である。

 「組織」という概念の中に人間が含まれるかを考えるにあたっては、人間のよって立つ基礎や条件はいちじるしく多様であることを踏まえなければならない。したがって、 組織の定義のなかに人間を含めることは、特定の場合には非常に有効であるかもしれないが、一般的目的からは限られた意義しかもたないこととなる。それにもかかわらず、物的環境や社会的環境と同じように、人間をもその構成要素から除外するような組織の定義を採用することが、実際に役に立つかどうかを考えてみる道がまだ残されている。そこで、もしこのような考え方を押し進めるとすれば、組織とは意識的に調整された人間の活動や諸力の体系と定義される。この定義によれば、具体的協働体系にみられる物的環境や社会的環境にもとづく多様性、および人間そのもの、あるいは人間がこのような体系に貢献する基礎に由来する多様性のすべてが、組織にとって外的な事実や要因の地位に追放され、かくして抽出された組織は、あらゆる協働体系に共通する協働体系の一側面であることが明白となる。

 協働体系の経験を分析するための最も有効な概念が、公式組織を二人以上の人々の意識的に調整された活動や諸力の体系と定義することのうちに具現しているということこそ、本書の中心的仮説である。このような組織の概念は、指導者や管理者の行動のうちに内在し、さまざまな協働的事業における彼らの行動にみられる斉一性を説明するものであり、またそれを明確に定式化して展開すれば、さまざまな分野の経験を共通な言葉に翻訳し、活用することができるということこそ、本書が展開しようとする前提なのである。

第2節 抽象的体系としての公式組織の諸側面

 組織の諸要素について議論を進めるまえに、抽象的体系としての組織に関連した若干の考察、および定義やそれに関連した用語の使用についての考察をしておく。

  1. 実体ではなくて、むしろ主として種々の関係によって特徴づけられるような無形のものを実用的な意味で取り扱わねばならぬときには、なんらかの具体的なものでそれらを象徴するか、あるいは擬人化しなければならない。したがって一応組織を二人以上の人々の協働的活動の体系――触知しえない非人格的なものであり、主として関係の問題である――と定義するのではあるが、意味の混同が生じない場合には、表現の便宜上、しばしば組織を人間の集団と考える通常の慣習に従い、かかる人々をその「構成員」と呼ぶこととしよう。しかしこの書物では通常、理解をいっそうはっきりさせ、一貫した概念的枠組を保つために、「構成員」を「貢献者」という語に置きかえ、組織を構成する活動を「貢献」に置きかえるが、まだ熟さない語法であるかもしれない。ところで、「貢献者」には、普通われわれが組織の「構成員」 と呼ぶ人々を含むが、貢献者のほうがより広い意味をもつ言葉であり、そこには他の人々も含まれること、したがって「貢献」は「構成員であること」や「構成員としての活動」よりも、より広義の用語であることが注意されねばならない。
  2. 前述のような組織の定義によれば、組織は物理学で用いられるような「重力の場」または「電磁場」に類似した一つの「構成概念」である。この定義をとれば、関連するあらゆる現象が有効に説明されるし、また現在の知識や経験がこの考えと一致するというのが、筆者のとる仮説である。
  3. 組織の場で作用する諸力の証拠となる行為は言葉、外見、身ぶり、動作で示される人々の行為であって、けっして物的なものではない。また、われわれが調整された人間努力の体系を取り扱うという場合には、たとえ人間が行為の担い手ではあっても、協働体系の研究にとっての重要な側面では、その行為は人格的なものではないことに留意したい。その性格はその体系の要求によって、あるいはその体系にとって最も重要なものによって、決められるのである。
  4. 組織が体系であるとすれば、体系の一般的特徴は、また組織の特徴だということになる。われわれの目的からいえば、体系(システム)とは、各部分がそこに含まれる他のすべての部分とある重要な方法で関連をもつがゆえに全体として扱わるべきあるものである、ということができよう。なにが重要かということは、特定の目的のために、あるいは特定の観点から、規定された秩序によって決定される。したがってある部分と、他の一つあるいはすべての部分との関係にある変化が起こる場合には、その体系にも変化が起こり、一つの新しい体系となるか、または同じ体系の新しい状態となる。通常、部分の数が多いと、それらの各部分はそれ自体、補助体系または部分体系を構成する。このような場合には、各部分体系はそれ自身の部分間の諸関係から構成され、その部分が変化すれば、全体としての体系をいちじるしく変えることなしに、部分体系の新しい状態を作り出すことができる。各組織は、われわれがこれまで「協働体系」と呼んできたより大きな体系の一構成要素であり、物的体系、社会的体系、生物的体系、および人間などは、協働体系の他の構成要素である。さらにまた、たいていの公式組織は、より大きな組織体系のなかに含まれる部分体系である。最も包括的な公式組織は、通常「社会」と名づけられる非公式な、不確実な、漠然たる、方向の定まっていない体系のなかに包含されている。第7章では単純な公式組織の諸要素を考え、第8章では複合組織の構造を考えよう。
  5. ここで、全体は部分の合計以上のものであるか、体系はその構成要因のたんなる集合と考えられるべきものか、協働的努力の体系すなわち組織は、組織を構成する諸努力より大きいか、小さいか、または異なるものであるか、部分に固有でないような特性が体系から生まれるか、という問題についての本書での見解を述べる。本書を貫く見解は、たとえば五人の努力が一つの体系、すなわち組織に調整される場合には、五人の努力の合計にあらわれるものとは、質および量において大きいか、小さいか、または異なる、何かまったく新しいものが作り出されるということである。 つまり本書では、われわれが組織と呼ぶ協働の体系を、社会的創造物、すなわち「生き物」とみなし、それはちょうど、個々の人間はこれを分析すれば部分体系の複合体であるが、これを構成する部分体系の合計とは異なるものとみなす。
  6. われわれは最後に組織と呼ぶ協働的相互作用の体系の〔空間的、時間的〕ひろがりの特徴について、いささか論及せねばならない。組織は空間的にはまったく漠然としたものであるという印象を多くの管理者はもっているであろう。「どこにも存在しない」 というのが、 その共通の感じである。電気通信の手段が大いに発達した結果、この漠然さは増大した。たしかに組織の素材は人間の行為であり、それはある程度まで物的な事物に関連し、物的な環境の中に固定化されるので、ある程度の物理的な位置をもつ。このことは、とくに工場内の組織、鉄道や通信のシステムに関連する組織に妥当する。しかしこれらの場合でも、物的な体系に付着しているものだから、その位置は間接的なものにすぎない。また政治的および宗教的組織の場合は、たんなる位置でさえ、かろうじて意識されるにすぎない。これらの体系には空間的ひろがりの概念を用いることがほとんどできないのである。他方、時間的ひろがりはきわめて重要である。時間的関係および継続性は組織の基本的側面である。いつ、どのくらいの期間ということがまず第一に記さるべき事項である。すでに注意したように、人間の行動はこれらの体系の構成要素であるが、その人間はたえず変わるが、組織は存続する。しかしこの点に関連して、ここでは答えないが、後にふたたび論及される一つの定義の問題が生じてくる。それはすべての協働行為が休止し、あとで再開される場合に、組織は継続的なものとみなされるべきかどうかということである。多くの組織は間歇的に(夜には店や工場を閉ざすように)活動している。このような場合には、技術的には新しい組織が毎日生まれるものと考えてもよいが、これらの組織を継続的ではあるが「休止している」ものとみなすほうが、より便利であろう。

 この章で提起された公式組織の定義は、2人以上の人々の意識的に調整された活動や諸力の一体系ということである。第7章では、諸活動を一つの体系にまでもたらし、その相互関係を規制する具体的諸情況における諸要因――すなわち、その体系に不可欠であり、その存続や持続に必要なもの――を考察する。

(小谷海斗)


第7章 公式組織の理論 (pp.85-99)

【解題】この章では、タイトルにも入っている「公式組織」という用語が、なぜかほとんど使われず、代わりに「組織」が用いられる。用語法は混乱し(詳しくはここ)、この第7章の完成度は草稿の域を出ていないのではないかと思われる。にもかかわらず、内容的にはきわめて重要な章であり、バーナード理論の中核を形成している。(高橋伸夫)

 組織は、相互に意思を伝達できる人々がおり、それらの人々は行為を貢献しようとする意欲をもって、共通目的の達成をめざすときに、成立する。したがって、組織の要素は、伝 達 、貢献意欲、共通目的である。これらの要素は組織成立にあたって必要にして十分な条件であり、かようなすべての組織にみられるものである。組織が存続するためには、有効性または能率のいずれかが必要であり、組織の寿命が長くなればなるほど双方がいっそう必要となる。組織の生命力は、個人の意欲のいかんにかかっており、この意欲には、目的が遂行できるという信念が必要である。したがって有効性がなくなると、貢献意欲は消滅する。意欲の継続性はまた目的を遂行する過程において各貢献者が得る満足に依存する。犠牲より満足が大きくなければ意欲は消滅し、非能率な組織の状態となる。逆に満足が犠牲を越える場合には、意欲は持続し、能率的な組織の状態となる。前述の3要素は、それぞれ外的要因とともに変化し、また同時に相互依存的である。したがってこれらの諸要素によって構成される体系が均衡を維持する、すなわち存続し、生存するためには、一つのものが変わればそれを償う変化が他のものにも起こらなければならない。この章で、われわれは全体としての体系を念頭におきつつ、これらの要素およびその相互関係をやや詳細に考察する。

第1節 組織の要素

1. 協働意欲

 組織を構成するものとして協働体系に対して努力を貢献しようとする人々の意欲が不可欠なものであることは明らかである。組織に関して通常使われている語句で、個人的意欲という要因をうまくいいあてているものは多い。「忠誠心」「団結心」「団体精神」「組織力」がそのおもなものである。これらの語句は個人的貢献の有効性、能力あるいは価値とは異なったものを示すものと通常理解されている。ここでいう意欲とは、克己、人格的行動の自由の放棄、人格的行為の非人格化を意味する。その結果は努力の凝集であり、結合である。その直接の原因は「結合」に必要な気持である。これなくして協働への貢献としての持続的な人格的努力はありえない。ある特定の公式組織への貢献意欲についての顕著な事実は、その強さが個人によってさまざまに異なることである。組織への潜在的貢献者と考えられるすべての人々を貢献意欲の順に配列すれば、その範囲は、強い意欲をもつ者から、中立的すなわち零の意欲を経て、強い反対意思、すなわち反抗や憎悪にまでわたっている。なんらか特定の現存組織や将来成立しそうな組織について言えば、現代社会における多数の人々はつねにマイナスの側にいる。したがって貢献者となりうる人々のうちでも、実際にはほんの少数だけが積極的意欲をもつにすぎない。重要な他の事実は、どの人の意欲もその程度が一定不変ではありえないことであり、かならず断続的、変動的なものである。

 前述の二つの命題から導き出されることは、一定の公式組織にとって、ブラスではあっても中立的すなわち零に近い貢献意欲をもつ人々の数は、つねに変動しているということである。したがって、なんらかの公式的協働体系に対する潜在的貢献者の総意欲は不安定なものであるということになる。 協働意欲が生ずるのは、はじめに協働に伴う犠牲との関連において誘因を考え、ついで他の協働の機会によって実際に得られる純満足と比較したうえで、協働する誘因がプラスになるためである。決定すべき問題は、まず協働の機会が、ひとりでやる行為と比較して個人になんらかの利益をもたらすか否かということであり、ついでもし利益が得られるならば、その利益は他の協働的機会から得られる利益よりも多いか少ないかということである。 このように、個人の観点からすると、貢献意欲とは、個人的欲求と嫌悪との合成であり、組織の観点からすると、提供する客観的誘因と課する負担との合成である。しかしこの純結果の尺度は、まったく個人的、人格的、主観的なものである。したがって組織は、個人の動機と、それを満たす諸誘因に依存することとなる。

2. 目的

 協働意欲は協働の目標なしには発展しえない。目標のない場合には、いかなる特定の努力が個々人に必要なのか、彼らがどんな満足を期待しうるのかを、知ることも予想することもできない。このような目標をわれわれは組織の「目的」と呼ぶ。目的をもつことが必要なのは自明のことであり、「体系」「調整」「協働」 という言葉のなかに含意されている。目的は言葉で明示しえないこともあるが、多くの観察される協働体系ではなんらかの形で明らかに存在する。明示されない場合、活動の方向ないし、結果だけから目的が推察される。目的が組織を構成する努力を人々によって容認されなければ、協働的活動を鼓舞することにならない。したがって本来、目的の容認と協働意欲とは同時的なものである。ここで、あらゆる協働目的には、協働する人々の観点からみて、それぞれ、協働的側面、主観的側面、の二側面があることを明らかにすることが重要である。

  1. 目的の見方が協働の一行為となる場合、組織の利益という立場からの見方である。この見方は主として組織の知識によって規定されるが、個人的に解釈されている。たとえば五人がAからBへ一つの石を動かすために協働する場合に、その石を動かすことは、それぞれの組織観においては別の意味をもっている。けれども石を動かすことが、五人それぞれにいかなる意味をもつかはここでは問題でなく、その組織全体にとっての意味を彼らがいかに考えるかということこそが問題なのである。 それは彼の見方からして、協働の一要素としての彼自身の努力や他のすべての人々の努力の重要性を含むが、それは個人的動機を満たす問題ではまったくないのである。目的が単純な性格の物的結果である場合には、協働する人々の異なった協働観は類似したものである。しかしたとえば宗教的協働のごとく、目的がはっきりとは触知しない場合には、客観的目的と各人によって協働的にみられた目的との間の相違が、ついにはその協働を分裂にいたらしめる場合がよくある。そこで協働の参加者が、協働の対象としての目的の理解にはなはだしい差異があると認めない場合にのみ、目的は協働体系の一要素として役立ちうるといえよう。協働体系の基礎として役立ちうる客観的目的は、それが組織のきめられた目的であると貢献者(もしくは潜在的貢献者)によって信じ込まれている目的である。 共通の目的が本当に存在しているという信念をうえつけることが基本的な管理職能である。
  2. 組織の目的は、個人にとって直接にはいかなる意味ももたない。意味をもつのは、個人に対する組織の関係である。つまり組織が彼に課する負担や利益が問題なのである。組織の全ての参加者は組織人格と個人人格を持つものとみなされる。われわれは組織目的と個人的動機とを明らかに区別しなければならない。個人的動機は必然的に内的、人格的、主観的なものである。共通の目的は、その個人的解釈が主観的なものであろうとも、必ず外的、非人格的、客観的なものである。この一般原則に対する一つの、しかも重要な例外は、組織目的の達成それ自体が、個人的満足の源泉となり、多くの組織において多数の人々の動機となる場合である。しかしそのような場合は、たとえあってもまれであり、組織の目的が唯一の、あるいは主要な個人的動機となりうるのは、特殊な条件のもとにある家庭や愛国的、宗教的組織に関する場合のみであろう。組織は一度確立されても統一目的を変更する場合がある。組織は自らを永続させる傾向があり、存続しようと努力してその存在理由を変えることもある。この点に管理職能の重要な側面がある。

3. 伝達

 共通の目的が一般に知らされねばならないことは当然であり、そのためにはなんらかの方法で伝達されねばならない。若干の例外はあるが、人々の間の言葉による伝達はこれをおこなう手段である。同様に、単純明白な条件下では程度は異なるが、人々に対する誘因もまた彼らに対する伝達に依存する。 伝達の方法は、口頭や書面による言葉が中心である。最も単純な方法では、とくに手のこんだ伝達の試みをしなくとも、一見してはっきりと意味のわかる動作や行為だけで十分伝達が可能である。さまざまな方法による信号も多くの協働的活動における重要な伝達方法である。伝達の技術は、いかなる組織にとっても重要な要素であり、多くの組織にとってはとくに重要な問題である。適切な伝達技術がなければ、ある目的を組織の基礎として採用することができないような場合があるかもしれない。組織の構造、広さ、範囲は、ほとんどまったく伝達技術によって決定されるから、組織の理論をつきつめていけば、伝達が中心的地位を占めることとなる。また組織内の多くの専門化は、本質的には伝達の必要のために生じ、またそのために維持されているのである。

第2節 組織の存続

1. 協働の有効性

 組織の継続は、その目的を遂行する能力に依存する。これはその行為の適切さと環境の条件の双方に依存する。換言すれば、有効性は主として技術的過程の問題である。この問題には、一つの逆説が含まれている。すなわち組織は、その目的を達成できない場合には崩壊するに違いないが、またその目的を達成することによって自ら解体する。したがって、たいていの継続的組織は、新しい目的をくりかえし採用する必要がある。したがって有効的でないことが組織の瓦解の真の原因ではあるが、新しい目的の採用をもたらす決定をしないことも同様の結果となる。それゆえ、目的の一般化は、永続的な組織のきわめて重要な側面なのである。

2. 組織の能率

 ここで問題にする基本的意味における努力の能率とは、協働体系に必要な個人的貢献の確保に関する能率である。組織の生命は、その目的をなしとげるに必要なエネルギーの個人的貢献を確保し、維持する能力にかかっている。ここで強調しようとするのは、組織の能率とは、その体系の均衡を維持するに足るだけの有効な誘因を提供する能力であるという考え方である。組織の生命力を維持するのは、この意味の能率であり、物質的生産性の意味での能率ではない。物質的生産がまったくおこなわれないために、生産的能率の考え方がまったく無意味であるような組織で、大きな力や永続性をもつものは多い。純粋に経済的な事業の場合においてさえも、非経済的な誘因の提供における能率は、生産的能率と同様に重要である。非経済的誘因を提供することは、多くの場合他の誘因と同様にむずかしい。協働作業における標準化された生産の物的経済性をそこなうことなしに、しかも各人が技能の誇りと仕事の完成についての誇りとを得るような条件を確保することが真の能率の問題である。威信を与え、望ましい人々の忠誠を確保するような組織とすることは、能率、すなわち、一面的な能率ではなくて全面的な能率、における複雑困難な仕事である。商業、政府、軍隊、学術などの組織のなかで優れた組織が、非経済的誘因に非常に注目し、ときとしては莫大な経費を使うことがあるのはこのためである。それは、非経済的誘因が多くの場合に有効性に不可欠であるばかりでなく、基本的な能率に不可欠なものであるからである。

 組織とは、単純なものであろうと複雑なものであろうと、つねに、調整された人間努力の非人格的な体系である。そこにはつねに、調整および統一の原理としての目的がある。そこではつねに伝達能力が不可欠であり、人格的な意欲が必要であり、さらに目的の統合と貢献の継続とを維持するに当たって有効性と能率が必要とされる。

(井上直哉)


第8章 複合公式組織の構造 (pp.100-118)

【解題】この章の前半と後半のつながりはよく分からないが、後半の第2節・第3節では、単位組織から複合組織が作られると主張されている。ただし、単位組織 (unit organization) を表す用語として単純組織 (simple organization) や基本組織 (basic organization) なども登場し、紛らわしい。(高橋伸夫)

 本章では複合組織に関する一般的叙述を行い、複合体型の発展と成長がいかなる形で組織の基本的特性によって支配されるかを示す。

第1節 完全組織、不完全組織、下位組織ならびに従属組織

1. 支配的公式組織とその他の組織との関係

 国民社会や地方社会と総称される非公式組織の複合体の上や中に、公式組織のネットワークがある。この公式組織網の中には明らかに支配的・包括的な公式組織があり、これに他の全ての公式組織は直接・間接的に付属・従属している。支配的な公式組織には、公式に組織された宗教団体(=教会)・政治的利害団体(=政府)の2種類がある。ただし、絶対的に他を支配する単一の公式組織は存在せず、地域や住民は、教会と国家の両者に同時に従属することが多い。

2. 下位組織の従属方法と意味

 最高組織に組織が従属する方法には、直接的な場合と間接的な場合があり、大抵はその双方である。下位組織はそれが従属する上位組織によって常に影響されるため、不完全・依存的である。同時に、上位組織は下位組織の複合体から成り立つため、下位組織からの影響を受ける。

3. 組織の複合関係と個人

 複合組織には個人の貢献を求めようとする競争がある。この競争は、同じ階層の下位組織間だけでなく、上位組織と下位組織の間にも存在する。また、個人は全ての組織の外にあって公式組織と多元的な関係を持ち、公式組織の複合性が拡大すればするほど個人の選択範囲は拡大されることとなる。

第2節 組織の起源と成長

 以下では、複合組織の構造の性質や諸制約を正しく理解するために、組織の発生と成長について述べる。

1. 組織の発生方法

 組織の発生方法は、(a)自然発生的、(b)ある個人の組織しようとする努力の直接的結果、(c)既存の親組織から派生した子組織、(d)分裂・反逆・外力の干渉によって既存組織から分離する、の4つがある。

  1. 誰かがリーダーシップを取らずとも、共通目的を達成するために2人以上の人々が同時に努力を捧げる場合に生じる。
  2. ある一人が目的を抱き定式化し、それを他人に伝えて自分と協働するように仕向ける。
  3. 親組織が新しい単位を組織するために人を派遣して補助組織を育成する。
  4. (a)〜(c)のような方法で発生した組織から、「新しい」組織が分離して発生することがある。その原因は、成長、分裂、離反力の結果、目的の対立など多様である。ただし、複合組織からの補助単位の分離がある場合のように、「新しい」部門は、創造の結果ではなく、以前から存在する組織の新集団に 過ぎないこともある。

2. 組織の成長と単位組織

 複合的性格の組織は全て小さい単純組織から成長する。公式組織の成長、すなわち大きな公式組織の創造には、小さい組織の結合が不可欠である。つまり、全ての大きい公式組織は多数の小さい組織で構成されていると言える。また、人々の間の相互伝達の必要性より単純組織の規模には制約が存在するため、大きい複合組織が構造上必要とされる。

3. 単位組織の規模

 通常状態では、多くの人は自分たちがしていることや全般の情況を見ることができないため、特定行為に関連する、もしくはそれを左右するような重要な情報の伝達にはリーダーの存在が不可欠である。よって単位組織の規模は、効果的なリーダーシップの制約から決定される。この制約は(a)目的や技術的情況の複雑性、(b)伝達過程の困難、(c)伝達の必要性、(d)個人的諸関係(=社会的情況の複雑性)の4つに依存する。

  1. 目的が単純でない時は、はるかに多くの伝達が必要となる。
  2. 言葉による伝達が困難な場合や不可能な場合もある。その場合には実物を見せて説明する必要があるように、有効に伝達しうる人数は限られる。このように伝達過程の困難さは明らかに組織単位の規模と重要な関係がある。
  3. 各行為者が全体情況を見渡せていたり、慣習と熟練を備え、また共同作業に慣れているならば、伝達を要する情報の分量は少なくてすむ。しかし、お互いが全体情況を見れない状態のもとでは不断の伝達が必要なことが多い。
  4. 集団を構成する人数が増加するに伴い、その諸関係の複雑さが加速度的にに増大する。諸関係に関しては、一人の人が他の人々と個人的に持つ関係、個人と集団との関係だけでなく、派生集団相互間にも関係が生じる。

4. 複合組織の形成過程

 以上のように、単位組織の規模は伝達の必要性のために非常に厳しく制約されるためこの制約以上に組織が成長するには、新しい単位組織が作られるか、複数の既存単位組織が統合されなければならない。すなわち、単位組織以外の全ての組織は2つ以上の単位組織の複合体である。また、単位組織が結合されたとき、伝達の必要性から上位リーダーが必要とされ、リーダーはその補助者と共に「上位」単位組織となる。

第3節 管理組織

 管理職能は、単位組織においては組織に貢献する複数の人々によって交代で遂行されているのに対し、複合組織においては下位単位組織の1人に集中する。これは公式的情報伝達のためだけでなく、管理組織を確立するためにも必要である。管理組織は、少なくとも1人の上位者を持つそれぞれの単位組織の管理者たちから成る。また、複合組織において管理職能を担う人は、作業単位・管理単位という2つの組織単位の「構成員」となる。このような条件下では、1つの行為は2つの異なる単位組織での活動である。1人の人が異なる外部組織のみならず、同じ複合組織の中のいくつかの異なる単位組織において機能することは頻繁にあって、単一の行動によって2つの組織に同時に貢献することは、全ての複合組織における事実であり、組織はそれによって有機的全体となる。一般の単位組織と同様に、管理単位組織の規模にも制限がある。よって管理単位組織は複数存在することとなり、大きな複合組織では管理単位の広範なピラミッドが展開することとなる。

 以上のことから、全ての複合組織はいくつかの組織単位から成り立ち、「作業」組織あるいは「基本」組織の多くの単位から構成され、その上位に管理組織の単位を持つ。そして、複合組織の持つ重要な構造的特徴は伝達の必要性が単位組織の規模に及ぼす影響によって決定されるのである。

(山室有友美)


第9章 非公式組織およびその公式組織との関係 (pp.119-130)

【解題】この章では「非公式組織」が論じられる。実は、バーナードが公式組織 (formal organization) という用語を使い始める前に、既に1930年代にはハーバード大学の人間関係論の論者たち (p.121 脚注5) によって「非公式組織」(informal organization) という用語が使われていた。それは通常の用語法通りに、「公式ではない非公式の組織」というほどの意味であった。なので、バーナードの公式組織の概念と人間関係論の「非公式組織」の概念とは排反な関係にはなく、一部オーバーラップしている。つまり、非・公式組織≠「非公式組織」なので注意がいる。(高橋伸夫)

第1節 非公式組織とは何か

 人々は、公式組織への所属と関係なしに、むしろ個人的目的に基づいてしばしば他人と接触し、相互に作用しあっている。これらの接触や相互作用は、特に意識された共同目的なしに生じ、継続し、あるいは反復される。こうした接触や相互作用は、当該個人の経験、知識、態度、感情を変化させ、それぞれに永続的な影響を与える。このようにして、限られた人間相互間の接触による影響は、無限の相互作用の鎖のように、広範な地域に及び、長い期間にわたって、多くの人々の間に広がっていって、体系的となり組織化される。非公式組織とは、個人的な接触や相互作用の統合、および上記のような人々の集団の連結を意味する。定義上、共通ないし共同の目的は除外されているが、それにもかかわらず、重要な性格を持つ共通ないし共同の結果がそのような組織から生ずるのである。以上のことから、非公式組織は、不明瞭で密度の程度のさまざまな、形のない集合体であり、地理的に人々の親近性に影響する外部要因や、特に意識的な共同成果のために人々を接触せしめる公式目的などによって密度に差異が生ずる。どんな公式組織にもそれに関連して非公式組織があるということが重要である。

第2節 非公式組織の諸結果

 意識的な公式組織の過程と比較すれば、非公式組織は無意識的な社会過程から成り立っているが、それは一定の態度、理解、慣習、習慣、制度を確立するということ、公式組織の発生条件を創造するということ、これら2種類の重要な結果を持つ。後者について、非公式な結合関係が、公式組織に必ず先行する条件であることは明らかである。共通目的の受容、伝達、協働意欲のある心的状態の達成、これらを可能ならしめるためには事前の接触と予備的な相互作用が必要である。一方で非公式組織もどうしてもある程度の公式組織を必要とし、おそらく公式組織が出現しなければ非公式組織は永続も発展もできない。

  1. 人間が結合関係を維持するためには明確な行為目的が必要である。人間は一般に能動的で活動目的を求めるものであり、活動がなければ社会的接触を継続することが一般に不可能となる。その意味で、具体的な行為対象が社会的満足のためには必要である。
  2. 反対に、非常に多様な形式の行為をすることができ、多くの異なる集団との結合の可能性を持つような、社会的に複雑な状況においては、選択不能による行為の一種の麻痺状態が生ずることがある。これは行為の有効な規範の欠如に基づく社会的行為の個人的麻痺状態であると考えられる。
  3. 個人の諸活動は必ず局地的な直接集団の内部で行われる。人間の、国家や教会といった大規模組織に対する関係は、必ずその人が直接的に接触している集団を通じて生じるため、社会的活動は遠隔的な行為ではありえない。そのため、個人の本質的欲求である社会的結合は、個人間における局地的活動、すなわち直接的相互作用のうちに求められる。
  4. 最後に、目的的協働は人の論理的能力や科学的能力のおもなはけ口であり、またその能力の主な源泉でもある。合理的行為は主として目的的協働行為であり、主としてそれから合理的行為をする個人的能力が生ずるのである。

 以上の理由から、小さい永続的非公式組織でも大きい集合体でも、いずれも、常にかなり多くの公式組織を持つ。公式組織は全体社会の明確な構造素材であり、それによって個人的結合関係が継続性を保ちうるに十分な一貫性を与えられる支柱でもある。このように、公式組織がその領域を拡大するに伴い、全体社会の凝集性を拡充せしめ、またそれを必要とすることとなる。いかなる全体社会においても、家庭から始まり、国家や宗教という大複合体に至るまで、事実上これら公式組織によって完全に構造化されている。全体社会は公式組織によって構造化され、公式組織は非公式組織によって活気づけられ、条件づけられる、といった関係にある。そのため、一方が存在しなければ、他方も存在しえなくなる。公式組織が全く存在しなければ、ほぼ完全な個人主義の状態、及び無秩序の状態となる。

第3節 公式組織による非公式組織の創造

 公式組織は非公式組織から発生し、非公式組織にとって必要なものである。しかし、公式組織が作用し始めると、それらは非公式組織を創造し、必要とする。協働の公式的体系の重要で、多くの場合不可欠な部分が非公式組織であることは、一般的に組織内部で認識されていない。主要管理者や全管理組織さえもが、自分の組織内での広範な影響力、態度及び動揺を全く知らないこともよくあることは否定できない事実である。他方、たいていの組織で「組織のコツを知ること」は、主として、その非公式社会で、誰が誰で、何が何で、何故にやっているかを知ることである。公式組織と結合した非公式組織は、多くの場合、経営者、政治家、ならびに他の組織の首脳部によって直感的に理解されてはいるが、今までは経営組織のレベルだけについて明確に研究されていたに過ぎない。実際、非公式組織は日常の結合関係というあたりまえの身近な経験の一部であるから、それに含まれる相互作用の一部のみを見ているだけで非公式組織には気が付かないのである。しかし、公式あるいは特定の活動との関連における人々の結合関係には、それに付随的な相互作用が必ず含まれている。

第4節 公式組織における非公式組織の機能

 公式組織における非公式組織の欠くべからざる機能の1つとしての伝達機能は、前章で記述した通りである。もう1つの機能は、貢献意欲と客観的権威の安定とを調整することによって公式組織の凝集性を維持する機能である。第3の機能は、自律的人格保持の感覚、自尊心及び自主的選択力を維持することである。非公式組織の相互作用は、一定の非人格的目的や組織表現としての権威によっては意識的に支配されていないから、その相互作用は明らかに選択力によって特徴づけられており、しばしば人間的な態度を強める機会を提供する。そのため、個性を分裂させがちな公式組織の影響に対して各人の個性を維持する手段となる。これらの機能は公式組織の運営に必要な機能となっている。

(中村匠)


第3部 公式組織の諸要素


第10章 専門化の基礎と種類 (pp.133-144)

【解題】この章での専門化の議論は、後のサイモンらの議論と比べるとまだ稚拙である。最後の私見(原著では a final observation)として述べられている「複合組織におけるあらゆる単位組織は一つの専門化であるから、複合組織の一般目的は組織の各単位に対する特定目的に分割されねばならない。」(p.137) は複合組織の構造を理解する上で、重要である。(高橋伸夫)

 一般に、分業、職能化、専門化の三語の定義が厳密に意識されることは少ないが、本来は分業が一般社会機構という大きな経済制度の一側面、職能化がある組織の中の一機能に重点を置いた言葉であるのに対し専門化は人間あるいは人間の集団に焦点を置いたものである。専門化は大きく、作業の対象物に関連付けられる場合と作業方法に関連付けられる場合があるが、同じ素材を扱っていても方法が違うと産物も能率も異なるということで、生産技術の発展とともに専門化は作業?法の差異を意味するようになった。専門化を分析する際には作業者個人の先天的な適性と反復的経験の効果の2つが特に注目され、個人に付随するとみなされた場所や時間などの条件はさほど強く認識されなかった。しかし、組織についての専門化を語る時には、その補助組織の時間と場所による専門化が重要な意味を持つ場合が多い。これは、鉄道と通信、軍隊組織の例を考えると明白である。さらに専門化の要素には「社会結合の専門化」も考慮すべき必要がある。これは、協働的努力における人間間の反復的な相互調節を意味している。

第1節 専門化の基礎

 組織ならびに個人の専門化の基礎は、時間・場所・作業者・対象物・作業過程の5つである。

  1. 時間: 季節、昼夜、人間の耐久力も専門化の基礎として重要である。特に昼夜連続でサービスを提供する組織においては時間の専門性が重要になる。決められた時間を守り継続的に作業する能力は信頼性にも関わる大事なファクターである。
  2. 場所: 協働体系は物理的位置を持つ個人の努力体系とみなされており明らかに場所的であるため、専門化の基礎として作業場所が重要視されることは少なかった。しかし同じ種類の作業でも場所が異なればやり方は異なってくるので、能率的な作業?法はその土地の専門的な知識に依存しているといえる。
  3. 作業者: 組織関係の中で作業をする人間に関する専門化と組織自体に関する専門化を、バーナードは「社会結合の専門化」と名付けた。長く付き合うことによって生まれる連帯意識や安定は組織の永続性と能率に影響を与えている。
  4. 対象物: 努力目標となる生産対象物やサービス内容は当然ながら専門化の基礎とみなされる。生産する場合は生産物の素材、サービスを提供する場合はその目的が重視される。
  5. 作業過程: 同質の結果をもたらす方法が複数考えられる場合、作業者の個別的な適性や反復的経験による技能の増大、あるいは知識の増大に依存して専門化される。

第2節 専門化と組織

 専門化についての考察は、協働体系の有効性が専門化の?新に依存すること、専門化の第一義的意義は目的の分析であるという命題を導く材料になる。

1. 専門化の革新

 協働体系における活動の調整は、努力の同時性の原則に基づく同時的協働と努力の連続性の原則に基づく継続的協働の2種類に分かれる。個人の体力的限界や感覚器官の範囲、個人の位置の制約が重要である場合は前者、持続力の限界や運動速度の限界が重要な場合は後者の協働が行われる。どちらの場合でも、協働体系の発展には時間的な序列が大きな意味を持つ。努力の同時性に失敗すれば体力や感覚器官の有効範囲は増大することはなく、時系列的な序列の誤りは努力の継続性における失敗を生む。失敗が正しいことが時間的に間違った順序で行われたことに起因しているケースが多く観察されることも事実である。また、空間的な序列も協働体系の発展に不可欠な要因である。物的環境に対して行われる作業に関しては、特に、行為は有効な場所で行われるように専門化される必要がある。ここで、協働の有効性を高めるためには時間と場所という二重の調整が用いられるといる。この時重要となるのが、調整の要求に進んで服従する意思を持つという個人の特性と、適切に伝達ができるという組織の特性である。協働の目的によって方針づけられる専門化とその目的の間には相互関係がある。適切な専門化が組織されづらいような目的は拒否され適当な専門化が得られる目的が選択されることになるので、組織の目的はその組織の技術水準を反映することが多い。また、作業過程における専門化も時間的、場所的といった他の専門化の進展に大きく左右される。以上のように組織の専門化の過程は各側面が不可分に作用しあっており、連続的に?や物的環境に働きかけることで組織専門化の精緻化が進んでいると説明できる。協働体系の発展は各要素における革新が複合的に影響しあった末に達成されるものである。

2. 目的の分析

 専門化された組織の機能面は、個々人の努力を協働体全体の情況にうまく相関させることができるように調整されることが必要である。最終的な目標は、組織の目的が十分に分析されて細部諸目的が明確化され正しい順序でそれらがクリアされていくことで達成される。全体の目的を正しく分析し専門化された諸部分が適切に作用し合えるように調整を管理することが重要である。また、諸部分に従事する人間がその部分の目的を理解し受容することが必要である。さもなければ、小組織の分解が起きてしまうからである。この時、全体の目的に関する理解は必須ではない。なぜなら、全体目的の理解は細部目的の理解を強めることには繋がるが、時に細部目的へのコミットを阻害してしまう場合もあるからである。重要なのは、全体目標の理解よりは細部目標の根拠への信念であるといえる。

(藤永皓優)


第11章 誘因の経済 (pp.145-167)

【解題】この章は、いわゆるワーク・モチベーションに関する章である。後に組織行動論の分野で開花することになる諸理論の萌芽を見て取ることができて興味深い。金銭的・物質的誘因が当時、非常に強調されていたが、これらは生理的に必要な水準を超えてしまえば弱い誘因にしかならず、それでも最も効果的だと考えるのは幻想 (illusion) であり、他の動機の力を借りる必要があるという主張 (pp.143-144)、そして他の動機として威信、パワー、昇進 (p.145)、誇りなど (p.146) を挙げていることは実に興味深い。(高橋伸夫)

 協働は、個人の協働しようとする意欲と協働体系に努力を貢献しようとする意欲とに依存している。組織は個人の利己的動機を満足させることで協働するよう誘因させねばならず、誘因が適当でなければ組織は解体するか、組織目的を変更するか、協働が失敗することとなる。

第1節 誘因の2側面

 個人の貢献を求める組織としては、賃金など積極的誘因を増やすか就業時間の短縮など消極的誘因を減らすかのいずれかとなる。また、ここでは貨幣・作業時間のように客観的誘因を提供する方法を「誘因の方法」、主観的態度を改変させる心的状態に重点を置いた方法を「説得の方法」と名付けることとする。

1. 誘因の方法

 誘因の方法を個人に特定的に提供される「特殊的要因」と「一般的要因」とに区別すると、特殊的要因には(a)物質的誘因 (b)個人的で非物質的な機会 (c)好ましい物的作業条件 (d)理想の恩恵、一般的要因には(e)社会結合上の魅力 (f)情況の習慣的なやり方と態度への適合 (g)広い参加の機会 (h)心的交流の状態などがある。人はそれぞれ違った誘因あるいはその組み合わせによって動かされるし、時が異なればまた違った誘因によって動かされる。また通常組織は十分な諸要因を提供することができない。

2. 説得の方法

 組織が必要とする個人的貢献にふさわしい誘因を与えることができない場合には、人々の欲望を(a)強制的状態の創出 (b)機会の合理化 (c)動機の教導などの説得によって改変する必要がある。

  1. 強制的状態の創出・・・強制は個人の貢献の排除にも獲得にも使われる。排除の例としては死刑・権利剥奪・追放・監禁・解雇などがある。貢献を獲得しようとする例としては、ギリギリの生存と保護が組織に一定の貢献をするのに十分な誘因となるような状況を作り出す奴隷制がある。
  2. 機会の合理化・・・誘因の合理化は、社会組織全体の表現として行われる一般的合理化と「〇〇すべき、それがあなたのためになる」と個人や集団を納得させようとする特殊的合理化の2つがある。誘因合理化の対象となる個人の背景はその人の生理的欲求・社会的地位・社会的影響など様々で、効果的な誘因の組み合わせも多様である。
  3. 動機の教導・・・動機の教導は最も重要な説得形式であり、公式的なものとしては教育・宣伝の過程、非公式的なものとしては教訓・模倣と対抗・習慣的態度などが挙げられる。

第2節 誘因の経済

 誘因の経済では、客観的誘因の提供と説得の実施から生ずる物の収支の純成果を取り扱う。貨幣などの物財であっても好ましい作業条件や心的交流の利益など非物質的なものであっても、無限に提供し続けることはできないため経済性が必要である。 組織からみた誘因の経済について、ここでは(a)産業組織 (b)政治組織 (c)宗教組織の3つの根本的に異なる目的を持つ組織に関連して理論の概要を示す。

  1. 産業組織・・・産業組織は人々のエネルギーを物的環境に適用して物的生産物を獲得する。このエネルギーを得るために支出する量が生産量以下でないと、組織は誘因を提供し続けることができないため消滅してしまう。産業組織における誘因の経済は費用などただ物質の見地からみた誘因の分析に始まる。ある1人にとっての個人的威信の機会は必然的に他の人の相対的低下をもたらすなど、非物質的誘因はしばしば相互に対立矛盾となるからである。非物質的誘因を強調するには他の人々と関連してなされねばならない。誘因の効果的なバランスを見出すことは非常に困難なので、説得にも訴える必要がある。もし利用しうる説得方法が強制であれば、組織はそのための力を維持する必要に迫られるため強制の費用が効果を超えてしまう。もし説得の方法が、一般的な宣伝か選考過程も含めた個人に対する特殊な説得かのいずれかの形で行われる合理化であれば間接費が無視できないものとなる。好ましい一般的な社会的条件付けがあれば思いがけない幸運である。
  2. 政治組織・・・政治組織は普通は生産的でないが、大規模な政治組織は理想の恩恵と共同体の満足といった動機だけでなく、個人的威信の機会と物質的報酬といった「低級な」誘因も使用する必要がある。政治組織の参加者を得るためには説得が重要であるが、説得のための支出によって忠実な構成員の努力に対する誘因のための物質が減少するということは付言を要しないであろう。
  3. 宗教組織・・・宗教組織でも低級な誘因は効果的であるが、最も有力な誘因は理想の恩恵と「血縁精神」の交流であると思われる。構成員に要求される基本的貢献は強烈な信仰と組織への忠誠であり、組織維持と伝道のため物質的貢献もまた求められる。

 いかなる目的を持つ組織であっても必要な貢献を獲得するために誘因・説得がともに必要であるが、外的環境も人間の動機も変動的なこともあり効果的でしかも実行可能な誘因と説得の明確な組み合わせを決めるのは非常に困難である。また、こうした不安定性から生ずる以下2つの帰結に注意する必要がある。

  1. 誘因、特に威信・社会結合の誇り・並びに共同体の満足などに関する誘因を維持するためには組織の成長・拡大・拡張が必要であること。
  2. 組織が必要な人員を充足するときにみられる高度に選択的な性格である。これには望ましい貢献者を受け入れ望ましくない貢献者は拒否するという2つの側面がある。あらゆる誘因は組織にとって費用がかかるため、誘因の分配は貢献の価値と有効性が釣り合ったものでなければならないためだ。貨幣などの差別的な物質的報酬や、価値ある潜在的貢献者のサービスを組織に誘因する非物質的誘因の調節のための階層制度など原則的にも実際的にもみられる通りである。
(倉掛柚野)


第12章 権威の理論 (pp.168-192)

【解題】この章では、権威あるいは権限(どちらも英語では authority)が扱われている。バーナードが主張し、後にサイモンらによって継承された考え方は権限受容説と呼ばれ、「一つの命令が権威をもつかどうかの意思決定は受令者の側にあり、権威者すなわち発令者の側にあるのではない」(p.163) と考えるのである。なお、翻訳では zone of indifference のことを「無関心圏」と訳しているが、これは誤訳である。実際、「命令がAまたはB、CまたはDなど、どこへ行けというものでもあっても、それは indifference な事である。したがって、A、B、C、Dその他の地方へ行くということは zone of indifference の中にある。」(p.169) という用法を見ても、indifference は経済学で普通に使う「無差別」の意味で用いられており、zone of indifference も「無差別圏」と訳すべきである。この無差別圏のアイデアはSimon (1947)にも受諾圏 (zone of acceptance または area of acceptance) として受け継がれている。また、そもそも無差別圏がいつ設定されるのかということに対して、バーナードは「このような命令は組織と関係を持ったとき、既に当初から一般に予期された範囲内にある。」(p.169)としているが、これは後にThompson (1967)によって心理的契約と呼ばれるようになる。(高橋伸夫)

第1節 権威の源泉

 複合組織が単位組織からのみ成長したその集合体であることを前提に、権威はその性質に拘らず単純な組織単位に内在的である、即ち本質的なものと一致すると仮定できる。

1. 現実の情況

 権威は特定の状況下で、効果の大部分が失われ、その違反が当然の行為とみなされる。この状態は国家や宗教の権威において顕著であるが、組織の大小・種類に拘らず存在する。また、当然のように無視される権威がある一方で、正式に規定されないながらも重要な慣行・制度も存在する。

2. 権威の定義

 上記の分析から引き出される権威の大まかな定義は、公式組織における伝達の性格であり、構成員が自身の行為を支配するものとして受容するということである。この定義によれば、権威には2つの側面がある。伝達を権威あるものとして受容する主観的なもの、そして受容される伝達そのものの性格という客観的なものだ。この定義上、命令的な伝達は受令者が服従するかによってその権威の存在の成否が決まる。つまりその意思決定は発令者側にはない。そして権威の挫折は、十分な個人的努力の貢献を誘引できず、獲得できないことによる。

3. 権威受容の条件

 人が伝達を権威あるものとして受容する条件は4つ存在する。

  1. 伝達を理解し、解釈できること。
  2. 受令者が、伝達と組織目的が矛盾しないと意思決定を下すこと。
  3. 受令者が、伝達と自己の利害が両立すると意思決定を下すこと。
  4. 受令者が精神的・肉体的に伝達を実行可能であること。

4. 権威と組織の維持

 権威の決定が下位の個人に委ねられながらも、重要かつ永続的な協働が確保されるのは以下の3条件による。

  1. 永続的な組織において慎重に発令される命令は、通常前述の4条件に合致する。これらに外れる場合は、あらかじめ予想される問題を取り除くような処置がなされる。
  2. 各個人には「無関心圏」が存在し、その圏内では権威の有無を検討することなく命令を受容しうる。これらの命令はその組織との関係の中で予測済みのものであり、また無関心圏の範囲は、組織に対する個人の執着の決定誘因が、負担と犠牲を超過する程度に左右される。
  3. 組織の能率が、個人が命令を受容する程度に影響されるため、伝達の権威の否定はその組織との関係から利益を受ける個人にとっての脅威となる。従って大部分の貢献者には無関心圏の安定性を維持する作用が働く。これは共同体の共通感である。そしてこの意識の実行を可能にするのが、トップダウンの権威構造という仮構である。

 この上位権威という仮構の存在理由は以下の2点である。

  1. 組織的決定を下す責任を、個人から組織へ移譲する過程で必要となる。大多数の個人は自身の伝達が無視された時、その過ちの責任を取りたがらず、権威を認めることでそれを転嫁しようとする。
  2. 一個人の私的利益のために組織要求が歪められた際、その個人に懲罰を行うために必要である。組織に属する個人が、前もって自身の義務に同意しながらそれを怠ることは、組織の利益を侵害する敵対行為であり許されない。

第2節 調整体系

1. 権威と伝達体系

 伝達の公的性格を確立するために必要な諸条件から、権威は公式組織における伝達に関連し、その体系の内部の何らかと関連しているという説が確証される。この事情は、組織伝達における権威の性格は受令者の同意の可能性にあるという事実から生じる。権威ある伝達は公的かつ組織行為のみに関係するため、協働体系の外部の個人には意味を持たない。また、伝達はその発信源が組織伝達の中心にあること、そして受令者の直面する実情に適応することによって権威の強さが左右される。そして上位の職位からの伝達が優れた視野と展望に裏づけされる時、個人的能力とは別により強い権威が認められる。これが職位の権威である。一方で明らかに能力の優れた個人は、職位と無関係に尊敬を集め権威を確立する。これがリーダーシップの権威であり、職位の権威と組み合わさると、無関心圏外の命令すら受容させるほどの権威が認められる。しかし権威の決定権が個人に委ねられている以上、この2つが揃わなければ権威は成立しない。高位の職位を占める個人がそれに見合う能力、情報やリーダーシップに欠ける時、その権威はテストされ消滅する。逆に優れた能力を持つ個人が管理職位を占めていない時、その発言は権威の下の伝達ではなく、受け手の責任で受容される助言にすぎない。相応した責任を伴わない権威はありえないということだ。従って、上位権威を支持し無関心圏を実現する客観的権威の維持は、組織における伝達体系の運用に依存する。伝達体系の機能は権威ある職位に適切な情報を提供し、発令に適切な便宜を供給する。このように、権威は個人の協働的態度と組織の伝達体系の2つの基盤の上にのみ成立する。つまり伝達体系とその維持は、組織の存続に関して本質的な課題である。

2. 伝達体系の基本問題

 客観的権威の伝達体系の性格における規定的要因を考える。

  1. 伝達の経路は明確に知らされる必要がある。公式的任命の周知、各人の職位配置などの手段で実現される。
  2. 客観的権威は全構成員に対する明確な公式伝達経路を必要とする。
  3. 伝達のラインはできるだけ直接的もしくは短い必要がある。これは、伝達はその中継点が少ないほど、またラインが短いほどその速度が上がり正確性を増すことによる。管理組織の拡大などを通して達成される。
  4. 通常、完全な伝達ラインが用いられなければならない。これはラインの飛躍による伝達の矛盾や解釈のズレの発生を防ぐためである。
  5. 伝達のセンターである役員や監督者の能力は適格でなければならない。なぜなら、伝達センターはインプットされる伝達をアウトプットする伝達に変換し、かつ情況に適し権威を持ち得るか弁別するという広範で一般的な能力を持つ必要があるからだ。実際、現代的大規模組織においてこの能力を個人に期待するのは難しい。現場と管理者をつなぐ中間的過程による補助の下達成されるのがほとんどである。また、管理者が個人ではない組織の場合は、組織された管理集団が最高の権威を持っている。
  6. 組織が機能している間、伝達のラインは中断されてはならない。これは伝達の運用不能を招くほか、「政略」がはびこり組織が急速に分解することを防ぐためである。世襲相続など職位の空席を予防する制度がこの重要性を示している。
  7. 全ての伝達は認証されなければならない。これは、発令者が「権威ある職位」を占めていることが周知されていること、その職位が当該の伝達形式を含んでいること、その伝達がこの職位から発せられた権威ある伝達であることの3点を意味する。この3点での認証は組織・情況・職位の違いによって変化するが、共通して必要なのは、職位への就任が劇的に表現され威厳が生じることで、組織への忠誠心と連帯感を生むことである。

 これらの諸原則は複合組織について当てはまるもので、単位組織においてこれらは融合しており分離できない。単位組織における問題はリーダーの能力と、組織の活動中にリーダーが機能を果たしているかということである。

第3節 法律的概念との調和

 上位組織と補助組織との関係においては、これまで述べてきた権威のあり方と法律的な考えの下での権威は同様である。補助的・従属的な単位組織および集合組織と個人との間の唯一の差異は、権威の拒否が個人によっては直接的になされるが、単位、集団、従属的ないし補助的複合体によっては直接的もしくは間接的になされる点である。直接的な場合全体としての組織への法律、命令の影響が問題となり、間接的ならば個人に対する影響が問題となる。しかし、少数の例外を除いてこの差異は重要ではない。補助組織はその行為の大部分に対する権威を、自身の「構成員」から個々に引き出しているからである。一方で、非公式組織の世論、一般的感情の要素にはかなりの量的差異がある。これは原則の違いではなく、単に個人や公式集団に比較しての非公式組織の規模の差異にすぎない。国家に浸透している非公式組織はあらゆる補助組織に対して圧倒的に大きい。そして問題点が自らの観点から重要でないときは、通常「法律と秩序」を支持する。しかし国家の客観的権威に対するこの非公式な支持も、普通の組織の場合と本質的に同じ原則に依存している。社会的情況に適合しない法律や政府行政は、客観的な政治権威を破壊する。民主政治において正常な反応は政治活動により法律や政府を変えることだが、少数派の同意が蔑ろにされた時その専制を革命か内戦で清算する。多くの人々は自身に対する権威を屈従するよりは抵抗によって破壊してきた。

 一見組織における伝達は、一部分のみ権威に関係するにすぎない。しかし伝達、権威、専門化および目的は、全て調整に包含される側面である。全ての伝達は目的の定式化、行為を調整する命令の伝達に関係し、協働意欲を持つ人々との伝達能力に依存する。権威は協働体系の要求に服従しようとする個人の意欲と能力に関する概念である。権威は一方で協働体系の、他方では個人の技術的・社会的制約から生じルため、社会における権威の状態は、個人の発展と社会情況との双方の尺度である。

(後藤公大)


第13章 意思決定の環境 (pp.193-208)

【解題】この章では、組織の中での意思決定の過程・連鎖が扱われている。後に、サイモンが展開する意思決定を中心にした組織論の萌芽ともいえる考え方、概念が随所に散見されて興味深い。まず冒頭で、個人の行為をプログラム化されたものとされていないものに分けて、プログラム化されていない行為に先行する過程は最後に「意思決定」と名づけうるものに帰着するとしている(p.185)。ただし、プログラムという概念が使われるようになるのはMarch & Simon (1958)以降、さらに「プログラム化された」という概念が使われるようになるのはSimon (1960)以降である。次に、バーナードは意思決定を2種類に分類し、一つは「個人的意思決定」(personal decisions) 、もう一つを「組織的意思決定」(organization decisions) と呼んでいる (pp.187-188)。このうち「個人的意思決定」は、March & Simon (1958) が「参加の意思決定」と呼んだものに相当している。その観点から考えれば、「組織的意思決定」は March & Simon (1958)の「生産の意思決定」に対応していると考えた方が分かりやすい。また、新しい意思決定が行われるときには、以前の条件下での以前の意思決定の結果は、既に客観的事実となっていて、新しい意思決定の一要素として扱われる (p.195) といったように、バーナードが、既に意思決定連鎖のようなものを考えていたことも注目される。後にSimon (1947) が意思決定前提 (decisional premise) と呼ぶものは、補助決定 (subsidiary decision) と呼ばれていた (p.188)。(高橋伸夫)

 個人の行為は、塾考・計算・思考の結果である行為と、無意識的・自動的・反応的・現在あるいは過去の内的もしくは外的情況の結果である行為に二分される。一般に前者は、最終的に「意思決定」に帰着する。意思決定が問題となるとき、意識的に2つの条件が存在する。達成されるべき目的と用いられるべき手段である。目的自体は論理的過程の結果であることもあるが、社会的・組織的諸情況により無意識的に印象付けられる場合もある。いずれにせよ、目的が定まれば手段に関する決定は識別・分析・選択という論理的過程である。

 組織の行為は、組織目的に支配された個人の行為である。これら組織目的はある程度定式化されねばならないため、意思決定過程そのものとして高い程度まで論理的過程を含む。その上、目的が採用された時、その手段として行為を調整することは本質的に論理的過程である。さらに個人の行う組織行為は、個人的でない目的を達成する手段の意識的選択を必要とするため、やはり論理的であると言える。組織にはもちろん無意識的な行為が含まれているが、個人行為と対照的に、最高の程度まで論理的過程によって特徴づけられる必要があり、また特徴づけ得ること、および意思決定が組織においてどこまで専門化されるかが重要なポイントである。公式組織の本質は、目的に対する手段を熟慮した上で採用することにある。これは永続的組織の多くの事例について、個人行為よりも組織行為の方が優っている主要点である。

 この分析から、組織行動を特徴づける意思決定行為の過程が、組織行動の理解の鍵であることが示される。さらに思索の問題である個人の意思決定過程に比べ、組織においてはより経験的観察が有効である。組織目的ないしその定式化、この過程と目的の実行過程に含まれる意思決定は、組織内で均等に配分される。これは伝達ラインの職位全般に配分される相互作用的な意思決定過程であり、組織行為の本質的行為である。

 組織の構成要素たる全ての調整された協働努力は、2つの意思決定行為を含む。1つは個人が組織に貢献するか、またそれを持続するかに関する当該個人の個人的意思決定である。これは無視できない問題だが、組織を構成する諸努力の体系の外部に位置する。もう1つは、組織的意思決定で、個人的結果に直接・特定の関係を持たないが、意思決定が必要な努力を組織に与える効果と組織目的に対する関係の見地から、非人格的なものとみるものである。これは個人によってなされるが、その意図と効果においては非人格的かつ組織的なものである。この両者の区別は、組織行為に貢献する個人に私的人格と組織人格が要求されることを示す。これら2種の意思決定は、組織的意思決定はしばしば委譲されうるのに対して、個人的意思決定は通常他人に委譲できない。組織による重要な意思決定は最終的に一人の個人によってなされようとも、対応する補助的・細部的意思決定は組織的に行為する複数人によって行われる。意思決定の適否は事実と組織目的に関する知識に依存し、組織伝達と結びついているため、組織的意思決定に対する責任は積極的かつ明確に割り当てられる必要がある。よって中心的・一般的な組織的意思決定は組織伝達系の諸センターで最も正しくなされ、中心的職位の人々に担当させる必要がある。これらの人々が管理者であり、組織的意思決定過程の専門化を表す役割を持つ。具体的な意思決定をめぐる環境は無数にあるが、今回はそのうち意思決定の機因、意思決定の証拠、意思決定の環境の3つにフォーカスする。

第1節 意思決定の機因

 正しい選択をした爽快さや問題解決に向けた努力が終わった安心感は、選択の失敗からくる憂鬱感や不確実性から生じる失望により相殺される。そのため人は一般に、状況に対し無批判的な反応の域を超える意思決定を避けたがる傾向にある。大抵、人の意思決定能力は訓練と経験で大きく発展可能だが、全く狭いものである。管理者は、自身の引き受けた職位に関し定められた範囲内で意思決定をする義務があり、その継続のため自身の能力の限度を守らねばならない。つまり意思決定の機因を選別する必要が生じる。さもなければ責任回避の傾向を持つ他の人々に意思決定の負担を押し付けられることになる。このため意思決定においては、機因の生じる諸領域間のバランス維持が重要となる。ここでは特に、機因の生じる3つの領域に留意する。

  1. 意思決定の機因の多くは命令もしくは上位権威者からの要求によって与えられる。命令の解釈、適用及び割当てに関係する意思決定になる。責任を部下に委譲することで負担は軽減できるが、機因自体は回避できない。また、道徳的に正しくない、組織に有害、執行不可能などの理由で不適格な機因は、難しい意思決定を伴う。
  2. 部下から上申の形で意思決定を求められることもある。部下の無能力や命令の曖昧さ・矛盾などが原因である。上申事項の数は管理者や以前の意思決定の適切さにより左右される。管理者行為のテストは、重要あるいは正当に委譲し得ない意思決定を行い、それ以外を拒否することである。
  3. 誰からも求められない管理者のイニシアチブに基づく機因は管理者能力の最も重要なテストである。管理者の情況理解と組織の伝達体系の性格に基づき、あることがなされ、また訂正される必要があるか決定せねばならない。これらの決定には管理者自身の特殊な理由づけが必要となる。機因が彼自身に基づく以上、権威が認められるか否かの問題が生じる上、決定しなくても批判に晒されづらく回避への強い誘因が働くからだ。とはいえ管理者の最も重要な義務は、他の人々が効果的に取り上げられない問題に関して決定することであるのは明らかである。

 意思決定の相対的重要性の観点からは、当然管理者の意思決定が第一に注意を引く。しかし総体的重要性の見地からは、主要な関心を要するのは非管理的な組織参加者の意思決定である。これはまさしく管理的意思決定が必要な原因である。管理的意思決定は他の個人間の適切な意思決定・行為を促進する。そして行為の調整には「現場」での反復的な組織的意思決定が必要で、手段の最終的選択はそこでなされる。しかし、組織の主要管理的職位から非管理的職位に下るに従って、意思決定の条件のみならずその型も変化することに注意せねばならない。上層部では目的に関する意思決定が主要な注意を必要とし、手段に関しては二次的・一般的である。中間層では目的をより特殊に分割し、行為の技術的・工学的問題が顕著となり、下層部では意思決定が技術的に正しい行動に関係するのが大きな特徴である。この上で、貢献するか否かの個人的意思決定が最も大きい総体的重要性を持つのは、究極的権威の宿る下層部だ。

第2節 意思決定の証拠

 管理職能ないし管理者の業績の評価が難しいのは、一つは意思決定の本質的作用を直接観察する機会が少ない事実による。直接的証拠を生まず、全般的結果や漠然たる性格の徴候から推察されねばならない。最も直接的に知られる意思決定は命令として現れるが、その伝達に対し支配的な一般的意思決定が明かされていない場合もある。さらに、明確な意思決定がなされても、それが時宜を得なければ伝達が発されない時もある。また、決定しないことが決定であるかもしれない。これは頻出するかつ最重要な意思決定である。管理的意思決定の真髄とは、現在適切でない問題を決定しないこと、機熟せずしては決定しないこと、実行し得ない決定をしないこと、そして他の人がなすべき決定をしないことである。つまり意思決定には2種類ある。一つは積極的意思決定、すなわちあることをなし、行為を指図・中止し、行為をさせない決定であり、もう一つは消極的意思決定、決定しないことの決定である。消極的意思決定はしばしば無意識的で、相対的に非論理的で、「本能的」な「良識」である。最善の処置も一つの誤った処置で相殺されるため、管理者の評価には時間を必要とする。

第3節 環境の性質

 意思決定の環境の性質、取り扱う素材、関係する領域は二つの部分から成り立っている。一つは目的、もう一つは物的・社会的世界、外的事物と諸力、その情況などである。この二つは意思決定の客観的領域を構成するが、根本的に性質や起源が異なる。意思決定の機能は目的を変更する、もしくは目的を除く環境を変えるのいずれかによって両者の関係を調節することだ。

  1. 目的は主観的な欲望の表現と捉えられがちだが、新しい意思決定が行われる際には、以前の条件下での意思決定の結果であり、現在の意思決定の一要素でしかない現在の目的は客観的事実として扱われる。このことは組織的決定が個人目的でなく組織目的に関連するゆえ、特に正しいと言える。しかし次に、目的はそれ以外の環境の部分に意味を与えるために必須であることに留意せねばならない。あらゆるものの集合に意味を与え、関係あるものとして拾い上げる区別の基準こそが目的である。しかしながら目的そのものは特定の環境下以外で意味を持たないと同時に、一旦形成されるとその環境をより明確な形にするという特徴を持つ。目的を絶えず精緻化することは反復的意思決定の効果であり、最終的に細部目的がそのまま本来の目的の達成となる。同様に目的の更新につれて環境の新たな識別が必要となり、継続的行為は経験過程における一段階を構成するようになる。このように継続的な意思決定を通じて相前後しながら、目的と環境とは相互反応をする。
  2. 次に目的を除外した意思決定の環境を考える。それは原子・分子などの集積からなり、常に無数に存在し変化している。それらは目的に照らして識別されない時多様性も変化も意味を持たないし、目的の見地から意味がない変化は静的または静的かつ動的事実とみなされる。こうした識別はあらゆるものを二分する。とるに足らない無関係な背景にすぎない事実と、目的達成を促進もしくは阻害する事実を含む部分である。この識別がなされた瞬間意思決定は発芽し、好ましい要因を利用する、好ましくない要因を取り除く・弱める、目的を変更するといった代替案から選択する状態になる。ここで、意思決定が環境を取り扱うなら親目的の子孫を導入するが、目的を変更することに重きをおくならば親目的は放棄され、新しい目的とそれに対応する環境が創造される。 以上のことは、個人的・人格的なものと捉えれば形而上学的思弁に見えるが、組織においては十分確証するに足りうるくらい観察可能である。全ての意思決定、目的及び環境の記述分析は、たとえ短く省略されたものに関しても相当の正確さで決定の道筋を示すよう記録しうるものだ。ただここの労働者に限って言えば、必要な意思決定の多くは生理的行為に関連していることからその数や性質は推察に頼らざるを得ない。

 本章の目的は組織で行われる具体的意思決定の風土を示すこと、及び組織・個人それぞれにおける意思決定過程の根本的差異を強調することだった。以上から導かれる最も重要な推論は、組織内では意思決定の技術すなわち組織の思考過程があり、個人のそれと同類でないことである。

(後藤公大)


第14章 機会主義の理論 (pp.209-222)

【解題】この章は、「第17章 管理責任の性質」が組織の道徳的要因を扱うのに対して、その反対物として機会主義的要因を取り扱う(p.201)。Williamson (1975) 以降、機会主義的行動といったときには、それはしばしば、機に乗じて自分に有利に運ぶように行動することを意味し、あまり良い意味では使われないことが多い。この章の場合にも、道徳的要因の反対物であるとしているために、そのような印象を与える。しかし実際には、いわゆる機会主義的行動とはほとんど無縁の議論が続く。実は、この第14章は、前の第13章の裏づけとなっている章なのである。バーナードの意味する道徳的要因とは、組織の未来に関係した見通し (foresight) であり (p.201)、理路整然とした目的・手段連鎖を規定する管理職能において重要視されるものであるが、それに対して、環境に直面する現場では組織の機会主義的要因が重要視される (pp.210-211)。前の第13章で取り上げられた意思決定の連鎖のようなものは、実は、目的・手段連鎖に対応する演繹的なものではない。この章で述べるように、機会主義的に、次から次へと戦略的要因を探索して意思決定していくことから連鎖が生まれるのである。その意味では、後にSimon (1947) が意思決定の連鎖ととらえた組織を経営者目線で上から俯瞰した記述になっている。(高橋伸夫)

 たいていの個人行為と組織行為は環境の諸条件に対する反応であり、意思決定過程を含まない。個人の場合、意識に確認された目的は考え方、心境から生じてくるが、その考え方や心境の最も重要なものは、個人の社会的経歴すなわち社会的条件づけの結果である。しかし組織の場合、行為の目的は社会的過程によって形成されたものである。この目的は、個人の参加意思が目標の性質によって影響されることが多いという意味で、参加者個人の考えに制約されはするが、目的自体はこのような制約によって決定されるのではない。反対に、協働行為の手段と条件によってされることは別として、組織目的は組織の「利益」にもとづいて明確な形をとるようになる。この「利益」は、参加者に作用する組織の内的均衡か、あるいは一般的環境に作用する組織の外的均衡か、のいずれかに関連をもつ。そしてそれはつねに未来に関係し、願望のなんらかの標準ないし規範からみた見通しを意味する。組織目的のこの側面は理想である。これを道徳的要因と呼ぶが、本章では道徳的要因の反対物、すなわち機会主義的要因を取り扱う。これは、いま利用しうる手段による以外には、いかなる行為もなしえないという事実の示す要因である。明らかに意思決定における機会主義的要因は組織理論に不可欠である。

第1節 客観的領域の分析

 機会主義的要因は、客観的な領域に関連する意思決定に関係するかぎり、本質的に分析の過程である。現在の情況の分析は、一部分はそのまま目的の規定となるが、その目的の達成にどんな状況が重要であるかを発見する過程でもある。この分析は、情況の大部分を現在の関心ないし主から排除することとなる。この分析をおこなうことは、もちろん容易なときもあり、困難なときもある。それが新奇であるときは、分析は事実上よりどころのない推量、仮説、仮定となるため困難となる。このことを意思決定者が知っているときでさえ、これを理由に意思決定を回避することは許されない。たとえこのために消極的決定、すなわち問題を決定しないという意思決定に立ちいたるとしてもである。

第2節 戦略的要因の理論

 意思決定のために必要な分析とは、要するに「戦略的要因」を捜し求めることである。「戦略的要因」という概念は科学的研究上で一般によく用いられている「制約的要因」という言葉に関連している。戦略的要因の理論は、意思決定過程の正しい認識に必要であり、ひいては組織や管理職能、個人の目的行動の理解にも必要である。この理論をできるだけ一般的に述べれば、つぎのごとくである。ある体系をとりあげてみると、それは諸要因からなり、それらが合して全体としての体系を形成していることが認められる。われわれが目的達成という見地から、この体系に接近すれば諸要因はつぎの二種類に区別されるようになる。他の要因が不変のまま、ある要因を取り除いたり、変化させたりすると目的を達成するような要因と、不変のままの他の要因とである。前者が制約的要因と呼ばれ、後者は補完的要因と呼ばれる。さらに制約的要因は、正しい方式で正しい場所と時間にそれをコントロールすれば、目的を満たすような新しい体系ないし一連の条件を確立させる要因でもある。したがって、もしわれわれがある畑で穀物の増収を望み、分析の結果、土地にカリが不足していることがわかると、カリが戦略的(あるいは制約的)要因であるといいうるであろう。存在するか、あるいは欠如する決定的要素ないし部分が、物、物的要素、混合物、構成分などである場合、それを「制約的」要因と呼ぶのが便利である。また、個人行為ないし組織行為が決定的要素であれば、「戦略的」という言葉のほうがのぞましい。この言葉を選ぶのは分析する場合の区別に関係がある。もし分析の目的が知識それ自体のためであれば、いいかえれば、もし目的が直接に科学的であれば、「制約的要因」という言葉のほうが分析者の相対的に静的な状態をよく表現する。もし目的が知識ではなく、行為に関する意思決定ならば、「戦略的要因」というほうが分析者の相対的に変動的な立場、そこで意思決定の主観面とそれが展開される客観的領城との相互作用、をよく表現する。この戦略的要因がつねに含まれているという事実が見逃がされるのは、必要な個人行為ないし組織行為がしばしば重要でないようにみえるためである。たとえば土地がカリを必要としていることを決定するには大きい努力を要するかもしれないが、カリを得るにはほとんど努力を要しない。しかしながら、いったん必要がきめられると、カリが制約的要因であると知ったとか、あるいは推定したとかいう事実から新しい情況が生じてくる。そのときには、カリのかわりに、カリを運得するという制約的要因が戦略的要因となる。そしてこれは順次、カリを買うために貨幣を運得すること、カリを買いにゆくために人手をみつけ、カリを撒布するために機械と人を得ること等々に変化していく。このように戦略的要因を決めることは、それ自体ただちに目的を新しいレベルに変形させる意思決定であり、新しい情況において新しい戦略的要因を探索することを強いる。また、制約的要因と補完的要因はたえず交代している。制約的要因であったものは、それがひとたびコントロールされると補完的要因となり、他の要因が制約的要因となる。すなわち有効的な意思決定とは、可変的な戦略的要因をコントロールすることである。また制約的要因の場合においてはつねに戦略的要因が支配的である行為を決定する。支配的要因は、欠如している要素ではなく、欠如している要素を獲得しうる行為である。どの要素が変えられるべきか、どの要素が欠如しているかを決めることが、必要な行為を明らかにする第一歩である。意思決定が意図の達成にいかなるものが関係しようと、意思決定は行為に関係する為、戦略的要因は意思決定の環境の中心点である。

第3節 目的の達成と意思決定

 新しい戦略的要因をたえず決定してゆく反復的意思決定が、すぐには達成されない目的の成就には必要である。個人では、異なる時と場所における連続的意思決定が必要となる。組織では、異なる時における、また異なる管理者およびその他の人々による連続的意思決定が必要である。広い目的と広い間題についての意思決定とは、それぞれ、その目的の細部目的への分割、主要一般的な意思決定の細部補助的意思決定への分割を必要とする。事の成行きを決めるのは、一連の戦略的要因とそれに直接関係する行為であって、一般的意思決定ではない。実行が見通せない意思決定は無意味であり、目的は実行可能な条件に細分されなければならず、情況は時を経て展開するにつれて正確に確かめられねばならないのである。

第4節 分析上の問題

 戦略的要因を正確に識別することは技術の目標である。それを展開することは、主として技術的なものであり、細部を拡大して検討する手段を獲得しうるかどうかに依存する。全般管理者が一般目的を定式化したならば、彼にとっての戦略的要因は、拡大方法、拡大用具あるいは客観的事実が、目的の有効な再限定に必要な戦略的諸要因を詳細に決めるのに十分であるかどうか、そしてそれらを使用しうる、人員が得られるかどうかということとなる。人間の目的が適用されるかかる情況は、すべてつねにいくらか物理的、化学的、生物的、生理的、心理的、経済的、政治的、社会的および道徳的要素を含んでおり、識別力はこの順序で最もよく発達している。したがって意思決定の精密度もその同じ順序でより大きくなる。識別は物理的部分に関しては客観的であるが、経済的部分に関してはかなり主観的であろう。物的環境に関連する意思決定は、環境を現状においてあるがままにとらえるが、他方技術をそれほど通用しえない分野では、過去の過程と現在までのいきさつを現在の一部と見る。しかし経済学では、過去はつねに現在の識別に出しゃばってくる。われわれはある物がいまどれほどの価値があるかを尋ねるだけでなく、またどのくらいの費用がかかったかをも尋ねる。どれだけかかったかということは、商人のなすべき現在の意思決定には、まったく無関係な事実なのである。われわれは、現在ないしごく近い将来になすべき行為の決定にあたって、ときには、それがあたかもすでに過ぎ去った過去にもあてはまるかのように思って決定する。この事態はそれ自体、すべての比較的一般的な意思決定の執行に関して避けられない一つの戦略的要因である。どんな決定も、そのあとにつづく多くの意思決定が誤ってなされるかもしれないと想定しなければ、正しくはなしえないのである。これが管理的意思決定の環境につねにつきまとう要素である。過去というものの正当な意義は、現在の客観的環境にあるのではなくて、新しい目的を設定するという道徳的側面にある。なぜならば目的が変更されるか、再限定されなければならないとき、それは将来の結果の予想にもとづいておこなわなければならないからである。過去の知識は、いま、現在の事実に影響を与ええないが、しかし経験にもとづいてのみ、われわれは現在の目的に照らしていま観察していることの将来的意義を判断しうる。

 要約すると、意思決定はその機会主義的側面においては、まず現在の目的と、物的、生物的、社会的、感情的、道徳的なものから成る客観的環境から始まる。意思決定の理想的な過程は、過去の歴史、経験、知識に照らし、現状における行為の将来的結果の予想にもとづき、戦略的要因を識別すること、および目的を再限定するか変更するか、である。環境の識別は、環境のいくつかの要素に関して不均衡であるのは避けがたい。なぜならば利用しうる技術に差異があり、また過去が、未来を予想する基礎の一部として利用されないで、ある程度過去が現在と見誤られるからである。したがって意思決定過程に課せられる内在的な制約が主要決定および一般的決定をするに当たっての戦略的要因である。意思決定の諸結果の確率とは誤りの確率である。主要決定は通常、起こりうる広範囲な結果に合致するように一般的に述べられねばならないゆえに、特定結果を考慮することは比較的まれである。一般的決定が結果を考慮しているときには、細部決定をするよりも、むしろ既定の技術を適用しているのである。こうすることは細部決定をすることよりもずっとよいが、それだけでは十分でなく、けっして最終的なものではない。なぜならば、意思決定の過程には終わりがないからである。つねに変化している現在が、持続的組織においてつねに新しい目的を生み出すのである。意思決定が個人的な場合には、意思決定の事実はその個人に特定的であるが、個人の内部での意思決定は、決定がある時間順序と特定の場所でなされることを除いては、たぶん専門化されないであろう。反対に受容された事実としての、すなわち、権威をもつ組織的意思決定は個人に特定化されるものではなく、全体としての組織の機能であるが、意思決定の過程は必然的に専門化される。組織目的および組織行為は非人格的である。それらは調整される。組織における個人の努力は、一部分は非人格的に行為する他の人々によって必然的になされた意思決定の結果から生ずる。組織の概念は、意思決定の諸過程が割当てられ、専門化されている人間努力の体系を意味する。しかし意思決定は目的を規定し、戦略的要因を識別することであるから、意思決定過程の専門化には、それを割当てる場合に目的を強調するか、意思決定の他の環境的側面を重視するかの区別を伴う。管理職能においては目的の規定が重要視され、他の諸職能の間では環境の識別が強調される。管理的意思決定の直接的環境は、第一義的に組織自体の内部環境である。管理的意思決定の戦略的要因は、主として、かつ第一義的に、組織運営上の戦略的要因である。外部環境に働きかけるのは組織であって管理者ではない。管理者は第一義的に組織の有効的、能率的運営において、他の人々の意思決定を促進し、あるいは阻止するところの意思決定にたずさわっている。最後に、意思決定の機会主義的側面は一般に目的達成の手段および条件に関係するといえよう。この側面は、組織行為の側面のうち、論理的、分析的方法と経験的観察、経験、実験などが有効に働く側面である。それらは組織に内在的な専門化を要求し、それが今度は専門化を可能にする、協働の威力が最も明自なのはこの部面においてである。

(葉山裕基)


第4部 協働体系における組織の機能


第15章 管理職能 (pp.225-244)

【解題】この章は公式組織成立の3条件の復習。(高橋伸夫)

 管理者の職能は伝達経路として作用することである。そして、伝達の目的が組織のあらゆる側面の調整であり、組織が公式の調整を通じて成立する限り、管理者の諸職能は組織の活動力と永続性に必要なすべての仕事に関係する。ここで注意すべきことは、組織の仕事であっても管理的でないものは存在し、管理職位にある人の仕事が必ずしも全て管理業務である訳ではないということである。また管理職能は、協働努力の体系を維持する作用を持ち、組織の諸要素に対応する。管理職能とは、

  1. 伝達体系を提供し、
  2. 不可欠な努力の確保を促進し、
  3. 目的を定式化し規定する

というように、公式組織成立の3条件を満たすようにすることである。組織の諸要素が相互依存的であるから、それに対応する管理職能も相互依存的である。なお本章では、複合組織に見出される管理職能のみを取り扱うことにする。

第1節 組織伝達の維持

 伝達は人を介してのみ遂行されるのであるから、管理組織に充当されるべき人々を選択することが、伝達の手段を確立する具体的な方法である。しかし、その後ただちに、職位すなわち伝達体系が創造されなければならない。換言すると、伝達職位と、それに人の活動を「配置すること」とは相互補完的な2側面である。「管理職員」は特定の「職位」と結びついて初めて重要な意味を持つ。したがって、伝達体系の確立と維持の問題、すなわち管理組織の第一の課題は、つねに「管理職員」と「管理職位」という二つの側面を結合する。これが管理職能の中心課題である。人と職位の結合というこの問題が解決されなければ、他のどの職能もうまくゆかない。伝達体系の構築は、他の管理職能の基礎となるのである。伝達体系の構築には職位の問題と人事の問題という2つの側面がある。職位の問題は、位置づけの問題あるいは職能的専門化の問題であり、組織構造に対応する。一方、人事の問題は、一般人事問題の特殊な場合であり、これらの資質を組織における有効な管理活動足らしめるような誘引、客観的権威を展開することである。

  1. 組織構造・・・組織職位の規定を「組織構造」と名付ける。組織構造は、専門化や課業のような、組織が行う仕事の調整を表現するものである。また、組織構造を変更する基本的な目的は、他の要因全体に好影響を与えることである。
  2. 職員・・・管理者に要求される最も重要な貢献・資質は、忠誠、すなわち組織人格による支配である。というのも、必要なときに管理者の個人的貢献がなければ伝達ラインは機能し得ないからである。このような人格的忠誠という貢献は、有形の誘因には動かされず、威信への愛着、仕事への興味と組織の誇りなどが誘因として効果を持つが、適切な誘因を提供するのは簡単ではない。忠誠心の次にはより特殊的な個人能力が問題となり、それは2種類に分けられる。
    1. 機敏さや広い関心、融通性や適応能力といったかなり一般的な能力。
    2. 特殊な資質や習得技術に基づく専門能力。
    職位が高くなるとA.一般的な能力がより必要となるが、このような能力の希少性が管理業務の組織を制約し、ひいては公式管理職位の数を縮小する。また組織構造の展開に伴い、人の選択、昇進や降格、解雇といった組織構造の人事が伝達体系の維持の中心となる。
  3. 非公式管理組織・・・管理者の伝達職能の中には、伝達手段として不可欠な非公式管理組織を維持することも含まれる。非公式管理組織を維持するには、人々の間に調和という一般的状態が維持されるように運営し、管理者を選択し昇進させることである。たとえ公式の能力に問題がなくとも、非公式的管理の適正によって解任されることもある。ここで「適任」という問題には法則がほとんどない。また、非公式組織の職能の一つは、公式組織を経由すれば問題が発生するような事実、意見、示唆、疑惑を伝達することである。

 ここまでをまとめると、第一の管理職能は伝達体系の維持と形成であり、それには組織構造と管理職員の双方が含まれる。職員の配置に関しては、人の選択ならびに誘因の提供、統制技術、そして非公式組織の確保が必要である。この非公式組織の主要機能は、公式決定の必要を減らして伝達手段を拡大すること、好ましくない影響を減らすこと、公式的な責任構造に一致しす好影響を促進することである。

第2節 必要な活動の確保

 管理組織の第2の職能は、組織の実態を構成する個人の確保を推進することである。この職能は、1. 人を組織との協働体系に誘引すること、2. 誘引の後、活動を引き出すこと、の2つに分けられる。

  1. 協働関係への誘引・・・組織の成長や貢献者の補充のためには組織の外にいる人を組織に誘引する必要がある。これには以下の2つがある。
    1. 活動を確保しようとする特定努力の及ぶ範囲に人々を引きつけること。影響力の範囲内に人々を引き寄せる規模と方法は、組織ごとに多様である。
    2. 人々が近づいた時、実際にその努力をすること。組織と接触するようになった人々を現実に組織と一体化させる努力は、貢献者確保の規則的で日常的な活動である。
  2. 活動の抽出・・・持続的な組織のためには、協働関係への誘引以上に、支持者から質的にも量的にも優れた努力を引き出すことが重要である。構成員であるという名目上の結びつきは単なる出発点であり、組織が存続するには、組織の権威を維持し、成長させるように留意しなければならない。これにはすでに組織に関係する人々に対する組織のアピールにが不可欠である。

第3節 目的と目標の定式化

 第3の管理職能は、組織の目的や目標を定式化し定義することである。無数の同時的および継続的な行動を定式化し、再規定し、細分化し、かつ意思決定をするのは全管理組織である。どの管理者も、このような職能を一人で遂行することはできず、単に管理組織における自分の職位に関係する部分のみを遂行するにすぎない。したがってこの職能の決定的側面は、仕事の割り当て、すなわち客観的権威の委譲である。抽象的、一般的、将来的、長期的意思決定の責任は上層部に委譲されるが、目的の特定の責任や行為の責任は、常に努力に対する権威が宿る基底部に残されるのであり、つまり、責任は分化する。したがって、目的の定式化と規定は広く分散した職能であり、そのうち一般的な部分だけが管理者の職能である。このことから、下層の人に一般的目的を教え込んで常に結束を保ち、細部決定を目的に沿わしめる必要が生じ、一方で上層部は遊離しがちな末端の貢献者の具体的情況を理解する必要性が生じる。つまり、目的に沿った決定を上下一貫して調整しなければならない。これは協働体系の運営において最も重大な困難である。

(山室有友美)


第16章 管理過程 (pp.245-268)

【解題】この章は公式組織存続の2要件(有効性・能率)の復習。(高橋伸夫)

 管理諸機能はリーダーが持つ専門化した責任内容であり、その本質的な側面は全体としての組織とそれに関連する全体情況の感得である。それは科学よりもむしろ芸術の領域にあるとも言える問題であり、論理的というよりもむしろ審美的であると言える。このような管理過程の特質を述べるために、全体感が意思決定において支配的な基準であることを、組織に究極目的が存在していることを前提に論じる。この基準の是非は、先述の前提と、リーダーが全体観を持っていることが結果によって正当づけられるかによって判断する。この判断においては、手段が組織の目的に対し有効的であり、能率的でもあるかどうか、この2点を考慮する必要がある。

第1節 組織の有効性

 非管理的見地からすると、組織が用いる各手段(多くの場合は技術的)について、それらが各協働体系にどのような関係があるかどうかは重要でない。気にするとすれば経済面程度である。体系とは別に存在する複数の技術体系の中から、個々の作業に最も有効な手段を随時選択すれば良いだけのことである。しかし、事実上各々の技術過程は同じ協働体系内のすべての技術に依存している部分がある。例えば、鉄道の場合諸々の技術は軌道のゲージという単一の要因によって支配されている。電話器具においても、送受信に対する標準効率がその他諸々の構造の種類を限定する基礎となっている。このように、経済的な考慮は別として効果的な目的達成の手段として技術的な連鎖が統制される必要性がある。この連鎖の規模は大きくなればなるほど、伸縮性と適応性が少なくなり、結果非能率を余儀なくされることもある。このように、管理過程を組織の有効性の技術的な側面に限定して考察しても、それが局所的な考慮と全体的な考慮のバランスを見出す過程であることがわかる。その他経済的、政治的、宗教的、科学的といった側面からの統制が支配的になるために能率が確保されず失敗することが多いのが事実である。こういった条件を全体的に統括し調和を生み出すのが、少数の才能を持った管理者の職能であるとも言える。

第2節 組織の能率

組織内の様々な経済

 組織には物的体系、人的体系(個人と個人の集合)、社会的体系(他の組織を含む)があり、協働体系には、a.物的経済、b.社会的経済、c.個人的経済、d.組織の経済がある。

  1. 物的経済・・・組織の行動に支配される物財に対して組織が認める効用の総計である。これは、(A)支配すること、(B)組織が物財に対し有用性という特質を与えることの2つの要素に分けられる。これらは、次の4つによって変化する。
    1. 物的要因の変化
    2. 他個人、他組織との交換
    3. 敵対個人、組織による略奪
    4. 組織の創造的行為による支配獲得
  2. 社会的経済・・・これは他組織や外部の個人との関係の中に組織が認める効用であり、次の2つによって変化する。
    1. 外部の個人や組織がこの組織に対して取る態度
    2. 物的あるいはその他効用の交換
  3. 個人的経済・・・これは所属個人の仕事をする力や、そこで得られる物質的、社会的な満足に認められる。次の4つによって変化する。
    1. 生理的な必要
    2. 他の効用との交換
    3. 自分自身の効用の創造
    4. 心的状態の変化
  4. 組織の経済・・・組織の経済は、以上abcに対して組織が与える効用のプールである。これは組織内で完成された仕事が支払った効用の総計であり、個人ではなく組織の評価とされる。それは組織の調整行為に基づく評価である。

 abcについてはそれぞれの外部要因とそれらが組織に与える効用の間には直接的な相関関係があるとは言えずその他の諸事情に左右されているため、どの見地からでも協働体系の状態を分析することができる。貸借対照表に組み入れられているのはこれらの経済のうちのある一部分のみである。

組織の存続

 組織の経済の均衡に必要なことは、様々な効用を支配・交換し構成員の個人活動を支配・交換しうるようにすることである。そのために組織は効用の交換を通じて十分な効用供給量を確保し、それらを貢献者に分配する必要がある。余剰な効用を求める貢献者の満足を満たして初めて組織は存続する。組織は主に物的効用と社会的効用を支出せねばならないが、自己が所有する以上は支出できないので交換か創造のいずれかによって効用を確保する必要がある。

 例えば宗教組織においては、その努力の大半を教会に捧げ物的効用を求める牧師のために、組織と信者との間で社会的効用との交換を実現する。教会は物的効用を牧師に、社会的効用を信者に与え消費することによって、信者から物的効用を得たり、牧師の宣教から貢献者の増加や組織拡大による社会的効用の増加を期待することができるのである。このように組織の経済では諸要素が相互作用的であり、同時に相互依存的である。物的ならびに社会的な満足が各メンバーに与えられるような複合的な組織の経済が組織の存続につながるため、組織が成長していればその能率性を認めることができる。現に広く共有されている固定観念に基づくと赤字の商業組織は存続しないと考えられてしまう。しかし金銭的でない動機から経済的な貢献が誘発され組織が存続するという事実も多々見受けられる。似た例としてはまた宗教組織をあげることもできる。

 このような四重経済の基礎には産出と投入を細部にわたって釣り合わせることは不可能という本質的な事実がある。ここでは、組織の能率を部分の能率と全体の能率に分けて考える。

(藤永皓優)


第17章 管理責任の性質 (pp.269-297)

【解題】この章では、「第14章 機会主義の理論」で予告されていたように、道徳的要因や見通し(foresight)が扱われる。バーナードによれば、この本の中で「協働の道徳的側面をできるだけ避けてきた」(p.258) ので、この実質的な最終章で「リーダーシップと管理責任の道徳的側面に論点を集中して、組織における道徳的要因を考察しよう」(p.260) というわけである。この章の最初と最後に書いてあることを抜粋すれば、この章の意図は比較的明快である(ただし、途中に書いてあることは雑多な記述の寄せ集めにしか読めない)。すなわち、リーダーシップの「決断力、不屈の精神、耐久力、および勇気における個人的優越性の側面」(p.260) に考察が限定される。「それは行為の質を決定するものであり、人がどんなことをしないか、すなわちどんなことを差し控えるかという事実から、最もよく推察されるものであり、尊敬と崇拝を集めるものである。われわれが普通に『責任』という言葉に含めるリーダーシップの側面であり、人の行動に信頼性と決断力を与え、目的に先見性と理想性を与える性質である。」(p.260) こうして、リーダーシップによって、成功するだろうという信念等が作り出されることで、協働的な個人的意思決定が鼓舞される (p.259)。「組織の存続はリーダーシップの質 (quality: 翻訳では「良否」と訳されている) に依存し、その質は、それの基礎にある道徳性の広さ(breadth: 翻訳では「高さ」と訳されている)に由来する」(p.282)のである。(高橋伸夫)

 これまでは、組織の構造や過程の原理について共通の理解を得るため、協働の道徳的側面をできるだけさけてきた。しかし、組織の構造やその動的過程について緻密な研究をすると、協働のより技術的な側面を強調しすぎるおそれが生ずるが、通常は構造的な特徴があいまいで、作用要因の把握が困難なため、人間協働における主要要因を「リーダーシップ」だけに求めることになる。信念を作り出すことによって協働的な個人的意思決定を鼓舞するような力が必要なのである。にもかかわらずリーダーシップや道徳的要素が、組織における唯一の重要な要因であると想定することは誤りである。目的のある協働は、協働に貢献するすべての人々より得られる諸力から生ずるのであり、協働の成果は全体としての組織の成果である。協働こそが創造的過程であり、リーダーシップは協働諸力に不可欠な起爆剤である。リーダーシップには2つの側面がある。

  1. 局部的、個人的、特殊的、一時的な、体力、技能、技術、知覚、知識、記憶、想像力における個人的優越性の側面である。これはリーダーシップの技術的な側面である。
  2. より一般的で、不変的で、絶対的で、主観的であり、社会の態度と理想とその一般的諸制度を反映するものである。決断力、不屈の精神、耐久力、および勇気における個人的優越性の側面である。それは行動の質を決定するものであり、人がどんなことをしないかという事実から最もよく推察されるものである。われわれが普通に「責任」という言葉に含めるリーダーシップの側面であり、人の行動に信頼性と決断力をあたえ、目的に先見性と理想性を与える性質である。

 ここではリーダーシップの第2の側面に考察を限定する。本章では、リーダーシップと管理責任の道徳的側面に論点を集中して、組織における道徳的要因を考察する。まず、人の道徳的性格と個人的責任の性質とはなにを意味するかを考察する。つぎに、個人の道徳、責任、道徳水準におけるある特徴的差異に注目し、さらに、管理職能から影響を受ける個人の道徳的地位の間に見られる重要な差異を述べる。最後に、責任の最高の表現である「道徳的創造性」という管理職能を考察する。

第1節 道徳水準

 道徳とは個人における人格的諸力、すなわち個人に内在する一般的、安定的な性向であり、かかる性向と一致しない直接的、特殊的な欲望、衝動、あるいは関心はこれを禁止、統制、あるいは修正し、それと一致するものはこれを強化する傾向をもつものである。この傾向が強く安定しているとき、責任の一条件が備わることになる。道徳は、人間としての個人に外的な諸力から生ずる。多くの道徳的諸力は教育と訓練によって個人に教え込まれ、環境からの摂取によって得られるものである。これらの内的な諸力あるいは一般的な性向は、私的な行動準則であると解するのが便利である。ここでの道徳は個人に対して働きかけている累積された諸影響力の合成物であって、これらの諸力は実際情況下における行動や情感の言語的表現から推定されうるものである。以上のことから、すべての人は私的準則をもっていると仮定できる。これは、正常な人はすべて「道徳」的存在であるとする見解とも一致する。

 道徳水準と責任とは同一ではない。ここで定義する責任とは、反対の行動をしたいという強い欲望あるいは衝動があっても、その個人の行動を規制する特定の私的道徳準則の力をいう。すべての人はいくつかの私的準則をもつから、そのうちのある準則については責任的であり、他については責任的でないことがありうる。ただ些細な準則を除けば、一つの主要問題について責任的である人は、他の問題についてもまた責任的である。ここで重要な点は、高い道徳水準にある人でも、自分の道徳準則について支配されないことがあり、そのときには無責任であるということである。また逆の場合もある。自分の直面する問題が、特定の準則と単純に合致するか、全く合致しないときに、責任的となる人がある。しかし、私的準則が多く存在するときには、特定の行動あるいは具体的な情況には、諸準則間の対立が生じやすい。この場合、そのうちの一つの準則が有力、支配的な準則となることもある。このとき行為者は一般に対立を意識していないが、このようなとき、人格的な問題は、重大な問題ではない。しかし、いくつかの準則が、当面の問題に関して、同じ効力をもつときには、準則間の対立は重大な人格的な問題となる。かかる対立から生じる結果には3つの種類がある。

  1. 行動の麻痺状態が生じ、感情的緊張を伴い、挫折感、梗塞感、不安あるいは決断の喪失および自信の欠如にいたる場合
  2. ある一つの準則の遵守と他の準則の侵害があり、罪悪感、不愉快、不満足あるいは自尊心の喪失にいたる場合
  3. 直接欲望、衝動、関心、あるいは一つの準則の指令を満たしながら、他のすべての準則にも合致する代替行動が見出される場合

 一つの準則に対する不一致という第二の場合が解決策として採用され、それが繰り返される場合には、その準則が強力で継続的でないかぎり、その準則は破棄されるだろう。新たな行為によって対立が解決されるならば、どの準則も経験によって強められるが、かような解決には構想的、建設的な能力が必要である。すべての要求を満たすように、方法が「案出」されねばならない。

第2節 道徳準則と責任

 私的道徳準則には、多くの人々に共通と認められるものと、個々の人や比較的に少数の人々だけに限られる特殊のものとがあり、準則が共通的である場合だけそれが「道徳」すなわち公的準則として認められている。しかし、愛国的な行動に関する、国民の義務感や責務感のように、一般には重要と認められていないが、極めて重要な他の共通準則もある。これらの準則は多くの点で一致するが、一致しない、もしくは対立することもある。重要か支配的だと一般に認められている準則は、明示されているという事実だけで、一般的に行動に影響を与える。準則が重要な効果を与えるからといって、支配的か、最も重要な準則であることにはならない。一般の意見では、社会的に支配的だと思われている準則のみが重要な道徳準則であるとし、それ以外のものは道徳的な準則でないと考える。公的準則を遵守しさえすれば責任を果たしていると考えるようになり、公的準則を遵守していないと認められれば、それは責任がない証拠だと信ずるようになる。道徳水準の評価と責任能力とが混同されているのである。責任とは、各自に内在する道徳性がどんなものであっても、それが行動に影響を与えるような個人の資質である。

 準則と責任とに対する制裁を考えることは有益である。制裁は、準則の確立には役に立つが、責任の確立には役に立たない。刑罰のおそれがあるために準則が遵守されるというのは、単に消極的な誘引に過ぎない。特別の刑罰や報酬と無関係に働く深遠な確信のみが、高い責任の素因である。命令に権威を与えるかの問題は複雑である。責任感が弱ければ、準則の対立は重大とはならず、特別な誘因と制裁とが重要となる。責任感が強く組織準則が重要でない時には、権威が否定され、誘引もさしたる影響を与えない。人々の道徳準則の質や相対的な重要性、道徳準則に対する責任感、誘引の効果は一様でなく、準則の数にも差があるが、そのことも準則の対立に影響する。準則の対立は準則の数の増加につれて増加する。対立から生ずるジレンマは、一般的な道徳低下、責任感の減退、不活発な状況への意識的な逃避、代替案を考え出す能力の伸長などをもたらす。代替案を考え出す能力が伸長すれば、個人の道徳水準は向上するが、それには能力が必要である。

第3節 管理責任

 管理職位は、a.複雑な道徳性を含み、b.高い責任能力を必要とし、c.活動状態のもとにあり、そのため d.道徳的要因として、対応した一般的、特殊的な技術的能力を必要とする。そのうえ、e.他の人々のために道徳を創造する能力が要求される。

  1. 管理者は、職位と無関係に個人的な道徳準則をもっている。人が管理職位に置かれるとただちに、その組織の準則である付加的準則が課せられ、より複雑な道徳性をもつようになる。行動や要求が付加的準則と私的な準則を含むとき、管理者的ないし専門職的行動と私的道徳とは切り離せない。このような問題が起こると、個人道徳に反するか、義務を履行しないかのいずれかの選択をすることとなる。
  2. 責任能力とは、準則に反する直接的衝動、欲望や関心にさからい、準則と調和する欲望や関心に向かって、道徳水準を強力に遵守する能力である。職位が高くなれば、それだけ多くの責任が課せられる。
  3. 管理職能の状態は、大なる活動量を必要とする。職位が高くなればなるほど、各方面から意思決定活動を必要とする行為を多く課せられる。
  4. 管理職位が高くなるにつれ、道徳性の対立が増え、意思決定過程は道徳的にも技術的にもますます複雑となる。これらの対立は@情況の戦略的要因をより正確に決定し、それによっていかなる準則にも反しない「正しい」行為を発見するために、当該環境をさらに分析すること、A一般目的と合致する新しい細部目的を採用すること、により解決できる。いずれの過程も責任のうち「決断」として知られている部面である。地位が高くなるほど、それに含まれる道徳性が複雑になり、その対立を解決するためにますます高い能力が要求されるのである。
  5. 管理責任は、複雑な道徳準則の遵守のみならず、他の人々のための道徳準則の創造をも要求するということを特色とする。最も一般的に認められている側面は、組織内における「モラール」の確保、創造、鼓舞と呼ばれているものである。

 道徳的創造性のもう一つの側面として、道徳的な対立を解決するための道徳的な基礎を工夫することがある。これは、ある見地からは「正しい」が、他の見地からは「誤り」と思われる場合に、解決策として、対立を避ける新しい処置を代りにもってきたり、例外や妥協に道徳的正当性を与えたりすることである。これらは広い意味ではいずれも管理職能である。管理的見地からみた司法的過程により、道徳すなわち行動準則の精緻化と精錬がなされる。モラールを保持するために必要な解釈や仮説を工夫しうるかどうかは、責任と能力のきびしいテストである。モラールが健全であるためには、モラールが、全体の道徳性とも、人の道徳性とも真に調和しなければならないからである。

第4節 管理者の創造職能

 管理責任の創造的側面は責任というものの最もよい例証である。大部分の道徳の対立は組織準則内のことであって個人準則は直接関係しない。しかし創造的道徳性が問題であるときには、個人的責任感が強調され、組織のためにするのが正しいのだという個人的確信に基づかなければ、このような仕事を引き続いておこなうことはできない。全体としての創造職能がリーダーシップの本質である。なぜなら、創造職能を達成するためには、個人準則と組織準則とが一致しているという「確信」の要因を必要とするからである。

第5節 リーダーシップと協働体系の発展

 人間協働における最も一般的な戦略的要因は管理能力である。責任感がなくては、他の能力は発揮されず、発展もしないだろう。組織の存続は、それを支配している道徳性の高さに比例する。このように、組織の存続はリーダーシップの良否に依存し、その良否はその基礎にある道徳性の高さから生ずる。リーダーシップは失敗することもあるが、その失敗が起こるまでは、組織道徳の創造こそ、個人的な関心あるいは動機のもつ離反力を克服する精神である。リーダーシップは必要不可欠な存在であり、共同目的に共通な意味を与え、他の諸誘引を効果的にする誘引を創造し、意思決定に一貫性を与え、協働に必要な強い凝集力を生み出す個人的確信を吹き込むものである。したがって、管理責任とは、主としてリーダーの外部から生ずる態度、理想、希望を反映しつつ、人々の意思を結合して、人々の直接目的やその時代を超える目的を果たさせるよう自らをかりたてるリーダーの能力である。これらの目的が高く、多くの人々の意思が結合されるとき、組織は永遠に存続することとなる。永続的な協働の基盤となっている道徳性は多次元であり、展開するにつれてますます複雑化し、対立は深くなり、能力の要請は高くなる。しかし、リーダーシップの質、その影響力の永続性、その関連する組織の持続性、それによって刺激される調整力など、これらすべてが、道徳的抱負の高さと道徳的基盤の広さをあらわすのである。

(倉成磨里)


第18章 結論 (pp.298-309)

【解題】この章は、16箇条の要約と難解な結論からなっている。このうち要約については、16箇条という数字から、第1章のイントロダクションを除いた第2章〜第17章の16の章のそれぞれに対応して1箇条ずつ書かれている、と思いきや、実は対応関係がない。しかも、書かれているのは要約というより、コメントなので注意が要る。(高橋伸夫)

第1節 要約

  1. 物的並びに生物的要因は協働に基本的である。これらの要因が与えられると、社会的要因が協働確保に不可欠となる。故に、協働とは3種類の要因を行為に総合する過程であると言える。
  2. 経済発展における主要用具である組織の観点から見れば、資本は全て物的環境の一部である。資本の直接の意義は、自然環境が協働に課する諸制約を緩和することであり、その間接の効果は協働への誘引を拡大することである。
  3. 全ての複合公式組織は単位組織から生成し、それによって構成され、単位組織の内在的特性が複合組織の性格を規定する要因である。
  4. 単位公式組織の特性は、物的、生物的、並びに社会的要因によって規定される。これらの諸要因を理解すること、並びにこれらの要因への適合にとって本質的な過程を理解することが、公式組織研究の中心的な方法である。
  5. 相当の規模を持つどんな社会でもその主な構造は、公式組織の複合体である。この公式組織は、個人並びにかかる組織の具体的な行為のうちに認められる斉一性から主として構成された抽象である。
  6. 非公式組織は全ての公式組織の中に見出される。公式組織は秩序と一貫性を保つために、非公式組織は活力を与えるために、必須である。両者は協働の相互作用的側面であり、相互依存的である。
  7. 協働体系の均衡の撹乱は、誤った考え方、特に公式組織におけるリーダーまたは管理者の側のそれから生ずる。
  8. このようにして4つの主な誤りが生じる。組織生活の経済を極端に単純化すること、非公式組織の事実とその必要性を無視すること、権威の客観的側面と主観的側面とに対する重点の置き方を逆にすること、および道徳性を責任と混同することである。
  9. 組織における適応の本質的な過程は意思決定であり、それが、情況の物的、生物的、個人的ならびに社会的要因を意思行為によって選択し、特定の組み合わせにもたらすのである。
  10. 物的、生物的並びに社会的な環境についての知覚の精度差によるアンバランスのために、意思決定の誤りは大きい。これが協働の成功を制約する一般的要因である。
  11. いかなる協働体系にも、物的、個人的並びに社会的な要因が含まれるから、少なくとも3つの第二次的な抽象的効用体系が問題となる。この体系にさらに全組織に関する第一次的な効用体系が付け加えられねばならない。これら第二次体系の各々は、それぞれの種類の諸現象ないし諸要因、およびこれらに対して組織が付与する効用から成り立つ。各体系におけるこれら効用の総計は、現象ないし要因、および各要因に当てられた効用とともに変化する。第一次的体系はこれらの効用の総計、および全体としてみた諸現象ないし諸要因を含む。これらの体系を私は経済と名付けた。
  12. 科学的知識は、全て言葉とか記号体系によって表現される。すなわち、現象についての「終局的に」受け入れられる表現は全て協働的に到達したものなのである。したがって、広義における全ての科学は、社会的要因とともに、取り扱う主題に応じて様々の他の諸要因を含んでいる。
  13. 協働の程度が増大するにつれて、道徳的複雑性が増大することになる。それに伴う技術的な熟練がなければ、人々は高度の道徳的複雑性に耐えることができない。
  14. 協働の戦略的要因は一般にリーダーシップである。リーダーシップは技術的な熟練と道徳的複雑性とに対する比較的に高い個人的能力に与えられる名称であり、それには個人の道徳的要因にも一貫して従おうとする性向が結びついていなければならない。
  15. リーダーシップの動態的表現の戦略的要因は道徳的創造性であり、それは技術的な熟練とか、それに関係のある技術の発展に先行するのであるが、また、それらに依存するものでもある。
  16. 社会的統合の戦略的要因はリーダーの育成と選択である。この過程は、技術的熟練か道徳水準かのどちらか一方を強調しすぎる結果、アンバランスとなりがちである。

第2節 組織理論の根本問題

 アメリカ合衆国において、管理の仕事に従事する人々の仕事の手段、およびそれ特有な技術について明記した文献や規定、また一般に容認された概念的枠組みすらない。このような事情から、かなりの知識と適切な用語のある事柄においてすら、アンバランスと不当が強調され、逆に今まで論議されていない重要な事柄を無視することが結果として起きる。

 協働体系および組織問題に完全に科学的な接近をすれば、管理技術に有益な用具を提供することになるだろうか。終局的にはそうであり、かような科学の発展は、管理技術と、協働一般の進歩に重要であると私は信じている。これは多くの具体的事例に見られるような全体状況の全ての要素に対する考慮の欠如をかえりみて得た信念である。このような欠如は、一部は科学の専門家から生ずる思考の専門化によって促進されている。組織の本質である行為とか、管理者の職能たる行為の調整は、物的、生物的並びに社会的要因の総合に関係する。相互調整の問題はそれらの特定分野以外の問題である。

 組織の科学とか、協働体系の科学というものはまだ存在していない。この理由の一つは、知的過程および心的過程を強調しすぎた誤りにあるように思われる。しかしながら、技術との関連における科学の重要性は、極めて明らかである。具体的な目的を達成し、成果を上げ、状況を生み出すのは技術の機能であり、過去の現象、出来事、情況を説明することが科学の機能である。技術を用いるのに必要な日常の実際的知識には、普段の習慣的経験によって会得できる行動的知識も含まれる。にもかかわらず、技術の力並び技術それ自体は科学的知識を利用できるときに拡大することができる。

 本書に提示したのは、仮説的な枠組みであり、私が長年色々な組織に実際たずさわった時に観察したこと、および他の人々の経験によって構想したことを、社会科学に関する知識によって補足し、概説したものである。協働がよって立つ倫理的な理想は、個人的責任能力を必要とするばかりでなく、直接の個人的利益を究極の個人的利益および一般的利益の双方に従属させようとする意欲を広く浸透させることを必要とする。究極の個人的利益や一般的利益にとって、何が役立つかについての感覚は、いずれも個人の外から生じなければならない。それは社会的、倫理的、並びに宗教的価値である。それが一般に普及するためには知性およびインスピレーションが必要である。インスピレーションは統一感を注入し、共通の理想を創造するために必要である。

 人は世界の分裂の様子を見て、あたかも世界統合からの根本的な変化であるかのように思い落胆している。しかしこの失望こそ、世界的統合の実現に先立つべき信念、すなわち統合の拡大強化が必要だとする信念のある証拠である。このような信念が普遍的となり、協働の技術がこれまでよりもずっと発展するまでは、対立こそが終局的統合への主要な過程である。世界の半分が他の半分に対して組織された時に初めて、世界的協働の可能性が会得されよう。しかし、現在の失望は、単に経済的な撹乱や国際的な対立のみから生ずるものではなく、むしろ協働自体に対する信念の深い対立から生ずる。相互に闘争するのみでなく、認識されていない限界に対しても戦う、全くかけ離れた二つの信念がある。一つは、個人の自由に焦点を合わせ、個人を宇宙の中心とするものである。第二の極端な信念は、広範囲に相互関連を持つ体系の中で、協働的に決定する無数の具体的行為には、秩序、予測可能性、一貫性、並びに有効性があると強調する。これらの信念の間にある論点は、自由意志と決定論という昔ながらの問題に集中している。私はこの論点を、協働における人間行動、組織の社会的制約および管理者の本質的任務の中に見出した。

 著者が意図したわけではなく、本書はその根底において、人間の生に内在する深刻な逆説と感情の対立を含むこととなった。このように人間の物語は終局的には、信念の表明を必要とすることになる。私は人を自由に協働せしめる自由意志を持った人間による協働の力を信じる。また協働を選択する場合にのみ完全に人格的発展が得られると信じる。また各自が選択に対する責任を負う時にのみ、個人的並びに協働的行動のより高い目的を生み出すごとき精神的結合に入り込むことができると信じる。協働の拡大と個人の発展は相互依存的な現実であり、それらの間の適切な割合すなわちバランスが人類の福祉を向上する必要条件であると信じる。それは社会全体と個人とのいずれについても主観的であるから、この割合がどうかということは科学は語り得ないと信じる。それは哲学と宗教の問題である。

(鵜田敦子)


付録 日常の心理 (pp.313-338)

【解題】この付録はもともとプリンストン大学での講演録なのだが、本書のもとになったローウェル研究所での講演では、第13章と第14章の理解を助けるために配布されている。(高橋伸夫)

 日常業務にあったての人の精神的側面についての私個人の態度、理解を述べる。なぜなら、社会で二つの困難を経験したことがあるからである。一つ目は、新しい仕事や地位への適応の困難、二つ目は個人間や集団間での相互理解を求める困難である。これらの困難の原因は、「精神的態度」「見解」「心理作用」などの相違という言葉で表現される、精神過程の差異とされる。精神過程は「非論理的過程」「論理的過程」から構成される。「論理的過程」は、言葉とか記号に表現される意識的思考、つまり推理を意味する。「非論理的過程」は、言葉で表現できない、あるいは推理で表現できない過程を意味する。非論理的過程の源泉は、生物的な条件や要素、もしくは物的、社会的環境より由来し、無意識的に我々の心に植えつけられている。

 人々の仕事の重要な差異は、推理がどれだけ用いられるかの程度にある。例えば、数学者や科学者などでは推理は重要な特徴となっている一方で、販売業務や経営者には推理はほぼ見当たらない。このことの重要性は、推理の方が非論理的過程より重要という信念が原因で曖昧となっている。そこで人の精神的側面を理解するためには、この思考過程を偏重する傾向を打破し、非論理的過程の正しい理解が必要となる。

 非論理的過程より論理的過程を重視しすぎる理由は二つある。一つ目は、論理的推理の本質に関して誤った考え方があること、二つ目は、真の動機が意識されていないとき、行為や意見をもっともらしく見せかけようとする欲求である。しかし、非論理的過程は科学的作業においてさえ必要なものだ。よって、論理的過程も非論理的過程も両方使用することがよく、どちらかしか選択できないのなら、どちらが適用されるべきなのかは以下の3つの条件によって決められる。

  1. 精神的努力の3つの目的: 次の3つの精神努力の目的の型を考えると、論理的過程と非論理的過程どちらを適用するかがわかる。
    1. 真理を確かめること
    2. 行為の方向を決定すること
    3. 説得すること
  2. 速さの要因: 作用に要する時間によって、精神過程の適用は大きく異なる。
  3. 心理が適用される素材の性質: 3つに素材に分けて考える。
    1. 正確な情報よりなる素材
    2. 混成的性質の素材
    3. 不確実な型の素材
    これら3つの素材からわかることは、論理によって説明できないほど不安定な素材には論理的な推理過程を適用できないということだ。論理的推理と科学的方法は問題解決のわずかな部分にしか効果的でなく、非論理的過程の有効性に依存しているのだ。

 非論理的精神過程についての偏見を除去し、有効な過程を決定するものを明らかにする。すると、それらに目的、速さ、素材が関係することを見出せる。そして、直観的過程から形式論理的過程まで様々な精神過程が必要であることがわかる。これらの過程はすべてのいかなる作業にも必要であるが、諸過程の階層によって、それぞれどのような重点が置かれるかで決まる。例えば、科学的な作業においてはいかに直観的なものが必要であっても卓越した形式論理的推理が重要である。また他方、実務的な世界においては多くの活動において、意識的な推理過程に捕捉されるべきではあるが、非論理的過程が必要である。

 このような考察により、科学的精神の人は、思弁哲学や非論理的な知性に不信の念を抱く。この不信は科学分野に関してはもっともであるが、その他の分野に関しては正しくない。そして、実務家は形式的推理過程を信用しない。それは、推理を偏重すれば、一般に必要不可欠として信頼している直観的過程が抑制されると恐れているからである。従って、人は生涯において判断の誤りを避けるべきなのだ。

仮構(フィクション)

 仮構とは、理論的推論によっても実験的立証によっても真実性が立証されないとわかっているのに、一つの基本的な命題が真実であるとする主張のことだ。仮構間の重要な差異は、それが真実でありうるかどうかと、それが有用でありうるかどうかにある。そして、仮構の範囲、有用性およびその真実性は様々である。

 通常の事柄における仮構と基本的な公準との差異は、その仮構の目的と範囲に表れる。そして、実際界においてその両者に明白な違いがあることは、実際界が実際である限り避けることができない。例えば、組織においては応用算術の幻想がある。組織の能率は、個々の努力の総計に加えて、指揮や管理が関係しうるのだ。そして、私たちの物的、社会的世界は構造、組織および有機体で満たされている。それゆえ、社会を理解するには組織を感得つまり非論理的心理で理解することが必要となる。

最後の問題: 反作用

 最後の問題は、人の精神過程での心の反作用が起こることである。科学界と異なり、実際界においては、人の心理やその具体的表現は、精神態度や行為を大きく変化させる。その結果、政治的、経済的、社会的状況を、行為と意見表明の双方に再調整することとなり、道徳的、倫理的緊張を生じさせ、不正な言明をし、誠意を破滅させる傾向が出てくる。この状況で必要なことは、非論理的過程の能率を働かせ、心理の内容を豊富にさせて調整することと、心理を正しく利用するための道徳的態度をとることである。 つまり、文明社会のうつりゆく姿を洞察するには、論理的過程だけでは不十分で、非論理的過程と調整しつつ発展させることが必要であり、このような釣り合いの取れた心理をさらに強化させようとすることが必要とされる。

(和田佳奈絵)




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